騒然となった館で、ドロテアは嘗ての王女の側に立ち、耳打ちをする。
「ゾフィー。息子を産んだ時どう思った?」
そのドロテアの言葉に、ゾフィーは扇で顔を隠し答える。
「実家に何度も取り下げてっていったんだけどね……全く聞いてもらえなくて。ウィリアムにも頼んでいたの」
「それでヤツは此処に来ていたのか……」
王太子がわざわざ嫁いだ姉姫の館に訪れたのは、意味があったのだ。
「何度か非公式に訪問してきた事があるんだな?」
「ええ。実家では強く押せと」
「今や一つの国家として確立した国を、併合しようなんて夢見過ぎとしか言いようがないな」
「そうは思うけれど。それに良人も野心が全く無い人ではないから」
「枯れ果てた男よりはマシかもしれないが、知性と理性と行動がなってないからどうしようもない」
「ドロテアの男性達に比べられるなんて、良人も果報者ね。散々に言われても」
「そうか? ゾフィーも大体この騒動の根本はわかっただろ?」
「……キースのせいね」
「そうなるな。ま、命だけは助命嘆願してやるから安心しな。最悪実家に戻るハメになるかもしれないけれどな」
ゾフィーは少し悲しげに目線を落した。
『政略結婚で一番悲惨なのは、片方が普通に伴侶に対して愛情抱く事かもしれねえなあ』
**********
散々に言われているボスター公爵アンドルー殿下はレクトリトアードを伴い、ドロテアに言われた通り紹介状を探した。紹介状は基本的に執事の部屋に一まとめにして置かれている。勿論、施錠して厳重に保管されているはずなのだが、
「ない! 何故だ!!」
紹介状がないという事は、雇っていなかったということになる。遺跡の管理を任せた人物が『存在していなかった』となれば、これは大問題だ。
人間というのは意外に『確かに存在していた』という証明をするのが難しいとされている。
存在自体はいくらでも確認できるが、その個々判別し存在を確定するというのは最終的には記憶と記録が頼みになる。そして記憶と記録は、簡単に改竄できる。よって人の存在証明は、最も難しい学問と現在ではされているのだ。 ……そんな哲学的な学問思考はさておき、今手元にその書類がないとなると、これは大問題だ。王太子を誘拐した犯人が『誰なのか?』指揮した当人ですら、解らなく証明できなくなってしまったのだが
「どうやら、全て見えてきたようだな」
ドロテアには犯人が見えてきたようである。でも、
「私には全然」
マリアは首をかしげて
「俺にも全然」
エルストは両手を広げて
「はあ、私にも」
ヒルダは胸元で祈りきって、ドロテアを見つめるだけだった。
「早急に指示を出す、それに従えいいな!」
その三人と、その他大勢にドロテアは指示をこれでもか!というほど威圧的に命じた。
ドロテアはボスター公夫妻と子息を連れ、呼び出しに付き添った。
宮殿は、公爵の館よりは大きいが他の国に比べれば小さいと誰もが口をそろえていうだろう。
だが国土からいっても妥当だな、とドロテアは判断した。大した国力もないのに、やたら華美でも仕方ないと。
国は小さかろうが、国王の態度というのは同じである。王族というものは、兄弟であっても玉座についた者とそうでない者の間には、大きな隔たりがある。
兄弟であっても『臣下』なのだ。召しだされたボスター公を背後から見つめつつ、この先どう話したものか?とドロテアは辺りを見据えた。
ボスター公と良く似ているベルンチィア大公が手紙をパラつかせる。
「この手紙を昨夜拾ったものがおったそうだ」
声に怒気が含まれているのは、誰が聞いてもわかる。
“ってことは、あの手紙は王太子誘拐に関する手紙か……どういう事だ?”手紙を見つめつつ、ドロテアは考えを纏める。
「それは……なんで御座いますか、陛下」
ボスター公にしてみれば、全く覚えがないわけではないのだが、ここはあくまでもシラを切り通す。ドロテアにも強くきつく怒鳴られ……ではなく言われたし、自分自身で考えても、非を一切認めないのが、最良の策だと。だが、
「王太子の誘拐成功だそうだ。御主に向かって書かれた手紙だ。紙も御主の専用のものだ」
“それまで持ち出していたのか……分かり易いな”
王族や貴族、そして名家の者は自分の一族や当人専用の用箋を作らせ、それを使う。
専門の用箋を使うのは豪華な紙を使える事を誇示する目的と、書記官を使って書かせる為字が違い、重要書類の場合問い合わせが来る。専用の用箋はその手に入れ辛さから、字が違っても必ずその家の者だという証明になり、手続きを簡略化させる事も出来る。
勿論、用箋を偽造させる事も可能だが、偽造は見つかりやすいので、大体は盗む方が一般的だ。何せ専用の用箋は透かしやら、箔押しやらが多用されており、作れる職人も限られているので足がつきやすい。
因みに、あまりに透かしやら箔押しされて、書ける場所が一ページに二、三行というなんとも豪奢な用箋も存在している。
大公と公爵が二,三会話していると、脇から
「これは大罪ですぞ!」
いかにも権力者たる老人が、声を上げた。大公と公爵の会話に口を挟める程の力を持っている老人、となれば唯一人。ゾフィーの結婚を阻んだ人物、自分の娘を王太子の妻に仕立てたイザボーの伯父ことオルンティア伯爵。
“アレか……それにしても……最後まで沈黙を通せないもんなのかね、黒幕ってのは”
二対一で、言葉につまり始めた公爵の背後からドロテアが声をあげた
「お言葉ですが大公陛下」
その場にそぐう落ち着いた声だ。その声に、大公が目の前の公爵から視線を上げる
「何者だ?」
「ドロテア=ヴィル=ランシェと申します。……皇帝の愛人だった女と言ったほうが、通りが良いでしょうか?」
相変わらず、不敵な物言いでカツカツと大公の前に出る。
「ほお!! そなたがか、美しさも噂以上だ。学者だったなそなたは」
口の悪さも噂以上です、とベルンチィアの面々は言いたかったが、誰もいえなかった。
「ええそうです。そして全ての疑問を氷解させてさしあげましょう」
何時でも偉そうで、若干不遜。それがドロテアのいいところなのだろう……そうしておこう。
「疑問?」
美女に断定的に言われ、一瞬怒りが沈静化した大公だが、その脇から
「このような下賎の輩に耳を貸す必要は御座いません!」
黒幕と思しき大臣が、声を荒げ話に割り込んできた、が、
「学者に下賎も貴族もない。一族から一人も識者を出した事のない名家の出如きが、この事態を打破できるのか? 身ほど知れ」
相変わらずの言い草である。
「言わせておけば!」
「喧しい。話を進めたいので注意してください大公陛下。陛下が注意なさらぬのなら、法王や皇帝に注意させますが、どうなさいます?」
口封じも相変わらずなドロテアだ。そしてその二者の名前を出されては、大公は黙って指示に従うしかない。
「口を慎め、大臣。何を氷解してくれるのだ?」
「王子が何処に監禁されているか、ですが」
「わかるのか?」
“ここで嘘いってもしょうがねえだろうがよ。こんな切羽詰った時に新手の漫才か?”とドロテアは心の中で呟いた。何故か、エルストやらヒルダやらマリアやら、バダッシュやらレクトリトアードやらはそれが聞こえた気がしたが、全員目配せして、頷き納得して話を聞き続ける。
「勿論。まず、第一に。王子達はイローヌ遺跡に捕まっております」
「イローヌ!」
脇に控える家臣達がざわめく。ざわめきの中
「殿下の管理する場所です、やはり殿下が!!」
声を張り上げるのはやはり、大臣だが
「大臣、喋るんじゃねえよ!! あぁ? 聞いてなかったのかよ! 例え国王でも俺の話に口を挟んだら、殴る!! 殺す! 塵にする!」
「うっ!」
その言葉に大臣はドロテアの背後にいる、衛士達をみた。レクトリトアード以下全員、公爵夫人ゾフィーも、息子であるキースの頭を押して頷かせた。
「時間がない、続ける。陛下」
「お、おお」
皇帝の大寵妃、それは傍若無人と同意語、いやそれ以上かもしれない。
「確かに公爵殿下が雇った男です。公爵は古代遺跡の中でも、危険とされているイローヌの遺跡を知識もない自分が管理するよりも、知識のある者を使った方が良いと考えた。これは納得できますね、陛下」
「そうじゃな。イローヌは危険な遺跡としてかのオーヴァート卿からも、厳重注意を受けておる」
“へえ……ちゃんと仕事してるんだ、オーヴァート”とマリアは少しオーヴァートを見直した。マリアは今の今までオーヴァートは仕事をしていないと、信じ込んでいた。まあ、あの状態では致し方ないだろう、いや本当に。
「さて、公爵殿下の元に仕えるのに“雇ってください!”で雇われますか? 陛下の弟君ですぞ」
「紹介状が必要だろうな、それも役所の」
「その通り。ですが先程探した所紹介状が跡形も無く消えておりました」
「なに?」
「学者の紹介状は特殊なものです。いくら自分が言った所で書いてもらえるものでは無いし、役所で王学府に照会し学歴を載せます。これを偽造するのは、重大犯罪ですね」
「そうだ」
大公は隣に座っている大公妃と目をあわせながら、一つ一つゆっくりと回答していく。
「因みに、紹介状を自分で持ち出すのも許されておりませんね。契約が終わったら、雇い主が役所に返却し、それを役所が受理するまでが法律で定められています。さて可笑しいのは、何故紹介状を持ち出したか? です」
「それは“正体を隠す為に”じゃろう、違うのか?」
「正体を隠すのに紹介状を持ち出したら、役所に照会され直に判明します。そして正体を隠そうとしているのなら、昨晩の手紙はあまりに迂闊ですな。まあ、紹介状が一緒に落ちていたら考えも変えますが」
拾った手紙を持ちながら、大公陛下は辺りを見るが誰もが首を振る。手紙しか落ちていなかったのだ、紹介状は無い。紹介状があれば、まずその者を追うが手掛かりはこの落ちている手紙のみ。
「アンドルーの雇った者の名は?」
「エルダスと名乗っておりましたし、確かに紹介状も本物だったそうです。で、男爵、イザボー調べた結果は?」
ドロテアに指示を出された男爵達は、役所に照会に立ち寄った。対応の職員の答えは簡潔であった。
「エルダスという名の男の紹介状の写しは、何処にも御座いませんでした」
「確かに! 私は確かに!」
簒奪の意を持っていた公爵は、自分が追い詰められた事を知り必死に声を上げる。その声を諌めるように、
「落ち着け、公爵。ところで陛下、その落ちていたという手紙のですが、普通署名して手紙出しますかね? 王子誘拐成功だなんて事。それに重要書類に封をするなら魔力か方陣印です。勿論それは特殊な取り決めで、誰でも開けられるものではありません、まして重要事項ならば尚の事。迂闊すぎませんかね? ただ蝋封をして道端に落すなんて。学者の卒業試験にもあるんですよ、重要書類の封の仕方は。遠目で見てもその封筒には魔力も魔方陣も感じられません、簡単に開いたでしょう陛下?」
魔力で封をする場合もあるが、学者が習うのは魔方陣のほうである。魔法は使えない者も存在するが、魔方陣は図形であり数式なので覚える事、使う事が誰にでも可能だ。
そして、それほど難しい魔方陣でなくとも、特定の相手のみが開封できるようにする事はできる。
「ああ、そうだ。確認してもらえるか」
大公が、部下に持っていかせる前にドロテアがツカツカと歩み寄り、手に取った。圧倒する鳶色の目で大公を一瞥すると、大公の動きは止まった。美しさ以上の怖さがあったのは言うまでもない。ドロテアは手に取った手紙を透かして、そして何かを唱え紙を撫でた。だが、その呪文に紙は何の反応も示さない。
それを確認すると、ドロテアは嬉しそうに喋り始めた。
「ええ。……何の方陣も用いていませんな。こんな状態で密書を作るボケもそうそういませんな。邪術を用いれば、この程度の普通紙でできた封筒は、封を開けずに中を見ることだって可能です、この状態では。これは王学府を卒業した者の所業とは到底思えません。さて消えた紹介状、落ちていた誘拐成功の手紙そこから導かれるのは二種類“公爵が簒奪”そして“公爵の処刑”。このまま行けば公爵は処刑間近ですが、それこそが疑惑の始まりですね。役所の統括は何方ですか? あれも事細かに分割されておりますが、学者の紹介状を出すような部署は、高官の直属部署ですな」
その場にいたベルンチィアの者たちが視線を一点に集中させる。
「オルンティア大臣の……直属だ」
「此処までは皆、公爵殿下を疑って話を聞いておられる。だが紹介状は本物でしょうね、まさか王弟殿下が書類についている自国の印を見分けられないとは、到底考えられません。そして紹介状が本物だとしてみると、写しが無い役所の方が疑わしくなります、違いますか?」
「何を抜かす!!」
と大臣が威嚇するも
「黙ってろ!!」
ドロテアの威嚇に、大臣は弛んだ皮膚の付いた首をすくめ、言葉が続かない。怒号一つで稀代の大学者にして“大大大”変人・故アンセロウムをも止めた事があるドロテアだ。普通に権力におぼれた程度の老人では、その恐ろしさに怒鳴られた相手が気を失うほどの怒鳴り声を出す事くらい朝飯前というか、日常茶飯事だ。
「怖い怖い、そう言う事かドロテア」
最も怒られ慣れしているエルストは、全く意に介さないが。
「解ったか、エルスト」
「ああ。四分の一の宣誓な」
マリアとレクトリトアードとヒルダが互いに不思議そうに顔を見合わせる。が、それ以外の者はその言葉を瞬時に理解した。
「四分の一の宣誓」それこそが、先ほどゾフィーとドロテアが会話していた話の核であり、この事件の核の一つでもある。
「そうだ、エルスト。陛下、覚えはあるでしょう?」
「それは……」
「王太子妃は御懐妊なされてそうで。まあ宣誓通りになっても妃にしてやれば丸く収まる、とお思いかも知れませんが、公爵と大臣は収まらないでしょう。大臣はあの手この手を打って実の孫を継承者に定めさせるでしょうね」
「それで正しいんじゃないの? 王太子の子が嫡子で継承者だって」
“四分の一の宣誓”が何かわからないマリアはドロテアに尋ねた。ドロテアは、大臣の方を睨みながら
「それが違うんだマリア。マシューナル側ではゾフィーは『王太子妃』になると信じ込んで、送り出したんだ。だが、ベルンチィア側に到着してゾフィーが出合った相手は王弟殿下」
「騙したの?」
マリアの受ける感じからいっても、王太子とゾフィーの方が確かに納得いく。
キースの手を握り締めているゾフィーの表情が、暗くなっていくのがマリアにもわかった。おそらくそれが四分の一の宣誓のせいなのだろうと。
「大臣の意見で大公がギリギリで変えたんだ。で当然マシューナル側は、酷く怒った。『ゾフィー王女は後々の大公妃になる為にそっちに渡したのに』と。その怒りを鎮めるべく、適当な宣誓書をエド法国に提出した」
「適当な宣誓書? オマケになんでエド法国なの?」
「後に『そんなのは無効だ』と言わせないために。宣誓には第三者的な立場の国、それも相手が誓いを破った際に懲罰を加えられる国が選ばれる。宣誓にはエド法国が一番使われるさ、なにせあの国は圧倒的強い。だからエド法国があり続ける以上、その宣誓書に従わなくてはならないのさこの国は。で、その内容が、王太子の第一子が女児であり、王弟殿下の第一子が男児であった場合継承権は王弟殿下の男児の方が上位にくる、ってな。確率的に宣誓通りになるのは四分の一しかなかったんだが、実際王弟殿下にはキース王子という男児が第一子に生まれてきた。ここで王太子妃が女児を産んでしまえば、折角外戚で権力を握るはずだった計画が水泡に帰すのさ。それに……俺達なら手を乗せただけで探る事も可能だぞ、胎児の性別くらいならな」
ドロテアが手のひらに奇怪な文様を光らせ、大臣の方に向ける。大臣はその文様に見覚えがあるのか、表情がひきつった。
今、王太子妃をこの場に連れて来いといわれれば、全てが壊れるのだ。『胎児の性別を判別する』ことの出来る邪術。
「成る程ね。ごり押しで娘を妃にしたのはいいけど、公爵殿下が隣国の姫君貰ったから状況はあまり変わらずって事ね」
まさか追い返すわけにもいかず、前妻を失っていた王弟に娶わせたのだが、それが長い年月をかけて歯車が軋んでいったのだ。
「そうでしょう、陛下。まあ陛下としては国内の権力者と、隣国の権勢を均等に振り分けたおつもりでしょうがね。それにだ、マリア。国が理によって動いていたら国は発展しないし、見てきただろ?」
イシリア教国の事である。経典のみにしたがって生きていこうとするが、それは無理というものだ。なぜなら、その経典自体人間が書いたものであり、矛盾も欠陥も含んでいるのだから。
「いや……だが」
大公が言葉を詰まらせていると、ことさら面白そうにエルストが続ける
「パーパピルス王国とエルセン王国が似た様な状況で領土問題に発展した事もあったな、ドロテア」
今から十年前のそれなりに有名な事件である。パーパピルス王国で前国王の正嫡であった兄王が突然死した為に急遽即位する事を余儀なくされた、妾腹の弟がいた。国内で平民出の王はそれなりの人気で即位したのだ、フレデリック三世として。その大陸で一番頭の良いと評判の新国王を、概ねの人が受け入れたのだが……
当時のエルセン王国でも即位したばかりの王がいた、マクシミリアン四世である。その彼が横合いをいれてきたのだ、自らの母后が先々代の国王の妹姫「二人の父親の妹の子」であるのを理由に、パーパピルス王国の王位が正統性では自分の方が上位であり、自分が継ぐのが正しいと。
パーパピルス国内の一部の貴族がそれに同調し、大騒ぎになった。が、
「ああ。あれは“皇帝”が介入して収まったが、今回もそれを期待する訳にはいかんだろう」
面白くなさそうにドロテアは言い放つ。結局その騒乱を収拾したのはオーヴァートであった。オーヴァートは『パーパピルス王国・先々代国王の甥』であるので、マクシミリアン四世に継承権があるのならば、皇帝の血を引きし自分には、それ以上の継承権があるはずだ、と。
それは単なる脅しである事は誰もが知っている、だがそう宣言されればマクシミリアン四世は引くしかない。いまだ権威も勢力も一国を軽く凌ぐ皇帝、初代国王の主でもある皇帝の子孫と事を構えることは、出来るわけもない。最も格が高い国王だとしても。
なによりエルセン国法には「皇帝に叛意を示すものは王位を剥奪する」と記されている為に。
血筋と家柄でいけば、オーヴァートを凌駕する者は大陸には存在しない。そしてこの平定は、パーパピルス王国の世襲宰相がエルセン王に対して先手を打ち、多大な犠牲を払った結果である。
だが玉座に残ったフレデリック三世と、国王の宝を無断でオーヴァートに差し出し助けを求めた世襲宰相との関係には亀裂が入り、十年経った今でも全く修復する気配はない状態であるのはまた別の話としよう。
正当性に弱いエルセン国王は、直に手を引き、新パーパピルス国王は国内でエルセン国王に同調したものを国外追放や、あおった者を処断するのが、新国王としての最初の仕事となったといわれている。
だが、今回は違う。ベルンチィア公国にオーヴァートが介入することはない。この国にはオーヴァートに差し出すものがないからだ。最も遺跡が無断で使われたとなれば別だが、
「それと、手紙を届けた者は何処にいますか?」
「手紙を拾ったのも大臣の家のものでしたわ、陛下」
大公妃が表情を固くし、ドロテアをみつめる。
「それは出来すぎです」
「陛下!! 騙されてはなりませぬ、邪術で騙されておるのです! 目を見るだけで操れるものが」
大臣が口角から泡を飛ばしながら叫ぶ。その言葉に重なるようにバダッシュが低く叫んだ。
「語るに落ちたな、大臣! どんな邪術だ?」
突然の鋭い糾弾の声に、一瞬怯んだ大臣と大臣に近寄っていくドロテア。カツリカツリと響く足音が、大臣の頭の中に響き少しずつ空っぽにしていく。
「それは、一般的に使われる人……を操……る」
近寄ってくるドロテアを前に、何も動く事も出来ずただ、ありのままを口にする大臣。その言葉が“聞きたかった”のだ。なぜならそれは
「それは一般的ではない。使える人間など限られている。ましてそんな高等邪術を使える人間なら、魔力印をしない封書を落す訳もない。大体、落とさないようにする事もできるし、紙に書かなくても魔力で連絡を取ることも出来る。最もそれじゃあ、相手をはめるのには少々、お……そろそろ来たな」
相手の身元を割り出すのに、最も重要な事だからだ。ドロテアが“そろそろ来たな”といったとおり、足音が扉の前で止まり一礼をしてベルンチィア側の他の兵士が入ってきた。
「調べが付きました、ドロテア卿!」
「どうだった」
「コルネリッツオです。指名手配犯の、コルネリッツオに間違いありません」
「そうか。良かったじゃねえか、バダッシュ。二つ一気に片付くぜ」
「やっと見つかった。ココまで出向いてよかった」
王座の間が静まり返り、呆けた大臣の声が
「何故……」
力なく響く。
「ばれた? か。この国も存外平和ですな、陛下」
「何と申してよいか。説明を頼んでもよいだろうか」
「紹介状はあったと仮定します。紹介状は本物で、そして公爵殿下はその人物を“ギュレネイス人”と言いました。そして仮説を立てます、何だと思うエルスト」
「そりゃ犯罪者の隠れ蓑にされたって事だろうな、公爵殿下は」
「その通り。そして、この国の王学府出身ではありませんし、国内の王学府では偽装だとすぐに露見してしまう。照会は本当に行わなくてはならなくて、だから照会先には記録が残ってるんですよ、当たり前に。照会した側は履歴を消す必要もありませんしな。まあ消せと言われたりしたら、怪訝に思い直に届出が出されますしね。この手の書類はかなり煩いんですよ、何せ一国を簡単に滅ぼせるような遺跡に派遣されたりするものですから。偽造、証拠隠滅は、亡国を作る可能性まで出てきますから。犯罪を犯した学者の照会もよくあることです、まさか犯罪者として指名手配されている学者を匿うバカな国はしませんからね。そんな犯罪者であれば照会しなければよかっただろうと思われるかもしれませんが、照会しなければ大臣もその男が遺跡を扱えるとは確証がもてませんし、たとえ扱えるとしても何処まで扱えるかもわかりませんから、結局は照会は必要なんですよ」
眼光で人が殺せるとしたら、まさに今のドロテアの眼光だろう。寧ろ、この眼光で死んだ方がマシなのかもしれない。そして
「意外とマヌケね。出し抜いたつもりだったのかしら」
マリアの有り触れたそして最も的確な軽蔑の言葉が、室内に響き渡る。
「コルネリッツオというのは、ギュレネイス人で、マシューナル王学府で学んだ男ですが、これが陰険な中年親父でしてね。同期でしたが、魔力は確かにあります。のちにマシューナル王国を追放ではなく、極刑前に逃げ出した強かな男です。彼の罪状は催眠術、先程大臣が“騙す”と言ったあれで、人を操り金を家から持ち出させて受け取っていたのです、勿論記憶は残りません。少し詳しく言えば、邪術は大まかな物には基本・規則がありますが、それを応用するのが一般的です。人を操る邪術ともなれば、クセが強く出ます“目を見て人を操る邪術”を使うというのは余り聞きませんし、犯罪者として確認されているだけではコルネリッツオだけです。あと五名ほど使える者が存在するといわれていますが、皆所在は明らかです」
誰がどんな邪術を使ったか? 調べる事ができるのはこの性質があるせいである。
「それで王太子達を操って?」
「そう考えた方が普通だ。それに大臣としては王太子が戻ってこようがどうでもいい訳だし、既に身篭った娘がいるからな……むしろ戻って来ないほうがいいのだろう? 聞けば王妃の他に寵妃がいるそうじゃないか、王太子には。まあ、王太子に寵妃は当然だろうな、その寵妃もどれほどの美女かは知らんけどよ、俺以上という事はあるまい」
くくく……とドロテアのバカにしたような笑いが、静まり返った室内に響き渡る。壮麗ではあるが、規模からいってもエド法国には遠く及ばないその室内で、ドロテアが笑いを収めて自分より高いところに座っている、大公を見下すように睨み付けると、大公は唾を飲み込んで乾いた声で
「大臣……書類偽造だけでも極刑じゃ」
そう告げた。まだ、頭の中で整理をしている大臣が、口を開く前にドロテアが続ける
「で、陛下と大臣と殿下。騒ぐのは後にしていただきます! 私が此処にきたのはお家騒動程度の問題では御座いません。早い話が国は滅亡する寸前です。一気に言いますが、イローヌ遺跡は単純に言えば破壊施設です。先ほどコルネリッツオが極刑だと申し上げましたね、施設を陣取ったと言う事は稼動させるつもりでしょう。そして己の減刑を望むか、それともイローヌの主になるか。どちらにしても稼動させ、その威力を人々に見せねば誰も従わないでしょう。そしてほぼ十割の確率でこの国を撃ちます。マシューナル王国に皇帝がいた場合、イローヌ遺跡を使用してもなんらダメージを加える事が出来ませんから」
「な!!」
大公は驚くが、よく考えればわかる事だ。そしてこのイローヌ遺跡を奪ったのには他にも色々と理由があった。
「イローヌのある装置を動かすのには多く生体的……解りやすく言えばの生贄が必要です。その手紙に書いている以上に。そしてイローヌは国境沿いです、マシューナルのね」
国境沿いの遺跡を管轄、それゆえに大公の弟は軍隊を持つ事を許されていた。これが、重要な点だったのだ。
大臣は自分より遥かに狡猾なコルネリッツオに、上手く乗せられたのだ。
「生贄狙いの手紙だったんだな、ドロテア。公爵殿下が殺害され公爵妃殿下も殺害される、そうなれば公爵妃殿下の母国が黙ってはいない。当然前回の結婚の件と今回の件で国威を傷つけられたと、戦争を始めるのは必至。そうなれば軍隊を派遣する、公国が迎え撃つは国境付近。例え公爵殿下が逃げるとしても公爵妃殿下の実家。国に戻る為には大公陛下を討たなくてはならない。そしてマシューナル王国はゾフィー王女を次代の大公妃に添えるつもりであったのだから、助力は惜しまない。公爵殿下は助けを借りて迎え撃つ」
そう、それが目的だったのだ。エルストが言い終えた後を繋げるように、ドロテアが全ての選択肢を立証し、潰してゆく。
「そしてダンカン王太子が殺害され、それが公爵の差し金であると公表された場合、やはり公爵はマシューナル王国に逃げるしかない。だがこの場合、逃げた公爵の方が優位に立つ。マシューナルに逃げ込むのに公爵は必ず連れて行かねばならないのが、マシューナル王女との間に出来たキース王子。このキース王子こそが正式なベルンチィアの後継者、例え父親が殺害を指揮していたとしても。キース王子を迎え入れないとなれば、エド法国から聖騎士団が派遣されてくる。どのみちウィリアム王太子を殺害されれば、マシューナル王国はせめてきます。”無敗の男”を先頭に立てて」
どちらにしても布陣は、国境付近になるのは必至。それが狙いだ、そして
「そして今ここでこれらの事が暴かれたにしても、王太子殿下が捕まえられていると知れば陛下は軍隊を出す。それを阻止しに来ました、軍隊を出せばヤツの思う壺です、ここは我等にお任せを」
そこまで考えている、それ以上の “策” がコルネリッツオの手元にあるのも解っている。だが、それはドロテアにとっても“策”となりうる。上手く使うのはどちらか?
“レクトリトアード” が勝敗の分かれ道だ
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