ビルトニアの女
赤い川は海に還りその花は散るのみだと【4】
同化政策で頭角を現したのがクラヴィスとウィリアムだった。
ウィリアムは手段を選ばない男だった
ハイネルの妹は、ウィリアムに恋した
ウィリアムにとっては、直に忘れてしまえるような女
でもその女にも人生はあるのだ

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 エド法国の娼館街は、娼館街特有の背徳感はあるが、それでもどこか空気が爽やかであるのは、国が表立って支配しているからだろう。
 同じ宗教国家で、娼館の存在を認めていないギュレネイス皇国の『女を選ぶ店』が並ぶ街並みは、背徳の臭いが強い。
 色気よりも、どこか荒んだようなその街並み。店で働く女以外にも、道に立っている女も多い。容色が劣る女は、店に入れず外で客を引く事が多い。そして外に立っている女は、摘発の対象になる事が多い上に、犯罪の対象にもなりやすい。
 人に隠れて軽い犯罪を犯す、そんな気分が味わえ、事実軽い犯罪であるこの場所を好む者も多いという。
 そんな街中を絶世と言って良いだろう女性三人、うち一人はエド正教の聖職者、その後を警備隊長以下三名が堂々と歩いている。警備隊長の姿を見て裏路地に逃げ込む女性もいれば、摘発の危険を感じつつも警備隊長の気を引こうと“しな”を作る女も多い。
 真面目で評判の警備隊長が、女たちに気を引かれることは全くないのだが。
 扉を開けるとそこは非常に薄暗く、濃厚な香りのする空間だった。酒以外にも女達の香水や化粧の香りが充満して、一呼吸付いてから出なくては声を発する事ができないような空間。その奥のほうにエルストが座りグラスを口に運んでいた。ドロテアが中に入るとその後から警備隊がゾロゾロと付いて入ってくる。この場においては異様な光景だ、警備隊が手入れでもなくただ黙って前を歩く女性達に従ってる姿は。人々の度肝を抜いている事などお構いなしに目的であるエルストに近寄る。
「よお! エルスト」
「ドロテア、よくこの場が解ったな」
 二人の会話を後で見ていた警備隊長と隊員は
「隊長、エルスト全然驚いてませんね」
「ああ」
 彼等の内なる世界に存在する女性像と天地ほど差がある行動を、一々確認していた。
「この店の主人は?」
「あたしだよ、何だい? 役人までつれてきて」
「コイツラは勝手に付いて来ただけだ。まあ一般人をダシにしなきゃ、いかがわしい場所に足踏み入れるのも禁止のような男達だ、多目にみてやれよ。それで、俺はあのエルストの妻だ」
「驚いた。エライ美人だって自慢してたけど、本当に美人だね。大体亭主が自慢する女房だなんて、大した事ないんだけど。伝説の大寵妃はやっぱり違うね」
「まだ伝説になるにゃあ早ぇと思うが、一応どうも。で、このヤロウここにツケがあっただろう? ソイツを払いにきた」
 と過去の大寵妃は余裕の顔だ。
「そうかい」
 このくらいだね、と女将が少し大目に催促すると、軽く笑って袋から金貨をカウンターにジャラジャラと落す。小山のように盛り上がった金貨をみて
「こりゃ多いが、ありがたく貰っておいていいのかい?」
 薄暗い照明の下から、ドロテアを見上げる女将に、
「まあな。好きなだけ遊ばせておいてくれ、あとこの店には一番の美女がいるって聞いたから、それを隣に侍らせておいてくれねえか。そのくらいの金は払ったつもりだが、俺だったらその程度の金じゃあ買えるどころか足元に近寄る事すらできねえが、この店だったらそれを出して釣りでアンタの男も買えるだろ」
 見下しながら圧倒的な迫力で言い放つ。俗に言う“いかがわしい”商売をしている女将よりも、威圧感があってどうするドロテア。
「そりゃ済まないね。いまアンタの亭主の隣にいるのが、うちの店一番の美女さ。身をひさぐ女の一番と皇帝の寵妃を並べられても、こっちも困るね」
 一瞥くれて、鼻で笑って女将に向き直りヒルダを指で呼ぶ
「あれが? ……まあいいや、それじゃ精々サービスさせてくれよ」
 ヒルダが開いた羊皮の袋に手を突っ込み、カウンターに追加のように金貨を投げつける。その動きが様になっているのは、何故だ? そしてあまりの事に圧倒されている警備隊の面々。警備隊は戦場にも修羅場にも首を挟まないのが原則だから、慣れていないのだろうという事にしておこう。

彼等の名誉のために
そんな名誉もいらないだろうが

「ドロテア、こいつ友人のハイネル」
 エルストはマシューナルで結婚したので故郷の知人は全く招待しなかった。招待しなかったというより、決定してから結婚するまでがあまりにも早かったので誰にも知らせる隙がなかった。やたらと行動力のあるヒルダが『一週間後に結婚式を挙げられるように教会に通達しておきました!』とエルストの前に現れたとき、まだエルストはドロテアにプロポーズをしていなかったくらいだから、当然といえば当然だろう。
「へぇ〜、いるもんだな世の中にゃあ、美人ってやつが。三人も揃ってりゃあ凄くて声も掛けられねえ。……えっと始めまして、ハイネル=イルクアイです」
 まさしく迫力は痛いほどで威圧的であるドロテアを前に、ハイネルは立ち上がって敬礼した。むしろ敬礼する相手はドロテアの後をウロチョロ付いて歩いている自分の職場の最高司令官であるクラウス隊長にするべきなのだろうが、迫力の差だ。人間は本能的に一番強いものにひれ伏すように出来ているのだから。
「ドロテア=ランシェだ、コッチがヒルダ、見てのとおり妹だ」
「始めまして、ハイネルさん」
「こっちがマリア、聖騎士だ。マリア以上の美女はこの世には存在しねえよ、確りと見ておけ」
「私は見られても嬉しくないけれど。始めまして」
「ハイネルさんてフェールセン人ですか?」
「ああ、そうだよ」
「って事は、イルクアイは何かな。大体なんかの意味があるんですよね、エルスト義理兄さんは時計屋さんでしたよね」
「金物だ。別に“屋”はつける必要ねえぞ……まあ付けても構わねえけどよ」
「そうなんだ」
「ハイネル思いっきり高い酒飲んでもいいぜ、あんたの稼ぎじゃあ飲めないようなヤツ。エルスト、奢っておけ」
「遠慮なくいくから」

勢いに飲まれている、店の女を見下ろしながら

「美女? なのあれで。当然ながらドロテアの足元にも及ばないじゃないの」
 悪気はなくドロテアを擁護するマリアに、エルストは苦笑する
「マリアがそう言うと、返す言葉もないな」
 世界一と手放しで称されるマリア。好み好みではないを差し引いても、美しさを否定する人はいない。
「ふむ……何となくオーヴァートさんが帰ってきたがらないのわかるような気がするな」
 意外と辛辣な事を言うヒルダ。素直な分、鋭い。
「ヒルダもヒルダも」
 マリアもヒルダも気はかなり強いのだが
「まあ、適当に遊んで帰ってくるんだな。一応待っているからな」
 一緒にいるのがドロテアなので、そう気付かれないでいるのだ。
「ああ、フェールセン城の南だろう」
「そうだ、それじゃあ邪魔したな」

 ドロテア一行と、お供の警備隊長達は嵐のように店を立去っていった。

 帰り道、マリアが
「まあ、美人って言えば美人だけど物足りないわね」
 多分彼女は自分と同じようなタイプなのだろうと、マリアは感じていた。あの女は容姿はそこそこだが、内面が足りないのだろう。最も内面が満ちている人というのもそうはいないのだが。
「くくくく、まあんなもんだろう。ところでクラウス、さっきから黙り込んでるがどうした? 別に警備隊員が遊んでも黙認だろう?」
「あの人も警備隊員なんだ」
「フェールセン人は大体警備隊だし、ハイネル=イルクアイって言えば確かエルストと同じ部署にいたはずだ。……昔聞いた」
 不意に流れた沈黙の重さを感じ取ったのは、恐らくクラウスだけであろう。

 ハイネルはエルストが辞職する理由となった事件の歯車の一つである。

「いえ、別に大した事では」
 もちろんクラウスも配下が遊んでいる事に関して口を挟むつもりはない。だが、彼には気になる点が一つあった、それは
「例えば傭兵の数が多いことか?」
 ドロテアは笑いながら口にした言葉は、薄暗い街中でも警備体調が心底驚いていることが解る。
「何故それを!?」
「傭兵の数が多い?」
 マリアは辺りを見回すが、既に皇帝の居城付近なので人通りは殆どない。当然傭兵の姿も見当たらない
「どうだ、少し話でもしていくか。聞かれたマズイ話だろう。城は盗聴の心配もないぜ」
 クラウスは頷く。
「隊長、どう言う事ですか?」
「さすがにその年で、警備隊長になっただけの事はあるって事だ、それとも気付かない部下がマヌケってことか。どちらにしろ元々それが気になって俺達と一緒に歩いているんだろう」
 頷いたクラウスを見ながら、ドロテアはチトーが本気で皇帝をこの国に呼び戻そうとしている事を感じとる。
 他国で多少の貢献はしたとはいえ、ドロテア達は所詮よそ者であり、部外者であり、一般人である。そんなドロテア達に簡単に国の問題を告げる筈がない、そんな簡単に他者に問題を口にするような人物では警備隊長などになれるわけがない。
 まして、クラウスは真面目で思慮深く、そして孤独で敵が多い。
 クラウスの性格は悪くはないだろう、ドロテアが僅かな間だが見た分には申し分のない性格だった。
 真面目で品性もあり、理性的な行動とあまり威圧的ではないが、部下よりも確実に一段高いところに立てる風格。だから余計に敵が多いとドロテアは感じた。
 ゴールフェンからの亡命者で、亡命者を多くするための宣伝塔に仕立て上げられている部分がクラウスには大いにある。もちろん実力もあるのだろうが、実力のないものからすれば『亡命者だから出世できた』としか映らず、そして失脚させようと必死になる。
 だからクラウスは口が堅いはずで、簡単に誰彼に思った事は口にしない。だが、ドロテア達、いやドロテアは違う。問いかけられて否定した事が後々本当であった事と判明してしまった場合『ドロテアの気分を害した』事になってしまっては困るのだ。
 あくまでもドロテアの機嫌を損ねないようにしなければならない、それが多分チトーがクラウスに下した命令なのだろうと。その命令の先にあるのは、ギュレネイス皇国に好印象を持たせ、皇帝に対して帰国に対して考えて欲しいと嘆願してくるに違いないと。
『チトーめ……まあ良い』
 ドロテアは城壁を開き、警備隊の面々をも案内した。部屋の中は明かりがついている
「勝手に明るくなるのね」
「施設魔法ってやつさ。中に入った人間の種類と種別を判断して、どれ程の明かりが必要か勝手に計算して灯してくれるのさ。もう少し暗くして欲しい場合なんかは、俺に言えばいいぜ」
「過去の文明って偉大ですね」
 ヒルダは天井の中から発せられる光を興味深げに見上げていた。マリアは馬車の荷から下ろした旅行用の茶器で茶を淹れ始める。
 ドロテアが手甲付きの腕を動かすと、建物の内部に突如人数分の椅子が現れ
「座っていいぜ」
 驚かしつつ席を勧めた。

**********

 当然マリアは茶を三人分しか淹れない、そしてドロテアが壜ごとハチミツ酒を警備隊員に投げつける。仕事中だからと辞退したクラウスだが、
「今は仕事中じゃねえだろ。仕事中に仕事の話しを部外者にする程、テメエはマヌケか?」
 言われ、全員が壜を口に当て酒を飲んだ。
 今から彼らは、職務時間以外。滑稽だがそのような配慮も世の中には必要だ。
「傭兵の数が多いと何か問題でもあるの?」
「大有りだ、マリア。チトー五世に会った時、ヤツは何て言ってたか覚えてるか?」
「え? なんだっけ? あんまり大した事言ってないと思って、ちゃんと聞いてなかったわ」
 マリアも中々言うほうだ。確かに大した事は言っていないが、鍵となる部分があったのだ。
「大規模なバザールですよ、マリアさん。ギュレネイス皇国のバザールは有名ですからね、規模の大きさで」
「バザールと傭兵に何の関係があるの?」
「バザールってのは、場所などを役所の届けて許可を貰うんだ。当然店の数は決ってる」
「それが?」
「バザール目当てに近隣から人が来るだろう、そうすると都市の人口……要するに人は一気に増える。馬車にも教会にも定員がるように都市にも定数がある。都市で抱えきれる人間の数には限界がある。それを超えると、飲み水などの関係で即座に疫病などが発生する。バザールの期間中にそんなものが発生したら経済効果……要するにバザールは中止になる」
「成る程、それで傭兵はどう言う事?」
「この国は軍隊を持ってないって前に言ったよな、軍隊が無いが戦争はする。その戦争を担ってるのが傭兵だ。当然傭兵なんてのは、都市に長らく居座りはしない。人が大勢集まる場合は解雇する、それで人数を調整するんだ。浮動人数は絶えず調整するだろう、特に戦争をしている国は。道端で寝られていたりするとソレこそ治安の問題もある、何せヤツラは血気盛んだから戦場よろしく、婦女暴行なんぞアタリマエのようにしやがる」
「治安が悪くなるって事ね」
 マリアはフムフムと頷き、ドロテアの話に聞き入っていた。
「それに昔、傭兵が買収されていてギュレネイスが危機陥った事がある。その結果、警備隊が組織されたんだ」
 それ以後戦争を指揮し、国内の治安維持を受け持つ事になった、司祭直轄の武装集団、それが警備隊である。
「あまり多数の傭兵が首都にいるのは好ましくないんですね、姉さん。首都の警備にあたらせるにしても、何かあった場合を考えて、警備隊で鎮圧できる程度の数くらいが良い訳ですね」
「そうだ、ヒルダ。それに今のイシリアに此処まで攻め込む力はないから、傭兵を首都に配置する必要もない警備隊で十分だ、万が一を考えて傭兵を置いているにしてもおかしい。さっき街中で見た傭兵達は明らかに数が多すぎる。特に飲み屋のあたりには、信じられない程多数の傭兵がいた。まさかヤツラがバザールに出店する訳でも、バザールを楽しみにしにきている訳でもあるまい。まあそんな傭兵もごく僅かにいるかも知れないが、傭兵自体そう金のめぐりが良い訳じゃない、バザールなんぞ開かれる時は首都では稼ぎ時だから、物価が上昇する。そうなれば、首都に態々来る余裕のあるヤツはいない筈だ」
 傭兵など、大して金回りのいい職業ではない。金がないから命を懸けて傭兵をするのだ。
「言われてみれば、通り道で普通の人一人に対して、傭兵は五人くらいの割合でしたね。ぱっと見て解るだけでも」
「この国で雇った傭兵でなければ、後一つ考えられるのはイシリアしかあるまい。他国が突然ギュレネイスに宣戦布告するとも思えないしな。セツの野郎ならそれもあるだろうが、アレクスがそんな事を許可するとは思えん。余程の理由……があれば別だ“ハイロニア群島王国とギュレネイス皇国がバルガルツ大洋の海洋権を争って戦争になった“くらいだろうな、セツ率いるエド法国が参戦してくる理由なんてのは。それに今の所は表面上じゃあ友好だろう? 互いに、”女と男を公然と囲ってやがる司祭め! 少し顔を選んだらどうだ?“と、”男だってばれてるんだから、男と名乗りやがれ。それとも女装癖でもあるのか枢機卿?“って仲悪いとしても、それは個人的な見解だろうからな。セツがチトーのように男を抱いているかどうかまでは俺は知らんが、聞いておいてやろうかクラウス?」

「…………………………」

 ハチミツ酒の壜を持った手が、力なく下がる彼等に何を言ってやればいいのだろう?
「姉さん、警備隊の方々が困り果ててますよ。特に警備隊長さんは最早虫の息です。私が見る分では“虫のほうが未だマシかもしれませんよ”な状態ですけど」
「知った事か。困ってるって事は、正解してるわけだな、セツに関しては……まあアイツも大変だよな、性別不詳が大前提なのにアレじゃあよぉ。まあ個人的な見解と体格と性癖はともかく、エド法国がイシリア教国と国交を結んだが、ギュレネイス皇国とも国としては取り敢えず友好だな現在は」
「はいそうです」
 エド法国はイシリア教国と国交を結んではいるが、それを理由にギュレネイス皇国が敵対するわけでもない。何せ、エド法国は絶大な力を大陸に所持している。ただ、チトー五世はいずれはエド法国に成り代わり、大陸第一の国になりたいと画策している。
 それを尽く阻んでいるのが最高枢機卿・セツであり、この二人の仲は当然ながら悪い。そして今ドロテアが述べた理由もある、海洋利権はエド法国が握っており、海賊達もエド法国の船は襲わない。が、他国の船は襲われてしまうのだ。
 それを苦々しく思っているのだが、中々決定打が打てないでいる。
 だが、それは戦争に到ってはいない。チトー五世もセツ枢機卿も無駄な浪費はしないのを第一に考えているから、余程のことが無い限り、自ら宣戦布告などすることはない。


 因みに両者の共通点は、別れた女は追わないのが主義くらいだ……って聖職者だろう、アンタラ……


「ギュレネイスの敵対国としてはイシリアしか当然思い浮かばないが、おかしいな」
「ですがあの国にこれ程多数の傭兵を雇う力があるとも思えないので、些か奇妙に思った訳です」
 首都に入ってくる人間の職種と数は書類に纏められ、届けられる。慣例的なモノで、さほど誰も重要視はしないしクラウスが見るような書類でもない。だが、クラウスは若干の違和感を感じ、書類を取り寄せ、そして一人で計算していたのだ。そして算出の結果、既に傭兵の数は警備隊で制圧できるか出来ないかのギリギリまで流入していた。
 ドロテアが言ったように嘗て傭兵が買収されて危機に陥った時は、傭兵は一般人の姿をして首都に入ってきていた。もしも今回も同じ行動を取られていれば、既に警備隊では鎮圧しきれないほどの数が首都に存在している事になる。
 だがそれはあくまでクラウスの一存であって、確証がない。首都に入場制限を設けるのは簡単だが、バザー期間は非常に難しい。確証があれば、チトー五世に傭兵の流入を止めるように進言できるのだが。
「イシリアの動向には目を光らせているんだろう? 弱体化したとはいえ」
「はい」
「まずきちんと書類に目を通したらどうだ? 内部犯の疑いから潰したら」
「内部犯って?」
「ギュレネイス転覆を狙うやつが役人に、例えば傭兵に資金を払う部署にでもいたら、国家の金で転覆を狙える。理由なんぞ後で探せばいい」
「傭兵って前金でしたよね、姉さん」
「そうだ、戦争に行けば死ぬ可能性があるからな。だからどんなに誤魔化しても、払った分は見つかるだろう」
「そうですね、まず内部犯を洗ってみます」
「あとイシリアをも疑ったほうがいいな。例え国力が衰えたとはいえ、それ自体が偽装って事もあるかもしれない。まあ首都に立ち寄った時に感じたとこじゃ、そんな事もないような気もしたが」
「あの、ゴールフェンはどんな……」
 クラウスが故郷の現状を尋ねようとした時、陽気な声が酒の臭いと共に訪れた
「ただいま! ドロテア! マリア! ヒルダ!」
「お帰りなさい、エルスト義理兄さん! お水飲みます?」
「ありがとう、ヒルダ。ところで如何したんだ、クラウス?」
 頬が少し赤くなっているエルストは、陽気に訪ねる。
「いや、少々疑問に答えていただいていた所だ。やましい事は何一つしていないぞ!」
 今の今までドロテア達の勢いに押されていたのだが、よくよく考えれば夜半に夫が外出中の家に別の男が訪れているというのは、大騒ぎになっても仕方ない場面である。だが
「エルスト。飲み屋に随分と傭兵が多くはなかったか?」
ドロテアもエルストも全く気にしていない。
「そう言えばそうだな……戦争前ならあれ程いる事もあるけれど、バザール前にあれ程いるとは変だな」
 戦争前は金回りがいい、だがバザール前は治安維持に躍起となるので戦争は起こさない。遠くからの客を呼び寄せる為にも、戦争など起こしていられないのだ。そして、そうなれば傭兵は金回りが悪いはずだ。
「明日も行って、少し探ってこい。ここの隊長さんじゃあ探れるものも探れまい、あと一緒にいたハイネルも連れて行かせろ、久しぶりだから案内役も欲しいところだ、いいなクラウス」
「了解いたしました。そのように通達しておきます」
「解った。ハイネルと一緒に少し聞いてみよう。そうそう明日あたりからバザールの店が準備はじめるから、見に行こうなドロテア」
「ああ。確かここは菫の砂糖漬けが美味しかったな。まずその店から」
「あいよ! それじゃ」
「それでは」
 クラウス以下部下三名は敬礼すると、フェールセン城を後にした。

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「楽しそうですね、エルスト」
「まああれ程美女に囲まれて、そのうち一人が妻だった日には俺でも楽しいよ」
 性格は怖いが、それでも我慢できる範囲である。兎に角三人は恐ろしいほどに美しいのだ。
「頭も切れる。私の記憶が正しければあの妻は大陸薬学者だ」
 エルストの死んだ両親が自慢していた。だが、それが嘘ではないのはすぐに解る。エルストの両親が安堵して直に死んだのが解る程。そして私も安堵した、少しは心の中で悪い事をしたと思ってはいたが、姉など足元にも及ばぬ女と幸せになったなら。
「大陸薬学者ってあの難関ですか?」
 890万余もの薬草を覚え、それを症状に合わせて的確に調合する。
「普通王宮務めとかですよね?」
「ああ、全大陸に二十人しかいない、その中でも最年少だった筈だ。王宮務めではなく確か王学府で講義を任されていたそうだ。そして名字を得たランシェを。私のヒューダの遥かに上をいく名字だ」
 美人だと学者が口を揃えて言っていた、さすがオーヴァート卿が金を惜しまないだけの事はあると。
 その才能も。
「ひいぃ……他の国には恐ろしい程頭の切れる女がいるんですな」
「まあそうだろう。この国にいるとあまりピンとこないが……法王猊下も実は女だとか聞くしな」
 その噂は嘘だ、クラウス隊長
「なんかそんな噂聞きますねえ。慈悲深く賢い女だって」
 男だって、アレクサンドロスは!

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「くしゅ!」
「冷えたのかアレクス」
「風に当たりすぎたかな」
「ほら、羽織ってろ」
「大丈夫だよセツ」
「人の心配をするくらいなら、自分の体調をもきちんと管理しろ」
「はい。セツって……」
「なんだ?」
「何かお父さんみたい」
「俺は一歳の時に女を孕ませた記憶はない。一歳だったら記憶もないだろうがな」
「そう言う意味じゃなくて」
「そのくらいは解っている。ならば父の意見を聞いて、とっとと休め。あとの仕事は俺がやっておく」
「年上風吹かせて!」
「実際年上だ」


エド法国はただ今明らかに平和なようだ
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