ビルトニアの女
運命の女神【4】
 ドロテアにとって『あり得ない』事といえば、少食なヒルダ、男と仲良く話しをするマリア、勤勉なエルスト、そしてアレクサンドロスに連絡を入れないセツなどがある。
 その中でも “絶対に” そんな事態は起こらないだろうと思っていたそれが起こり、さすがのドロテアでも驚いた。ドロテアが座っていた椅子ごと、ひっくり返りそうになったのだから、相当な驚きだ。
 危うく後頭部や背中を強かに打ちつけるところだったが、エルストの影ながらの努力でなんとか回避される。
 体勢を立て直したドロテアが何が起こったのか、 ドロテアとは思えない寛大で優しい言葉をかけてマリアを促した。
「思ったままに、感じたままに喋れば良い。時間の流れや物事が起きた順番を気にしないでいい」
 “俺なんか、ちょっと順番狂ったくらいで叱られた” とか “いや、大体話を聞いてくれないことも” や “ドロテア、吃驚しないし” などと、男三名が頭つき合わせてボソボソと言い合っているのは、完全無視の方向でドロテアはマリアが話すのを待った。
 マリアは青ざめてはいたが、直接的に事態に巻き込まれたわけでもなく、他人から出来事を教えられてそれをドロテアに伝えているので、表情の割には落ち着いていた。

 その経緯は、昨晩突然の轟音が法王庁に鳴り響いた所から始まる。

 何事が起きたのかはわからないが、ともかく衛士達は法王の部屋の警備を固めセツが来て指示を出すのを待った。だが待っていてもセツが現れず、徐々に衛士達にも不安が広がりはじめる。
 衛士達を指揮している聖騎士団団長がセツの私室へと向かうと、そこは “外” だった。正確に言えば、壁が吹き飛ばされていて室内とはとても言えない状態となっていた。
 轟音はセツの私室の壁が崩壊した音であったことを『知った』彼等だが、それは『理解』には至らなかった。その壁が吹き飛んだ室内にセツの姿は当然ながら『ない』
 セツの指示をもらえないとなると、次ぎに指示を仰ぐ相手は『法王』しかない。
 世間的な認識とは逆だが、現在のエド法国ではそれが当然のことだった。
 法王のアレクスは≪何か、得体の知れないような、だが、知っているような≫物が来たことは知っていたが、セツが『手を出すな』といって出て行ったために、その指示に従い黙っていた。轟音もセツに何らかの考えだとうと考えて。
 だが聖騎士や、他の聖職者が不安を感じているのを見て、セツの居場所を探り教えることにした。
 この時までアレクスはそれ程深刻には考えてはいなかった。アレクスは自らの皇統の力を過信するわけではないが、過小評価もしてはいない。己の力がどの程度であるかをアレクスは良く知っていた。それは、セツが何処にいようと見つけ出せるだけの能力があるということも含まれている。

 だが、アレクスですら見つけ出す事ができなかった

 オーヴァートに次ぐ力を持っているアレクスが気配を一切感じることができなかった。その事態に法王は枢機卿を集めてセツの事について話合うことにしたのだが、セツは何時も単身で行動しており、他の枢機卿や大僧正などと密な繋がりを持っている訳ではない。
 セツの行方を知っている筈の法王が知らない、そして部屋の惨状。
 現状からしてセツの身に何かあったと考えるのが当然。
 セツの身に何かがあったらしいという事実を受け入れて、具体的にどうしたらいいのか? を考える。その段階に至った所で、聖職者達は壁にぶち当たった。
 その壁とは、全く打開策が見出せないということ。そんな中、パネ大僧正とクナ枢機卿が『ドロテア卿に相談してみるのはどうじゃろう』と案を出した。
 彼等は無責任ながらも光明を見出したのだが、枢機卿やら大僧正が頼み込んでも、セツ曰く『あの女』ことドロテアである。
 どれほど高位聖職者が下手にでようが泣きつこうが、到底相手にしてもらえるとは思えない。法王相手でも渋る相手だ……ならば親友であるマリアに頼もう! となりマリアを呼び、彼らの知っている委細と現状とを包み隠さずに告げ、依頼をマリアに伝えて欲しいと頼み込んだ。
 マリアは「私が頼んでも無理なモノは無理ですよ」と言いつつ各国の通信施設に連絡を入れようとしたところ、法王が『ドロテアさんの居る場所に空鏡を作ります! 御願いしますマリアさん』と詰寄られた。聖騎士である以上、法王に此処まで懇願されては説得しないわけには行かないと、マリアはドロテアと対面したのだ。

 街中で話しているので、当然これらの会話は街の人達にも聞かれている。セツがいなくなった事、そして『法王からの依頼でも断る女』
 人々は噂は本当だったのだと、そこに妙に納得していた。

「あー……えーと……アレクスと一緒に居なくなったわけではないんだな」
『もちろん。この空鏡をつくられたのも法王猊下よ』
 セツがアレクスを置いてどこかに行くとはドロテアでも考えたことは無い。そしてエド法国にいる誰もがそう思っているからこそ混乱し、ドロテアにまで連絡を入れる騒ぎになっているのだ。
 法王の側以外心当たりが一つもない……いっそ見事な最高枢機卿である。
 アレクスはセツの行方が感じられないことを[知ってしまって]以来、身体の震えが止まらないでいる。震えが止まらないというのは、気配を一切感じられないことから引き起こされている。要するに、法王の中では最悪な出来事≪死≫を想像してしまっているのだ。
[オーヴァートの親戚にあたる、アレクサンドロス四世の能力を理解している]ドロテアが考えても、[その]法王がセツのことを探れない時点で死を視野に入れなくてはならないことは理解している。
 だが、もしもセツが死ぬ、この場合は殺されたとして “死ぬ瞬間” に法王が気付かなかったことに引っかかりを覚えた。

“アレクスに何かを送るくらいは出来るよな。それも出来なかったとなると……”

「アレクスと話をしたいが、どうだ?」
「たぶん、みんな大喜びよ。待ってて」
 “それはまあ、法王猊下でもいう事聞いてくれないだろうからという事で、マリアさんが担ぎ出されたわけですからねえ。ズルルルルー”
 事態を眺めつつ、周囲の静寂さを一人打ち消しつつ、ヌードルをすすっている司祭の言葉は正しくても、何か間違っているように感じられる。
 すぐに 現れた法王特に、元気を出すような言葉どころか挨拶一つせず、単刀直入に話出す。
「セツの気配を全く感じる事ができないんだな、アレクス?」
『はい』
 痛々しいほど怯えた声、というのを始めてドロテアも聞いた。殺されそうになって懇願する声とはまた違う、純粋に哀れみを誘う声。まだ、魔力を通しているので本来の声ではないが、本来それに近くなっている。
「まず壊れたっていうセツの部屋を見せろ。色々な角度からだ。出来るか?」
 頷き、画面が揺れる。そして映し出されたのは、殺風景なドロテアも見たことがあるセツの私室。その部屋には壁に大きな穴が空いている、これ程の穴が空いたならば、よほどの衝撃が辺りに響いただろうと見ただけでわかる程のものだ。ゆっくりと歩くかのような速度で辺りを映している空鏡。
「そこで止まれ、アレクス」
『何かありましたか』
「窓の外だが、セツの部屋以外に被害にあった教会がないか?」
 バルコニーから見た風景に違和感を覚えた。あの日セツと話をしながら見た印象深い風景とは些細ながらも[異なっている]
『一つだけ、屋根を吹き飛ばされた教会がありました』
「……ヒルダが厄介になった教会か?」
『はい、そうです』
 屋根を吹き飛ばされた教会が[セツの妹がいる教会]であること。偶然の一致なのか、何か意味のあることなのか? その判断を下す重要な役割をドロテアは振られたのだ。
 解らないからと言って直ぐに自分に助けを求めてくる聖職者に対し、自分達で見極めろと思いつつも目の前の謎に興味と、それ以外の何かを感じ引き付けられていた。
 部屋の中を映像で見ていて、ドロテアはおかしな事を幾つか感じた。何という訳では無いが、この壁の穴はセツの自作ではないだろうかという疑念。
「そうか。まだ良くは解からんが、エドに向かう道すがら情報を集めて行く。それで今お前がすることは、マシューナルに連絡を入れてバダッシュという男に部屋を探索させておけ。此処から見るのと現場で証拠を集めるのは違うからな。早くいかなければ証拠がなくなる事もある。俺が行けと言った……って言えば無言で走ってくるだろう。そいつにその辺りの保存の権限を与えてくれ」
 ドロテアよりも急行でき調査に信頼が置けるバダッシュを先に派遣する。間違いなく現状維持に努めてくれるだろう。
『解かりました。後は何か』
「クナを出せ」
『はい』
 ドロテアは背もたれに右腕を乗せ、身体を斜に構えて唇を舌でなぞりクナが現れるのを待つ。
 レイは「クナ」が誰なのか直ぐに解らず、エルストに尋ねて「枢機卿だよ」と教えられ、
「ほー」
 言いながらやや顎が上がり、猫背になった。
 その変わった動きに、エルストは『もしかして、驚いているんだろうか? 変わった驚きの表し方だな』と上から下まで眺めていた。
 エルストにとってはセツ云々よりも、レイの態度の方が興味深かった。エルストが真面目に聞いたところで、セツが戻ってくる訳でもないので、最初から気が入っていないのだが。
『代わったぞよ』
 マリアから法王に代わる時よりも時間が掛かったのは、
『妾が呼ばれるとは思ってもおらなかったぞ』
 まさかドロテアに呼ばれるとは思っていなかったので、別室に待機していたためだ。
 そんな驚いたようなクナの口調も、全く聞いていないかのようにドロテアは畳みかかける。
「良いか、クナ。内政は他の聖職者でも良いが、テメエは外圧を抑えろ。セツが居ないと知れてしまった以上、ギュレネイスは何をして来るか解からん。その気になったらセツの行方不明事件をギュレネイスのせいにしても守り抜け。その手の事は法王は出来ねえし、後ろ盾がない聖職者には向かねえ。ホレイルと手を結び、イシリアとも連動して不穏な動きを抑えやがれ」
 セツが行方不明になった事など、既にギュレネイスにも伝わっているだろう。情報収集などは何処の国でも必須だ。知れてしまっている以上、シラをきり通すよりは攻勢に出る方が良しとドロテアはクナを煽り、
『了承した。こういう時お主がいてくれれば百人力じゃが、枢機卿を探してくれそうなものお主だけじゃ。全く世界には妾を含めて多数人がいるというのに、思いつくのはお主のみじゃ』
 煽られた方はヴェールを纏った姿ながらも、確りと頷き返す。
 体勢をなおし、腕を組み足をも組みなおして「はん」と鼻で笑った後に、
「探すったってセツの事だぜ。明日にでも戻ってきて来やがる可能性もあるだろ」
 言い放つ。
『確かにそれも捨てがたいの。それを期待して妾はホレイルに連絡を入れる。後は何かないか?』
「ない。アレクスを最後に出せ」
『解かった』
 “姉さん、猊下とお話するんですから、せめて足組むのはやめましょうよ” 心で呟きながら、ヒルダは汁を飲み干していた。いくら法王から見えないところであろうが、その場で汁を啜っているのは良いのか? とは誰も言わない。
 当然ドロテアはヒルダの心の呟きなど無視して、足を組んだまま法王と再び話を始める。
『あの……何でしょう』
「もしも死んでたら生き返らせてやるから、そんなに心配すんじゃねえよ。ああ、平気平気。あの馬鹿野郎は俺の言いなりだからな。不必要にガタガタすんじゃねえよ」
 言いながら胸元から煙草ケースを出し、取り出した煙草を指に挟んでタンッ! と叩いてくわえる。
『ドロテアさん』
 他に言い忘れたことはないかと尋ねて、何も無いと法王が言ったので通信を切るように返し、画面が消えた後、煙草を口から離してグラスに残っていた水を飲む。
 突然現れた “物体” が消えたことで、やっと緊張が解れた人々は、その場にいる、平民から国王になったミロに『あの方、本当に法王猊下で?』と尋ね、国王は『間違いない』と答える。
「偉そうも此処まで来ると爽快ですね」
 本当は最も畏敬の念を抱かなければならない聖職者の妹は、ついに慣れたのか何なのか? 当人も映らないのを良いことに、ヌードル啜っていたのだから同罪というか、血は争えない状態だ。
「それにしてもセツの奴何処へ行きやがったんだ。すぐに向かっても構わねえが……おい、ミロ」
「何だ? ドロテア」
「図書館部外者閲覧制限解除の手続きをしておけ。俺じゃなくてヒルダとレイな」
「良いよ。他に何か無いか?」
「ねえ。ヒルダ、レイと図書館に行ってキルクレイムが何年まで地図に載っていたかを調べて来い」
 あのオーヴァートの従弟が、気配を感じ取る事もできなければ、死亡の確認もできない。尚且つ部屋は自分で破壊したかのような有様。それがドロテアの『どこか』で繋がりそうであった。
「解かりました」
 それに調べておきたい事もあった。
 本当にキルクレイムが五十年前に滅ぼされたのかどうかも。それらを調べた後に急いで向かっても、遅くは無いだろうと。
「ドロテア、明日には発つのか?」
 エルストの問いに、
「明後日に出発する。色々と準備もあるしな、大陸行路を横切るから平気だろう」
 そこまでは焦らねえよ、と手を振って立ち上がる。
「ドロテアは大陸行路を横断しても何も言われないだろうけど……」
 ミロが言い終える前に、
「もちろんだ」
 それだけ言い放ち、ミロを残してエルストと共に宿に引き上げる。その後姿を見送って、
「さて、一緒に図書館に来てくれるかな?」
「はい。お願いします」
 ヒルダの手を取って歩き始めた。三歩ほど進んだ所で、
「勇者、じゃなくてレイ君もおいで」
 犬でも呼ぶかのように “こいこい” と手を動かして、呼び寄せる。テコテコと付いてきた彼は、間違いなく勇者……のはずだ。


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