ビルトニアの女
運命の女神【6】
 ドロテアは『国王が是非ともと仰られてました!』と恐々と差し出した手紙を受け取り、開いて中に目を通す。
「本日国王主催の一般食事会ね」
 後ろから覗き込んでいたエルストが手紙を声に出して読む。
【あれか、国王が庶民に振舞うやつ。俺も昔一度だけその場にいて、食ったことあるなあ】
「俺はともかく、ヒルダは釣れるだろうな。思えばヒルダも飯食いたいなら置いていってもいいんだよな」
「法王猊下の一大事に我慢しようとしているんだから、連れて行ってやろうよ。そんな誘惑をちらつかせると、涎たらして悶えかねないよ」
 まあな、と言いつつドロテアは手紙を封筒に戻して、食事が振舞われる場所である広場へと向かった。
 いつも小さな屋台が出ている広場で、今日は自分の屋台ではなく王からの命令で調理する彼等の姿がそこにはあった。
 テーブルも一つがとても大きい物が城の倉庫から搬出され並べられる。まだ準備段階で、ざわついているそこを眺めながら、積まれている椅子を下ろしてドロテアが座る。
「ただで飯が食えるんだから、ありがたく頂いていこうじゃねえか」
「そうだな」
 そうして背もたれに体を預け煙草を吸っていたドロテアの元に、レイが突っ込んできた。
 幸い大きなテーブルを飛び越えたので、セルセン王国でのような悲劇は起こらなかったが、喧騒が一瞬で止まった。
「どうした? レイ」
「ミロ、いや国王が俺はエウレルアカの結界に触れたと」
「その左腕か?」
 レイが言い終わる前にドロテアが立ち上がって聞き返す。
「ああ」
 椅子をレイの近くに寄せて、そこに立ち残っている左腕の部分に触れて、
「肩のここから切り落とせ! 待て、その剣は使うな!」
 レイは背負っていた剣を引き抜いて切ろうしたが、それを制してドロテアは自分が背負っておる剣を渡す。
 オーヴァートが渡した剣で切っては無意味なのだ。レイはドロテアから渡された細身の長い剣の刃を握り、自分の肩にあてて指示通りに切り落とす。ドロテアは落ちた肉と骨を拾い上げ、結界に触れた部分と身体から切り落とされた部分を交互に何度か見た後、焼き消した。
「生えてきそうか?」
「ああ。さっきは何故生えてこなかったんだ」
 ドロテアはレイから剣を受け取り背負いなおし、椅子に座り足を広げて腕を乗せて前傾姿勢になりながら、
「エウレルアカの結界を張ったのはオーヴァートだ。あの地下水道に、何やらありそうなんだが、捜索しても何も見つからなかったんで結界を張ったんだよな? ミロ!」
 背後からヒルダと共に現れたミロに声をかける。
 レイに近寄ってきたミロは、生々しく赤い傷口を見て “これなら戻りそうだな” と言った後に頷いた。
「ああ、そうだ。陛下自身が張られた結界で、人も近寄らないようにしておいたんだが、コイツがさ」
 護衛により強制連行されたツルツルの老人は、力の限りの抵抗をしたが敢え無くドロテアの前に引き出された。
「……ヘイドかよ。違うヘイドは探してても、手前は探してねえよ」
 かつて処女を生贄にして禿げを治療しようとし、ドロテアに全ての毛を永久脱毛された男は、
「私だって! 私だってぇぇぇ! そのバルテアードが迫ってこなければ! お前の前に現れることもなかったのに、殺されるぅぅぅ!」
 大声で叫んで、命乞いをする。
「何言ってんだよ、俺は全ての毛を毟って永久脱毛してやるとは言った覚えはあるが、命まで毟るたぁ言っちゃいねえよ。大体、バルテアー……」
 殺されると叫んでいるヘイドを少し見下ろして、すぐに視線を逸らしてレイに説明を開始する。
「良いか、レイ。フェールセンの力にぶつかったら傷口を瞬時に切り取れ。そうでなければ幾らお前の身体でも、再生しない。でも切る道具はフェールセンから与えられた物では駄目だ。解ったか?」
 言いながらドロテアはガチャガチャと音を立てて鎖を外し、背負っている剣を渡す。
「その場合は、こっちの剣を使え。お前なら腰の辺りに差してても動くのに不自由はないだろう」
「良いのか? ドロテア」
「ああ。それで、ヘイド。お前……」
 ヘイドに詰問しようとした所で、青空に “開始” を知らせる音だけの花火が上がった。
「尋問は後にして、食事するといい。縛って兵士に見張らせておくから。また後で!」
 ミロはそういうと、開始の挨拶をするために壇上へと向かった。
 一人 “うぎょーめぎょー” と騒いでいるヘイドの口を封じる魔法を唱えながら、ドロテアの気分はエヴィラケルヴィスの青空とは正反対に晴れなかった。
 ミロが簡単な挨拶を終えたあとは、人々が振舞われる料理と持ち寄った料理をひろげて大騒ぎが始まった。
「人気取りには役立つな」
 ミロが言った通りにするつもりはないが、口封じの魔法を解き、大きなテーブルの足に括り付けられながらも気の優しい人達が口元に運んでくれる料理を堪能しているハゲ、基ヘイドを眺めながら、後でもいいだろうと。
「死ぬにしても、上手い料理食った後の方が幸せに逝けるだろうからな」
「殺す気なのか、ドロテア」
 毟るだけじゃなかったのか? と言いつつ、まだ腕が生えてきていないレイに料理を取ってやるエルストと、幸せそうに大皿から取り皿に料理を乗せているヒルダ。
 ドロテアも皿に料理を盛り、エヴィラケルヴィスに戻ってきてから最も懐かしい味を口に運んだ。
 群集の楽しそうな話し声が遠くに聞こえ、すぐ側で椅子を引く音。
「どうだ? 口に合うか?」
「王学府の食堂から引っ張ってきたのか」
「ああ」
「ほとんど変わらねえな」
 青魚のから揚げを口に運びつつ、テーブルに肘をつきミロに背を向ける。
「ドロテア。俺も一緒にエド法国に行くからな」
「何、寝ぼけた事言ってやがるんだ?」
「国王は年に一回くらい、猊下へ拝謁しに行くだろ。それを今にした」
「……ふ〜ん。一緒にいく事で、何か俺に良い事でもあるのかよ?」
「馬車を用意させる。駿馬を街道に控えさせておく」
「そうか、馬車ひいてた馬の世話を頼む。お前は兵士連れてくるんだろ?」
「数人な、身軽で行くよ」
「解かった」
 一通りの料理を堪能したあと煙草を吸いながら、ドロテアは人々の話し声の中、自分が感じている違和感と焦燥感と、先ほどのハゲの叫びを頭の中で整理していた。
『なにか一押しあれば、全て解りそうなんだがよ。後一つだ、それが “何” なのかは見当つかねえが』
 マシューナル王国を出てから延々と続く、ドロテアを取り巻く[何か]
 それが近くにいる、やっと腕が生えた[勇者]の名を持つ男に関することなのは解っているのだが、何かが足りなかった。

『それはもう、知っているはずなんだ。だが、いくつかの欠片が足りない。それを集めきったところでどうなる訳でもないだろうが……畜生、本当に何かが』

「姉さん、灰が落ちますよ。はい、灰皿どうぞ」
 灰皿を差し出してくれてヒルダの声に、閉じていた瞳を開く。すっかりと短くなった煙草を灰皿に押し付けて周囲を見回すと、料理よりも皆で話をする事の方に重点が移り始めていた。
「どうだ? ヒルダ」
「美味しいですよ、もっと食べれますね」
「好きなだけ食っておけ」
 言われたヒルダは、
「あっ! そうです姉さん。ええとね、五十三年前の地図と五十年前の地図にはキルクレイムは載ってました。でも四十七年前の地図には載ってなかったです」
 写してきた紙を広げながら、調べて来いといわれた事を報告し始めた。
「そうか、位置的に見ても時期的に見ても……」
 間違いないだろう、とヒルダから渡された地図を指先でなぞる。そのドロテアに何気なくヒルダが会話を続けた。
「でも、村って意外と襲われやすいんですね。首都なんかよりも」
「これは特殊な村だからな。だが、理由もなく首都を襲うバカはいねえだろうよ。首都ってのは最も守りが堅いからな。本来なら国境を重点的に守るべきだが、国境の兵力は見えないから恐怖を感じて投入を渋る。大体、ガーナベルトも理由が無けりゃ襲わなかっただろうよ。この前エルセンを襲った竜騎士は、理由解らず終いだったな」
 姉の言葉を聞きながらヒルダは指折り、自分の知っている『崩壊した村』を上げる。
「私が知ってるだけでもレイさんの村でしょう、アードさんの村でしょう、そしてシスター・マレーヌさんの村でしょう」
 指を折りながら言った三つ目の “村”
「……今、何て言った?」
 その村は、言い換えればセツの住んでいた村。
「え?」
「最後の村だよ」
「シスター・マレーヌさんの村……って言いましたけど」
ドロテアはその事は知らなかった。セツは『妹と帰ろうとしていた』と言っていたので、滅んでいると考えなかった。
「シスター・マレーヌが言ったのか?」
 だが確かに『滅んでいない』とも聞いてはいなかった。
ドロテアに聞かれ、ヒルダは必死に思い出す。
「うん! えっとね……確か……そうだ、パウンドケーキを作った時です! あの時は私と姉さんが居て、そこにマリアさんが地図を持って宿屋に駆け込んで来た時です」
 吸血大公が何を復活させるのか? それを見つけ出した時の事。ヒルダはあの時話そうとしていたのだが、その機会を失って今まで話さず終いであった。他人の住んでいた村が滅んだ話題など、そうそう好んで語るような話題でもない。
「シスターは何時頃か言ってたか? 聞いた事を正確に思い出してみろ」
「ちょっと待ってください…………! そうです! 確か、お兄さんと一緒に教会に預けられたのが五つ、お兄さんは年子で六つ。それから二年後にお兄さんは事故でなくなったそうです。それと前後するように、いつも届いていた親からの手紙が来なくなって、配達屋の人に村がなくなったと聞かされたそうです。でもお兄さんの事故は明らかに “死せる子供達” を集めるために起こされた、作為的な事故だったそうですが、誰が “死せる子供” だったのかは解かりません」
 死せる子供達を集める作為的な事故。
 そして……
「なる程……ヘイドを連れてこい!」
 ドロテアの中で少しずつ、形になっていく。セツが何者で『何処にいる』のかも。そして、誰がそれを行ったのかも。
 兵士に引っ張られドロテアの前に連れてこられたヘイドは、
「うおぉぉぉー! ついに! 殺されるのかー! げふっ!」
 身悶えしながら、憐れっぽいが五月蝿い声を上げる。だがドロテアの前で命乞いをしないあたり、ヘイドも何かを学んだのであろう、髪の毛を犠牲にして。
「返答しだいによっちゃあ助けてやろうじゃねえか。俺の質問に答えろ」
「な、何だ」
「お前、こいつを見て変わった単語を口にしたな。もしかしてお前、この姿をしている奴らの居る村の近くに住んでいたのか?」
 ヘイドの年齢は五十歳前。
 直接見たことは無いはずだろうが、それを誰かから聞いたのだとしたら、
「小さいが、この若者のように白い肌に白い髪の長身の一族が住んでいるが私の生まれた村の傍あったらしい。私が生まれる前に一夜にして滅んだそうだ」
「お前が生まれる前……てめえは四十半ば過ぎだから」
「四十六だ」
 嫌な予感が胸を過ぎるが、それでも質問を続ける。
「四年くらい前に滅んだんじゃねえのか」
「……言われてみればそうだ。パッコイを貰った年だと聞いた覚えがある」
「何だ、パッコイって?」
「今は亡き我が愛犬よ。パッコイは我が……」
 長くなりそうな愛犬との語らいを遮り、
「そうかい。それで手前、さっきコイツの事なんて言った?」
 ドロテアが指差した先にいるレイを見て、ヘイドは言い切った。
「バルテアード。私の住んでいた村では呼んでいたらしい。 “バルテアードは強かった” と良く言われていた」
「お前が住んでいた村ってのはどこら辺だ?」
 地図を目の前に出すと、長い逃亡者生活を経て地図くらいは読めるようになったヘイドは一点を指差す。
「此処だが、既に村はない」
「キルクレイムの直ぐ側だな……所で、お前の村でコイツをバルテアードって呼んでたのは、魔道師か何かか? 余程古代語に詳しくなけりゃ、出てこない言い方だ」
「そうだ、我が両親の養父にして師匠にして村長であったカルマンタン老が教えてくれた」



「手前だったのかよ……」
【嘘だろ?!】



 アードが何故認めたくなかったのかは解らないが、とにかく昔の知り合いの子とは認めたくなかったようだ。
【ラキにもイザードにも似てないし……うわーショック。こんなオッサンがあの可愛い二人の息子だって? 自分が凄い歳取った気がする】
 『え、だって生きてたら七十半ばじゃないか。充分な歳だよ』エルストは声だけで落ち込みの局地にいることがわかるアードの叫びに、一人で突っ込みをいれていた。
ドロテアはアードの叫びを聞きつつヘイドの背中を蹴りをいれ、前のめりになったヘイドの背中を踏みつけて、
「ヘイド。カルマンタン老に師事したヤツは居たか? 手前以外に弟子の行方とか知らねえか」
「おらん! 私が最後の弟子であった」
 最後の望みも断ち切られた。
 彼こそが、エルセン文章の暗号文を解読する手引書を持つ男、ヘイド。


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