ビルトニアの女
伝説の大寵妃再び【3】
 ヒルダより先にコルビロに戻ったドロテアは、マリアの聖騎士になる為の勉強を教えつつ、家を片付けたりして普通に過ごしていた。時期的に薬草でも摘みにいくか? と思い立ち、馬車を借りてマリアに少し出てくると言ってコルビロを出る。道から外れた場所を走り、簡易の宿泊所にしている家に辿り着き何を採取するか? などをエルストと話し合い山に入る。
 想像以上にヒルダが帰ってくるのが遅いな……とは思ったが、レクトリトアードと一緒だ、万が一なんてこともないだろう。なんかあったんだとしたら、何かあったに違いない、それはそれでいいだろう。まるで他人事のように考えつつ、普段の生活へと戻っていた。
 別に珍しい事が起こるなど考えてもいない。ドロテアは現実的な人間だ、普通の人以上に非現実的な事を想像したりしない。それでなくとも、三年前にこうやって山中で行き倒れていたシャフィニィを拾ったのだ、二度も同じ事が起こるなどと在り得ないと……
 薬草となる毒草と、毒にしかならない毒草を摘んでいると背後の低い位置からエルストの声がする。振り返ってみると、エルストは腹ばいになっていた。
「ドロテア」
 そういって手を伸ばしてくる、ドロテアにはエルストの足についている“モノ”が気になった。形状的には人に近いが、髪の毛が紫の時点で人ではないだろう事がわかる。どうやら“ソレ”が足に絡みつき、歩くのを邪魔しているらしい。だが、どう考えてもおかしい。
「俺は何も見ていない。短い間だったがありがとう、エルスト」
 クルリと背を向けて歩き出だそうとするドロテアに、声をかける。
「ドロテア」
「何でお前そんな訳の解からないモンを!」
 ヒッシ! とエルストの足に絡み付いていた物体は顔をあげて口を開いた。
「訳解かるよ! 僕の名前はレシテイ!」
 髪の毛の色以外は人間である。だが、その名前は

「レシテイ……レシテイってあのシャフィニイの……」

 ドロテアの召喚神であるシャフィニイを襲う事数え切れず、止めようとした神達を叩きのめした事数え切れず。最強の神となれるだろうと噂される、レシテイ。
「君達がとてもシャフィニィと仲が良いって知ったから、会いにきたのさぁ。ちょっとコッチに出てくるのに戸惑ったけど、久しぶりだからぁねぇ」
 語尾がヘンな上にやたらと陽気に話しかけてくる。だが登場するのにもう少し穏やかな方法はなかったのだろうか?
「エルスト。何処で拾ったんだよ」
「落ちてた。死体か? って無視したら足つかまれた」
 少しは気にしてやれよ、エルスト。
「お前の召喚神って事でカタつけろ」
「無理言わない、言わない。大体神様でもないんでしょ?」
 人間の世界にある精霊神を扱う辞典には掲載されていない、人界では名の知られていない神界にいる生き物・それがレシテイ。
「こんな! 髪の毛紫で爪がオレンジな……っ! ええぃ! 帰るぞ! お前も神なら後で俺の家に来い」
 髪の毛は紫、爪はよくよく見ればオレンジ、そしてエルストが死体と勘違いしたのも頷ける、服の裾から見える腕に丸い紫の円が所々に浮かび上がっているのだから。人に近いというか人そのものの形に、人ではありえない色彩をしているのがレシテイというヤツらしい。
「一緒に連れて行って! 一人は寂しいから、置いていったら泣く! 泣く! 泣いちゃう! うぇぇぇん!」
 喧しいことこの上ない神様であった。
「うるせぇ! やめろ! 気持ち悪ぃ! 神!」
 眉間に縦皺を寄せながら、ドロテアはソレを馬車に乗せて一路コルビロへと戻る。
 ドロテアが迷惑な物体を馬車に乗せて帰路に着いた頃、ヒルダは一足先に戻っていた。貸し馬車屋に馬車を返しレクトリトアードと別れた後、図書館に顔を出していた。読みたい本があったのではなく、姉がいるか? と思い顔を出した。するとドロテアはいなかったが、
「あ! マリアさん! お勉強ですか」
 マリアはそこにいた。
「あら? ヒルダ帰って来たの」
「はい、たった今。あ、神聖魔法理論ですね。どうです、覚えられそうですか?」
「全然駄目。全く頭に入らないわ」
「焦る事ありませんよ。宜しければ幼年の教科書でも差し上げましょうか? 幼い子供に神聖魔法理論を教える教科書、私は買取したので持ってるんですよ」
「あら? いいの」
 神学校の教科書は大体使いまわしだ、それが高価な為に。金持ちなどはその教科書を買い取る、ヒルダも金銭的に余裕があったので教科書を買い取りにして、細かな書き込みなどを行っていた。それを確りと取っておいて、実家に送っているので取り寄せれば直ぐ手元に届く。隣に座り、神聖魔法理論の講義をしていた所に、それは訪れた。
「何ならこの俺が、手とり足とり教えてあげよう」
 またもやオーヴァートである。学者の最高位に位置しているオーヴァートが図書館に現れるのはおかしい事ではないが、オーヴァートは自宅にここ以上の図書室を持っているので、わざわざ来る必要はない。
「要らないわよ……あなた教えるのに向かないでしょう、オーヴァート」
 マリアに否定され、
「そら、戻るぞオーヴァート」
 一緒に来たヤロスラフにも、促される。それで帰るような男であれば、ヤロスラフも苦労しないだろう。マリアをギュッと抱きしめて、片手は胸に片手は太股に。
「……」
「……」
 誰がどうしたらこの状況を打破できるのだろうか?
「オーヴァート。品性の問題として、公衆の面前で女性の胸やら何やらを触るのは感心しないな」
 言いながら抜き身の剣を構える。周囲にいる罪もない勉強をしにきた人々は、蜘蛛の子を散すように逃げる。
「何ていうか、此処で大騒ぎしたら俺達立ち入り禁止になるぞ」
「なってしまえば良かろう! そうすれば、二度と図書館の平穏が乱されることはないっ!」
 マリアを抱きかかえたオーヴァートと、剣を構えたヤロスラフがにらみ合っているとバホォ! という硬い布があおられる音と共に何かが飛び上がり、鈍い音が響き渡った。オーヴァートの後頭部に、聖書が縦に刺さっているのをヤロスラフは見た。
「騒ぎになったら本の角で殴れ! と姉さんの言葉です。図書館の本を使うのは悪いと思いまして、自前の聖典で殴らせていただきました!」
 マリアを手放して、ヒルダに向き直ったオーヴァートはそれはそれは笑顔であった。
「いいぞ! ヒルダ! さすがだ!」
 オーヴァートの頭に刺した聖典を持ちながら、高らかに手を上げる。その姿は勝利の女神、何に勝利したのかは知らないが無意味に力強く神々しかった。
「さすがドロテアの妹ね」
 離されたマリアの側に、ドイルが駆け寄ってくる。
「そうだね、姉さん」
 ドイルは、ドロテア以外で初めてオーヴァートに攻撃を入れている人を見た。顔は殆ど同じだが、普通の人はしない。
「騒がしくなったから帰るわ。遅くなっても心配しないでね、ドイル」
「うん、解かった」
 周囲を騒がしくした原因達はまるで気にせずに図書館を立去っていった、全く持って迷惑である。
「ま、このくらいの騒ぎで済んでよかったな」
 とはマリアの弟の談であり、図書館職員全ての心境であったのを付け加えておこう。
 先ほどの事などすっかり忘れて、ヒルダとマリアはドロテアの家へと向かっていた。ドロテアが薬草を取りにいった事をヒルダに伝えて、ドロテアがいなければ二人で外食でもしにいこうと話しながら歩いていた所、少しばかり高級なケーキ屋の前を通りかかる。
 硝子張りの店の中には、オレンジ色の壁紙が張られて床が磨きこまれているのが見て取れる。額には入った小さな絵や、装飾過多な壁掛け時計や、花瓶に造花が大量に飾られていた。
 ただ、そんな事はヒルダの目にははいらない、硝子張りの向こう側からヒルダが見ているのはフルーツケーキ、それらが行儀良く並んでいる。因みに国によって「ケーキ」というのは違うものを指す、マシューナルは薄いスポンジ台の上に砂糖や蜂蜜で煮た果物をゼラチンで固めた物をのせたものを指す。これがベルンチィアに行けば全てがスポンジでバタークリームで塗り固められてフルーツが上に少しだけのっている物になる、別の国は別の国でまた違う。パイとは違いケーキは国によって相当な違いがある。硝子張りの店内に未だ食べたことのないマシューナル風ケーキを発見したヒルダは、硝子の壁に引っ付いていた。
「マリアさんも食べませんか?」
 ウキウキとケーキを指差す。
「帰ってお茶にでもしましょうか。ドロテアは帰ってきてるかわからないけど」
 結局ヒルダは最初に見初めたケーキと、お気に入りのレモンと白ワインのケーキをワンホールずつ買い、両手に持って姉の家へと向かった。マシューナルの高級住宅が立ち並ぶ中でも異様を誇るのが、ドロテアの家だ。別に誇りたくもないのだが、この家を建てたのがオーヴァートな為、周りの家とはまるで違う造りになっている。その材質が皇帝金属という時点で既に普通の家ではない。生垣には何時も季節を外れた花が咲いているという始末だ。最初は普通の家だったのだが、後日ドロテアが薬草屋を開くことになった際オーヴァートが店を開けるように改造した。
 その頃は当然別れており、オーヴァートに対しての影響力……そう他人は感じたが、実際は、皇帝金属で造った家は他の誰も改築できないので仕方ないのだ。それを一々言う様なドロテアではないが。現在は道に面した所が、商店らしいたたずまいになっている。
 ヒルダケーキを一つ小脇に抱えてドアノブに手をかけると、鍵が開いており簡単にノブが回る。ドアを押し開き、
「ただい……おじゃま間違えました!」
 中に居た者は『ドロテア=実の姉』、『エルスト=義理の兄』、『何か=実に人間じゃない』を確認して瞬時にドアノブを手前に引いた。
「こら! 早く入って来い!」
 姉の怒鳴り声に促され、ヒルダの後に扉を開いたマリアも一度は閉めて二人で顔を見合わせて、両手を広げて“あれは何?”と表情を作った後に室内へと足を踏み入れる。とりあえず、そこにいる物体を無視してケーキを皿に出して、ケーキナイフを準備しつつお茶の準備をして、エルストが店の入り口に「閉店」の看板をかける。それら全てが整え全員がケーキを一口食べた後、徐にヒルダが語りだした
「この方はどちら様ですか?」
 出されたケーキをしっかりとフォークで口に運び、出されたハーブティーを口に運び“熱っ!”と叫び声を上げているソレ。
「マリア、これが派手の神様ことレシテイだ」
「本当に派手ね。でも随分と人間らしい姿をしているのね」
 前に話したことがあるマリアは『あ〜……』となんとも言えない表情を作って、再び切り分けられたケーキをエルストから貰っているソレを見た。
「神様なんですか? 知りませんでした。で、ご用件は?」
 ヒルダが知らないもの無理はない、ソレは今現在の辞典などには載っていないのだから。大体、神であるのかどうかも怪しい。
「知らん」
「知らんって……」
「今これから用件を聞くところだ。レシテイ、お前は誰に何の用があって来た」
 やたらとケーキに食いつきの良い、見た目で判断すれば男だろう不思議な神様未満の生き物にドロテアは話しかけた。
「僕シャフィニイが好きなんだよね。でもさ、この思いがどうやら通じてないらしいのぉ」
「それはやっと理解できたのか、何年かかったかは知らんが。それで?」
 嫌われている……とは理解できないらしい。
「だから、シャフィニイに僕の良さを説明して、説得して欲しいんだぁ」
 何で語尾が一々……とは思ったが、それは言わないで置いた。言う必要がないからだ。
「……あのな、俺お前の良いとこ知らんから、無理だぜ」
「えーみただけで解かるでしょ」
「あームリムリ。俺ただの人間だから」
“何処をどう見て解かれと?”ドロテアの口調にその言葉が滲んでいたが、レシテイは気付かなかったらしい。
「それじゃあ、僕の良い所を発見してシャフィニイに伝えてよ、お願い」
 シャフィニイですら敵わない相手、どうするべきか? 答えは簡単だ
「そうだな……。その為には俺の召喚神にでもなるか? お前を召喚してその雄姿をシャフィニイに見せながら説得しよう」
「それに乗った! よろしくね! 格好良い呪文で呼び出してね! それじゃあ!」
 ケーキは四切れ、ハーブティーは半分だけを食べてソレは消え去った。一瞬の静寂の後、
「本当に説得するの?」
 マリアが新しいハーブティーを入れてドロテアに差し出しながら聞く。聞けば相当シャフィニイはあのレシテイに困らされている筈、それを説得するとなれば大変な事だろうと。だが、ドロテアの答えは明確であった。
「まさか……俺の寿命なんて神から見れば瞬く間だ。何もしないまま死ぬ予定」
 至極真っ当であった。最初から相手にする気はない。本来ドロテアは生きている間にシャフィニイも使うつもりなどはなかった、あれはある意味『試し』として使っただけであって。そして使うつもりがなかったのならば、そのシャフィニイと『何故契約したのか?』という疑問が現れるのだが、その理由は本人の胸の内に永遠に秘密にされる。何にせよ神の目を真直ぐみて嘘を付いたドロテアに、
「ウソツキだ」
 言いながらヒルダはまたケーキに手を伸ばす。
「それも良いけどね。本当に喧しい神様ね」
 レシテイが立去った後の皿を片付けようと集めながら、マリアは苦笑いしながら評する。確かに喧しかった、そして
「そうですね。オーヴァートさんっぽい」
 確かにソレに似ていた。人知を超えた生き物は一律で同じなのだろう……ドロテアは煙草に火をつけた。カチャカチャと皿を鳴らしながら台所に下げて、台拭きを持ってきたマリアが
「そういえば、ヒルダにも教えたのね。本の角で殴ると良いって」
 喧しい繋がりで先ほどの図書館での出来事を語りだした。
「ああ。殴る機会でもあったのか?」
「今殴ってきましたよ」
「……今か?」
「ええ、今です」
「時間的には?」
「お店に入った時には二時半近くを指してましたから、図書館に居たのは二時少し過ぎくらいでしょうかね?」
 ケーキが包装されている時ふと見上げた二人の記憶にそれが残っていた。
 露天のような店には時計はないが、ヒルダが足を踏み入れた高級菓子店には時計が絵画と同じく飾られていた。その装飾の多い時計は確かにその時間を指していた。それを聞いてドロテアは表情を変えて
「…………っ!」
 口に咥えていた煙草が床を転がる。音なく転がる煙草をエルストは拾い上げ、口元を指で少し拭うとそのまま口に挟む。新たな煙草を出してドロテアに差し出す、
「どうしたんです? 姉さん」
 それを受け取りながら、ドロテアは首を振る。
「いや……何でもねえ」
 ドロテアにしては変わった声を上げたが、その後はいつも通りであったので、ヒルダもマリアも「…………っ!」の言葉も直ぐに忘れ去った。

**********


 マリアは夕食をドロテアの家で済ませた後、自宅へと帰ると玄関を出る。
「じゃあ、またね!」
「送って行かなくていいか? マリア」
「大丈夫よ。それに前みたいに物欲しそうな顔で見られる事もなくなったし、年も取ったから興味なくなったんでしょうね」
「なんにせよ気ぃつけてな」
「ええ」
 夜は既に遅く、普通の仕事をしている人ならば既に眠りについている頃の時間だ。この時間になると兵士が五人一組となった夜警が首都を巡回する。あまり治安のよくないマシューナルでは夜警は必須であった。普通の仕事ではない、闘技場に出て小金を稼いでいるような輩はコレからが本番とばかりに往来で大声を上げていたりもする。そんな彼らも、マリアには声をかけない。不必要にマリアに声をかけようものなら(例・ヒューそこの姉さん、やらせろよ!)問答無用でドロテアに殺害される事を知っているからだ。
 マシューナルに来たばかりで勝手を知らない破落戸がマリアに声をかけようとして、周囲の男にボコボコにされるなどはここでは良くある出来事であった。何せドロテア、周囲にいたもの全員を軒並みなぎ倒す、無論『言ってません』や『違います』などは通用しないのだ。
「あ、マリア」
 そんなマリアに声をかけるとなると、最低限知り合いでなくてはいけない。
「レイ? 何をしているの」
 何をしているの? と聞かれても無理はない。何せ一人で明かりもなしで王太子の護衛隊長がうろついているのだから。
「夜警」
 レクトリトアードの視覚を持ってすれば夜、明かりを持たないでも何の問題もないが……夜警というのは『見回っている』と周囲に知らしめて犯罪を抑止するのであって、暗がりの中明かりも持たずに、足音を消して闇に潜みながら街中を歩くものではない。それでは夜警として殆ど何の意味もないのだが、この際触れないでおこう。
「何で王太子付きの貴方が?」
「今日ヒルダと共に戻ってきたら、まだ休暇だと言われて……する事がないので夜警に混ざる事にした」
 無趣味なレクトリトアードは夜警に混ざってみる事にしたらしい。ドロテアならば“お前にしては前向きだな”くらいは言ってくれたかもしれないが、相手はマリア。レイと最も相性が悪い。
「あら、そう……」
「マリアは今帰宅か?」
「ええ、そうよ」
「送って行こう」
「良いわよ」
「そっちの方も見回ろうと思っていたから」
「じゃ、一緒に行きましょうか」
 街中を奇妙な二人連れが歩く。そのいつにない組み合わせに、皆目を見張るがすぐに視線を降ろしてしまう。あまり物珍しそうに見ていると、叱られる……誰に? は最早無用であろう。それ以外にも、見ているのが辛い理由がある。二人とも並んで歩いていながら、とても『好きこのんで並んで歩いているようには見えない』のである。声をかけたほうは無口であるし、声をかけられたほうは特に会話がない……。ある意味並んで歩かれると周囲が最も対応に困る二人であろう。
 全く会話せず、マリアの自宅へと向かっていると道路左側の方から怒鳴り声に似た、焦りに満ちた叫び声がレクトリトアードの耳に届いてきた。
「? 何だ? あっちの方が騒がしい」
「行ってみたら?」
「マリアはどうする?」
「私は興味ないけれど……一応付いて行ってみるわね」
「そうか」
 特にマリア、野次馬根性を出した訳ではない。強いて言うなら『付いて行った方が安全かもね』という判断だ。何事かが周囲で起こっているのだから「強さだけならばヤロスラフ以上」とドロテアが認め、ヤロスラフ本人も認める男から離れるのは得策ではない。要するに自分の腕に自信があればマリアは帰宅した訳だ。そのまま無言で二人は、叫び声が上がっている現場へと向かう。
「……変ね?」
 マリアは呟く。これ程大騒ぎしていれば、周囲に住んでいる人々が野次馬として往来に出てくる筈なのだが、誰一人見当たらない。それ所か、雨戸の隙間から明かりさえ零れていないのだ。
「何奴だ?」
「レクトリトアード殿! 魔物が街中に!」
 声をかけられた夜警の表情が、薄暗い夜の街中でも明るくなるのが解かる。そして、何故人々が野次馬として往来に居ないのか? 覗き見をしていないのか? すぐに解かった。目の前にいるのは、普通の人間ではない、普通の二階建ての家屋の三分の二もある高さを持ち、闇に溶け込みそうな肌色をしている……一目でそれが何なのか解かる、
「ロインじゃないの!」
 大きさが違うが、それは確かに毒神ロイン、周囲は魔物と勘違いしていたようであったが。
「ロイン? 知り合いか、マリア」
 声に全員驚いて全員マリアの方を見る。夜の街中にロイン、それも通常の掌サイズではない大型のロイン。
「この人……じゃなくて神様はドロテアの召喚神よ、下僕って言うのかしらね。それにしても……大きいわね、あなた」
「マリア! 良かった! ドロテアって何処に居るのか教えて! 連れて行って!」
 知り合いを見つけて、嬉しそうに近寄って来たのだが何せ大きい。バサバサでその身を覆い隠す程の髪の毛(ではないのかもしれないが、そうとしか表現できない)がマリアの周りに柵のように張り巡らされる。そして口にしたといえば
「……ドロテアに用があって来たの?」
 マシューナルには『ドロテア』という女は多数いるが、この場でこの人が『ドロテア』と言えばただ一人。大体、こんな巨大な人語を喋る生き物と知り合いでありそうなドロテアなど、そうそう居る訳がない。
「そうなんだ! 此処はとても入り辛い上に、解かり辛い。特にドロテアが何処に居るのか全く解からない」
 夜警達は顔を見合わせて、瞬時にこの出来事を無かった事にした。
「家に居るわよ。連れて行ってあげる」
「ありがとう!」
「でも、もう少し小さくなれないのかしら? 大きくて悪目立ちし過ぎよ」
「これ以上は無理なんだ」
「仕方ないわね。ねえ、レクトリトアード付いてきてくれないかしら? 護衛と周りを安心させる為に」
「ああ」
 レクトリトアードも黙って見上げているだけだ。そのマリアの声をかけられたレクトリトアードを見下ろしたロインが、不思議そうな声を上げる。
「……シャフィニイ? 人間? どっちでもないな……」
「何言ってるの」
「マリアがレクトリトアードって言ったそいつ、シャフィニイに似てるな……と」
「何処が?」
「全部」
「全然、姿形違うけれど」
「顔ってかなんてか……不思議だな」
 神様に不思議がられた男はマリアとロインの後について警戒してついていった。途中、その後から付いてきている夜警の一人に、前を歩く小山のような紫色の物体について尋ねる。
「ロインとは上位の召喚神か?」
 レクトリトアードは魔法は使えないが、その強大な力は感じ取る事が出来た。この強さから察すれば、恐らく相当の上位の神だろうと。訊ねられた方は声を小さくして
「過去人間が従えたという記述はありませんね。シャフィニイ直属の上位五神、人間ではとても支配できない……筈です」
 最強の男に答える。
「ドロテアの下僕だって言ってたぞ」
「……そりゃ、まあ……」
 『それ以上は言わせないでくださいよ、レクトリトアード隊長……なんたってあの人ですよ』というのが彼の本音だろう。何を言っても危険に違いない。
 マリアとレクトリトアードと夜警の一人とロインは、別に人目を気にする事もなく大通りを練り歩く。先ほど変わった二人連れを見送った酔っ払い達は、自分が悪酔いしたのかと目を擦る。戻ってきた二人と、巨大な生物。どう考えてもこの世の場景とは思えない。
 彼らの“……きょ、今日は悪酔いしたみたいだな……かえる、か?”という呟きなど全く無視して、ロインを目的地へと連れてきた。
「此処よ」
「何処?」
 マリアが手で指し示しているのだが、ロインは周囲をキョロキョロするばかり。
「見えないの?」
「もしかしてマリアが言ってる方向にあるのってさ、ドロテアの左腕やエルストの目の辺りと同じもの?」
「……そうね、あの人が作ったものよ。未練がましく」
 あの人とはオーヴァート、その人である。それを聞かされて、ロインは手を合わせてマリアに頼み込む。
「俺、それ見えないんだよ。マリアが呼び出してくれるかな」
「良いわよ」
 正直、この姿に上位五神の威厳もなにも感じられはしない。
「ドロテア、良いかしら?」
 玄関のドアをノックする。暫くして、
「どうした? マリア」
 部屋の奥に戻っていたドロテアが扉をひらいた。
「あの神様、貴方が見えないで凄い苦労してたから」
「……手間掛けた」
 ドロテアが玄関から足を踏み出し、表通りへと現れるとそこでやっとロインが歓喜の声を上げる。身体が尋常ではなく大きいので、当然声も大きい。正直夜の住宅地では迷惑極まりないのだが、誰も雨戸を開けようとはしない、騒いでいる場所が騒いでいる場所なので。
「うわぁぁ! ドロテア! 探したよ!」
 ドロテアが両手を動かし、パンッと打ち合わせるとロインは瞬時に小さく掌サイズへと変貌した。
「んっ! よし小さくなったな、なんの用だロイン。そしてお前ら帰っていいぞ」
「それじゃ」
 暫くして振り返ったレクトリトアードの視線の先には、道に椅子を四脚出して座っている人間に対して必死に土下座する小さな小さな神の姿。その姿に何となくシンパシーを感じつつ、向き直り歩き続けた。


Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.