ビルトニアの女
運命の女神【5】
 宿に戻ったドロテアは、
「出てこいアード」
 アードに姿を現すように促す。
 呼ばれたアードは姿を現すと同時に、ドロテアは尋ねた
「お前、俺達を馬車ごとエド法国まで持っていけるか? 多分首都近くには出られないだろうが。出来なくても構いはしないぜ、何せあの法王力が強いからな」
言われた方は
【解った】
 答えてすぐに両手の間に魔方陣を描き上げる。
 アードがドロテアから離れて、到着場所からゲートを開くのなら簡単なのだが、アードはドロテアに “一応” 憑いている霊なので、単体で遠くに行くことが出来ないので、同時移動を行い必要がある。
「大したモンだな」
 その魔方陣を関心の眼差しで眺めているドロテア。アードは三度ほど魔方陣を組み替えた後、首を振った。
【ここからエド法国に向かうなら、馬車で向かった方が早いみたいだ。大きな力が邪魔している】
「やっぱりそうか」
 ドロテアは解ったと頷いてから、アードに説明する。
「あれが空鏡なのは解るな」
【解るけど、あれは遺跡内で装置を動かさないと使えないんじゃなかったか?】
「あの法王は、遺跡を作れる男だ。意味は解るな?」
 ドロテアの言葉にアードは一瞬「?」と視線を泳がせたが、すぐに目を見開き、
【フェールセン?】
「その通りだ、あれは廃帝エルスト。お前に言うならランブレーヌの息子って言った方が解りやすいかもしれねえな」
【じゃあ、現帝オーヴァートはリシアスの息子か】
「ご名答。お前達の祖先を作った主の末裔が、お前達の祖先を奉じる宗教のトップに就いてる、笑えるだろう?」
【俺が死んで、外界から遮断されている間に一体何があったんだ?】
「つまらない話だ。焚書坑儒をやりやがったシュキロスの跡を継いだディス二世は “力のある子供” のみを聖職者にすることにする。その際に過去も性別も必要ないと、連れて来られた子供全ての過去を消し去る。教会にいる一人の子どもが欲しいからといって、その教会爆破とか色々やった。その頃ちょっと理由があってネーセルト・バンダ王国の王子だった廃帝が残された。ネーセルト・バンダ王国の国王は廃帝を持てまあして、バルガルツ太洋の向こうにあるエド法国に送り込んだ。過去も何も必要ないその神の国で、無類の力を持つ廃帝はリクと名付けられ、ついには法王となりましたとさ。俺はオーヴァートの愛人だったから裏話も知ってるが、ソイツはお前には必要ないだろう」
 淡々と語るドロテアの言葉に、アードは頷くことも出来ずただ黙って聞き続けていた。
 ドロテアの話が終わってから暫くの間、室内は静かなまま。
【解った。それでもう一つ聞きたいんだが、現帝の跡継ぎは?】
「養子はいるが、実子はいない。フェールセン王朝はオーヴァートで最後だ」
【え?】
 アードの驚きに、
「オーヴァート、ドロテアのことが好きなのさ。さっきのフレデリック三世よりも好きかもしれないな。アードはレイから “大寵妃” って教えられてたみたいだけど、それだけだと足りないんだよ。ドロテアに付いたのは “最後の大寵妃” この場合、最後が重要なポイントだよ」
 エルストが答え、ドロテアが笑う。
「国もないのに傾国の美女と呼ばれるのが、この俺だ」
【あ……そ……凄いな、本当に、凄いよアンタ。あー気を取り直してだが、近場まで連れて行こうと思ったんだが、どうもシュスラやハルベルトらしい者の力が邪魔して、近寄らせることが出来ない】
 気を取り直したアードの説明によると、エド法国は多数の結界に守られている形になっていると言う。
 パーパピルス王国からエド法国に向かうとなると、旧トルトリア王国領、エルセン王国を抜けて向かうのが最も近く、瞬間移動させる際にもそのルートを短縮する方法を使う。
 その移動空間に存在する旧トルトリア王国領の “時を刻む棺” がアードの力を阻害しているという。この阻害はいずれ魔帝が降りてくる場所に対する抵抗。通常の世界には干渉しない、他次元に向けて発動する魔力。
【この干渉が無いと、魔帝の側からもっと大量の尖兵が送られてきているはずだ】
 魔帝がこの場所から現れることは既に判明しており、その時も刻々と迫ってきている。
「何匹かは抜け出して、この世界に影響を及ぼしている……ってことか?」
【たぶんそうだ。そこら辺を探ってみたら、最近ちょっと大きいのが抜け出したような跡がある】
「追跡できるか?」
【あとで追ってみる。それでエルセンにも入ることが出来ない。逆方向のギュレネイス皇国だったよな、そうギュレネイス皇国側は当然フェールセン城があるから無理。それと、ホレイル王国なんだが……誰かがいるような気がする。要するに、ハルベルト=エルセンかアレクサンドロス=エドのどちらかが。だがシュスラ=トルトリアのように棺の外に力を出していないから、はっきりと言いきれない。でもその僅かながらに現れている力の関係で、近くには何処にも】
「ホレイルにいるのは、アレクサンドロス=エドじゃねえのか?」
 アードの話を聞き終えたドロテアは、何時もとは全く違う言い方で問いかけるよう口にした。
【何か理由でも?】
「いや……言った俺自身にも解らねえ。でもな、何かが頭に引っかかって、エドじゃないか? と思ったんだよ。何か俺、知ってんだよ。理由を口にすると、誰もが “ああ!” 言うみてえな理由を。おい、エルスト! 何か思い当たる節はねえか?」
「何も無い」
 いつも通りの答えに、ドロテアは返事を返すこともなくベッドに腰をかけて本を手にとって読み始めた。
 アードは “時を刻む棺” のある辺りから逃げ出した魔帝の部下を追ったが、途中で足取りを見失う。見失った場所はエド法国。
 セツの行方不明に関係しているのか? 法王の力により追跡不可となったのかの判断は出来なかった。

**********


 『法王猊下たっての頼みですもん、仕方ないですよ』
 滞在期間が大幅に短縮され、全ての屋台の料理を食べることが不可能になったヒルダは、神の教えの元になんとか未練を断ち切った。
「アレクス、偉大だな」
 ドロテアはそう言いながら煙草に火をつけ、エルストは酒の入ったグラスを手に持ちながら、
「そうだねえ」
 感慨深げに同意する。
 それと同時に、姉から言われた調べ物をレイとともに行う。
 書架から分厚い本を取り出して、ヒルダの脇に置く作業を繰り返していたレイは、
「あー悪いな。俺、あまり本とか……その調べるのに役に立て無くて悪い」
 隣に立ってばつが悪そうにしている。
 ヒルダは自分の上半身ほどもある大きな地図を開きながら、
「気にしないで下さいよ。姉さんはそれ程重要だとは思っていないでしょうし。重要で本当に急を要しているなら姉さんは自分で調べますよ。でも今日中に調べ終えたいですね。明日の朝には出発ですし」
 人気の無い書庫でヒルダとレイは、ドロテアに言われた通りにキルクレイムの位置を調べ上げていた。
 場所と時期を調べて写し終えたてから、二人は街に出て散策をする。
 二人並んで歩いてる姿は “とても美しい二人連れ” 
 男女二人なのだが、誰が見ても恋人同士に見えないのは、ヒルダの着衣が司祭のもだからという理由だけではない。もっとも、理由を言ってみろと言われても誰も答えられないだろうが。
 そんな二人が歩いていると、
「あ、ミロさん! 今日も視察ですか?」
 国王と出会った。
 この国に到着してから毎日ドロテアを未だ諦めていない国王は、
「やあ、ヒルダ。今日の夕食は国王からの贈り物だから楽しみにしていてくれよ」
 妹を食事で釣ってみた。
「やった!」
 パーパピルスでは国王が命じ、沖に船を出させて大きな魚を獲り料理を振舞うことがある。多くは祝い事などの際に行われるのだが、今回は特にないもないのに行われた。
「もう少しゆっくりとしていって欲しかったんだけどな。猊下直々のお呼びじゃあ……ヒルダちゃんはロクタル派だっけ?」
「はいそうです」
「何でもセツ枢機卿が一押ししてるんだそうだね」
「そのようですね。ファルケス大僧正にも言われました」
 人殺し上等ハイロニアの鮫と呼ばれる海賊大僧正は、今年枢機卿になる事が内定している。
「ファルケス大僧正ねえ」
 同じ女を好きで牽制し合っている国王ハミルカルの腹心大僧正の目付きを思い出し、ミロは渋い表情になる。
 ドロテアのことを抜きにしても、港町で海洋貿易の割合が大きいパーパピルスと、産業が略奪のハイロニアは歩み寄れないものがある。
 そんなミロの心中など知らないヒルダは、視線の先に “あるもの” を見つけた。
「……あれ?」
「どうした? ヒルデガルド」
「あの人」
 指差した先にいたのは老人。
 通りには多数人がいたのだが、向こうがヒルダを見て転んだ上に、ヒルダに指差されて腰を下ろしたまま後退りを始めたので “あの人” だと誰の目にもはっきりと解ってしまった。
「あの老人知り合いか?」
 レイの問いと、
「随分とツルツルな老人だな」
 ミロの感想。
 そして、
「ぐぇぇぇ! 貴様ぁぁぁ ついに私を殺しに来たのかぁぁぁ!」
 老人の叫び。
 あまりの声に、周囲にいた人が驚いて声を上げるほど。四つん這いになって逃げようとしている老人を見ながら、
「別に殺すなんて言ってませんけど……姉さんそんな事言ってましたっけ? あっそっか! 確かに殺すと」
 姉の言葉を反芻すると、隣に居た “ドロテア怖い病(命名・アード)” に罹っているレイが、大きく踏み出す。
「殺すなら連れてこよう」
「あっ! 待ってくださいレイさん!」
 迫ってくるレイとヒルダをみて、老人は跳ねるように起き上がり駆け出した。
 老人は人がいない方向に向かって走りだす。人がいない方が走りやすいからであり、人がいないことには理由がある。
「ちょっと待ってヒルダちゃん! そっちは危ない!」
 エヴィラケルヴィスに住んでいる者なら近寄らない場所。
 すぐにレイに追いつかれた老人は “それ” を背に肩で息をする。
 レイは “それ” を知らないので全く気にせずに手を伸ばして、老人を掴もうとした時、建物の影から現れたミロが叫ぶ。

「危ない!」

 その声と同時に、レイの左腕は消え去った。
 ミロは護衛に老人を捕まえるように命じてレイの側に近寄ってくる。
 ヒルダも傷口に触れてみた。
「な、何て言うんでしょうか? コレ……おかしくないですか?」
 腕を失ったくらいでは驚かないレイが、腕のなくなった部分を見て呆けたように口にする。
「腕が生えてこない……みたいだ」
「ドロテアの所に全速力で戻るんだ。いいか! エウレルアカの結界に触れたって言うんだ! 早く行け、勇者」
 ミロに言われ駆け出すレイ。
 腕を失っているので、一瞬バランスを崩したがすぐに体勢を立て直してかけてゆく。
 その後姿を見送りながら、溜息を含んだような感心の声をミロは上げた。
「さすが勇者、触れた部分だけ吹っ飛んだな」
「どういう事……ですか?」
 ヒルダの目の前にあるのは、一般的は三階建ての建物くらいの高さのある壁。
 近付き過ぎて判別はつかないがレリーフが施されている。ヒルダにはただそれだけの壁。
「これは大きな箱のような建物でね、そこの扉から中に入ると地下に下りられる階段があるんだよ。ヒルダちゃんは、首都は遺跡にあるって知っているかな?」
 話ながら戻ろうと、ヒルダの背中を軽く押してミロは足をすすめる。ヒルダも歩き始めながら、答える。
「はい、知ってます。姉さんから聞きました……ってことは、あの壁は古代遺跡?」
 少し離れた場所で振り返ると、意味の解らない模様が目に飛び込んでくる。
「そう、古代遺跡。そして何か危険があるらしくて、昔ここに居たオーヴァート卿……陛下が封印した。勇者、じゃなくてレイの腕を瞬時に消し去られたのは、オーヴァート陛下の封印に触れてしまったせいだ。普通の人は触れただけで身体全てが消え去るが、さすが皇帝の作った特殊兵」
 ミロの言葉の最後の部分は、ヒルダには理解できなかった。


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