ビルトニアの女
赤い川は海に還りその花は散るのみだと【15】
 地図を持ってこさせたドロテアは御者台に座っていたイリーナを呼び
「イリーナ、此処は地図で言えば何処にあたる?」
 現在地を確認した。
「ここになります」
 イリーナは『ここら辺だと思います』というような不確かな事は言わず、はっきりとこの場所だと言い切った。
「間違いないんだな?」
「はい。馬の状態と気温、それに太陽と影の位置関係。最後に見かけた案内標識から此処までの馬の歩数から数えて間違いありません」
「やるな。そして多分間違いじゃないだろう。お前が指差した場所に赤い小さな三角形がみえるだろ? これは昔の国境線を表している。だから国境警備隊と連絡が取れない」
「昔?」
「戦争しているんだから国境線は移動するんだ、近年じゃあ全くそんな事はないが。この小さな赤い三角形がこれ以上ギュレネイス皇国側にはない、それは此処イシリア教国が戦争で取った最大国境にあたるからだ。イシリア最盛期の国境沿いに結界が張られている、となるとフェルファンタリーナ会戦の後に設定したものらしいフェルファンタリーナ会戦は今から三十八年前をさす。その頃なら教父はエルシェンタル、そいつはクロティス家出身だ。クロティス家が魔鍵塔には深く関わってるのかも知れないな、という事が此処からも推察できる。ところで此処からゴールフェンまではどれだけかかる?」
「確実に半日で」
「よし、ならそれ以外の事は考えないで体を休めておけ。寝ても構わん」
「はい!」
 幽霊は怖いが仕事はきっちりとこなすイリーナの後姿を見ながらドロテアは胸元から煙草箱を取り出し、燻らせた。
『どこか紹介してやろうかな』

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 最も強い皇統フェールセンが皇帝となる

「テメエの叔母は何で生きてるんだ? 皇帝になれなかったものは全部“ラシラソフ”なんだろ?」
 バトシニアは皇帝、ラシラソフはその反対……対になる言葉だとは到底思えないが。袖の長い、襟が少し立っているガウン調の服は豪勢な刺繍が施されていて、とても動きづらい。
 素肌の上にそれ一枚を羽織り、食事をしている際の会話。少し部屋が寒かったから、オーヴァートに体をぴったりとくっつけながら顔を見上げて聞く。
「双子だったからさ。双子だったら片方が皇帝に立った場合、殺されないようになってるのさ」
 皇統フェールセンというのは強く全ての生物の頂点に立つ、よって数が少なくてはならない。だから、皇帝になる事ができなかったものが全て皇帝に殺害される、世界は多くの皇統フェールセンを抱える程、余裕がないから。だから、オーヴァートの母親が双子の妹を殺害しないのには理由があるはずだ。
「ギュレネイス皇国の法律に男女の双子であれば女子は仕事に就けるってあるだろ? それの原型が俺達の祖先の決めた法律なのさ。“双子の片方が皇帝になった場合、皇帝になる事ができなかった劣性者であっても殺害されないで生かしておく”とね」
 劣性者とはひどい言い方だが、それが悪いとは感じていない筈だ。優れていなければ“皇統ではない”それが大原則なのだから。だが、優れた者のみを残しても優れた力のみが永遠に続くわけではないらしい。オーヴァートは人間や魔物に比べれば比類ない力を誇るが、歴代の皇帝の中の力では中ほどの部類の属する程度なのだそうだ。どうやって比べているのかは知らないし、知る気もないが。
「お前ら……法律なんてあったんだな」
「不文律ってか。体に記載されてるんだけどさ」
「ってことは、ギュレネイス的に解釈すると皇帝は男で劣性者は女というわけだな? だから社会的に抹殺されないで済む。要するに仕事をする事ができるって理由なんだな」
「そういう事」
 随分と曲がった法律だ。そう思いながら、皿に乗っていた料理をフォークで刺し、オーヴァートの口に運ぶ。別に食う必要もないくせに、コイツは飯を食いたがる。丸呑みしたって平気なくせに、咀嚼する。その間の空白に頭の中である事が思い浮かんだ。オーヴァートの母親が前の皇帝で、祖父が先々代の皇帝。これが逆なら何も疑問はなかったんだが
「なあ……お前の母親と叔母は本当に双子なのか? 皇統は人間一人で一人なんだろ? 人間だったら一人しかフェールセンを生めないのに、どうして先々代が男皇帝で人間相手に双子の姉妹なんだ?」
 “人間は次代の皇統を一人しか生む事はできない”とかつて聞いた。祖父が皇帝であれば先代を生んだのは女、誰が産んだのかまでは解らないが人間である事は疑いようもない。
「双子の女達が先々代の寵愛を得るために。デキの良い子が出来た方が皇帝の側に残れるって勝負になったらしい」
 聞いてみたら、簡単な事だった。
「双子の女?」
「見た目も何もかも同じ、全てが同じ双子の女が寵愛を競った。先々代はその争いを見て楽しんでいたらしい。結果双子の姉の方の産んだ子が俺の母親に、妹の産んだ子がランブレーヌ。見事俺の母親を生んだ女が勝利を得たって訳だ。全く同じ遺伝子を持った女同士の子なので、生まれた子は双子とされた。実際のところは、俺達の言葉で言えば劣性者を生かしていたぶる為だったようだがね。おかげでランブレーヌは唯でさえ性格が歪み畸形化している皇統フェールセンの中でも一番の歪みを持った奴になった」
「何て言っていいのやら」
 そのせいだけではないだろうが、それも原因の一つくらいにはなるんだろうな。息子を連れて浮気の果ての死。
「ドロテア、俺の系譜から何か違和感を覚えないか?」
「皇統の系譜から? 何かおかしい事でもあるんだ……?」
 オーヴァートは目の前に、気が遠くなるような系譜を空中に映し出す。ご丁寧に性別わけまでしてくれて。

 結果から言えば簡単だった。

 生物の頂点に立ち、人間は一人しか皇統を生む事ができない。よって皇統は人間を集め競うために多くの子孫を残す。
 それを維持するために起こる規則性、オーヴァートにもしも子ができれば、それは全て女になるという事。
 男皇帝が女を召し上げて子を成す、人間は皇統を一人生めば後は例え人間相手でも子を産む事はできなくなる。一人皇統を作れば、人間はその生殖機能を全て失う。
 数多く集め生ませれば子を産める女が減ってしまう、これが三代も同じ性別で続けば人間は弱いので直ぐに世界を維持できずに滅びる。
 だが、これが交互であれば人間は世界を維持できる、という計算から交互に生まれる事に決まっているらしい。
 オーヴァートの体の事は聞いてもよくはわからないが、それが皇統の決まりとして組み込まれている以上逆らう事はできない事は聞いて知った。

「ランブレーヌが浮気した。それは人間からみれば浮気とかいう代物だが、俺達からみれば当然の事だ。リンツアードはすでに息子をランブレーヌに提供したから、もうランブレーヌに子を提供することはできない。そして劣性者として生かされてきたランブレーヌはどうしても子の代で逆転したかった。自分の子を皇帝にすれば殺したいほど憎んでいる姉・リシアスをも葬る事ができるからな、自分諸共だろうが積年の恨みを晴らせる。だが、息子は俺以下だった」
「……」
「そしてランブレーヌは幾多の男に抱かれ……いや抱いたといった方が正しいか、肌を重ね、そして“この男こそ”と思える相手の子を得た。リンツアードがどうして浮気されている事に気付いたんだと思う? 息子を連れて歩いていたから気付かなかった、だが同衾していない妻の腹が膨らんでくればどれほど鈍い男でも気付く訳だ」
「たまには気付かない男も居るらしいが? 妻の腹が膨らんでも」
「ならばリンツアードは鋭い男だったと訂正しておこう、並の鋭さを持った男だとな。リンツアードはランブレーヌと浮気相手を殺し、血塗られた刃を椅子の下で丸くなり震えている実の息子にも向けた。そしてセロナード城の怪異が起こる、ランブレーヌの腹の中にいた既に形となっていた“これこそは”と思い選んだ男の“子”は、最初に産んだ子以下だったから一緒に消し飛ばされた。所詮は劣性者、ラシラソフはラシラソフしか作れないのさ」
「まずい物食ったわけでも酒のみすぎた訳でもねえのに、胸焼けがしてきた」
「折角トリアンネの期間限定一日五個しか作らないパイを並んで買ってきたのに」
 嘘付け、お前が並んだりしたら直ぐに椅子とテーブルをその場に出されて優雅に、そして順番無視で寄越されるだろうが。
「それは食う」

 最初の一口をほお張った時、妙に無機質な味がした。あの時食ったパイが何味だったのか、今となっては思い出すことも出来ない

 最も強い皇統フェールセンが皇帝となる

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 双子の経緯を思い出したついでに、思い出さなくても良いような事まで連鎖的に思い起こしてしまいドロテアは頭を振る。
 クナとパネに結界の簡単な説明をすると、パネの方が口を開いた。
 こちらも本来であれば下々の者と直接会話をしない階級の聖職者なのだが、普通に口を開く。
「ならば、それは描き直せるという事か」
「……へえ、詳しいな大僧正。聖職者はあまり知らないと思ったが、確かにイシリアで魔鍵塔を作ったのも聖職者だし、知っていもおかしくはないか。その通りだろう、描き直せるはずだ。あの本が描かれた時期は国境線はもう少しイシリア側によっている筈。時計と太陽と影、そしてイリーナの意見からみても此処は間違いなくイシリア歴史上最大国境だろう。簡単に調べてた程度だが、この結界自体上部球体線を延ばして完全球体に近い形にしただけで下部球体線は確認できない。下部球体線は本の描かれた当時の国境線に設置されている可能性はあるがそれほど警戒する必要はないだろう」
 上級結界の基本は半球体二つで構成されている。上部の半球体と下部の半球体、この二つを接地面で結ぶ。そんな作り方をすれば脆いように感じられるだろう、そして実際に脆い。“結界が破られる”というのはこの接地面の結合部が力によってはがれる事を言う。下級結界の基本は完全な球体で、この場合は結合部がないので上級結界よりも破られる事はない。だが、完全球体では出入りが出来ずに内側から攻撃する事もできない。
 アンデッドや魔物、魔法生成物など敵に囲まれた際に完全結界では身を守ったは良いが、攻撃できずに取り囲まれたまま餓死してしまう……という事も起こる。結界は張りながら、ある程度攻撃できなくては意味がない。
 そして結界を途中で組み替えるのには相当な技量を必要とする。ドロテアよりも魔力は優れているヒルダがそれを出来ない事からもわかるように。
「下部線がないということは描き直しやすいという事だな、奪った領地によって描きなおすのならば、地面には痕跡を残さない方がよいだろう、事実今まで皇国は気付いていなかったようだしな。……一応バリアストラ派は結界などに長けているのでな」
 上部球体を伸ばして使っている場合、規定の半円までは結界としての役割を完全に果たすが、そこから先は強度の落ちる結界となる。強度が落ちると結界の有無を調べる魔法に引っかかりにくくなる。大体は上部の見える結界の状態を想定して下部にも魔法をかけるため、弱い結界は反応を示さないのだ。戦争の勝敗によって国境が移動する際に、結界を張っていた事を知られると困る為の策。
「人と争わないのには結界は適しているだろうよ。人と接点を持たないのにはもってこいだ。でもまあ、あんたは別に結界知識を買われて派遣されたわけじゃねえだろ? その手の知識は俺で充分、むしろ俺に敵うと判断されたとは思えないからな。大体俺はロクタル派の司祭の姉だぜ」
「明敏過ぎる」
「一人の台頭で焦る派の長老達の人身御供大僧正か。ザンジバル派最強権力者の駒になる為の働きも大変だな」

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 子供といっても、もう十代半ばにさしかかろうとしていた頃の事だ。
 今とそう面立ちが変わるわけでもない。だから名前を聞いた時、あいつだな……直ぐに解かった。

「明敏というか聡いと言うべきか……お前の女の好みは聞いた事はなかったが、相当な玄人好みと言うべきか? だが相当に美しいのだけは確かだな。多くの巡礼者や花街の女、そして数多の王女を見たが美しさは足元にも及ばない。あの口の悪さでも品があるとは……神も認める美しさだとは、恐れ入る」
「お前さんの好みは?」
「誰だろうな。だが、本当に美しいなお前の妻は」

 自分は顔が変わったのかどうか? 良くは解からない。
 もう自分の顔など殆ど忘れてしまったし、誰も私の顔を見る事もないからな。

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 ドロテアは片手をかざしつつ、欠伸を一つしつつ空を見上げていた。ドロテアの所在なさげな行動に
「天幕でも張りますか?」
 などと声を掛けてきたものがいたが
「必要はない。もうじきこれは破られる」
 必要ないと手を振った。
「解るのかえ?」
「あったりまえだ! 何のために此処で魔法唱えて手かざしてると思ってるんだ? 無意味に手かざしてたら唯のバカだろがよ!」
「さすがじゃのぉ、パネ」
「はい」
 パネと言えばエド法国の高位聖職者の中で最も無力な大僧正だ。
 死せる子供達も末期に頃に教会に入ったという事は知られているが、それ以外は何も知られていない死せる子供達の見本のようなバリアストラ派の大僧正。
 このバリアストラ派はヒルダの属するロクタル派と対極に位置しており、当然ながら仲は良くない。仲が悪いといってもエド正教の第一派争いに加われるような信徒数を持っているわけでもなく、ただどちらの方が中枢に近いかを競う程度のもので均衡はずっと取れていたのだが、先だってついに均衡が崩れた。崩したのはロクタル派に属しながらザンジバル派の最高権力者で次代の法王となるセツがヒルダを枢機卿に推している所から始まった。
 枢機卿の定数は七人で、慣習からいっても現勢力から言っても最低で四人はザンジバル派から選ばれる。四人がザンジバル派、そしてアレクサンドロス四世の名によって暫くはジェラルド派も一人は席を確保できるだろう。残り二席の一つが今まで枢機卿を出したことのないロクタル派のヒルダが選ばれるという噂。噂でありながら誰もが確信もしている。
 そうだとしたら残る一つは?

 その座を巡り、そして敵対派の権力の強化を防ぐ為にも『バリアストラ派』内で最高位にいるパネが枢機卿の座を狙わなくてはならなくなったのだ。

『ヒルダが法王とかになったらどうする気なんだろうな。まあ、ロクタル派にいる以上ありえねえけど……大体ロクタル派の枢機卿って信徒数の上からいってもお飾りだよな? お飾りってか頭数あわせ用、若しくは選挙用に態々枢機卿の座を用意するか? あのセツがだぞ。もしかしてあの野郎、ヒルダをザンジバル派に引き抜く気か? 枢機卿の定数からいっても……ロクタル派は権力闘争に慣れていないから目の前に高位の座をチラつかせると直ぐ飛びついてくるだろうしな。ヒルダを高位にしてやるから枢密院で協力しろといわれてヒョイヒョイと頷いて最後に改派したヒルダが枢機卿に立つってのが一番強い線だな。あの野郎は絶対に他派閥にくれてやらないだろうからな。ザンジバル派なあ……ヒルダが良いって言うなら構わないがよ』

ドロテアの読みはほぼ当たっている
ドロテアとセツの思考回路は非常に近い
その事を言われるのをセツは嫌っているのだそうだ

「結界に篭って書物を読み漁るのが主な活動といわれる派閥でも、結局はそんなもんだな。鼻で笑うだろうよ、セツあたりなら。俗世を気にしないフリをしているだけに滑稽さは下手な喜劇以上に笑わせてくれるな」
ドロテアの容赦ない言葉に
「耳が痛いな」
 パネは力のあまり篭っていない声で答えた。怒気の一つもないところから、多分パネもそう思ってはいるのだろうが年功序列の長老会議のようなモノで“平和的”に話し合いで決まった事項は覆せないバリアストラ派に属している以上、決定には逆らえなかったに違いない。
「お前にも学者に顔のきく知り合いなんぞいないのか?」
 ドロテアはこの『年寄り会議で決まった事は絶対』という事がまかり通っているバリアストラ派をエド正教派閥内で最も嫌いで、ヒルダが神学校に入る際も『バリアストラ派以外にしろ、これは信仰とかそういうレベルじゃねえ』と言ったくらいである。
「知らないわけではないが、残念ながら私は死んだ子なのでな」
「死せる子供達ねえ……まあ、ヒルダは今の時点で一番有効だろうな」
「学者の長が頭の上がらぬ相手の妹となれば、セツ最高枢機卿が欲するのは当然だ」
「ヒルダの価値が俺にあると考えているのならお前達はヒルダ以上になれねえぜ。もしもセツもそう考えているのなら、セツもヒルダにとって変わられるぜ。あれは、やる時はやるぞ……かなりマヌケだけどよ」

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「今日はご飯と肉を混ぜて野菜に詰め込んだものをスープで煮たものですよ。あまり皿を多く使ってしまうと洗うのが大変なので一皿料理が基本ですのでスープの中には細かく刻んだ具材が多数入ってます。上に飾り付けた刻み香草が美しい色合いをかもし出していますよ!」
「俺ここに着て、まだ一度も同じ料理を食べた事ないんだよなあ。凄いよな」
「そうね、確かに凄いとは思うわ。直ぐに成長する野菜の端をいつの間にか埋めて立派に収穫しているんですもの。まさかここで香味野菜を育成するとは思いつきもしなかったわ」
「ふふ〜ん。生野菜も食べないと栄養が〜。次は塩で漬けた魚を水で洗って塩気を取り甘いスープで少し煮てからホワイトソースの下に敷きましょう、そして……」

 確かに、やる時はやるらしい。色々と

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 派遣部隊のお料理番長になっている妹を送り込んだ姉は、ザンジバル派の聖騎士団と枢機卿、バリアストラ派の大僧正、ジェラルド派の司教、ユリシーズ派の司祭などからなる混成部隊を眺めながら一人で呟いた。
「マリアが生まれつきザンジバル派だったのは良かったなあ。こんなのに巻き込まれたらたまったもんじゃない……でもパネの学者に顔が利く知り合“だった”相手って誰なんだろう? ヤロスラフは当然除外だし、ヒルダでもない。あんな篭るのが仕事みたいないバリアストラ派が? 死んだ子って事は聖職者になる前の知り合いか? パネの年齢から考えれば三十前後だろうから俺が知らない筈はないよな、でも普通は二十年近く会ってなけりゃ忘れるだろうし……忘れないような印象の深いヤツなんだろうかパネって。もしかしてパネはエルストの知り合いか? そう考えれば辻褄が合う……合わない?」
 そんな事を考えていると、結界に触れていた魔法が大きく揺れた。それと同時に目の前の深い霧のようなものが消え去る。
「結界が切れたな! 急ぐとするかイリーナ!」
「はい!」

 ギュレネイス皇国とイシリア教国の首都はとても近い場所にある
 その近さが戦争を続けさせる要因の一つでもあった
 遠ければ引き際を考えるが、近すぎるので戦い続けられるのだ。
 かつての大国トルトリアは隣接国との国境線からトルトリアの首都まで、直線道路が敷かれていたのだが、急いでも四十日以上はかかった
 今は魔物が跋扈して誰も通らないその道を通って
 ドロテアは帰るのだろう三ヶ月以上かけて

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 盗賊達とエルスト達は地下にある盗賊の寄り合いに向かっていた。囮達が反対方向に進みアンデッドの注意を引いている中、急いで目的地へと足を運ぶ。注意は引いてもらっているが、数が数なのでたどり着くまでに何人かのアンデッドを倒して進む。その役をクラウスが引き受けた。
「強いのねえ」
 黒い髪を少し揺らし、警棒を振るいながら魔法を唱えてアンデッドを地に這わせるクラウスの姿を見てマリアが口を開く。
「そりゃそうですよマリアさん、王国でいえば親衛隊長さんですもの」
 ヒルダも手を音なく手を叩きながらクラウスの武に感心の溜め息を漏らした。無論、マシューナル王太子親衛隊長レクトリトアードには及びもつかないが、此処に来た者達の中ではハッセム隊長以上と思われる腕を持っているようだった。
「でもクラウス、本当は魔法の方が得意なんだよ。魔法の成績はトップだったからねえ」
「総合学院の警備隊課程は魔法も必須なんですか?」
「まあ、一応。特殊魔法だからねえ、捕縛とか手枷とか」
 吸血大公に向けて捕縛魔法を放ったエルストの基礎は此処にあるらしい。
「へえ〜。やっぱり使えた方が出世するんですか?」
 ヒルダの純粋な質問に、エルストは
「関係ないよ。だって俺の上司に魔法使えないヤツいたし」
 その答えにマリアは
「あなたは特別じゃないの」
「そうだった、すっかり忘れてたよ」

アンデッドで溢れかえる街中で、随分と優雅である。

「此処から入れるんですよ」
 盗賊の一人が指差し、もう一人がカチャチャとなにやら天板の脇についている小さな鍵開く。ガコンと外れた下には、地下へと降りる階段が見えた。
「この壁どうしたんですか?」
 前に訪れた時との違いにヒルダが疑問を口にする
「俺達も壁が光りだしたんで、急いで逃げたんですよ」
 通路の天板に簡単な鍵をかけなおし、全員は地下通路に降り立った。エルストとヒルダが前に訪れた時は、ランプが所々に設置され灯をとっていたのだが、今地下は全体が淡い緑色に輝いて歩くのに全く差支えがなかった。
「憶測だけど、死を与えるものが復活した際に地下都市も僅かに息を吹き返したんじゃないか? ほら、フェールセン城なんか望み通りに明かりがつくだろ」
 伊達眼鏡全体が薄緑色に輝き、顔に“ヘン”な色の影を作っているエルストが説明した。
「エルスト義理兄さんの顔が明かり代わりですねえ、顔色悪いですけど」
 薄ぼんやりと緑色に照らし出されていれば、そういわれても仕方ないだろう。
「そうかも……クラウス!」
 ヒルダと危機感など全く無く話していたエルストが突如倒れるように地に這いクラウスに声を掛ける。
「ああ、敵がいるようだ。向こう側から来る、他に道は?」
 盗賊達が案内しようとしている進行方向から来る敵の気配にクラウスが問うが、盗賊達は首を横に振る
「突破するしかないか……どうした? エルスト」
 腹ばいになり床に耳をつけているエルストが、人差し指で“十”の字を書く。“待て・警戒”という警備隊特有の合図だ。
「足音がおかしい。一本足や四つん這いになっている、そして体を引き摺られているような音が混じっている。歩いている奴の方が少ないと言うべきだろうな、オマケに皆、体が重くて肥満状態のようだ」
 くどいようだが警備隊は戦争のプロではなく、一応逮捕の専門家である。よって相手の気配や人数を情報と合っているかどうかをその場である程度判断する技術をも会得するのだ。エルストのもたらした情報にクラウスは言い澱む。
「なんだ……それは」
 全員が息を止め、向こう側から現れるであろう奇怪な音の正体に目を凝らす。その姿は段々と輪郭をつくり、そして……
「な……なによ! あれっ!」
 マリアの悲鳴にも似た叫びと共に盗賊達が嘔吐した。
 目の前にいるのは『人の皮を被ったなにか』だった。形容などではなく本当に“何か”が“人の皮”を被っている。それがあまりにも体の大きさに合わない皮を被っているが為に、あちらこちらに亀裂が入り大きな裂け目を生じ、内側にあるピンク色をした臓物のような物の動きがはっきりと見える。だがそれはまだ人間の姿を保っている分“マシ”と言えよう。
 目も真っ赤に充血しているものもあれば、目から何かが飛び出して蠢いているものもある。背中が異常に膨れ上がり、四つん這いになり背中を引き摺りながら歩くもの、そして皮がなく、膨張した中身だけで歩きまわるもの。
「アンデットの方がまだ可愛げあります……ね」
 脇でしゃがみこんで嘔吐している盗賊の一人の背中をさすりながら、ヒルダは敵を凝視した。敵である以上、目を逸らしたら負けである。
「勝てそうか、クラウス」
 腰からレイピアを抜いて手に力をこめるエルストと
「解からない」
 人間相手が専門の警備隊にいるクラウスが言える最大限の言葉だ。
「“元”は人間っぽいぞ。だが、足音が重い。一人で普通の人間の三人分くらいの重さの足音だった」
「どういう……事だ? 私とエルストがこの場を切り開くまで後方で……」
「協力するわよ」
 マリアは折っていた短槍を開き
「二人より、四人の方が早く“カタ”が着くと思いますよ」
 ヒルダは杖を振りかざし、物凄い速さで呪文を唱え始める
「我が名を呼びたし者の影 我等の眼前にその盾をあらわせ! 静寂なる影よ我に忠実であれ! 静謐なる空間よ我に沈黙の時間を寄越したれ!」
「見事な邪術ねえ」
 自分達の前に現れた黒い盾を見ながら、マリアは盾を呼び出したヒルダに向き直る。
「ええ、姉さんと一緒に旅をしていて学ばないと損ですから。古代魔方陣も邪術も使えるようになりました、少しですがね」
 まるで悪びれないヒルダ。
「あ〜クラウス。みなかった事にしておけよ」
「ああ」
「あのですね、エルスト義理兄さん! あの敵ってこの前ギュレネイス皇国を襲った傭兵達に似ていませんか? 見た目ではなくて動き、ですが」
 足を引くような遅い動き、そしてこの場所。

エルストの頭の中である事柄が繋がる。

「ヒルダ」
「なんですか?」
「多分、当たりだ。アイツラは体を食い尽くした虫の成れの果てだろう。クラウス、警棒じゃなくて切り裂き系の魔法があるか? それで体の表面を切り裂き断面を空気にあてれば死ぬはずだ。できれば真っ二つで縦でも横でもどちらでも」
「解かった」
「この盾があれば前進する事が可能だから、俺は四人で突破して本をとって戻ってくる。その間くらいなら大丈夫だな」
「一応警備隊長だ、お前に心配される程落ちぶれてはいない!」
「そうだったな。ヒルダ、盗賊の首根っこ引っ掴んで走らせるんだ! マリア、道を開いてくれ!」
 言いながらエルストはもう一人の盗賊の首根っこを掴み、魔法を唱えつつ走り出した。世界一と言われる逃げ足で

エルスト=ビルトニア
何時になくやる気に満ち溢れた一時である
多分一時で終わりだろうが
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