ビルトニアの女
赤い川は海に還りその花は散るのみだと【2】
 チトー五世が立去った後、全員退出し声を掛けてきた青年の顔を見ると正統派の美男とはこういう顔を言うのだろうな、と納得できる顔立ちの男だった。
 レクトリトアードほど憂いていないが、若干の憂いを帯びた瞳に通った鼻筋、一文字に引かれた口と柳眉の対比が特徴を持つ、鍛えられた隙のない歩き方をする、全体的に武芸者的な身のこなしをするギュレネイス皇国司祭直属警備隊隊長のカズラを身に纏った青年。
「クラウス?」
 エルストが自分より少し背の低い男を驚いたように見つめる。着衣から階級を見て取り
「クラウス……出世したなあ」
 顔を確りと確認すると、頷きエルストは弟を褒めるかのように言う。クラウスという男は、エルストより三年下だが真面目に生きている為に相当の位を得ている。

 大体の人間はエルストより真面目に生きているだろうが……
 
 それを加味しなくても、クラウスと呼ばれた青年はエルストが国を出た際より、四階級ほど位が上がっている。大体の人間はエルストより真面目に生きていて、大体の人間はクラウスほど出世しない、となれば相当な差が生まれるのは当然だ。
「あ、ああ。その貴方も」
 言い澱んでいるクラウスを横目に、額に手を当てたドロテアが記憶を呼び起こすかのように名前を反芻する。
「クラウス……クラウス……クララの弟のクラウスか!」
 あまりにも似た名前で、適当な感じも受けるがとにかく“クララの弟”と突如声をかけられたクラウスは驚いた様な顔をした後、無言で頷く。
「知ってんの?」
 マリアが問うと、ドロテアは笑いながら
「知ってるも何も、コイツの姉に手を出してエルストは国追放になったようなもんだからな。そうか出世したなあ。ヒューダってのは最近拝命した名字だな、この前の死刑大全に載ってたな」
 ついにドロテアまで死刑大全と言い出してしまった、誤って皆に覚えられている冊子のことである。アレには一応、その手の細かい事も載っているのだ。
「そうだな。クラウスなら安心だから、俺遊びに行っていいか?」
「そりゃ構いやしねえが、おらよ! 久しぶりだからってハメ外すなよ!」
 小さな皮袋に既に分けていた金を投げつける。それを受け取るとエルストは
「それじゃあよろしくな、クラウス!」
 そのまま本当に走り去っていき、残されたのはドロテアとマリアとヒルダとクラウスと部下三名。

−エルストが結婚したそうだ。相手は学者だって−

 その美しさ“オーヴァート=フェールセンを捕らえ放さない”と言われた女がいた。
 どれ程の美しさなのか、興味を持った事がある。
 そしてその国にはもう一人美女がいる、と。黒髪の美しさたるや夜空も色褪せると。
 つい最近姉の下で勉学に励む美しい僧侶がいると聞いた。
 僧服にその髪を隠すのが惜しいと誰もが言うと。
 随分と過大な表現もあるな、それでも、いつかマシューナルに行く時があれば見て見たいなとは思った。美しさに対する純粋な興味、そして今その女性達が目の前にいる。
 過大な表現ではなく、過小な表現だと。
 オーヴァート=フェールセンではなく、エルスト=ビルトニアを選んだ女が、私には一番美しく見える。
 『最後のトルトリア美女』『あれぞ最後の大寵妃』誰もがそう評し『皇后になれる、たった一人の女』と全ての者に言わしめさせた女、ドロテア=ランシェ。

−あのオーヴァート=フェールセンの昔の女だそうだ−

 エルストが結婚した時に聞いた。
「フェールセン人としては最高の栄誉だな。皇帝の下賜品を賜って」そう陰口を叩いているものもいたが、直に立ち消えになった。
 その手の言葉が、陰口にしかなりえなかったのは、この目の前にいる女の強さを表しているように見える。
 そんな、他人の嫉みなど意に介さないような女、私とは正反対の女。
 圧倒的な迫力と美貌と雰囲気、まさにそれは皇后にもなれたといわれるだけの事がある王者の気風にも似た空気を纏っていた

『同化策として最も有効なのは、移住者を厚遇することだろう。移住者の中で才能のある人物を高官につけろ。この場合は才能のみを重視するように』

 暫しの沈黙の後、クラウスが口を開く。
「あ、あのエルストは別に国から追放された訳ではありません」
「そりゃ知ってるって」
「そりゃそうでしょうね、チトー五世は“ギュレネイスの国威が上がった”って言ってたし」
「国追放だったら、此処に入れませんって」
 三人とも別にどうでも良いのだが、このクラウスという男、当然ながら真面目だ。
「ところで、姉って何?」
 マリアがドロテアに尋ねる。と、ドロテアが笑いながら
「姉だよ、姉。美人な姉がいるらしいんだ……まあクラウスの顔からしてそう外れてはいないようだが」
 黒い手袋で覆われた長い指が、口元を隠し笑い声が漏れる。クララも悪い顔立ちではない、だが美しさと言う点ではドロテアの足元にも及ばない。知性では比べる事も出来ないだろう。
「いや、あのその……皆さんの方がお綺麗で」
 社交辞令もあるが、真実をクラウスが述べる。
「で、だ。クラウスってこの年で……確か三十歳だったなアンタは」
 無視して話を続けるのは、当たり前だとでも言わんばかりのドロテアである。
「はい」
「三十歳で警備隊長だ。警備隊ってのは王国だと近衛隊と同じ地位にあたる。因みにエルストが在籍していた頃から、クラウスの方が上官だったはずだ」

チトー五世のとった同化政策。それは他国から移住してきた者を厚遇し移民者を増やす。それには自分は格好の人間だった
− 実力じゃなくて、同化政策の一環でだろう? −
− 姉が…………の妻だからな −
権勢のある家との婚姻関係も、役に立つ


 陰口ばかりで疲れる……だが何処にも安らぎはなかった。そうギュレネイス神聖教にも何も見つける事はできない。
 この神聖教がどれほど擦り切れているか知っているから、余計に……

「はい。確かに私のほうが上官でした」
「ほう、じゃあ今は司祭閣下の側近なんですね、ヒューダ殿は」
 ギュレネイス神聖教とエド正教は、民間レベルでは仲が悪くはない。分裂はしたが、エド法国の隣国で女性の地位を軽んじるギュレネイス皇国。皇国からは毎年多くの女性がエド法国に流れる。
 そしてエド法国としては優秀な女性がエド正教を奉じてくれるのを歓迎している。女性は子を増やす、その子の母親を手厚くもてなせばエド正教徒となり、母がエド正教徒であれば子はエド正教徒となるからだ。エド法国が強国であるのは、そこが関係しているのは誰の目にも明らかだが、それを行う事はギュレネイス皇国ではほとんど不可能なのである、ギュレネイス皇国の成り立ちからいっても。
「警備隊って! エルストって本当に、本当に警備隊にいたの! あの人まるっきりアレじゃない!」
アレ、とは泥棒だとマリアは言っている。

 それが己の実力なのかどうかは解らない。ただ同化政策の一環ではないのだろうか
 嫉妬、陰口は聞きたくなくても耳に入ってくる。それを黙らせたく、一心不乱に仕事をする。
 それだけだ

「そうだ。こんな真面目な男の姉の情夫が“アレ”じゃあマズイだろう。丁度よく親が勝手に隠した金を取り出したのを良い事に、コイツのオヤジとコイツがわざわざ書類を作ってくれたんだ。そうじゃなきゃ引越しなんて出来はしないからな」
 国を跨いだ引越しとは、中々なものである。エルスト、余程クララの父親に嫌われているらしい。
「はあ、お邪魔虫を手っ取り早く追っ払ったって訳ね」
 マリアがほう〜と頷いた。確かに厄介払いであるのは間違いないだろう。
「いえ、あ……の」
 否定出来ないで、マリアやドロテアの口から言葉が飛び出すたびに顔を交互に見比べて、必死に何か言おうとしている警備隊長とその部下達。そんな事、お構いなしにドロテアは続ける。
「オマケにエルスト、国を出る前にクララを誘ったそうだ“一緒に行かないか? ”ってまあ振られたがな」
 それを妻に言ってしまうあたりが、この夫婦の関係だろう。まあ、特殊な関係と言うか嘘をつかないで仲が良い関係だと思うかは、聞き手が自由に判断してもよいに違いない。
「良かったじゃないの、エルスト振られて。お陰でアナタと結婚できたんだから」
 それで良かったのか悪かったのか? 世界最大にして最後にして永遠の謎だ。エルスト当人は幸せそうだ……多分な。
「うんうん。全て上手くいった訳ですね。当然エルスト義理兄さんを追っ払ったって事は、クララさんにはいい縁談が来ていた訳ですね?」
 エルストの年齢から考えても、目の前にいるクラウスの年齢から考えても、クララはその当時結婚適齢期を過ぎかかっていた筈だ。特に女性の結婚年齢が低いギュレネイスでは尚の事。
「ほう、賢くなったじゃねえかヒルダ。そうなんだろう、彼女は幸せになったか? ジジイと結婚して」
 自分の亭主を捨てて、別の世間的に立場も金もある男を選んで結婚した女の弟に容赦なしの質問。傍目からみていれば、クラウスがさぞや不憫に見えることだろう。実際不憫でもあるのだが。
「あ、はあ。いえその、確かにその後結婚しましたが、二年前に夫に先立たれ戻ってきております」
 別にクラウス、レクトリトアードのように人と話をするのが苦手だとか言う訳ではない。むしろこの歳でこの位だ、話しをしたりするのはそれなりに得意である。
 だが話の内容と、それに輪をかけて相手が悪い。部下達は既に半歩下がって聞いている。
「まあ、弟がこれ程の出世頭だ。引く手数多ってとこだろう。オマケに美人らしいしな、後妻にはもってこいだ。前も後妻だったんだろ」
 褒めているのか、貶しているのか全く解らないドロテアだが。クラウスは僅かに首を立てに振るだけで、口を開けないでいる。
「万事全て丸く収まった訳ですね」
 矢継ぎ早に話しが続き、周りにいるクラウス以下部下一同は黙って話を聞くしかない。確かに言っている事は寸分の違いもない事実なのだが、他者から真っ向で聞かされると、辛い話でもある。部下の一人がクラウスにそっと耳打ちした。
「隊長、他国の女はみなこうなのでしょうか? それとも我等が女と言うモノを知らないのでしょうか?」
 クラウスより若い部下の言葉に頷きたくなったクラウスだが、それはあまりに情けないのでグッと堪えて
「いや、多分違う筈だ、いや……よくは解らないが……ほら、彼女は皇帝の大寵妃であった方だから」
 適当な理由を口にしたものの皇帝の大寵妃コレというのも困りもの……というか大寵妃はドロテアだけであって後の二人は無関係だ。だがそれ以外逃げ道がなかった、そして必死に逃げ道を模索し
「そうでした皆さん!」
 クラウスは取り敢えず話題を変える事にした。それは賢い選択だ。
「あ? 何だ?」
「どちらにご宿泊ですか? ご案内申し上げます」
「いや、別に案内いらねえし」
 ドロテアだ、訪ねた事のある街なら簡単に覚えるし、訪ねた事のない街でもどうにか辿り着けるタイプの女である。
「閣下から申し付かっておりますゆえに」
「あ、そ。じゃあ行くぜ、フェールセン城に」
 はっきり言って迷いようが無い場所である、それがフェールセン城。
「フェ……フェールセン城!!」
 城に入れるのは、許可されたもののみである。
「俺が誰だか知ってるんだろう。此処では有名らしいからなぁ、“最後の大寵妃”または“学者という名の娼婦”どちらでも好きなほうで呼ぶが良い」
 不敵としか言いようの無い表情に、やはり半歩さがる警備隊の面々。半歩に半歩、足して一歩後退というところだ。従順で大人しい女でなければ結婚できないといわれるギュレネイス皇国において、この三人は浮くを通り越して怖いに違いない。
「フェールセン城って」
「この首都の五分の三を占める建物だ。世界で最も大きく荘厳にして危険な王宮」
「へえ……」
「そうだ、歩いていくから馬車を引くやつを頼む」
「はい」
 大聖堂を後にして、道すがら衆人の目を集めながら美女三人と警備隊長一行はフェールセン城へと向かった。

**********

 歩きなれた街中を、飄々と歩くエルスト。遊びに行くとは言ったが、エルストのような大人が遊ぶ場所が開くにはまだ時間が早い。盗賊ギルドに向かい、軽く挨拶をしたあと嘗ての職場、警備隊の一般隊員の詰め所に向かい、一通り挨拶をして
「久しぶりだなエルスト」
「元気だったか?ハイネル。時間取れるか」
「ああ、休みでも取るさ。奢ってくれるんだろう?」
「勿論」
昔の友人を拾った。

 ハイネルと呼ばれた男も顔は全く違うが、エールフェン人の身体的特徴を兼ね備えた男である。
 エールフェン人というのは、名前が“濁音のない四文字名”であるのが特徴の一つにあげられる。

「結婚したんだってな、エルスト」
「ああ」
「美女だって」
「まあ、あれを美女といわなかったら、世の中に美女はいないだろうな。好き嫌いは抜きにして美女だ」
「ソイツは凄いな。後で見せてくれ」
「見惚れるだろうよ」
エルストほぼ同じ体格で、同じ髪そして瞳をしているハイネルという男。歳は同い年だが、ハイネルのほうが疲れた顔をしている。

**********

 フェールセン名というのは、ギュレネイス皇国では出世に最も必要なものだとされている。チトー五世の本名はクロードだが、ギュレネイス皇国で最高位を目指していた頃は「クラウス」と名乗っていた。
 同化策の一環として名を変える者は多い。望まなくとも階級があがれば、名を変えるように勧められ、それを拒むことは出来ないといわれている。
 クラウスは昔、クラヴィスと名乗っていた。クラウスは今でも自分の名はクラヴィスだと思っている。
 クラヴィスはゴールフェン人に多い名で、事実クラウスはゴールフェン人である。姿形と名前が非常に似合っていない状況なのだが、必死にクラウスと名乗っている。そうせざるを得ない為に。
 そのように名前によって出身国がわかるといわれている、が
「オーヴァートさんってこの国出身なんですよね?」
 当然、例外もある。
「違う」
 ヒルダの問いを短くドロテアは否定して、頭をかいた。
「へ? 何で。大体このギュレネイスの首都名じゃないですか“フェールセン”って」
 フェールセン名前の法則でいけばオーヴァートは全く当てはまらない。皇帝に限っては当てはまらなくても良い、事実オーヴァートの叔母はランブレーヌという。
「詳しく聞くか? この地上で俺以上にオーヴァートの一族の事を知っている人間はいないがな」
「少しだけで良いです」
 皇帝一族の話は“知らない方が幸せだ、知れば不幸になる”と誰もが口にする言葉だった。その真の意味を知るものは殆んどいない。だがヒルダの姉であるドロテアこそ、その諺のような言い伝えでいけば“不幸”になってしまった人であろう。
「そうか、なら簡単にいこうか一般的に知られている表層部分だ。オーヴァートの親父がパーパピルス王族だ、生まれたのもソッチ。首都・エヴィラケルヴィスだった」
「王子なんだ、本当に」
 マリアの呟きは最もだろう。少なくとも世の王子のイメージとは遠くかけ離れている。ただ、マリアとしては実際の王子を間近で見たことがないのでなんとも言いようはないのだが。
「王子ではあるが、王子とは言わねえだろうヤツは。正式名称は“バトシニア=オーヴァート=フェールセン=ディ=フィ=リシアス”って言ってな、バトシニアが当主、この場合は“皇帝”を意味する。“ディ”で男“フィ”で女。そして最後が先代の名前“リシアス”」
「リシアスって事は、前の皇帝はオーヴァートさんのお母さんだったんだ」
 ヒルダが物心付いたころは、既に皇帝はオーヴァートであった訳だから全くそんな人物には馴染みがない。それが一般的であるのだが
「この国は女性の就学を認めていないからな。本来なら女性に相続権もないんだが、さすがにフェールセン一族にソレは言えないからな、そうだろうクラウスさんよ」
「はい」
「当然あのオーヴァートの母親だ、頭も良かったらしい。アンセロウムもそう言っていたからな」
 壁にはさまって死んだ、稀代の大学者アンセロウム。変人としても有名な彼に認められるのも、何となく……だが。
「だから国を出たんだ」
「勿体無い事したんじゃないの? それこそ国威を引き上げるような大学者を失って」
 学者というより、皇帝自体を失った痛手は大きかったようである。ただ、何故皇帝が首都を彼等に貸し出したのか?という疑問があるのだが、その疑問に当然ながらオーヴァートは答えてはくれない。
 ドロテアは知ってはいるが、そこら辺りは“聞けば不幸になる”の部類だろうと、口にはしなかった。
「確かに」
「チトー五世は呼び寄せてようとしているらしいが、オーヴァートは首を縦に振らないんだよ。女好きだが才のある方を好むから、女学者がいない国には行きたくないってな」
 そんな理由を本気で言えるあたりに、オーヴァートの偉大さが窺える。凄いわけではなく、変わり者だと言う部分において、たぶん師匠アンセロウムに似たのだろう。
「確かにねえ。それにオーヴァートの女の好みって、美女にして才女だものね。アナタが最高の女だったでしょうに。手放して哀しんでるんじゃないの?」
 マリアはオーヴァートの基準の“才女”の部類にかからなかったので、全く相手にされなかった。マリアはそれを不幸だと思ったことは一度もない、寧ろ幸せだったと思っている……当然かも知れないが。
「ヤツにとって最高の女だろうが、俺にとっては困った男だ」
「エルストだって大差ないじゃないの」
「そりゃそうだが」
 大金持ちである分エルストよりマシだと思われるが、性格の破綻ぶりはエルストなど足元にも及ばない。マシューナル王国で準備した花嫁が結婚三日で半狂乱になり出家したくらいだから相当破綻した性格だ。
 最も相手も我慢のきかないお姫様だったせいもあるのだろうが、彼女は精神が失調してしまったとも言われている。因みにオーヴァートと一緒に暮らした女で最長記録を保持しているのはドロテアで、丸四年である。それだけでも、尋常ではないドロテアの性格も窺える。
「へえ、じゃあオーヴァートさんはパーパピルス王国生まれなんだ」
 現パーパピルス国王の従兄なのである。もっとも皇帝は王族との縁戚関係が多いので、何処とでも血縁関係がある。
 ただ、血縁関係があるだけであって地上を支配している“王”の中に皇帝の血の入っているものは一人たりとも存在しない。皇統に嫁、婿に出されその間に生まれた子達は皇統ではあるが王族ではない。
 皇統であるが故に地上の支配権を持たないというのが、皇統の“現在の”決まりである。もっともそんな過去の決まりなど“知らぬ”と言って地上を支配してもなんら問題はないのだが。今の所、そんな気配はなく、そして絶えてしまう”らしい”。
「そうだ、母親は結婚が決ったらとっととこの国を出たそうだ。妹もな」
「あら?でもオーヴァートが最後の一人なんでしょう、フェールセン王朝の」
「ラシラソフ=リシアスには双子の妹がいてな……ランブレーヌっていって、ネーセルト・バンダ王国の王族に嫁いだが死んだそうだ。子は生まれたが……王子もいたが後を追う様死んだ。葬儀はネーセルト・バンダ王国の慣例で水葬に。フェールセン王朝とは言ってもまあ……色々とあるが最後の皇統はオーヴァートなのは確かだ」
 結局オーヴァートは修道院に逃げ込んだ姫と離縁して、その後あちらこちらから薦められた王女達を全て断り、独身のまま既に四十歳を超えてしまった。
 オーヴァートにあれこれ言うのは誰にも無理で、皇統は彼の代で潰えるのだろうと最近は噂されている。
 かつては偶に、十代・二十代の若者が自分はオーヴァートの庶子だと名乗りを上げる事もあったが、全員タカリであった事は言うまでも無い。彼等、彼女、そしてその親や親族等の目的は、その莫大な財産。ただ、最近はその名乗りを上げる者達も殆どいない。
 ある日、鬱陶しがったオーヴァートが、ヤロスラフに名乗った者達と一族郎党の殺害を命じそれが実行されて以来、静かなものである。
「皇帝の血筋であれば、選帝侯ごときには殺されない」
 それは紛れもない真実であり、その真実の前に一万人以上の詐称した者や一族が殺された。

 ヤロスラフも名乗った者達が一介の人間である事を知っている。でも命じられれば殺すのだ、それが選帝侯。

「確かに最後の一人ね。で、この壁さっきから続いてるんだけど、この壁の向こう側がフェールセンの城?」
 途切れる事なく続く壁を叩きながら
「そうそう。城は面倒だから離れを開放する」
「かなり広いでしょう、離れでも」
「ああ、本来この城に訪れた客の召使達があてがわれる場所だが、充分だ」
「わーい、お城お城」
「ま、見るだけなら案内してやるぜ」
「古代城だなんて見る機会もないから、案内してよ」
「はいはい。全部開放できるから見せてやるよ」
 ドロテアとマリアの会話を聞きながら、警備隊員たちは息を飲んだ。
 城の全てを開放する権限など、選帝侯にすら与えられていない。それを目の前の普通の人間である筈のドロテアが持っている。
 それは絶大な権力を所持している証。ドロテアがオーヴァートに対して、絶大な影響力を持っていると人々が思うのも仕方のない事。
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