ビルトニアの女
伝説の大寵妃再び【2】
 旅に出るっていったら両親怒ってね。普通の人に旅は必要ないとか色々と。弟が後押ししてくれたから家を出られたんだけど……叱られるかと思って帰ってきてみたら、拍子抜け。両親は出かけてた。
「姉さんお帰りなさい」
「ただ今。今日は?」
「帰って来た、姉さん達が帰って来たって聞いたから、早退させてもらった」
 そんな事で帰ってきて良いのかしら? 思うけれど折角帰ってきてくれたんだからそんな事を言うのもね。それで父さんと母さんの事を聞くと、私達が戻ってきたのを聞いて買物に出かけたんだそうよ。『今日の晩御飯はご馳走だね』ドイルは笑いながら言った。
 ドイルと私って全く似てないのよね。父さん母さんとも私は全く似てないけれど。
「図書館の仕事慣れた?」
 弟は司書、王立図書館のね。結構稼ぎは良いらしいわよ。その分仕事は大変らしいけれどね、盗みなんてのが横行しているから見回りは欠かせないんだって。
「結構なれたよ」
「あのねえ、オーヴァートが言ったんだけど子供生まれたって本当……みたいね」
 家の匂いが甘ったるいし、何より小さな洗濯物が多数かかっている。
「本当だよ。何でオーヴァート様がご存知なんだろう?」
 それはあの男が変人だからよ……そんな当たり前の言葉を言う気にもなれず
「からかわれてるのかと思ったんだけど。だったら明日にでもお祝いの品買って来るわ」
「ありがとう」
「何か欲しいものでもある?」
「布が欲しいっていってたなあ、アリーは。肌着用の」
 アリーは二階で子供と一緒にお昼寝中。目が覚めたらオメデトウの挨拶でもしておきましょう。
 一年間帰ってきていないと、少し家にある物の位置が変わるもので、お茶でも淹れ様としたのだけれど、ちょっと何処に何があるか解からなくなっていた。ドイルがお茶を入れてくれて、食卓で向かい合って旅の話をする。勿論両親が戻ってきてからもするけれど、ドイルに語ってるのは父さん母さんには語れない部分。
 あるじゃない? 親には語れない部分って。その点ドイルはドロテアの信奉者だから平気。盗賊の頭を吹っ飛ばしたとか(このくらいは序の口よね)悪党の十三人の胴体一瞬に真っ二つとか(これも序の口よね、ドロテアとしては)そりゃまあ沢山……ついつい語ってしまったわ。
「聖騎士になるなんて、凄いよなあ姉さん」
「なったっていうか、適当によ」
「そっか、姉さんも貴族になったんだ」
「貴族って程の貴族じゃないでしょうが。ただの下級聖騎士よ」
「それにエド法国勤めになるんでしょう?」
「そうらしいわ。セツ……枢機卿が来いって行ったから、少し此処で礼儀作法とか基礎を学んだら向かおうとは思ってるの」
「そう。それ関係の本を選んでおくよ」
 まさか自分が本を読んで仕事について故郷を離れるなんて思っても見なかったわ。結婚なんてのをすれば別かもしれないけれど、それを考えた事もなかったから本当に思っても見なかった事。途切れてしまった会話と、弟の困ったような顔。
「どうしたの? ドイル」
「あの日の事思い出してさ……姉さんを助けられなかった日の事」
「ああ……」
 ドロテアが助けてくれた日の事。アレ多分、逆だったら助けてもらえなかったかも知れないわね。『“姉さんを助けて”と血だらけで助けを呼ぶ弟』だから助けてもらえたようなモノだもの。
「あれね、僕の中で鮮明な思い出って姉さんがドロテアさんの背中に乗ってる姿なんだよ。あの時、あの後姿を見て姉さんも何時か遠くに行くんだなあ……って感じた。一緒に居られない、勿論姉さんが家を出て行くとかそういうのじゃなくて、上手く言えないけれど多分姉さん違う所に行くんだなぁって感じたよあの日。だから聖騎士になったってエドの司祭様から聞いた時“ああ……”って。僕達が踏み出せない一歩を踏み出せたんだと思うよ、ドロテアさんに手を引かれて」
 多分そうね、ドロテアに手を引かれなければ永遠に動く事もなかったでしょうね私は。全然動かないのも良かったかも知れないけれど……
「そうね。……あのさ、今更言うのも変だけど、あんたドロテアの事好きだった?」
「好きってか、憧れだったよ。今でも憧れてるよ」
「そっか」
「姉さんもでしょう? 誰よりもドロテアさんに憧れているのは姉さんだと思うよ」
「そうね。否定しないわよ」
 その後両親が帰ってきて、私の好物だけが乗った食卓で延々と旅の話が続いたのよ。別に暫くはいるんだから、少しずつ聞けばいいものを。ドイルとアリーの子は普通の顔立ちみたいよ、ドイルの小さい頃にそっくりだったから。私に似ていたらドロテアに預けた方がいいかしら? と思っていたのだけれど、その心配は必要ないようね。
 珍しく……というか始めて父さんに酒を勧められて飲んで、夜遅くに寝る。ドイルに肩を貸してもらいながら、ちょっとふらつく足取りで部屋へと戻る。
「どうしたのかしらね、父さん」
「姉さんが一人前になっちゃって寂しいんだよ。もうマリア=アルリーニじゃないから」
 そんなものかしらね?
 翌朝、何時もより少しは寝過ごしたけれど確りと目を覚まして身支度を整えたのよ。一年前まで着ていた服に袖を通したんだけど……
「似合わない、どういう事?」
 すごく似合わないの。どういう事?着て降りていったら皆驚く。
「姉さん……へ、変だね」
「何で一年前に着てた服が顔と合わないのかしら? 顔変わった?」
「そんな事ないけど」
「お姉さん、あの……雰囲気がド、ドロテア様のような……」
「それだよ! 姉さん」
 街人の服装が似合う雰囲気とそうでない雰囲気ってあるのね……それにしてもそれほど変わったかしら? 私。
 全身を映す鏡の前で、似合わなくても着ていられればいいわ、そう考えを変えていると玄関の扉をノックする音。この容赦無いノックの音はドロテアね。
「朝からなにかしらね?」
「姉さんがわからないんじゃあ、僕は解からないよ」

**********

 そのノックを言い表すのならば『規則正しく力強く、且つ威圧的』。そのノックの主を出迎える為に、マリアはドアを自らの手で開いた。其処に立っていたのはこれから舞踏会ですか? としか言い様のないドロテアの格好。ワインレッドのドレスは布をふんだんに使っており裾が長くて、宝石がちりばめられた刺繍がされている。胸元を飾るネックレスは五連の真珠、それも一粒が子供の拳ほどで大きさが統一されている。頭に被っている縁なしの帽子は造花と宝石が溢れんばかりに使われており(ちょっと溢れてる)、長い手袋を着用した腕と肩で抑えている日傘は孔雀の羽で出来ていた。そして何よりドロテアの顔は何時もの倍以上の化粧が施されている。素顔でもこのくらいの格好に負けるような顔ではないが、化粧をすれば見栄えは格段にあがる。其処にいるのは正しく『伝説の大寵妃』である。ただ、それはあまりにも普通の街中の朝には不似合いなのは言うまでもない事。
「よぉ、マリア」
「ドロテア? こんな朝早くにどうしたの?」
 乗ってきたらしい馬車は八頭立てで、馬がレースやリボン、そして化粧で装飾されている。
「やっぱりなぁ。服が似合わなくなってると思って服あつらえてきた。持って来いヤロスラフ」
「マリア」
「ヤロスラフ」
「急場凌ぎなので五十着程しか準備できなかったが」
 馬車の昇降口よりも大きい箱をマジシャンのように引き出す選帝侯。
「十着くらいでいいんだけど、ヤロスラフ。大体五十着も置く場所ないし」
 それ以上にそんな大きな箱、マリアの家の玄関から持ち込めない。いや、馬車から出したイリュージョンを再びしてくれるのならば入るだろうが、其処までしてもらう必要性はマリアにはなかった。大体、一般家庭では服の置けるスペースも限られている。巨大邸宅ならまだしも、一般住宅。それも三世代が住んでいるのだから一人一人のスペースはヤロスラフの想像を遙かに超えて小さい。
「そうか、ドロテアの言った通りだったな。済まない」
「謝らなくてもいいけれど。選ばせてもらうわ」
 マリアは箱を開けてもらい玄関口で自分の着られそうな服を選んでいた。五十着の中には数着『普通の人は着られないようなデザインの洋服』が混じっていたのだが、それは完全に無視を決め込んだ。ヤロスラフもそれに関しては無言を押し通した。
「そうそう、ドイル」
「はい、ドロテアさん!」
「出産祝いだ、取っておけ」
「こんなにいただけません!」
 ドロテアから渡された袋の重さにドイルは驚くが、手を振る。
「それでアリーに新しい服でも買ってやれよ。それとマリア、午後にでもヒルダと一緒にエド教会に向かってエド正教の聖典を貰ってくるといい。……それと、自分で言えよヤロスラフ」
「マリア、聖騎士の礼儀作法ならば教える事ができるから……私から習わないか?」
「時間があるなら御願いするけれど」
「時間ならある」

『まぁ……オーヴァートに邪魔されるだろうけれどよ』
 恋は前途多難である、というよりは前途がなく多難……救いようがない道、それがヤロスラフとマリアの関係。

因みにドロテアが朝から大寵妃の格好をしているのは、趣味ではない。オーヴァートの家にそれ一着しかなかったからだ。

**********

 首都コルビロから近い町、エトナ。そこにドロテアの両親は此処に居を構えていた。何故マシューナル王国の首都近くの町に居を構えていたのか? 故国崩壊後、旅の生活を続けていた両親がこの町を選んだのにはいくつかの理由がある。
 まず、マシューナル王国を選んだのは、学者になったドロテアがいずれマシューナルに来るだろうと判断したためだ。最高責任者が居る国が最も学者が集う事を知っていたため。だが腰を落ち着けるのならば、仕事が必要だ。元々裕福ではあったので仕事を始めるのには充分な資金があった。ただ、充分な資金があっただけで、そう偉い人などに知り合いが居たわけでもない。首都・コルビロで新しい店を開くとなると、その場で元々稼いでいた方は来て欲しくはない為に、役人に賄賂……とまでは行かなくてもそれらしい色を贈る。
 それを強要とまで行かなくても、新しい商人が店を開きたいと役所に届けていると教えて「どうするか?」と問うような者もいる。ドロテアの両親は金貸しと薬草売りの店を開くつもりでいたが、首都では簡単に認可が下りなさそうな事も知っていたので、首都に近い町へと決めた。町は首都とは違い、認可申請が必須ではなので街中に勝手に店を構えても捕まる事はない。
 元々いた金貸しや薬草売り達は面白くないだろうが、そんな事を考えていたら商売なんて始められない。そして、一言で表せば「ドロテアは母親似、ヒルダは父親似」の性格だった。ドロテア程攻撃的ではないが、きつい女性である金貸し母親と、その金貸し母親に借りた金が返せない事を盾にとられて結婚した多少の事には動じない薬草売りの父親、言うなれば敵無し。
 ちなみに結婚した経緯を聞けば何となくエルストに似ている気もするが、父親は真面目に働く人なので全く違うといってもいいだろう。ちなみに借りた金は保証人になった際のものである、父に借金を押し付けて逃げた男は、後日結婚式に呼ばれて人より多く祝儀を巻き上げられたとか何だとか。
 首都で一息つくと、ドロテアはヒルダとエルストを連れて久しぶりに両親に会いに行くことにした。馬車を借りて歩いている所に、レクトリトアードが現れて『この前のお礼をするように皆に言われたんだが……どうすればいい?』と聞いてきた。
 この前のお礼というのは「オーヴァート邸を訪問した事」らしい。むしろ精神的苦痛からレイが何がしかを貰うべきだろうが、そこら辺のことは忠告した者達は知らないのだろう。
 いや、オーヴァートから貰う品々なんて”アレ”に違いないから貰わないほうが良いに決まっているが。
 何を贈って良いか解からなかったレクトリトアードは、一番付き合いが深いと思われるドロテアに訊ねにきたのだった。その問いに”やれやれ”と言った顔でドロテアは答えた。
 『適当にやっておいてやるよ』という言葉にレクトリトアードは素直に頷き、何処に出かけるかを聞いてきた。ドロテアがからかい半分に『休みを取ってついて来る気はあるか?』言った所頷いて、休みを取りに王宮へと向かってしまった。
「姉さん、本当に連れて行くんですか?」
「あいつ連れていくなら馬に何があっても平気だな、引かせられるし」
 馬の代わりという適当な理由で混ぜられた約一名と共に両親の住む街へと向かった。首都に比べれば小さな町に辿り着き、馬車からおりて街中を歩く。
「えっと……あっちでしたっけ?」
「こっちだ。自分の実家忘れるな」
「来た事数回しかありませんし」
 ドロテアとヒルダが入学後に家を構えたので、実際二人にしてみれば実家というよりは「両親が住んでいる今の家」というイメージしかない。それを「実家」というのだと言われそうだが、そう感じられないのだから仕方ない。
 石畳の大通りから小道へと入り、白い壁の家が並ぶ通りを抜けた先に店舗兼自宅が見えてくる。店舗と自宅をかねているので回りの家よりは大きいが、ドロテアが住んでいる家よりは小さい。夫婦二人暮らしでそれほど大きい家も必要ない……ドロテアとエルストも二人暮らしだが、家を寄越した人が人なので一般的な家の大きさを知らなかったのだろう。
「ただ今帰りました! お母さん! お父さん!」
 金を借りに来て、証文に手の指十本と足の指十本の拇印を取られている客を全く無視して、ヒルダは家の中へと入ってゆく。
「おい、エルスト、レイ。荷物降ろせ」
「はい」
「解かった」
 男は二人とも当然の仕事と荷物を降ろす。ドロテアは懐から金を出し
「貸し馬車屋にこの馬車置いて来い。駄賃だ」
 染料で手足の指が染まっている男にドロテアは金を渡すと、振り返りもせずに家の奥へと入っていった。その後を黙々と二人が付いてゆく。金を借りに来た男は、あれが有名な高利貸しの娘達か……と、証文控えと借りた金を持って一人呆然としていた。その後、懐に大事なそれをしまい馬車の手綱を引いて貸し馬車屋へと返却しに向かった。
 ドロテアの両親はマリアの両親と違い『ドロテアの両親だ』と言われれば誰もが納得する顔立ちをしていた。肌や髪の色が同じなのは言うまでもないが、輪郭と陰影、そして母親と
「老けたな、父さんも母さんも。見る影もなくシワシワじゃねえか、往年の美女も見る影ねえな」
「あんただって年取ったわよ、大寵妃だって年取ればタダの女よ。実際ただの女になってるけどね、あんた」
 口の悪さなどが特に似ている。ヒルダは父親と茶を入れて、ドロテアは母親とテーブルを挟んで向かい合って話をしている。その時エルストとレクトリトアードは何をしていたか?
「金返してくれないか? あ、俺? 長女の夫。俺も、あの店に借りた事は同情するけど、取り立てて来いって言われたからさぁ」
 盗賊の寄り合いで借金から逃れている男の行方を調べ上げて、
「払わないならその命で払わせると言っていたぞ。ドロテアは言ったからには必ずやる」
 闘技場無敗の男と共に、街中に隠れている債権者の元に向かっていた。
「ここはドロテアじゃなくてガラテアさんだよ、レクトリトアード」
「ガラテア?」
 自己紹介する間もなく、たたき出されたのでドロテアの両親の名前すらレクトリトアードは知らない。
「ドロテアとヒルダのお母さん、ガラテアさん。まあ、大して話をした事は無いけれど気の強い方だよ。ドロテアが二人って行っても過言じゃない。さでも、……さすがにドロテアの方が気が強いか、あはは。まあ競える程だよ」
 それは怖い。それを聞いてレクトリトアードなど
「……」
 無言となった。そして借金をしている人も、借金をしている方が知っているのはガラテア、どっちに転んでもドッチだと言うことだ。
 エルストとレクトリトアードは、借金を踏み倒して逃げている三人から「他の高利貸しから借りても金調達させて持って来い!」そう厳命されているので、必死であった。それほど必死に見えないでも、必死。
「まあ“死んじゃってました”って事にしておくのが一番楽だけど。死んじゃう?」
「……エルスト」
 訂正しよう、エルストは必死ではなかったようだ。四日程滞在して、借金を無理矢理回収し、エルストの胃袋に穴が開くに違いない程の香辛料の効いた料理を食べ続け、ちょっとだけヒルダはお祈りしつつ、ドロテアは珍しい薬草などを父親に届け精製を手伝ったりして過ごし、レクトリトアードは母ガラテアの玩具となっていた。
「まあ、可愛らしい男の子ね」
「……」
 二十をとうに過ぎた青年にそれはないだろう……。長い艶々ストレートの銀髪を結わえては大きなリボンを付けて遊んでいた。
 それこそ瞬く間に過ぎた四日間、ドロテアは何時ものように「またな」と手を振って馬車を借りに行こうとしていた。
「姉さん! 私一人遅れて帰ってもいいですか?」
 ヒルダがなにやら用事がると言い出した。
「良い訳ねえだろ! レイ、残れ。護衛して帰って来い」
 ヒルダ一人でもコルビロまでの旅程は平気だ、それはドロテアが一番良く知っている。
「ああ……だが休暇……つっ! つっ! 追加しておいてくれるか?」
 王太子警護隊の休暇の追加申請は他人が言って追加できるようなものでもないのだが、
「任せておけ」
 ドロテアならば毟り取るだろう。ちなみに、何故ヒルダ一人で行かせなかったか? それはヒルダとレクトリトアード二人だけで行けば面白い事が有るんじゃないか? と脳裏を過ぎった為だ。別に結婚式の逆襲とかいうものでもないが(多少はあるかも知れないけれど)とりあえず面白そうだったのでレクトリトアードをつけてやる事にした。
 荷物を分け、四頭立て馬車の二台分の料金を払い、ドロテアはエルストと共にコルビロへと戻って行った。その地平線へと消え行く馬車の後姿を見ながら
「悪い事したかな……休暇」
 レクトリトアードは呟く。何日くらい追加するのか? と聞いた所『戻ってくるまで休暇にしておいてやる』と事も無げに言って馬車に乗り込んだドロテア。
「休暇とりたかった人も諦めるでしょうね。まあ、それが仕事というものですよ……それにレイさんあんまり休んだりしないタイプでしょうから、少しくらい多めに休んでもいいんじゃないですか? 前に休暇を取ったの何時です?」
「始めてだ。仕事については三年になるが」
「闘技場の頃は?」
「試合がない時は休みだろ」
「……それなら一年くらい休んでも良いと思いますよ!」
 本当に身体が丈夫なので“休みたい”という生理的な欲求が生まれてこないタイプらしい。

**********

 ドロテアはヒルダが一人で残ると言い出した理由を知っていたのだろう。涙を流すドロテアとヒルダの両親、ヒルダがトルトリアから帰って来たという報告と、それに関する出来事を聞かされて何かを言っていた。聞いて良いものでもないだろうと、街中へと出る。
 首都よりも閑静というべきか? それほど人が住んでいなく、大らかな感じがする。大体の家が二階建てで、道幅も広い。ガラが悪いのも居るが、度を越しているのはいないらしい。薬草を扱っているのはドロテアの父親の店以外にもあるが、繁盛はしていないらしい、とても閑散としているように感じられる。
「……本当に時間を潰せないな……」
 一人で街中を歩きながらそう思う。何かしようと思うのだが……さほど高くなく、厚くもない城壁に囲まれているこの町は、とても静かだった。結局、一人町外れに捨てられていた木箱に腰をかけて日が暮れるのをみていた。こうやっていると、昔を思い出す。一人、山中で歩き回っていた頃を、考えてみれば殺された村人達の遺体を弔う事もなく過ごしてきた。弔うという事を必要だと感じなかったこともあるのだが……
「レイさん?」
「ああ……話しは終わったのか」
「はい」
「……急がせても良いか?」
「何ですか?」
「一緒に故郷に来てくれないだろうか? 遺体はもうないとは思うが、何一つ弔いをせずに放置したままだから」
 何故「遺体はない」と感じたのかは解からないが、それに間違いはないと確信があった。
「もちろん、いいですよ」
 俺とヒルダは夜になる前にエトナを後にした。『二人とも気をつけてね』とかけられた声に、俺はただ頭を下げただけ。
 エトナから出て、隣国エルセンの方角へと進む。途中エルセンへと向かう道から外れて、山の方へと入る。俺が住んでいた場所は、街道筋にはなく道のない道を進まなくてはならない。殆ど人のいない場所だ。五日ほど人気のない山中を馬車で抜けると、前方にぽっかりとした広場が現れる。
 その広場の先は断崖絶壁……というらしい。俺達は此処を昇り降りして生活していたので、別に断崖絶壁だとは感じた事はないのだが。
「この上にあるんですか? 凄いですね、オーヴァートさんの家より高いですねこの崖。オマケに足場になりそうな箇所はないですし」
「馬は此処に繋いで、俺が抱えて跳ぼう」
「じゃあ、お願いします」
 子供の頃は、二、三回跳び上がって辿り着いていた場所だが、今ならば一度の跳躍で済んだ。二十年近く前に壊れた故郷は、記憶通りに何も無かった。
「へぇ〜此処がレイさんの生まれた村ですか」
 断崖絶壁の頂上にある小さな集落。どの家も一階建ての四角い部屋が三つほど繋がったような造りだったらしい。ほとんどは攻められた際に破壊され、瓦礫が転がるままになっているが。
「ああ」
「ちょっと普通の人は訪れられない場所ですねえ」
「かもしれない」
「“かも” じゃなくて絶対に来られません。魔法でも唱えない限り無理です」
「そうか……それで、その」
 此処にいた自分に良く似た人々が何を信仰していたかなどは知らないが、少なくともヒルダに祈ってもらって嫌がる事などないだろうと。
「じゃあ、何処でお祈りしましょうか? あ! あそこなんて良いんじゃないでしょうか?」
 村の中心に残っている石柱をヒルダが指差した。


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