ビルトニアの女
勇者の祈り僧侶の言葉【15】
 暫し休養を取った四人と、何とか説得して落ち着いた王太子を連れてレイ一行が国に戻る日となった。騙されていたのだが、当人達は術が解けたにも関わらず、何故か良い仲だった。

 良い仲で別れたくないと騒ぎ出す始末……

 マシューナル側はまあ後継者がいるから良いとしても、ベルンチィア側は一人息子の上に王太子妃の子は廃嫡決定なので、必死で説得したらしい。王統断絶の危機らしいがそこら辺りは、ドロテアの知った事ではないらしい。ただ、ドロテアにも少し疑問が残っていた
「どっちがどっちだったんだろうな」
 ドロテアが呟くと
「恐らく気分次第だったんじゃないか?」
 エルストも呟いた。敢えて問いただす事はしなかった、バカバカしいので。
 ヒルダとマリアは何の事だか、全く解らなかったらしいが説明したくなさそうドロテアの表情を見て、説明してもらうのは諦めた。世の中知らない事があってもいいと二人は知っている。
 泣いたり喚いたりを、脅したり宥めたりでようやく帰国の途につける事となったマシューナルの一行と、同じ日にベルンチィアを旅立つこととなったドロテア達を、レクトリトアードは一つの決心を持って見送る事にしていた。
「わざわざ見送る必要もないだろう」
 町の外れで、酷く変わった一行が顔を突き合わせている。もう少ししてから出立するレクトリトアード達とベルンチィアの面々を前に、ドロテアが煙草をふかしながら何時もの様に言う
「そうか……これを」
 レクトリトアードは何かと忙しく直接返す事が出来なかった、あの時渡された武器をドロテアに差し出した。身体に馴染み、おそらく絶大な力をレクトリトアードに発揮させるその剣をドロテアの前に差し出す。それを見て、ドロテアが口の端で笑う
「如何する気だ?俺に返すのか、それともそれを持って、過去に戻るか?」


貴女と過ごした時間は幸せだった
だから故郷を失ったあの日に戻ることは出来ない
幸せの向こう側にある不幸に戻る事は無い
人は弱いから幸せを捨てられない
だから不幸を越えてゆく



「いいや、これを持っていても俺にはもう、どうする事も出来はしない」
 過去に戻り、村を襲ったものに対抗する事はできない。そして、この武器が無くとも自分が戦える事を知っている。
 強さだけならば何もそこには残らない。

**********

 闘技場で戦い抜いた、最高の栄誉を与えられるトーナメントに何度出場しただろう。
 最初は食べる為だった、そして勝ち続けた、勝ち続けて、勝ち続けてそして出会った、貴賓席に座る大陸一の才と財を誇る男と共に座り、こちらを見ていたドロテアに。
 『あれぞ大寵妃』と謳われた強く美しいその女に、見合うものは何も持ってはいなかった。有ったのはただの強さだけ。
「そうか」
 ドロテアは笑い、レクトリトアードから剣を受け取る。必要無い、過去に戻れない事を知った男に笑いかける。

似ているのかな……と思ったが

**********

 闘技場で勝ち続ける男がいると知る、偶に実戦経験をつむ為に顔を出してはいたが、死ぬまで戦うそのトーナメントに出場する気など毛頭なかったし、見にいく気にもならなかった。
 ましてそんな所で得られる栄誉など興味がない。それでも誘われて見にいった人気のカード、確かに強かった。その名の如き強さだった“レクトリトアード”。だが男は栄誉など求めてはいなかった、それだけは興味を引かれた。オーヴァートと別れた後に会いに行った。


−寂しい顔をしてる−


 そう、言えなかったのは、ヒルダと別れた際俺もそう言われたからだ。
 そして己の表情にまだ自信が持てなかった、だから言わなかった。後一歩及ばなかった、自分の中の記憶が。
 後でマリアに聞いた、ヒルダがレクトリトアードに正面を切って言ったと。強いな、ヒルダ……もう連れて行っても大丈夫だろう、知らない、教えていない過去へ旅をしよう。知る権利とか知る義務とかではなく、知ってもらおう。

「知りたいと、ヒルダが言っていたわよ」

 ああ、そうか教えてやるよ。もう幼子でもないし、知りたいというのなら、お前はヤッパリ違うんだろうから。
 悲しさからその存在を消してしまう事はしないで欲しい、気持ちはわかるが……
「姉さん!! 買ってきたよ!! 死刑大全!!」
 手に分厚い冊子を持ち、振り回しながら走ってくるヒルダに目をやる。居てくれて有り難うと、何時か言わなくてはならない。正確には“姉でいさせてくれて有り難う”
 お前は司祭でもなんでも無い、俺にとって。唯の妹だ
「死刑大全じゃねえよ! で、ヒルダ。マリアと一緒に御者台に回れ」
「うん、ところで何処に行くの?」
 司祭服に身を包み、来年には大司祭に任じられる事が確定したヒルダ。大司祭になれば、教会の一つは任せてもらえるだろう、だから
「何処に行きたい、ヒルダ」
「トルトリア」
 今が最後かも知れない。
 あまりにもアッサリと言うヒルダと
「ま、いいけどよ」
 何気ない言葉でかえすドロテアと 果たして廃墟に想い出は残っているのだろうか?

**********

女が庇ってくれた。村にいたもう顔も思い出せない女が
身体を真っ二つに裂かれながらも、女は言った
“怪我はない?”
女は何かを唱えた、俺は女の身の下隠れていた
そして生き延びた。血で染まった女の身体の下で
あれ以来、女に庇われるのが怖かった

“私の可愛い”
俺を何故庇った
“ぼうや……”

あれは誰だったんだろう?

**********

 軽い足取りで御者台に回ろうとしているヒルダに、レクトリトアードは声をかけた。
「ヒルダ……あの」
 これを言う為に、これを聞くために此処に来たのだから。
「はい? 何でしょう」
 司祭の声は軽やかで、ドロテアと同じ色の瞳に移る自分の姿は随分と変わった。
「あの……あの……時、何故俺を庇った?」
 壊した破片が唸りを上げて、襲い掛かってきた時。
「はい? あの時……ああ、物が直撃しそうだった時ですね」

アレクサンドロス=エドは百万の敵の中、傷ついた味方を助ける為、恐れずに敵のただ中飛び込んだと

「ああ、俺ならばあの程度は軽い怪我で済む。下手をすれば君の方が大怪我したぞ」
「ははは、それね。庇いたかったからですし、モノがぶつかると痛いでしょう? それにレイさんだって怪我をしたら痛いでしょう?」
 風が歌うように言葉を紡ぐ。鳶色の瞳に写った自分の表情が、歪んで
「…………あ、ああ」

「怪我をしたら痛いでしょう?」

カチリと何か音がした。何処かで
この音がしたのは多分心だ
なくしていたと思った心が
こんなにも簡単な言葉が、こんなにも単純な事に
自分すら気付いていなかった

 誰もが振り返り、その司祭を見つめる。怪我をしないから、頑丈だから、直に体の傷は治るから。

平気でしょう、と

 でも、痛みは同じに感じるのなら庇われてもいい筈でしょう、庇う必要があるのでしょう。気付かなかった、自分ですら。

遺跡でも目を閉じた。それは怖かったんだな、痛さが

だからあの女は庇ってくれたんだな
そしてドロテアもヒルダも
確かに庇ってくれた

「庇ってもらうのは悪い事じゃないですから、そして痛いのも我慢する事じゃないですから。気にしないでいいんですよ」
“ありがとうと言いなさいよ”とマリアが
だが……声が出ない
言葉は単純で、軽く扉が開く音がする
“鍵を付けな”とエルストが

怪我はすぐ治るが、怪我をすれば痛い。自分でも忘れてしまっていた。

 やっと口に出来た言葉は、力なかった。
「痛いな……確かに」
 溜め息と共に口から零れ落ちる言葉と、石畳の道を風が通り抜けていった。司祭の服の端がはためいて
「怪我が魔法で治らないのなら尚更ですよ。怪我に気を付けて下さいね」
 司祭は軽く祈りを捧げてくれた“怪我をしませんように”と。同じような顔のドロテアがここで祈っても、俺は何も感じないだろう。
 このヒルデガルドだからこそ……
 初めて聖職者に救われた気が、いや救われたのでは無く
 −ずっと痛かった事に気付いて欲しかったんだ−
 誰も気付いてくれなかった、自分ですら気付いていなかった。
「ヒルダ、手伝ってくれるかしら」
「はい、マリアさん! それじゃあレイさん!」
「あ……あぁ」

痛くて怖かったんだよ、怪我する事が


枢機卿にもなれるだろうといわれた女
俺よりも強いと言われた女の言葉は
純粋で、力強い
その強さは、死者と対面するのも臆さない
あの鳶色の瞳は、やはり強かった
誰よりも光を湛えて、鮮やかに笑い舞うように歩く

ヒルデガルド

レクトリトアードにその言葉をかけるのか
レクトリトアードの祈りは通じたのか?



「ヒルダ! 行き先変更だ!」
 その女も強い。
「何で?」
 何がそこまでニ人を強くしたのか?
「ギュレネイスに行く。この前の神父が処刑された、会いに行くぞ」
 それは人の死だろう。
「やっぱり死んじゃったんだ……うん!」
 同じに死を見た自分が強くなれなかったのは
「そうね、会いに行きましょうか」
 性格の違いか、それとも甘く生きてきたのか。それとも両方か
「ああ」

 死者に会いにいける程の勇気を持つ貴方達

「はい!」
−寂しい顔してるね
−軽い怪我でも痛いでしょう
 ああ、そうだ……痛いな。怪我をする度にそう思うよ。
 御者台に消えたヒルダを見つめながら、レクトリトアードはドロテアに尋ねる。
 今聞かなければ、多分聞く機会を失うだろうから。癖の強い髪と、そこからのぞく白い首筋。鋭い目付きで見上げるように俺の方を向く。目を真直ぐ見て、尋ねる
「ドロテア、鍵はエルストが持っていたのか?」
 あの夜、テラスで聞いたエルストの言葉。多分それは、“レクトリトアード”が言う事の出来なかった、気付く事の出来なかった言葉。
「そうだな、初めて会った時に聞いた。初対面で気付いたのはエルストが始めてだったな。オーヴァートですら気付かなかったぜ」

あの男は賢いとオーヴァート=フェールセンは言っていた

 怖くて言う事が出来なかった、斜めの傷。それすら美しさを増すだけのような傷、笑いながら。俺が言えなかった言葉
「その言葉か」
 別れるその時まで、見て見ぬ振りをした。それは自分自身が触れて欲しくなかった事をも意味している。
 過去の傷、もう治っていても痛み出しそうな傷。
「存外単純なもんだぜ……そうそう言っておくが、人の結婚式を遠くから覗いているような男に、ヒルダはくれてやらんぞ、レイ!」
 嗚呼、ドロテアお前は何でも知っているな。
「ドロテア?!」
「気付いてないとでも思っていたのか?」
 あの花嫁は美しかった。今でも美しい。
 鮮やかに笑う女だと、艶やかに笑う女だと
「いや、その……あの……あれは……」
 あれ程艶やかに笑われては、娼婦も形無しだとヴァルキリアは言っていた。
「おらよ!」
 腹に入った拳は容赦なく、普通の人間なら真っ二つに切れるような
「ぐふ!」
 膝を付いて倒れこむ自分の頭上に下りてくる、
「まあいいや、最後に優しい言葉一つかけなかった冷たい女が、お前の問いに答えてやろう」
 優しい声。
 “全てを抱きしめてあげるわ”と言った娼婦の声よりも、はるかに優しくそして、優しい。お前が優しいのは……俺も知っている。俺以上に知っている者も沢山居るだろうが、俺に向けてくれた優しさは俺が誰よりも知っている。ドロテアは同じ優しさを人には向けない、人によって向ける優しさが違う。
 エルストに向ける優しさと、俺に向ける優しさは違う。それに嫉妬する気もない、それで良いのだと、それが正しいのだと。そして俺には出来ない、俺は全ての人間に対して同じように接しただけだった。

俺の生き方は楽だが、お前の生き方は大変だろうなドロテア

「え……」
 同じような目にあって、どうして他人に対してそれほど優しくできるのか?
 それを知りたかったような、でもそれを聞いても無理だったろう。
「殆ど怪我を負わない男は体の傷に心の傷の痛みを紛らわせていた。それは愚かな事だからやめるんだな、最もそれは言った所でどうにもならない、その男が気付くまでは!! 馬車を出せ、マリア!ヒルダ!!」


怪我をすると痛いんだ
−解るまで教えてやらん
−じゃあどうやって俺は解ればいいんだ?
−俺と別れるしかないだろう
紛らしても結局は痛むんだ


いつかお前に答えをくれるヤツが現れる
そしたら教えてやるよ

−似たもの同士だった良かったのにな、俺とお前−

全く似ていなかった。残念な事に



 ドロテアの声にヒルダが勢いよくこたえる。レイが殴られたらしい事には気付いていたが、何時もの事なのであまり気にしてはいない。
「はい!」
 馬車がゆっくりと進む。女は一人うずくまった男に言う。
「心の傷と、体の傷、どちらが痛い? そんなモンは“死に到った方が痛い”に決ってるんだよ、だから人のよって違うのさ、そうだろレクトリトアード!」
 何も、返す言葉も言える言葉も無かった。
 まだ死んでいないから、心の傷も体の傷も大丈夫、言ってくれたという事は俺がそれに気付いた
 軽く飛び、ゆっくりと進む馬車に身を躍らせた。
 オマエは本当に俺自身より俺の事を知っている

 腕が千切れていた。縛っておいたら繋がった
 心は傷ついた、でも何とか今まで生きてきた
 まだどちらも俺にとっては“死に到る”傷ではない
 どうやって心の傷を治すのかは解らないけれど  今度はその傷口に自分の手で触れてみよう
 その傷にこの手で触れることができたなら


ドロテア、俺はお前を諦める事が出来るだろう


 遠ざかっていく馬蹄と、隣に膝をつき顔を覗き込んできたバダッシュ。
「大丈夫か、レイ?」
 背中をさすりながら聞いてくるバダッシュに、必死に笑おうとして
「大丈夫……な……訳ないだ……ろ。痛……」
 ハラリと落ちて行く涙。石畳に落ちた涙に自分の過去を思い出す

 エド法国とエルセン王国の境にある小さな村だった。何があったのかは解らないが、突如何かに襲われ村が壊滅し一人だけ生き延びた。
 何をして良いのか解らずに暫く死体の転がる村にいたが、耐えられない”何か”に大人が狩猟に使っていた斧を持ち村を出た。習った訳でもないのに、戦う事が出来た。襲ってきた盗賊を殺して金品を奪って海沿いを歩いて行った。
 ある日襲ってきて返り討ちにあった盗賊が命乞いをしながら言った“それだけ強けりゃマシューナルで戦った方が金になるぜ!! 俺は裏稼業から足を洗うから見逃してくれ”と。

 俺を庇ってくれた女も“マシューナルかエドに行きなさい”と言って事切れたから、行こうと思った。後半の言葉に興味はなかったが、見逃す事にした。どうでも良かっただけだが
 盗賊にマシューナル王国は何処か? と聞いたらすぐそこだと言われ、隠れて国境を渡り首都に辿り着いた。そこで暦を見た、そしてあれから二年の月日が流れている事を知る。
「闘技場に参加したい」
 薄汚れた子供だった俺を受付は笑い
「参加費用はあるのかい?」
 尋ねられ金を差し出した。
「どれに参加するんだ?」
 尋ねられ、
「人を殺してもいいやつ」
 答えた。
「お前殺されてもいいのかい?」
 いわれたから
「いいんだ」
 そして、闘技場に出た。人々の残酷な歓声と、子供である俺に対する冷やかし、そして対戦者の勝ち誇った表情。
 武器は襲ってきた盗賊から奪った斧で

勝った
その日から勝ち続け十年が経った

故郷を失ったという過去と、莫大な報奨金に数多の女が擦り寄ってきた
心の渇きを癒す事など考えた事もなく、そして女を抱いた
あの女も同じかと思ったが、それは違った

富も栄誉も自分の手で勝ち取った女
−ドロテア−
ドロテアだけは俺の本性を見ていた
髪を掻き揚げ、微笑む姿は本当に優しかった
甘えられなかったんだな、俺は
俺とお前が似ていたら、俺はお前を嫌いながらも離れられなかった筈だ

違いすぎて、好きだった
だから別れたんだな
別れるしかなかったんだろう
死別以外で人と別れたのは、お前が始めてだった
そして最後かもしれない
俺にとって別れた相手と思えるのは

**********

「出発は明日にするか」
 バダッシュの問いに。頭を振り立ち上がる
「いや、何とか。王子に逃げられでもしたら大変だから」
 もう腹部は痛まない。それでも涙が落ちた
「そうだな」
 痛いのではなく、思い出したら悲しくなった。初めてだな、ドロテアの事を思い出して涙がでてきたのは

俺は本当にドロテアと別れたんだな
そして、本当に故郷を失ったんだな


 立ち上がったレクトリトアードが泣きながら笑う。その姿をみながら、イザボーがマシューナルの兵士に声をかけた
「結構笑うと幼いのね、アナタ達の隊長」
「そりゃまあ、まだ二十を少し超えた程度な筈ですから」
「ドロテアの方が四つ年上だった筈よ」
レクトリトアードの以外な若さに、イザボーは絶句した。
「あの隊長って十年以上前から闘技場で……」

戦い始めたのは七歳の頃

俺が十七の時、二十一歳の美女に声を掛けられた。王学府を卒業した才媛だ。
あれから五年
ドロテアは二十六歳に俺は二十二歳になった。随分と時が流れた
別れてから四年

あの日、初めて女に見せた胸の痣に
お前は酷く悲しそうな顔をした
−誰にも見せるなよ、どんな女と肌を合わせても−
見せたのはお前だけだよ−ドロテア−
これも理由を聞けず終いだった、いつか聞こう。その時は答えてくれるだろう?
白皙の肌、美しい爪、そして優しさを
一年間だけ一緒に、忘れられない思い出を残して
色褪せる事のない艶やかな女
二年後に他の男の元へと嫁いだ、嫁ぐというよりかは花婿を従えて
−優しい男だな、その男は
誰よりも美しい
それは変わらない

『エルスト、ドロテアを幸せにしてくれよ』

皇帝が俺以外聞く者のない場所で呟いた言葉と同じ言葉を今なら言える

「エルスト、ドロテアを幸せにしてくれよ」
それが出来るのはお前だけだから
別れた四年がやっと『流れ』はじめた
落ちた涙と共に
「行くか」

**********

 ドロテアが金を払い自由にしてやったシスターと、家を捨てて自由になった騎士は、エド法国に向かって歩き出した。その後姿は強く美しい。
 他人には見えなくなる程はなれた二人。まだ俺の視線の先には女達が見える。何を話しているのだろう……。意識すれば聞けるだろうが、止めた。俺は人より確かに身体能力が優れているが、それだけなのだ。優しさが溢れているとか、圧倒的に意志が強いとか、自分の身の回りの事を全て自分で出来るとか、その胸を貸して相手を泣かせてやれるとか、そんな事は出来ない。


ただ、漠然と強いだけなのだ
努力をしたわけでも、望んだわけでもない
だから漠然と強い自分を眺めているだけだった


 これではいけないのだと思う、あのエド法国に向かって歩き出した二人のように、自分の意志でこの力を使う事をしなければ。
 他者が持たないこの力を“人生”としなければいけないと。この力を認めなければならないと、その為にも
「戻るか、国に」
 先ずは今の仕事を終えよう。そしてその先を考えよう、そう考えながら隣にいるバダッシュに声を掛けた。
「そうだな。首も腐るし」
 コルネリッツオの頭部も国に持ち帰らなければならないからな。最早見える筈も無い、ドロテア達の馬車の向かった先に目をやって
「戻って来るだろうか、国に」
「ドロテア“達”だろ?戻って来ると思う。家もまだそのまま残しているからな、ドロテア」
 オーヴァートが『作り』与えた、豪華すぎないが立派な家。フェールセン城に匹敵する民家。罠を仕掛けて旅立ったから、よく家の前に大怪我をして転がっている輩がいる、それも重症になるような罠で。まったくもってドロテアらしい。
「そうか」
 “ありがとう”と戻ってきたら言おう。ヒルダに、ドロテアに、そしてエルストにも。きちんと言うよ、マリア。
「レイ」
 馬の向きを変えた俺の隣で、まだ遠くを見ているバダッシュが不意に声を掛けてきた
「何だ?」
「俺好きだったんだ、ドロテアの事。少しオマエが羨ましかった、レイ」
 それは、知らなかった。俺はあまりその手の事に興味がないからな。
「……今は?」
「今でも」
 振返りながら笑う顔に、一抹の寂しさが浮かんで、正直に答えた
「俺も……まだ好きだ。でも諦められる」
 似ているのに全然違うあの司祭に、今度は自分から言ってみよう

−どうだ? 話をしないか
そう声をかけてくれた女

「そうか。俺はまだ好きだ。多分一生諦められないと、思う」
馬の嘶く声に消されてしまうような小さな声で、また笑った。

**********

 俺は貴族の五男だから、身分違いも何もないと気楽に構えていた。家柄も両親の血筋もすこぶる良かった。だから、どんな相手とでも恋愛できると、手に入れられると。
−当たり前。そして俺を好きになった奴も相手にはしない、言ってこないのなら尚更だ−

 亜麻色の髪に白金のティアラ、細く白い首に真珠のチョーカー。指輪は一つ、レースの手袋。
 煙草を咥える仕草、そして煙草を咥える艶やかな桜貝色した唇。
 羽織ったショールの肩の上に置かれる手は、皇帝の手。皇帝が強く掴んでいるその肩は、細く美しく。
 まさか一瞬で心を奪われた相手が、皇帝の寵妃だとは。自分の趣味の良さに一人溜め息を付いた。
 ドロテア=ゼルセット。名は聞いた、王学府を変えた女、マリアの次に美しい女だと。
 才媛というよりは、ふてぶてしいと思ったが、その性格も愛しい。

机を並べ、本をつき合わせ学んだ毎日が懐かしく、忘れてしまいたい程愛しいと

 昔ギュレネイスに仕事で向かった事があった。
「ギュレネイスか」
 まだ髪が短くて、あの顔がはっきりと見えた頃。そう、あの皇帝の愛人だった頃……当人は愛人だと言い張ってたけど、『恋人』だったんだろ。若しくは寵妃
「書類届けるだけなのに、何でこんなに隊列組まなきゃならんのかね」
 皇帝から渡されたそのショルダーアーマーも、あの頃は上から下までフル装備だった。今は肘から下をエルストに預けてるけれどな。
「そう言うなよ、ドロテア」
「ああ、そうそう。宿は全員フェールセン城でいいな。城と言っても召使用の建物だけどな」
「いいのか?」
「許可は貰った。鍵もある」
 俺も相当な金持ちの家に生まれたけれど、あの皇帝の渡す宝飾品はとてもじゃないけれど贈れない。耳からぶら下がってるドロテアに“似合う”小振りなイヤリング。相手の趣味や外見を全く意に介さない贈り物をすると有名だった『オーヴァート=フェールセン』
「惚れられてるな、ドロテア」
 その男に“これ程似合うもの”を贈られる女。高価なイヤリングと高価なリング。それら全てを集めても叶わない、あの黒いショルダーアーマー。皇帝の無限の力と権力と畏怖を示す金属。
「当たり前だろ、愛人なんだからな。バダッシュ」
 綺麗だよ、本当に。
「せめて寵妃とでも名乗ればどうだ?」
「柄じゃねえ」
 いや、本当は大寵妃だった。オーヴァートが自分の居城に置いた、たった一人。別宅を与えられたのは数知れずだが、手元に置かれたのはドロテア、お前だけだった。
 愛人だって思っていたのはドロテア、オマエだけだぜ。
 人妻だろうが、恋人がいようが構わないと思っていた。
“二人で何処か人の知らないところへ逃げましょう”
 そんなつまらない恋愛小説の言葉も使えない。全大陸所持者である皇帝を前に、どんな言葉も無意味だった。
「ドロテア、待ってたぞ」
 何より、お前が全く他人を見ようとしなかったから。
「何でテメエがここに居るんだ! オーヴァート」
「お出迎えさ!」
「ならテメエが此処まで書類持ってくりゃいいだろが!」
 そうじゃなくて……
「まあ、お前たち自由に此処を使うがいいさ。ドロテア付いて来い。後は任せたぞヤロスラフ」
「何処にだよ!」
「良いから付いてこい」
 城に消えていった二人の後姿と白い虹。そして、雨が降る

あの国は雨がよく振る
皇帝の涙なのか
皇帝に虐げられ、泣くことになった人々の涙なのか
ただの雨なのか


ただの雨だよな


結局、ドロテアに告げる事が出来ないまま、気が付いた時
「元ギュレネイス警備隊の隊員……か」
結婚式には立ち寄った。本当に綺麗だったよ

「よぉ! 来てたのか」
「はい、お祝いだ。」
「ありがとよ」

呼ばれはしなかったんだが、立ち寄った。
綺麗な女だよ
そして、言っていても……無理だったか?
どうだったんだろうなあ……。もうどうにもならないけれど
「戻るか、マシューナルに。行こう、バダッシュ」
「そうだな」

フェールセン皇帝の妃になるとばかり思っていたんだが、違ったんだな
あの城の女主になるんだとばかり思っていた

ギュレネイスに今も在り、永劫に在り続けるあの城に
あの城のように、永遠に美しくあり続けると

“最後の皇帝”と“最後の大寵妃”

言えなかった分、この思いは永遠に美しいままなのかもしれない
あの城のように

雨の向こうに白い虹が出ていた、あの日

俺は学者を辞した
学者でいるのが辛かった
だから一言くらい恨み言を言いたい
『お前が美しいままでいるのが悪いんだ』
本当にお前は綺麗だよ

**********

 『ギュレネイス皇国は虹の掛かっている方角に進むといい』といわれる程、虹がかかる。
「マリアさん!虹ですよ!虹。綺麗ですねえ、七色全部見えますか?」
「私、数えられた事ないのよね」
 馬車の手綱を握り、声を弾ませてヒルダは隣のマリアに向き
「ギュレネイスの首都に行くのは私初めてです。マリアさんも初めてですよね」
 話始める。全く何時もと変わらない。そのあまりの変わらなさに
「そうね……ところでヒルダ」
「はい、何ですか?」
「レイはどうだった?」
 “もしかして”と思いつつマリアは尋ねる。好意は持っているようだが、それはあくまで隣人愛のようなレベルらしい。
「隊長さんですか? 少し明るくなりましたね」
 レクトリトアードが抱いている好意は、明らかに恋愛のレベルだ。「あまり異性の好意に鋭くないな」とドロテアに言われたマリアですら気付いた程なのだが
「そうじゃなくて……どう感じた」
 人の考えている事を察知するのが“特技”といわれるドロテアの妹は相手の感情、特に
「若いんですね、意外と」
 恋愛感情に対しては疎かった。そして若いもなにも、ヒルダと一歳しか違わないのだ、レクトリトアードとは。
「それだけ?」
「はあ……何か?」
「いいえ、前途多難だと思ってね」
「はあ?」
「いいえ、楽しみね。エルストの故郷」
「ええ、楽しみですね!」
 ヒルダの頭の中は、既にギュレネイス皇国がどんな街なのか? その興味で一杯だった。その、レクトリトアードの事など、すっかりと忘れ去っている横顔に
『私も鋭い方じゃないけれど……この子はそれ以上ね。頑張んなさい、レクトリトアード』
まあ、この二人先が楽しみね、とマリアは地図を開き、道を確認する。



お前を愛していたよ、ドロテア
さようなら
俺では見つけられなかったお前の鍵を
見つけた男と共に

ドロテア、お前を諦める事が出来る




揺れる馬車の幌のしたで、エルストは笑いながらドロテアに聞く
「なあ、ドロテア」
「何だ、エルスト」
「レクトリトアードって何て意味の古代語だっけ?」
 オーヴァートが笑いながら、そんな単語があるとエルストに言ったことがあった。その意味は……エルストは聞いたが、忘れたようだ。そして
「忘れたな」
ドロテアは口の端を上げて笑って嘘を言った
「そうか……」
その表情に、エルストは頷いてやはり笑った。


風の守護を受け
炎の剣を持ち
大地の精霊と共に
人々に海の如き癒しを与えるレクトリトードよ
レクトリトアードよ何処に

「気付いてないかも知れねだろう勇者自身も……」
人は自分が何者なのか、解らない


お前は俺よりも俺自身を知っている
『お前は本当に火の勇者だ』

− レクトリトアードそれは『勇者』を意味する−

氷のような表情を持つ、火の勇者よ。いつか優しい女の腕の中で眠るがいい
初めて声を届けた、優しく強い僧侶の腕の中で
祈るがいい、お前の元に僧侶が戻ってくる事を


第六章【勇者の祈り僧侶の言葉】完

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