ビルトニアの女
運命の女神【7】
「最後の弟子が手前か……おい、ヘイド。手前カルマンタンから手引書渡されてるだろ。俺に寄越せ」
 拘束を解いた後に、膝をついて視線を合わせ目を覗き込むようにしてドロテアが命じるように言うと、ヘイドは首をガクガク動かして、
「宿においている。取りに行って……」
 すぐに取りに行こうとしたが、
「おい、エルスト。こいつの宿に取りに行ってこい。大切なモンだろうが、身から離すなよ」
 お前はここに残れと、ドロテアに服の端をつかまれ、ヘイドはエルストに宿の場所と手引書の特徴を教えてまた座り込んだ。
「た、大変だったんだぞ! あの後!」
「ん? あの後……ってことは、俺に惨めで無様な敗走を見せた後のことか?」
 ヘイドの語るところによると、手引書はあの遺跡の中に置きっ放しだったのだ。“あれだけは無くさないように” いつも言われていたヘイドは、それを取りに戻った。戻るためには、近場の村を大きく迂回しなければならない。
 迂回して遺跡に向かう途中、それは色々なことがあったのだそうだ
「盗賊と鉢合わせしてだな」
「魔法で殺せばいいだろ」
「くっ……街道を外れた場所から向かった為に、食料の調達にも苦労が」
「狩りして捌けばいいだろ」
「わ、私はグロテスクなことは嫌いなのだ」
「生贄使おうとしたのにか?」
 ドロテアが視線も合わせずにヘイドと話をしていると、レイが近寄ってきて首を傾げる。
「どうした? レイ」
「あ、うん。この老人」
「ヘイドだ! バルテアード」
「俺はレクトリトアードだけど……ヘイド、髪の毛薄かったか?」
 ドロテアに頭髪から眉毛から睫にヒゲまで全て剥がされた男の顔を、興味深そうに眺めつつレイが問いかける。
「ほっといてくれ!」
 普通の人は、禿げに向かって禿げとあまり言わない。相手を馬鹿にする際には口にするだろうが、レイの態度は馬鹿にもしていないので余計に可笑しく映る。
【何を言っている……レイ、もしかして髪の毛の色が薄いと言いたいのか?】
「そうだ、アード。白みがかった茶色で髪の毛の量が薄いと」
 ヘイドから視線を離して、何もない空間に向かって髪の毛の話をしているレイの姿は、どうみても異様だ。
「おい、アード。姿現せ」
【了解】
 ドロテアの声に、霊体とは思えないほど確りとした幽霊が陽の傾き始めた広場に姿を現す。
「勇者にそっくりな霊体だな」
「ああ。その禿げの両親を知っている男だ。俺達のことは気にするな」
 先ほどから繰り広げられる、奇声を上げる老人と、かつてこの街にいて色々なことを仕出かした美女と、突如現れた幽霊。この状態でこの人達を気にするなと言う方が無理だろう。
「白みがかった茶色……母の髪質はそうで、私もそうだった。私は母の柔らかく少なめな髪質に似てしまって、うわぁぁぁぁぁ!」
 今は『亡き』頭髪とその他を思い出し、嘆き悲しむヘイドを無視して、
「レイ、お前こいつの両親に会ったことあるのか?」
「ヘイドの両親なのかどうかは解らないが、闘技場にいた頃に会いに来た老夫婦に似ているような気がする。老夫婦と言っても、今のこのヘイドよりも髪があったから若く見えたが」
 カルマンタンは最後に残った『勇者』に希望を託し、そのための準備を整えていた。そのカルマンタンの弟子にあたる二人が “強い銀髪の子供” が闘技場にいると聞いて、会いにきても不思議ではない。
 不思議ではないが彼等にとって『勇者』として大切なレイを引き取り育てようとは思わなかったのか?
「闘技場で会った時に何か言われたのか?」
「ん……そうだな……覚えているのは “私達が言った通り” と “ない方が、ここで成長できるから” だけだが」
「ない方が?」
 ドロテアの低い怒気が篭った声にヘイドは身を震わせながら、
「わ、解らんぞ! その言葉の意味、私は解らんぞ! 両親は自分達がカルマンタン老から依頼された仕事は、息子である私にも絶対に教えなかった! その代わりに、私の持っている手引書を見る事は決してなかった」
「ふ〜ん。ところで手前、手引書持って何するつもりだったんだ? そいつは持ってるだけじゃあ意味ねえだろ?」
 ドロテアの言葉に、声を詰まらせ、
「じ、じ、じ……実は……その……」
 言うのを躊躇っているヘイドの脇で、重い正装を解き身軽になったミロが、
「お前さん、パーパピルスの王学府試験落第しまくったヘイドか? フィアーナの時に学長から言われた」
 手を叩きながら “もしかして” と声を上げた。
「うわぁぁぁぁぁ! それ以上言うなぁぁぁぁ!」
 ドロテア以外とは結婚しない、だが国王として頭のいい女なら結婚してやるとミロは言った。そして自分の娘を妃にしようと考えていたトリュトザは、顔は親が見てもドロテアの足元どころか、比べることすら出来ない娘だが、頭は努力して何とかなるのではないかと試験を受けさせる。
 結果は、娘はあまりに入試試験の成績が悪すぎて呼び出され、合格する気があるのか? 散々叱られた。
 実は入試試験で地を這う成績だったフィアーナだけではなく、ミロも呼び出されていた。学長が何故試験を受けたのかを問いただしたら、フィアーナは試験に合格しなければ王妃になれないと学長に全てを語った。
 話を聞いた学長は、卒業したばかりの国王になったミロを呼び出して、王学府を国の重大事項に関して使うなと釘をさした。それと国政に口を出すことは出来ないが、そう前置きしてフィアーナを王妃にしない方がいいだろうとも、かつての教え子がいる部屋で大声で独り言を喋った。
 学長は在学中に国王になり、卒業を目指しながら新しいことも学ばなければならずに苦労し、果ては別の国から国王に相応しくないと言われて窮地に陥ることになった、既に両親のないミロのことを非常に心配していた。
 国王の座に関しては、恋人であったドロテアが皇帝のところへゆき、王位は確立したがそれ以外の面ではまだ、補佐も必要だろうと。
 国からの干渉を排除するのが当然の王学府、その学長は協力したくても出来ずに歯がゆい思いをしていた。
 『この先も積極的に協力することはないが、国王に即位したからと言って、卒業生の訪問を拒否することはない』
 恩師の言葉にミロは感謝して、頻繁ではないが王学府を訪問する。そんな訪問で話をしている際に、十二回も試験を受けて全てフィアーナ並みの成績で不合格になった男がいたことを教えられた。
 その男の名が・ヘイド。
「王学府通過くらいの知識が必要なんですね……ああ! だからあんな小さな遺跡があるってこと知ってたんですね!」
 ヒルダが感心したように声を上げる。
「成程な。じゃあ、手前にゃ一生読めねえ代物だな。だがよ、読めなかったらどうするつもりだったんだ?」
「あ、う……解らん」
「まあいい。お前はとりあえず、無罪放免って事にしてやろう。その代わり、手引書は俺に寄越せ。嫌だと言ったら、殺して取り上げ……」
 そこまで言って、ドロテアは “ない方が、ここで成長できるから” の何が “ない” のかに見当がついた。だが、何故 “そこ” に固執したのか? が咄嗟に出てこなかった。
「どうぞ! どうぞ! ご自由に!」
 “ない方が” それは……
「ヘイド。手前、受験料はカルマンタンから出てるのか?」
「お、おお……そうだ……」

 それは金。ヘイドの両親は、レイに生活費を与えず、闘技場で生活する道を選ばせた。

 ヘイドが試験を十二回も受けられるほどの資金を与えたカルマンタンから指示を受けていた二人が、金に困っているとは考え難い。
『二人は金の管理をしている。“私達が言った通り” ってのは一体?』
 ヘイドから強引に手引書の所有権を奪ったところで、エルストがそれを持って戻ってきた。
「これでいいんだよな? ヘイド」
「そうだ、眼鏡」
 ごく有触れた紙で出来た、少々年季のはいった手製の本。手渡されたドロテアは、それを開きながらヒルダと会話していたことを思い出して、セツについて何か知っていないかを上の空気味に、全く期待せずに呟いた。
「エルスト。お前はセツから何か聞かなかったか。どこに住んでいたとかよ」
「ギュレネイスだって」


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