盗賊と一緒に寝るのがイヤだというザイツの頼みを聞き入れて、ヒルダとマリアは別室に移りイリーナとザイツは同部屋にしてやった。そんな訳でヒルダとマリアがいる場所は幽霊が出てもおかしくない場所なのだが
「気使ってくれているらしいわね」
幽霊達は気配すら感じさせない。
「そうですね。でもマリアさんがちょっと怖いのでしたら、私が結界張りますよ」
「いいわよ、もう大分慣れたし」
そういいながら、残っていた食料を口にしているとフォレンティーヌの霊魂だけが二人の下に訪れた。
「どうしました?」
ヒルダが訪ねると
「あのね、あの人が育てている幽霊……あのままでいいの? いらないお節介だとは思うけれど私たちが昇天する際に一緒にいってもいいのだけれど」
フォレンティーヌが言い出した。
この場で『あの人が育てている幽霊』となればただ一人、ドロテアの事であろう。
「……近々神の御許に送りますのでご安心を」
ヒルダは笑顔でフォレンティーヌに返すが、
「幽霊育ててるの? ドロテア」
マリアは何の話なのかわからない。そもそも、幽霊を育てるという言葉自体が聞きなれないものだ。ヒルダはマリアに向かい合い、少しだけ声を落して語りはじめた
「……育てているというか……聞いたんですけれどね、あの幽霊は一度死んでるんですよ」
ヒルダに幽霊が見えないはずはなく、そして性格上サラリと聞くのは言うまでもないだろう。
「幽霊って一度死んでるんじゃないの?」
マリアの言い分は最もであるが
「そうではなくて、幽霊としても死んでいるんですよ」
「はぁ?」
マリアの疑問の声は最もである。そしてフォレンティーヌも
「幽霊も死ぬものなの?!」
驚きの声を上げるのも当然だろう。その二人に
「ええ、幽霊というのはこの世に未練があったり、死を受け入れられない人が霊魂として残るんですが、フォレンティーヌさんが見た霊は……幾つくらいの男の子でしたか?」
「男の子というよりは、立派な男性よ」
「その幽霊は私の兄で、名をアーサーといいます。早産で死んだ兄で、私は一度もあった事がありません」
「ヒルダのお兄さんってことは、二十二歳以上?」
「でもね、マリアさん。早産で死んで生まれてきた兄は自我も何もなかったので、霊魂となる事はできないのです。それに両親は手厚く葬ったそうですし、遺骨もエトナに定住するまでずっと持ち歩いていました。そして何より霊魂は育たないんですよ、自分だけでは」
不慮の死で死んだ兄の霊は『何者にもならぬまま』霧散していった。人々に恨みを抱くわけでもなければ、何かを考えるわけでもなく。霊は時がたっても決して年齢を経ることは無いのだが、時から切り離された彼、ドロテアの背後にいる“アーサー”は年を経た姿をしている
「ドロテアが育てているって事?」
「そうです。多分兄の……姉さんにしてみれば弟ですが、その霊に会いたくて邪術を覚えたのだと思いますよ。手元に遺骨があったので、呼び出すことは可能だったでしょうが相手は生まれてもない赤子です」
この手からはよくモノが零れ落ちる
「それを育てるのは違法よね……」
薄い霊体であるフォレンティーヌの顔が青白くなったように見えたのは、気のせいではないはずだ。人の霊を育てるなどというのは、殆んど聞いた事がない事例なのだが、確かに宗教的には犯罪である。法律的には別段犯罪ではないので警吏に捕らえられることはないが、聖職者に捕らえられる事は避けられない。
「そうですね。それに姉さんもまだ子供だったので、完全にアーサー兄さんを育てきる事はできなかったようです。霊魂を地上に留めるのは難しいことなんですよ、特にアーサー兄さんのように何の憂いもない、まだ人として容創られていない人は特に神の御世に連れて行かれやすい。姉さんにもそれを引き留めることはできなかった、そして出会ったんですよ皇帝に」
諦め切れなかったのか、それとも別の意図があったのか。そこまではヒルダもわからないのだが
「オーヴァート公認ってこと?」
地上でかなえる事が出来ない事は無いだろう力を持った男が、そこにいた。
「オーヴァートさんが引き戻してきたそうです。あれ程の人でなければ連れ戻して来ることはできないはずです。悪い事なのは分かっていますし、時期がくれば戻すとは思いますが……何ていうんでしょうかね……アーサー兄さん“だけでも”手元に置いて育てさせてあげたい気はあるんですよ」
「でも一度引きとめ損ねたドロテアが、どうして今は引き止めていられるの?」
「……マリアさんが直接聞けば、答えてくれますよ。私も直接聞いたわけですし必ず答えてくれます。そして、間違いなくトルトリアに足を運べばアーサー兄さんはいなくなるでしょう。ですから、大丈夫ですよフォレンティーヌさん」
「信じているのね」
「信じているのではなくて、知ってるんですよ。それだけですよ」
「それじゃあ夜分遅くお邪魔したわね」
「いいえ」
ドロテアは散りゆくだけの花だとオーヴァートが言っていた
その言葉こそが
「ヒルダ……ドロテアって……ドロテアの事、オーヴァートは散りゆくだけの花だって言ってたけれど、それが?」
ヒルダは答えなかったが、笑った。それは間違いない答え
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「今は必要か?」
「いらん。明後日辺りでいい」
「それは残念だな」
「……まあ、別に今でもいいけどよ」
その力は何を使っているのだろうか。所詮人だ、それ程大きな力は持っていない、悔しいが真実。
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「という理由で、ここで簡単な葬礼の儀を行うのだが、テメエら帰れ」
理由というのは「幽霊と協議した結果、全てをぶち壊す」というとっても力技で全てを終えるという結論だ。
「は、はぁ」
昨日から勢いに負けまくっている彼等に、反抗する気力は無い。
「イシリア教の葬礼に立ち会うと厄介な事になるだろ」
「へ、へぇ」
ギュレネイス皇国内でイシリアの経典を開き祈るなど、異教摘発部隊に捕まったら問答無用で死刑である。
「まあ。俺らの事を警備隊に密告してもいいが、密告したらテメエらの一族郎党皆殺しになるからな。そうそう言い忘れてた、ここ怪談の元になった一族郎党皆殺しの元凶は俺だ」
「……」
「知ってるだろ、テメエラも。皇帝の愛人に怪我させて一族郎党召使飼い犬から、その家にいた鼠までぶっ殺されたヤツ。アレの元は俺だ、当時の名前はドロテア=ゼルセッド。名前くらいは聞いた事あるんだろ」
「絶対にいいません。死んでもいいません!」
さすがにこの話はザイツやイリーナも身を持って知っていた。ドロテアが売りたくもない名前を売った出来事でもある。
「まあ、別に言ってもいいけどな」
「あそこまで脅せば喋らないと思うけれども……」
当時、仕事で皇帝の大寵妃に大怪我を負わせた一族の者の摘発をしたエルストは、言われた四人の恐怖がよく解る。あの摘発は最早、仕事というレベルではなかったとう頷きながら彼等が決して無駄口を言わない事を祈った、神君・エドに。
遠ざかる四人を見送り、骸骨を並べ祈りを捧げる段階で
「頑張ってね」
「まあな……いずれこの男もソッチに行くだろう。そのときはヨロシクな」
「そんな美男子が傍にきたら、私は舞い上がってしまって良人に嫌われてしまうから遠慮しておきますわ」
「そうかい……ま、それでも良いけどよ」
「こちらに寄越す時は子供で寄越してちょうだいな」
「……考えておく」
朝靄の中に消えていった殺された者たちを見送り、しばしの無言が続く。
多分この旅は、トルトリアに向かっているのだ
出だしは全く予定のない旅であったが、行き着く先はトルトリアなのだと誰もが旅の中そう考えた
旅を始めて一年が過ぎた頃である
一年かけて廃都に向かう準備ができたのだ
それはどんな準備だったのか?
旅程の全てが準備だったに違いない
ギュレネイス皇国で墓参りをしたら、トルトリアへ向かおうと
そして全てがわかるのだ
誰もが納得する答えがあるだろう
二十二年の歳月を経て
アーサーも逝ってしまえばこの手に残るものはない
元々残ってはいなかったのだけれども
ねえ? 後悔してる?
どうだろうな
祈りを終えてドロテアが握った手の甲をポンッと叩くと幽霊屋敷として申し分なかった館は音を立てて崩れ去り。
「さてと行くか」
朝日と冷たい空のした、四人は歩き始めた。
第七章【カタカタと語られる夜】完
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