ビルトニアの女
赤い川は海に還りその花は散るのみだと【5】
 姉さんは綺麗です。
 他の誰よりも綺麗でそして怖い。怖くて困るかも知れないけれど、姉さんが怖くて困るなら遠ざかればいいだけです。姉さんは追ってきはしない。
 人間関係は希薄で、両親が心配していたほど。その両親とも関係は希薄だった……嫌いではないけれど、積極的に両親と関係を持とうとしなかった。
 逆か……積極的に両親との関係を絶とうとしていたのかもしれない。良し悪しではなくて人の考え方による部分であって口を出せなかった。
 なんと言うのかな、育ててもらった恩などという問題じゃない。考え方が嫌いなのだから仕方ないのかも知れない……恩とか義理とかそういうものじゃないんですね。

死んだ子が生まれ変わってきた
それは愚か者の発言だ
目の前にいる人間の人格を無視している
悲しいから、そう思わせてくれないなんてなんて冷たい
そうか?
ならば目の前にいる人間の人格はどうでもいいのか?
お前の背後にいる、確かに存在している死んだものを無視していいのか?
お前だけが悲しくて、お前だけが救われる

子供というのはそんな存在なのか?
ならば俺はお前達と縁を切る
お前達を慰める為に生きているのではない

私は私のために生きているのだ

恩知らずだろうが構いはしない、言いたいように言えば良い

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 朝食は残っていた馬車の中の材料で済ませ、ドロテア達は出かけることにした
「それじゃあ洗濯行ってきます!」
ヒルダをのぞいて。
「俺たちは先にいってるからな」
「はい!」
「手伝わなくていいの、ヒルダ?」
マリアが手伝おうとするも
「大丈夫です、このくらいなら直に洗い終わっちゃいますから! そしたら探しに向かいますから!」
 普通はどこかで待ち合わせなどをするものだが、ヒルダがドロテアを探すのは至極簡単だった。『こういう顔の人見ませんでしたか。あともう一人黒髪の美女が一緒で』と尋ねれば簡単に答えが返ってくる為に。一緒に居るエルストはどうなんだ? と聞かれても、大体の人は気付いていない。洗濯籠を持ってかけてゆくヒルダの後姿に、目を細めながらマリアが呟く
「本当に洗濯好きね、ヒルダ」
「まあ……あんなに好きだと、聖職者やらせるより洗濯女にでもしたほうが良かったのか? と一瞬考えるな」
「本当だよ、司祭の服きて洗濯場にいるなんてヒルダくらいのもんだろう……。ま、まずは街中を案内するよ二人とも」
 くどいようだがエド正教の司祭は偉い。小さくなってゆく後姿を見送りながら三人は、笑顔を浮かべていた。

**********

 私と姉さんはよく似ているのです。顔を見るとだいぶ雰囲気が違うとか言われますが、後姿はそっくりだと。
 ”お前はマヌケ顔だから似てねえんだよ”と、言われます。あの雰囲気は中々身につくものではないと、他の人はいいます。言われなくても自分自身そう思っています。
「これ乾かしに戻って終わり!」
 絞った衣類の山を前に、独り呟いて上半身を起こす。籠に洗濯物を乗せて帰って乾かそうとしたら、見慣れない格好の人たちが走ってきて……
「ん?」
 妙に親しげです。
「俺だよ俺、覚えてるだろう」
「?」
「ドロテア、俺たちだよ!」

嗚呼……

 姉さんの昔を知る人は、私の顔を見ても間違うのです。
 それはとりもなおさず、私の今の表情と昔の姉さんの表情が似ていた事を示すのでしょうねえ
「マヌケ顔だったんですか……なんて聞いたら怒るでしょうが」
 彼等の困った顔に、軽く祈りを捧げて。
「コレを乾かすまで待っていただけますか? そしたら其方の舞踏団のほうへ案内していただきたいのですが、宜しいですか」
 彼らは頷きました。

姉さんは昔どんな表情をしていたのでしょう?

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 本格的な店開きは明日の開幕のセレモニーで始まるのだが、商魂たくましい彼等は今から細かい物を売り、店の宣伝に余念がない。
 商魂たくましい彼等は、人を利用する方法も長けてる。たとえば、自信のある商品を無料配布。噂で人々に店を知ってもらうという利点、それをもっと派手にしたい場合はこうなる
「そこの綺麗なお姉さん、これ食べていかないかい」
 目立つ人物に店の商品を持たせる、これに限る。勇気のある、商魂たくましいドライフルーツ店の店主は、マリアに声をかけた。そう、当人はマリア一人に声をかけたつもりであった。
 彼の目にはマリアとその隣に居る背の高いエルストしか見えなかった、まさかエルストの体に隠れた向こう側にドロテアが居るなどとは思いもしなかった。
「客引きか」
 “綺麗なお姉さん”と声をかけられたのだからドロテアが応じてもなんら問題はない、ちょっと迫力上問題があるだろうが。
「どいつを食って歩いて欲しいんだ? 包み紙にお前の名前でも記入しておけよ」
「えっと……」
「おや? 俺は綺麗なお姉さんじゃねえのか?」
「そんなことは御座いません」
「お前が売りたい商品が何かは知らんが、俺が食いたいのはサンザシだ。マリアは?」
「アプリコットね」
「ヒルダはなつめが好きだ。以上のものを紙袋に即刻包め、食いながら歩いてやる。本来なら金取るところだが大量に包めば良しとしてやろう。どうした店主?」
 このように、声をかける人を間違うと非常に大変な事にはなるものの、それでも宣伝効果は絶大だ。
 エルストが抱える程大きな紙袋に、サンザシ六割・アプリコット二割・なつめも二割がギチギチに詰め込まれていて、とても重い。そのドライフルーツ詰紙袋を持っているエルストの腰には、先ほどの店主が「お兄さん好きなのなんですか……オマケしますよ」と、妙に優しく言ってクコの実を入れた子袋を提げてくれた。
 その後、エルストの案内で目当ての砂糖菓子を扱っている店に足を運び、菓子を買い再び道を歩き出始めた歩く広告塔二人と、荷物持ち一人。
「そういえば、今日の見回りはどうなったの、エルストと昔馴染みの人の」
 マリアが手を払いながらエルストに尋ねると
「まだ時間が早いから。昼過ぎには帰宅してるだろうけどね」
 エルストは腕を鍛えるかのごとく、紙袋を持って二人の後ろをついている。バザール開始前とはいえ、人は多く、雑踏の中重い荷物を持ったエルストが避けながら歩くのは大変そうだが、実はそうでもない。
 前を歩いているドロテアが睨むので、大体の人が避ける為に。意図しているのか? それとも無意識なのか? やってる人がやってる人なだけに意図的だろうとしか感じられないが。
 そんな道の歩きやすさと反比例して、商店の客引きに商品を渡されるのに嫌気が差したドロテアは、売り物の店舗が並ぶ場所ではなく、踊りや歌をみせる旅芸人達が大小の舞台天幕を並べている筈である一角に進むよう、エルストに道案内をさせる。
 商店の場所は一定で全く変わらない為、記憶を手繰ってエルスト先頭に立ち案内する。段々と呼び込みの声は遠ざかり、語り口や笛の音、弦楽器をかき鳴らす音などが響き渡る広場に到着した。
「あそこのテントから出てくる人、何かアナタと雰囲気似ているわね………ドロテア手袋したまま砂糖菓子食べるのやめなさいよ。またヒルダが手袋洗うわよ」
「いいんだよ、あいつ洗濯好きなんだから」
 マリアが言いながら指をさした方向には、他の天幕とは違う雰囲気を持った人々が多数いた。雰囲気が違うというよりは、見慣れない人々、マリアにとって。この旅で、結構な土地を行き来したマリアが見慣れない、そしてドロテアに似ているとなれば、
「舞踊団だ。ああ似ているはずだ、トルトリア人の集団だ。トルトリア人は舞踏が得意だったよな? ドロテア」
「人によりけりだ、下手な奴も大勢居たぜ」
「そりゃそうだろうが、一般的にさ」
「そういうかも知れねえな……どれ、冷やかしにでも行ってみるかベルーゼ……だろな」
 ドロテアは手についた砂糖を軽く払い、まだ準備で忙しいく走り回っている舞踏団の団員の間を縫って、天幕の入り口の布払いのけて中に入る。。
「まだで……」
 入り口付近にいた少女が、ドロテア達の姿を見て当然静止の声を上げるが、それを無視してドロテアは舞台脇で指示を出している男に、歩きながら声をかける。
「よお! 年食ったなお互いに」
ドロテアが目の前に立った時、中年の男性は探るような表情を浮かべた。
「座長知り合いですか?」
 周りにいた団員が座長に声をかける。二十二年前に出会ったことがある筈の少女を思い出すのは、そう簡単な事ではない。だが、思い出せない相手でもない。少し考え、そして彼は目を大きく開き、大きく声を上げた。
「えっ……おおっ! ドロテアか? 無事に生きていたんだな!」
 二十二年経ったとしても、再会は嬉しさを沸きあがらせる。座長の笑顔と、
「死んで態々お前に会いに来るわけねえだろ」
ドロテアの笑いを浮かべた表情
「こちらの美しい婦人は?」
「マリアだ。迂闊に手出したら殴り殺されるぞ、聖騎士だ」
「マリアです。初めまして」
「こちらこそ。この一座の座長・ベルーセです。そちらの男性は?」
「俺の夫だよ、エルスト=ビルトニア」
「エルストです」
「座長、座長、もしかしてあの噂の勇者様なんじゃないんですか?」
「オマエかドロテア?」
「何だ、吸血鬼ぶちのめした話しか?」
「ああ」
「俺だ」
「そう言えば四人だって聞いてたが、後の一人は?」

「俺の妹のヒルダだ。何せ二人姉妹なんでな。大事な大事なたった一人の使いっパシリの妹よ」

「……そ……そうか。オマエに似て美人か?」
 声が詰まった座長に、多くの周りを取り囲んでいた団員は何も感じなかったが、マリアは引っかかるものを感じた。そしてマリアはエルストの表情を盗み見ようとしたのだが、気付かれていたらしく何時ものやる気のない笑いを浮かべた顔と、感情を読み取れない瞳にぶつかり、あきらめる。エルストから感情を読み取るのは並大抵の事ではない、マリアは旅をしてそれを知った。
 エルストという男の感情は屈折とかではなく、元々入り組んだ不思議なつくりをしているに違いない、そうマリアは感じとった。そんなエルストとマリアの僅かな視線の交差の中、ドロテアは話を続ける。
「そっくりだが、ボケだ」
 至極当然とばかりに実妹を評する言葉、その背後から
「うわああ、ヒドイですよ姉さん! 当人のいない所で、それ悪口ですよ」
「ああ? テメエがいても俺は言ってるだろうが?」
「そなんだけどさ、初めましてドロテアの妹、ヒルデガルド=ランシェです」
 偉そうな司祭服をまとって現れた「座長の知り合いではないドロテア」に、座長は僅かに驚いたようだったが、直に笑みが表情に戻り質問を続ける。
「そう言えばランシェって名乗ってるんだってな、ドロテアも?」
「当たり前だ、俺がランシェの当主だ」
「そうかい……。で、お前らこっちの妹の方に道端で声かけたのか?」
「俺たち……間違ってさ」
ヒルダに声をかけたときの元気さはなりを潜めて、大きな体躯を縮めながら二人は答える。
「よお、シルダにバリスハ元気そうでなによりだな」

「本当にそっくりだな、お前たち……はさ」
「吃驚しただろ?」

 悪戯心か何かを浮かべたその目元に、シルダもバリスハもそして座長も無言のまま頷く。
「因みに男性がドロテアの亭主で、女性が聖騎士様だ」
「こんにちは」
 少しばかり元気さが戻ってきた彼等は、ドロテアの知り合いである団員を集めるから、話をしていくように頼んだ。ドロテアも手元に販売促進用商品があるので、それを振舞う事に決め、シルダとバリスハに全員集めてくるように命じた。

「座長さんの前なのにね」
「今に始まった事じゃないしね」

それは何時もの事だ。
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