ビルトニアの女
赤い川は海に還りその花は散るのみだと【3】

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「機嫌を損ねぬようにな」
「かしこまりました、閣下」
「相当気が強く、頭も良いそうだ。適当にあしらうなどという真似はせぬように」
「はい」

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「うわぁぁぁぁ!! お城ですよ!! 凄いですよマリアさん!!」
「スゲエだろう」
「……こんな豪華な城を築いた王朝でも滅ぶんだ……」
「哲学者だな、マリア」
「そうかしら……背後の警備隊のマヌケ顔に比べればね」
「くくく、そうかもな。まあ滅んだというより滅ぼしたんだがな皇帝自身が……ところで驚いたか、城の壮麗さに」
「は、はい……あの何か入り様なものは御座いませんか?」
「そうだな……飯屋か。今日くらいは外に食いに行こう」
「あと、洗濯場も教えてください、クラウス隊長殿」
「クラウスで結構です。洗濯などをする者を手配しますが?」
 普通の司祭は洗濯などしないだろう……と思うのだが、他の二人を見ればマリアはまだ洗濯もしそうだが、ドロテアはまるでしなさそうに見える。
「いらねえよ。我が家の洗濯要員ヒルダ!」
「はい!!」
 真っ直ぐ天を突くように手を上げるヒルダに、笑いながらマリアが言う
「でも司祭なのよね」
「ハイ!!」
 もう片方の手も上げて、なんかとっても親しみやすそうな司祭は笑っていた。
 白地に錦糸をふんだんに使った刺繍と、青の入った部分の多い司祭服を着て、長めのウィンブルに金で出来たバンドをしている若き司祭は、洗濯好きだ。
 ギュレネイスの警備隊長は怪訝な顔しか出来ないが。因みにギュレネイスの警備隊は聖職者の一つであるゆえに、独特の格好になる。
 白いハイカラーに胸元も白く黒で聖痕が象られ、腕はピッタリとした黒い布で覆われ、腰から下が聖職者風の長いスカートのような服。無論、基本的に騎馬隊編成なのでその下にはズボンが着用されている。警備隊の階級は二の腕の部分に腕輪の紋章により見分ける。
 全体的に見ると、ドロテアの格好とよく似ている。
 夕食に出かける準備をイソイソと始めるヒルダの姿を、黙って眺めているドロテアとマリア。
「全く末は枢機卿とか言われている聖職者を顎で使うのね、アナタは」
 マリアが笑いながら、セツ枢機卿の漏らしていた言葉をドロテアに言うと
「ヒルダで枢機卿か?」
 ドロテアは苦笑するしかなかった。
「アナタなんか、今すぐ枢機卿にしてもいいって法王が言ってたじゃない」
「向きかね?」
「ある意味向きね。セツ枢機卿と腹の探り合いとか」
「そりゃどうも。ヤツと腹の探りあいの毎日か……悪くは無いな」
 事有る事に喧嘩してそうだよ、それじゃあ。

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その頃エド法国。
「セツどうした?」
「いや……今物凄く……寒気が」
「具合が悪いの?」
「違う、気にするなアレクス」
「誰か、セツを部屋に。疲れているんだよ、休まなきゃ! 誰かセツを部屋へ!」
『いや、なんかこう……殺意以上の恐怖が氷となって背筋を滑り落ちた気配を感じただけなのだが』

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 誰が高級店でメシ食うんだよ、もっと砕けた場所でいいんだよ。ああ? 高級な食事なんざオーヴァートの所で食い飽きてるぜ? それ以上だっていうなら別だがよ。
 クラウスが案内しようと店をすげなく否定して、ドロテア達は評判の良い料金も良心的な店に足を運んだ。店内は清潔で客層も悪くは無い。だが
「味薄……」
 ここは宗教国家である。よって味がバカに薄い。
「仕方ないじゃないですか、姉さん」
 神学校の寮内の食事を食べて過ごしたヒルダには我慢できる範囲だが、ドロテアには我慢がならないというか水っぽいモノを口に運んでいるとしか思えない。
「何でこう……ぼやけた味なんだ?」
 素材の味がわかるとかいうのではなく、味が水っぽいのだ。素材ならば素材だけを出して欲しいものなのだが、何故か宗教国家は煮る。他国では普通に生で食するものまで煮るのだ、何でも生食は生命がまだ残っているとかなんとかで嫌われる。
 実はそれがいつぞやの法王がナマモノが嫌いだった我儘から学者に作らせたた決まりなのだが、いまだそのままになっている。
「まあまあ」
 店で、唯でさえ悪目立ちしているのに、声を低くする事なく味に文句をつけるドロテアと、宥めるマリアと、気にしないヒルダ。そして成り行きご一行様と共に、食事を進めてドロテアの一言。
「所で、隊長職ってのはヒマなのか? 別に夕飯まで付き合わなくてもいいんだぞ? オマケにテメエ俺たちの勘定も持つ気だろ、国費で。全く無駄な事に金使いやがって、だからといって俺が食わなくなるわけでもないが」
 そういいながら、調味料を持ってくるように近くにいるウェイターに声をかける。
「あ、はあ……」
 勘定を持つ事にされた警備隊長は、歯切れも悪くそして小食だった。目の前にいるドロテアとヒルダが健啖家なのだろうけれども。そのヒルダは姉の言葉に
「折角だから、いいじゃないですか。偉い人の仕事って食事とか観劇とか視察とか、そんなものばっかりじゃないですか!」
 笑顔のエド司祭は、痛い所を抉るように突く。その言葉に笑いを浮かべ、グラスに手をかけたドロテアが視線を止め、手を動かす。
「どうしたのドロテア?」
 良くは解らないが、ドロテアが人差し指と顎の動きで誰かをよんだのは解る。相変わらずな態度だ。よばれた男は小走りにドロテアのテーブルに近寄り
「呼びましたか、エルストの奥方様殿。うおっ!! 警備隊長様!!!」
 “奥方様殿”っておかしい呼び名だ、とヒルダは思ったが食事に忙しいので無視した。おかしい呼ばれ方をしたドロテアも全く気にせずに話を続ける。
「取って食いはしねえよな、クラウス?」
「はい」
「奥方様殿、警備隊隊長様を呼び捨てですか?」
 三度くらい吃驚するはめになったらしい。
「ああ? 俺は法王だって呼び捨てだ」
「呼び捨てじゃなくて、威圧的……」
 皿の上が偶々空になっていたので、ついつい口を挟んでしまったヒルダは不運だった。
「なーんだ、ヒルダ?所でキャステロとか言ったな、一つ聞くが」
 ヒルダの頬をグイグイ引っ張りながら、昨晩一応助けてやった男にモノを尋ねる。最早尋ねるというより、尋問しているようにも見えるが
「何でございやしょ?」
 頬をやっと放され、撫でているヒルダと向き直りテーブルに肘を置きキャステロを見据えたドロテアの口からでた言葉
「エルストの行き付けだった“空の女神”とか言う飲み屋何処だ?」
「ぶっ!!」
 相当に礼儀正しいであろう警備隊長が、貴賓(ドロテア達の事)と食卓を囲んでいながら、口から水を吐き出した。幸いにもクラウスの口から吹き出たのは水であった、職務中なので酒を口に運ばない真面目さから水を飲んでいたのだ。
 これが赤ワインなどだったら被害はもっと酷かっただろう、クラウスの鼻腔が酒責めにあうはめになったに違いない。
「隊長!! 大丈夫ですか?」
 一緒にテーブルを囲んでいた部下が近寄り、店員にタオルを持って来るように指示する。あらぬ場所に水が入って、咳が止まらない中
『あの男は一体な……にを』
 一人クラウスは、何故か焦っていた。勿論部下達も、その店が何の店なのかは直に解ったが隊長のクラウス程、エルストと付き合いが無い分冷静だ。
 最も、妻の口から出るような店名ではないが、この女なら口にしてもおかしくはないような……とドロテアの言動に自分たちの常識は通用しない事だけは理解したようだった。
「えっと……そこの警備隊長様も知ってらっしゃると思いやすぜ」
 小盗賊も答えるのは憚られ、近場にいるエライ人に全てを押し付ける。
「そうか、ありがとよ。まあ、コレでも受け取れ」
 小銭を渡すと、キャステロは両手で受け取り深くお辞儀して戻っていく。昨晩のドロテアも怖かったようだ。まあ、当然だ
「何か隊長さんがむせてらっしゃるけど、何で?」
 その手の店に疎いヒルダが、怪訝な顔をしてクラウスを見つめる。
「あー? 何で隊長がむせてんのかは知らねえが、ここの酒飲む所は変わっててな女がたくさん居るんだ」
「へえ、華やかでいいですね。綺麗な女の人がたくさんいるんでしょうね」
 相変わらずナイスボケだ、ヒルダ。
「着飾って厚化粧したヤツがいるな、確かに」
 鮭のテリーヌだとか、コンソメゼリー寄せだとか顎が退化しそうな料理を、ヒルダはまだ食べていた。スプーンを持ちながら、興味津々とばかりに聞き続ける。
「ギュレネイスでは一応娼館は禁止だから娼館はないが、この酒を飲む場所で意気投合したらそうなるんだよ。それ専門の宿もある一時間幾らみたいな。勿論エルストは独身だし遊び好きだから出入りするだろう。当然懇ろな女も居た、グラーニャとか言う商売女の中じゃ一番の美人所だそうだ。因みに普通の町人で一番綺麗だったのはクララだったとか。遊び倒していたらしい」
 エルスト、正しく独身貴族さながらの状態であったらしい。いや今でも大して変わっていないか。
「ごふっ!!」
 クラウスはエルストと正反対の性格のようだ。
「隊長!!」
「隊長さん死にかかってますよ」
 宿に行って何をするのか? までは全く理解していないヒルダは、どうしてそこまでクラウスが慌てるのか見当もつかないでいる。実際ヒルダは、娼館で何をするのか? もよく解っていないのが実情なのだ。何となく楽しい事をしているらしいのだが、女性は楽しくもないらしいと、不思議な職業だなあと。
 そもそも世の中が悪いのだ、隠語などを使い主軸をぼかされると、知識のないモノは全く理解できない。隠語を理解できるくらいになれば、最早隠語など必要ないほどソレを知っているのだから。そんな事を言ってもこの場合仕方ないが。
 ヒルダの娼館の知識は「男と女が淫らな行為をする」という漠然としすぎている知識である。“淫ら”というのが具体的にナニをさすのか? 全く誰も教えてはくれないのが実情だ、ドロテアあたりに聞けば必要ないほど詳細に教えてくれるだろうが聞いてはいない、それは本能と神が命じているに違いないだろう。
「そのくらいじゃ死なねえよ。その程度で死んでたら警備隊長務まらんだろうが」
 いや、精神的にかなりのダメージだと思われる。
 マリアが可哀想に警備隊長を見た後、“まあどうでもいいわ”とドロテアと話を続ける。マリアは根本的に男嫌いだ。どれ程の美形であっても殆ど興味を示さない、どうやらクラウスもマリアの興味の対象外だったようである。
「何となく警備隊長が死にかかっている理由、私は解るけど。それはさておいて、そこに何か用なの?」
 普通はそんな場所に用事はないだろうが、何せ相手はドロテアである。が、今回はドロテアではなく
「エルストのヤロウ、ツケ残したまま国を出て来たそうだ」
 エルストのエルストたる所以であろう。マリアは目を閉じ、額に人差し指をあて頷いた
「あの人らしいわ。ツケを払いにいってあげようって訳ね」
「そうですね、金銭はしっかりとしておかないと」
 聖職者となっても金貸しの娘は娘である以上、確りと頷く。
「そう言う訳だ。何そんなに顔真っ赤にしてむせてんだ、クラウス?」
「いえ……その……姉の事やそのグラーニャとかの事は当人から?」
「当たり前だろうが、他に誰から聞くんだよ。俺はギュレネイスの学者とは肌が合わないからな」
 本当に『当たり前』と言った顔で答えるドロテアに
「そ、その……」
 困った表情を隠さないクラウス。そして
「でもエルストってアレで意外に美人受けするわよね」
 ふと思い出したように、マリアが話し始めた。
「そうなんですか?」
 ヒルダが興味深そうにマリアを見つめる。その視線に、マリアが指折り数え始めた。
「そうよ、まず筆頭がドロテアでしょう。後マシューナルのカジノにいた女ディーラー・ミネルヴァ。この女もカジノ一の美女だったわ。唯エルストを賭けてドロテアと勝負して負けて去っていったけど」
 オレンジ色をした豊かな巻き毛と黒く強い光を放つ瞳、そして濃い紅をさして腕も確かだったミネルヴァ。マリアが後日聞いた所によると、エルストの事を最初は遊びだと『私は貴方程度の男に束縛される女じゃないの』と言っていた、当然エルストも大人だったので本気にはならなかった。それでも、機会があれば寝たのだと。
 が、エルストはドロテアと知り合ってからミネルヴァの方から足が遠のき、それに我慢できなくなったミネルヴァ。その結果
「エルストを賭けてですか!?」
 となった訳である。
 この時点ではドロテアはエルストと何の関係もなかったのだが、挑まれた勝負は受けて立つのがドロテアの身上だ。特に男がらみの場合、意地でも勝つのがドロテアである。世の中女の名誉のために言われなきことでも勝負を受ける男は結構いるが、逆は中々いないもので目立つ。
「そう言えばそんな事もあったな。あの女この俺に勝てるとでも思ったんだろうが、甘く見るなよ学者を」
 学者云々以前に、ドロテアと勝負をするとは度胸のある女と言えよう無謀でもあるが。おまけに賭けたモノがエルスト、一体何があったのだろう?というか、あの男の何処にそれほどの価値があったのだろうか? コレはコレで謎である。
 まあ、当人達にしか解らない、何かがあるのだろうと、食卓を囲んでいる警備隊の誰もが自分自身に言い聞かせた。詳細など思いあたるはずもない。
「他には誰がいたの? 姉さんは知ってますか?」
 姉の昔の男は、ポロポロ出てくるが義理兄の浮いた噂を聞いたのは、ヒルダは初めてである。
 因みにヒルダが始めてドロテアの元を訪れたのは、まだ神学校時代の頃の話だが既にエルストはドロテアのモノだ、と誰もが認識をしていた頃なので噂の一つもヒルダの耳には入らなかった。
 ドロテアの男に手を出そうという、無謀にして無駄に気概のある女は既に残っていなかったのだろう。別に、身の危険を冒してまで気を引くほどの男ではないのかも……しれない。ヒルダに尋ねられ、ドロテアは目を瞑り顎に手を当てて
「花屋の看板娘・メリッサ、中々可愛らしい顔をしていたな。あの花屋で俺に贈る花束をかったんだよなエルストのヤツ。そしてちょっと顔は落ちるが気立てのいい、エルストが下宿していた宿の娘・オレアそして、ヴォンペル家知ってるか?名家だが」
 話をふられたクラウスは頷いた
「し、っしっておりますが……」
 ヴォンペル家は、大陸でも名家として名高いロートリアス家と並んでも遜色ない家柄である。
「そこの一人娘ホリン、一人娘だから諦めさせられてたな。そしてヤツを贔屓にしていた最高級娼婦・ヴァルキリアとか。娼婦の顔なじみは多かったな、リザとか……これも綺麗だなイノダ館の一番だし、ロベルタもルミナス館の一番だし……それなりに綺麗だったよな」
 何故そんなに娼婦に詳しいんだ、ドロテア?
「エルストを贔屓?」
 ヴォンペル家のホリン嬢も、高級娼婦ヴァルキリアも他国には知れている女だ。前者は地位のある人に、後者は相当広範囲に。
「おうよ、高級娼婦は客選ぶからな。本来ならエルスト程度じゃ金払えねえよヴァルキリアは。まあタダで遊ばせてくれてたらしい。顧客は王とか貴族だぜあの美女は。オマケに相手っていっても、歌劇を見たり音楽を聴いたり、詩を吟じたり絵画を嗜んでいたりと多種多様な才能を持っているから、相手の男にもその才を求めるヴァルキリアがエルストは問題なしで遊ばせてくれてたなあ。エルストの事だ普通に抱いてたと思うぜ」
 理解しているのかどうか怪しいヒルダと、完全に理解しているクラウスは黙って話を聞いていた。
「でもアナタとも仲良いわよね、ヴァルキリア。確かに美女よねヴァルキリアは。まあアナタには劣るけど」
 勿論マリアよりもその娼婦は劣るが。
「まあな。それにヴァルキリアの最大のパトロンはオーヴァートだからな。ヴァルキリアとは結構男が被ったな、レクトリトアードとも遊んでたらしいし。俺と別れから客にしたみたいだ。まあヤツだって金は払えない……わけでもないか。レイのヤツは高給取りな上に全く遊ばない男だから金は余ってるだろうな。それでも金は取らないだろうよ、どちらかと言えばヴァルキリアはレイを調教して遊んでいたようなモンだろうからな。自分の色に染められる男ってのは中々楽しいもんだしな」
 レクトリトアードはエルストに比べるまでもなく、絵画を観に行ったりなど公共の場にともに出て行っていたが、エルストは全く閨のみであった。
 彼女の房事が多才であるかどうかは流石にエルストは他者やドロテアには語らないものの、オーヴァートが手元に置くのだからそう悪くは無いはずだということくらいドロテアには見当がついている。
 ドロテアは美貌のほかに何か才があるか?と聞かれたら房事と答えるくらいそちらにも自信はある、皇帝の下に四年も置かれた女としてそのくらいは言ってもいいはずだ。そして誰もがその言葉に納得する事も知っている。
「あのマシューナルの親衛隊隊長のレクトリトアード殿ですか」
 剣一本で身を起こした、孤高の影を抱いた親衛隊長は他国でも有名だ
「そうね、ドロテアの昔の男でただ今ヒルダに懸想中。勿論ドロテアに振られた男の一人だけれど」
『ドロテア“に”』を強調するのは忘れない、マリア。既に食事を終え、食後のお茶を楽しんでいる。
「うわあ!! レイさん私に懸想してたんですか?」
 人と違うトコロで驚くヒルダ。因みにテーブルの上の皿は全て片付いた。
「気付いてやれよ……、そう言われてみりゃエルスト結構、美女受けすんな。男嫌いなマリアもエルストとなら出かけるし」
 マリアを見ながら、ドロテアが何度も頷きながら口にした。それを受けてマリアも
「そうね、何となく人畜無害な気がしたんだけど、話聞いてる分じゃ、人畜無害どころか、美女落とさせたら世界一?」
「そうかも、凄い才能ですね」
 口が上手い訳でもなければ、金が有るわけでもない、取り立てていい男な訳でもないのに何故それ程なのだ、エルスト。そう考えるとやはり才能なのだろう、このドロテアまで手に入れた程だから。
 地上最高の美女が男嫌いで、その次に位置する絶世の美女を手に入れたが、それが物凄く気の強い人だったのだから、いい才能なのかどうなのかはよく解らないにしても、美人受けはするらしいエルスト。というか女受けが良いようだ
「そうだよな……ところでマリア、チトーのヤツはどうだった?」
「チトー? ってさっき会った司祭閣下のこと?」
 他国の為政者を、直属の部下の前で“ヤツ”呼ばわり、周りで聞き耳を立てていた人々はヒヤヒヤしたものの、隊長であるクラウスが口にタオルを当てつつ、部下を制した。クラウスもチトー五世の意思は十分知っている。
 ドロテアの機嫌を損ねる事は、死すら意味するのだ。
 警備隊は幾らでも替えがきくが、皇帝の大寵妃は替えがきかない。
「おおよ、チトーのヤツ、マリアの事気に入ってたぜ。ヤツは好色でも有名だからな、妻にしてやるとでも言い出しかねねえぜ」
 煙草を咥えながら、何時も通りの口調である。そしてマリアも
「興味ないわね、大体私あの程度の顔好みじゃないし」
「はははは、そーかい結構美男で通ってるんだがなヤツもよ」
「マリアさんはどのくらいの美形だったら許してあげるんですか?」
 ヒルダも興味津々にマリアに尋ねると
「そうね、顔だったらヤロスラフくらいは欲しいわね」
「ヤロスラフな……奴は線の強い美丈夫だからな。ヤツみたいな細いタイプは嫌いか」
「別にいいんだけどね」
「ですが閣下は立派な方で御座います。是非とも閣下の内面を」
「……貴方達、普通にバカ?」
 マリアは嫌そうな顔をした
「はぁ?」
 一瞬答えに詰まった警備隊員にマリアが続ける
「あのね、司祭閣下って私のどこを見て気に入ったの?」
「そ、それは……」
 言葉に詰まる。マリアの何処を気に入ったのか、それは容姿に他ならない。
 彼らもマリアの容姿しかわからない。マリアの内面など、警備隊の面々には推し量ることが出来るわけがない、多少言葉を交わしたとしても。
「向こうは私の外見だけみて気に入ったんでしょう? 確かに私は外見以外、これといって特徴もないし特技もないわよ。だから外見が気に入ったんでしょ、それはそれでいいのよ。だから私も相手の外見だけを見るの、相手もそうなんだから私も向こうの外見だけを重視して何が悪いの?」
 虚を付かれた警備隊員は答えに窮し、思案を巡らせようとしたがそれをドロテアが制した
「そのとおりだな。だがなマリア、ヤツはマリアの内面まで見通したぜ。ヤツはナルシストじゃねえ、だから俺は興味の対象から外れた、まあ俺に手を出すのは得策じゃねえ、ヤツは損得勘定で動くから皇帝に影響力を持っているといわれる女に手を出したりはしねえ。だがそれを差し引いてもヤツと俺は近い位置にいる、謀略を辞さない生き方をするあたりがな。ヤツは自分に似ている人間を嫌う傾向にあるようだ、特にセツなんかは嫌いだろうよ。事実反目しあってるからなそれに……セツのヤツもマリアの事気に入ってるしな。そういうのに好まれるタイプなんだろな、マリアは」
 ドロテアが顎に手を当てて、宙に視線を走らせながら頷くとマリアはカップをテーブルに置き淡々と呟いた
「……なんか私って二線級よね、私の事好きになる男の人って」
「はっはっはっ! 二線級なっ! そうかもしれねえな」
「チトー閣下捕まえて二線級とは、言いますねマリアさん」
「だってそうじゃない? ドロテアには皇帝でしょ、私には選帝侯。ドロテアを気に入っているのは法王猊下でしょ、私は最高枢機卿。そう考えれば二線級だと思わない」
 絢爛豪華な二線級である。まして普通の人はそれを二線級とは言わない
「そうでもないですよ。私は殆んどありませんっ!」
 自慢するなヒルダ! といいたいところだが
「レイで良いだろうが。アレでも十分一線級だぜ、こと戦闘に関してはな。でもなあ、線が強いタイプが好みってなら、セツのほうが好みだろうな、顔見ただろ?」
「私あの人の顔見てないわよ」
「……二人で話したとき、ミルト被ってたんか、あの野郎」
「ええそうよ。顔は見なかったわ。別に見たくもないけれどあの人の顔」
 マリアは限りなく素気ない。
「お話に口を挟んで恐縮なのですが、“あの野郎”とはセツ最高枢機卿のことでしょうか……」
 口は悪いとは聞いていた彼等だが、その域を遙かに超えている。越えているというか既に一般的にいけば犯罪だ、不敬罪という立派な罪状がつく。
 彼等も敵対関係にあるセツ最高枢機卿(エド法国ではなくセツ枢機卿と敵対している)は嫌われてはいるが“あの野郎”と呼ぶような輩はさすがに存在しない。前にも述べたがセツは相当に畏怖される存在である、他国においても。その人物を“野郎”呼ばわり……
「ああ、そうだ。野郎で十分だ、野郎も法王もこれで許してたってか、気にもしてなかったぜ。おそらくチトーだって“ヤツ”って呼ばれても気にはせんだろうよ、この程度を気にしているようじゃあ、負けるぜ野郎に。さてと食い終わったし、腹もこなれたし場所を教えてくれ」
「女性だけで行く様な場所ではありませんから、同行させていただきます」
 なんとか立ち直ったクラウスが、食事代を払うように部下に命じ、同行を申し出る
「何ボケた事いってんだ、クラウス」
「ですがっ!」
「誰に向かって言ってんだよ、このドロテア=ランシェだぜ。俺は自分より弱い護衛を連れて歩く趣味はねぇぞ、隊長さんよ」
 その態度はまさしく噂どおりの大寵妃。
「まあね、一撃必殺。吸血鬼殴り飛ばした女の隙を付ける男なんて、エルストくらいのものでしょう」
 隙を付くというより、逃げ足が速いのだ。多分大陸でもその瞬発力と持久力では他者を寄せ付けないだろうエルスト=ビルトニア。
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