ビルトニアの女
カタカタと語られる夜【1】

 問題なくベルンチィア公国の国境を越え、天候にも恵まれながらマシューナル王国、エルセン王国、エド法国を抜けギュレネイス皇国に入ったのはベルンチィア公国を出て二ヶ月以上過ぎてからの事である。
 道中、楽しく食事をしたり楽しく人を殴り飛ばしたり威圧したり、負傷者を治して金をとったりと大過なく通り過ぎそしてギュレネイス皇国の首都を目指していた。ギュレネイスの首都に近づけば近づく程雨が多く、そして雨は冷たい。雨は降っても天気雨ばかりなので日照時間は相当であり、農作物の育ちは決して悪くはない。ただ、日照時間が多くてもあの雨の量で農作物が育つのはかなり不思議な事であり、土に何かがあるのではないか?と調査をしている学者達もいる。
 実際、フェールセン城は地下もあるらしいが、誰も見た事はない。

現在の皇帝であるオーヴァートですら、どこから入るのか解らないという始末である

 そんなギュレネイス皇国の首都・フェールセンが見えようか? という所で馬車に振動が走った。
「大丈夫か? マリア、ヒルダ!」
 荷台から飛び降りたドロテアが、手綱を握っていたマリアとヒルダの元へ走る。二人は無事だが、後から出てきたエルストが前輪が外れているのを、座り込みながら確認していた
「車軸が折れたみたいだ。弱ってたんだろう車軸がさ」
「やれやれ、この近くっていやあ首都だよな……おい、エルスト馬に乗って町で車軸買って来い。車輪の換えはあるんだが、車軸の換えがねえ」
 町に着くたびに手入れはしていても、偶にこんな事もおこる。そして偶々車軸の換えが手元になかったドロテアは馬車用の馬を一匹だけ外しはじめた。
「わかった。どれどれ、鞍と鐙と」
 エルストは荷台から馬具を取り出し、馬の背に乗せたりベルトを締めたりしていた。
「アナタが街まで飛んでいった方が早いんじゃないの、ドロテア」
「首都の付近は飛行禁止区域なんだよ、マリア。危険だろうが、高い所から魔法を放たれたりすると困るからな。ま、普通の魔法程度なら防げるようにはなってるけどな」
 過去にマシューナルで城壁を飛び越えて侵入したことがある者もいる、いわずと知れたレクトリトアードである。あのくらいになれば、城壁を飛び越えられるが普通の人間はまずもって無理だし、近くを飛行していると問答無用で捕まる。ドロテアが飛ばないのは既にこの距離が首都の禁止範囲内だからである。
「なる程ね」
「それじゃ、行ってくる。そう時間は掛からないはずだから」
 馬車用の頑丈な馬の背に乗っている姿は、妙な感じである。どちらかと言えば、牛に乗っているかのような雰囲気だ。
「ああ」
「いってらっしゃい、エルスト義理兄さん!!」
「しかたねえから、黙って待つか」
「そうだね」
「俺は本でも読んでるが、二人はどうする?」
「私は聖典を久しぶりに読みます」
 それで良いのか、聖職者? まあ、出世する聖職者なんて得てして聖典など読まないものだからよいのだろうが……
「私は魔王城から持ち帰った布で、自分用のマントでも作るわ」
「そうか、それじゃ」
 ドロテアは地面に腹ばいになり、死刑大全と勘違いされている本のページを捲り始めた。細かい文字が並ぶそれを捲り始めた。
 そこには最近起きた凶悪事件などの詳細も書かれている。この本、読めば面白いのだがいかんせん字が小さすぎて好まれない傾向にある。
 数十ページほど読み進んだところで、遠くからの振動を身体に感じドロテアは身体を起した。
「いい馬蹄だな。早馬の馬蹄だろうな」
 通信技術は空鏡の固定型がある。フェールセン王朝時代の物を使用しているが、それは王族達や学者達、そして役所と銀行のみであり、一般の人は手紙を書き、それを配達屋に配送してもらう。
 配達屋は料金も安いが、それほど早くはない、むしろノンビリと連絡を取れれば良いや、という人向きだ。急ぎの連絡が必要な場合は早馬を使う、料金は張るが急を要する場合は仕方ない。普通の人は早馬以上の連絡手段を持たない。
「すみません、ドロテア=ランシェさんですか!!」
 早馬に乗っていた青年は、ドロテア達の前で馬を降り、迷わず手紙を差し出した。
「ああ、俺がドロテア=ランシェだが。何だ?」
「フェールセン人のエルストさんからの手紙です」
「? 手紙……あのバカ!! 金がねえならねえと言え!!」
 車軸を買いに行ったはずのエルストからの手紙を受け取り、あけるとそこにはエルストの字で端的な理由が書かれていた
“お金貰うの忘れちゃった。この前貰ったの使っちゃっててなぁ”
 往復するよりかなら、確かにこの方が早い。高くつくが、ドロテアの性格上この手段を取ったに違いない。最早怒られて怖いなどという感情はエルストにはない、あるわけ無い。あったらドロテアと一緒にいないだろう、普通は。
「エルストらしいっていうのかしらね」
「早馬代はコレでいいか」
 青年に金を渡し、それを受け取った青年は“それじゃこれで!”と首都ではない方角へ馬を駆っていった。まだまだ仕事があるのだろう。
「仕方ねえな、俺が行って来る」
 金の確認しなかったのが悪かったなあ、と言いつつ荷台に入り金庫から充分な金を取り出してドロテアも馬具を馬に乗せた。
「姉さん乗馬できるんだ」
 乗馬は習わなければ出来ないので特定の人しか出来ないものである。早馬をする先ほどの青年や警備隊隊員だったエルストはわかるが、普通の学者だったドロテアが乗馬を習う機会などそうそうありはしない。
「ああ、昔オーヴァートに教えてられた。尻は痛くなるは、下半身は使うはで大変な毎日だった」
 愛人時代に教えられた物の一つだったらしい。ただ、微妙な含みのある後半の言葉に
「……成る程ね」
 マリアは頷いたが
「はあ? 何の事ですか?」
 ヒルダは理解不能だったようである。
「どうでもいいことだ。じゃあ待ってなマリア、ヒルダ。それと簡単な結界かけておいたからな」
 簡単とは言っても、ヒルダとマリア以外馬車の荷台に入る事のできない高等魔法である。何時いかなる時でも警戒を忘れない、それがドロテア。
「はい。いってらっしゃい〜」
「悪し様に罵られるんでしょうね、エルスト」
「大丈夫、義理兄さんなら耐えるでしょう。なぁに何時もの事ですもの」
 両手を後頭部に組んで、ノンビリと馬の背に揺られてゆくドロテアの後姿を見送って、二人は再び作業に没頭した。
 元々縫い物が得意なマリアはマントを製法し終え、自分の方に掛けてみた。
「これで相当な魔法を防げるわね」
 馬車の荷台の幌と同じ色ではあるが、マリアが纏うととても高価な雰囲気がある。エルストが纏っていると臙脂色といわれるが、マリアが纏っていると薔薇色と評したくなる。
「そうですね。でも、マリアさんこの盾使います?マントじゃ物理攻撃はかわせないでしょう」
 あくまでもマントは魔法攻撃などをかわすものであって、殴られれば堪える。
「いいわよ、物理攻撃は攻撃し返して喰らわないようにするもの。叩かれると痛いしね」
「そうですね……あれ? あそこに家が見えます大きい屋敷ですね」
 ヒルダが指を指した先には、確かに小高い丘がありその中腹より下の方に屋敷が見える。
「あれ? さっき私が見たときは無かった気がしたけど……見落としたのかしら、あんな大きな家」
 見落としたり、見逃すにしてはちょっと大き過ぎる造りの家である。
 ヒルダも額に手を当てて「う〜ん」などといいながら、屋敷を見る。何がそれほど興味を引かれているのかと言うと、こんな半端な場所にある建物が純粋に不思議なのである。
 辺りには全く民家がなく、この屋敷一つ。首都には近いが、不便である事には変わりない。あれ程大きな家を建てられる人物ならば、首都に家を買うのも簡単だろう……
「人嫌いなんでしょうか?」
 それが最も一般的な解釈だろう。
「そうなのかしらね?」
 二人がそんな話をしていると、物凄い足音が聞こえる。何事か? とマリアが槍を構え、ヒルダが盾を構えるとそこに現れたのは
「すみません!! お願いします、助けて下さい!!」
 先ほどの早馬の青年だった。
「いきなりどうしたんですか、早馬の人」
 走ってきたらしい彼は、土ぼこりと汗にまみれている。
 何か気持ちだけ急いて、言葉が上手く出てこない青年にマリアが声をかける
「名前はなんて言うの、アナタ?」
「ザイツです」
 水を向けると何とか話始めた。
「馬はどうしたのですか? ザイツさん」
 ヒルダが問うと
「馬が! 馬が!! 足を怪我して、立てないんです!!」
 口からやっと言いたかったことが言えた瞬間、堰を切ったように喋りだす
「骨折かなにか?」
「はい!! お願いです、プレシーダを治してください! お金は後で必ず払いますから!!」
 怪我をして、一番に思いついたのが先ほど会った僧侶の格好をしたヒルダだったのだろう。だが
「お金はともかく……本当に怪我しているの? 結構そう言う追いはぎがいるから、あまりヒルダ一人を連れて行かせたくはないんだけど」
 とりあえず男性は疑うのがマリアの基本だ。
「本当です!」
 必死に縋るザイツに
「大丈夫ですよ、マリアさん。ザイツさん、根っから正直者ですし、それ程腕力も大したことないでしょうしね」
「じゃあ、残りの馬二匹を使っていったらどうかしら? 私は荷物を見張ってるから」
 別に荷物は見張らないでもドロテアが掛けていったエゲツないまでに凄い結界で何とでもなるのだが、いきなり二人がいなくなっていればドロテアが心配するだろうとマリアは残る事にした。
「有り難う御座います!!」
 ザイツが地に頭を擦り付けて礼を言う傍でマリアは馬を外していたのだが
「あっ、鞍がないです」
 乗馬できるのは二人だけなので、馬具は二つ分しか積んでいなかったのだ。だが
「大丈夫です、俺がこの馬車の手綱を引きますから、ただ跨って馬に掴まっててください! 絶対にお怪我はさせませんから!」
 ザイツは馬の隣で手を出し、
「乗ってください、エドの神官さん! 手を踏み台にして、どうぞ!」
 マリアとヒルダは顔を見合わせたものの、ヒルダは頷き
「ありがとうございます。さあ、行きましょう」
 ザイツは鞍も鐙もつけずに馬の背に乗ると、ヒルダの乗っている馬がかんでいる馬車用の手綱を引きながら、馬を走らせた。さすが本職、見事な手綱裁きで馬を誘導していく。
 乗馬が始めてのヒルダが、振り落とされないでいる姿がマリアの視線から消えた後、マリアは針道具などを片付け、料理の下ごしらえでもしようか?と荷台を覗き込んだ時、先ほどと同じような馬蹄がした。
『もう帰ってきたのかしらヒルダ……それにしては早いし……方向が違うわよね首都のほうからだけど』
 再び槍を持ち、馬の蹄の音がする方向に目をやると、今度は年頃の娘が馬を駆ってコチラに向かっていた。
「随分土ぼこりが多いけれど……」
 幾ら雨が降る事が多い地であっても、土埃はあがる。だが、娘の馬だけではあそこまで埃は舞い上がらないはずだ。
 娘の乗っていた馬がバランスを崩し、娘が投げ出された。馬の崩れ方がマリアの目から見ても、どこか可笑しかった
「なに?」
 マリアが様子を窺っていると、娘の背後から娘を追ってきたと思しき男達が現れた。
『何か凄くイヤな状況ね……』
 過去に似たような目にあった事のあるマリアとしては、見捨てたくはないが、相手の実力もわからないし相手が魔法を使えたりしたらマリアは一気に不利になる。
『やっぱり基礎魔法だけは習得したいわね』
 荷台に隠れて男達の数を確認すると、全部で十人。十人で一人の娘を追い回しているのだから、大したこともないヤツラだろう。
『あの娘が物凄く強いってこともないでしょうしね……こういう場合どうしたら良いのかしらね?』
 戦って勝てるかどうか?
 マリアはヒルダが置いていった盾を左手に、右手に聖なる短槍を持ち歩き出した。

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