ビルトニアの女
勇者の祈り僧侶の言葉【6】
 翌朝、身支度を整えて一階の食堂に下りてきたマリアは
「あら? 何しに来たの?」
 一人テーブルに座っているレクトリトアードを見つけた。見つけるというよりは、嫌でも目に入る男だ。
「マリア嬢か、昨晩の詫びと礼を言いに」
 マリアはどちらかと言えば男嫌いだ。だがそんなマリアでも気軽に話せるのがオーヴァートとエルスト。ドロテアを介して知り合った男達であるのだが、このレクトリトアードだけはマリアは嫌いだった。多分レクトリトアードが女であっても嫌いだろうな、とマリアは思う。
「じゃあもっと後にした方がいいわよ、まだ寝てるはずよ」
 何が嫌いなのかはわからないが、その事をドロテアに告げると『合わない人間っているから、気にするなよ』の一言で終わった。
「そうか」
 そうなのだろうとマリアも思い、それ以後気にはしていなかったが二人きりで会うのは出来れば避けたい相手である。何が嫌いなのか後にわかったのは『あまりに悲壮な顔をしている』からのようだ。美形が暗い過去を、顔に影のようにして背負っていればそれは確かに目に付いて嫌かもしれない。似たような過去を背負っているドロテアが、あまりに軽やかだから余計そう感じるのだろう。
「礼って事は当たってたの?」
「少々騒ぎが大きくなった。跡目争いだから、他国の我々は少々引く事にした。身柄は弟殿下がご存知だそうだしな、その手の事は私より部下の方が精通しているので」
 バダッシュが一手に引き受けたらしい。その手の事はレクトリトアードには無理だし、この場合は貴族の身分が非常に役立つ。
「そ……おはようヒルダ」
 話す事が無くなったわ、と思った所に“助け舟”の如く降りてきたヒルダ。
「おはようございます、マリアさん。あ、おはよう御座いますレクトリトアードさん。お早いですね」
 “お早い”と言うよりは、レクトリトアードは一睡もしていないのだが。元々、四日や五日寝なくても体には堪えない種族なので全く他人には解らない。
「ああ、おはようヒルデガルド……というのが正式名なんだそうだな」
「はい、ヒルダで結構です。どうしたんですか?」
「実は……」
 レクトリトアードは『何処まで喋って、何処まで喋ってはいけない』かの線引きが出来ない。周りに人が増えてきたこともあり、すこしばかし言い澱む。それを見て、マリアが
「どうしたか? は、外で話しましょう。ヒルダに観光案内でもしてもらいましょうか、どうせ暇でしょう?」
「まあ、ヒマと言われれば返す言葉も無いが」
「じゃあ行きましょうか! 朝ごはんは外で食べましょう!!」
 ちなみに周りに人が増えたのは、マリアとヒルダとレクトリトアードという、無類の美形が集まって話をしているのに興味を持ったからだ。

 年を尋ねたら二十歳だと、ドロテアと初めて話したのはドロテアが二十一歳の頃だったな。

 外で食事を済ませ、ヒルダの案内の元、マリアとレクトリトアードは無言で公国内を散歩する事となった。
「結構見る場所があるのね」
 ヒルダがいなければ、マリアとレクトリトアードは恐らく「別れ話中のカップル」としかみえなかったであろう。
「海路が栄えているので。それに中継地点にもなってるそうですよ。最近は魔物も多くでるんで、それ程でもないんですが、よく旅の人とかが立ち寄るそうです」
 ヒルダが次々と説明しながら歩き、昨日久しぶりにドロテアとレクトリトアードが会話した公園に足を伸ばす。
「そしてコレが公園ですね、昨日皆さんと姉さんが会った。……この木の下でお別れしたんですよ、一度」
 潮風が、フードをバサバサと音をたてさせる中、懐かしそうにヒルダが木に触れる。
「誰と?」
 マリアの問いに、
「姉さんと、神学校に入る時に。此処の木にしちゃいけないんですけど、背比べして」
「小さかったのね、ヒルダ」
 屈まなくては解らない位置に刻まれた線。十三年も昔に刻まれたその線は、まだ残っている。そしてそれと『比べる』というのも可笑しい高さにもう一本の傷がついている。
「七歳の時ですからねえ、もう姉さんは十三歳になってたかな……レクトリトアードさんでしたっけ?」
 恐らく、ドロテアの腰程もなかったであろう傷跡。それが十三年も残っているということは、ここにヒルダが来て、何度か削っていった証でもある。何故ヒルダがこの木に、傷を刻むのにそれほど執着したのか? 懐かしそうに姉ドロテアの身長を記した傷跡を撫でながら、ヒルダが
「レイでいい」
「じゃあレイさん。何でそんなに寂しそうなんですか、十三年前に此処で別れた姉さんみたいですね」
 振返り言った。
「それは」

 ヒルダは長い事、神学校に入っていて外界と遮断されていた。
 ヒルダがマシューナルに行った時には既にレクトリトアードの過去は、誰もが知り誰も口にもしなくなっていた。

「知りませんけど、もしかして住んでいる所が無くなりましたか?」
 だからヒルダは知らない。ただ
「何故解る? それとも誰かから聞いたのか?」
 ドロテアやエルストやマリアではないのは解る。
「いいえ、違いますよ。寂しそうな眼差しが、国を、故郷を失った人特有なんですよ。姉さんもエドでお世話になったシスターも、だからそう思ったんですが」
 ヒルダの問いに、表情を変えずにレクトリトアードは答える
「確かに村が襲われた……ドロテアはトルトリアだったな。俺は聞いた事はないが、やはり“最後の日”にあの場にいたのか?」
 幼い頃、住んでいた村が襲われてレクトリトアード一人だけが生き延びた。ドロテアも似たような過去だと、ドロテアと言葉を交わす前に知った。ドロテアもレクトリトアードに過去を聞いた事は無い。
「はい、いたそうですよ。私はトルトリアが滅んでから生まれたから知りませんけど」
 トルトリア王国が滅んで二十一年目。二十歳のヒルダにはわからない。
 どこが違うのか? 滅んだ国を目の当りにした事か?
「一度もそんな事は言った事はない。そして……そんな素振りを見せた事は無い」
 その言葉に、ヒルダは当然といった面持ちで頷き
「悲劇のヒロインは嫌いだそうです。似合いすぎるだろう! と。美人だから」
 笑いながら答えた。既に背比べの傷跡に背を向けて。
「ドロテアらしいわよね、そろそろ昼ね。宿に戻りましょうか。もう起きてるでしょうし」

そんな素振りは見せた事はない、いつも強く余裕に溢れていた
だが、確かに知っていた
孤独ではなく、その辛さ
あの亜麻色の髪と鳶色の瞳は、宵の空にも映える

 宿にはマシューナル側の人間が何人か訪れている。話がつきそうなのだろう。
 宿に戻ると
「あ! エルストさん!! お風呂ですか?」
 エルストが湯を運んでいた。なんともまあ……当人同士が良いのなら良いのだが
「ああ、内湯。ヒルダどうする? 俺はもう入ったがドロテアがまだ浸かってる」
「入ります!」
「じゃあ湯を持って来る、マリアは?」
 嘗ては “マリア嬢” と呼んでいたエルストだが、マリアが聖騎士になったので『マリア』と名前だけで呼ぶのが正しいのだ。
 マリアは最早マリア=アルリーニではない。誰かの娘ではなく、マリアなのだ。
「私はいいわ、それじゃあお昼注文して待ってるから」
「はい!!」
 素晴らしい返事を残して、ヒルダはエルストの後をついていった。その姿を見送りながら
「内湯って、少し小さめの浴槽にお湯を運ぶんだよな」
「あの桶持ってたって事は、エルストが湯を運ぶんだろう?」
「浸かってるって事は、そして今入る! って叫んだって事は」
 中々オイシイ役割だよな、エルスト。と思われたとか何だとか……
 取り敢えず、ドロテアが来るのを待つ事になった。ドロテアを急かすと、殺されかねないので黙って待つ事を上策として、テーブルに腰掛メニューを開く。
「白身魚の姿焼き、香草餡かけ……これ頼むけど、料金は貴方持ちよ、レイ」
「あ、ああ」
 何故かマリアは、料金の高い方から選んで注文していく。……まあ、マリアも基本的には平民だから。そのマリアを見ながら
「マリアってもう少し大人しい女だって思ってたんだがな」
「でも、私はこう言う方が好きよ」
 部下達が、小さく言葉をかわしていた。注文が揃わないうちに、ドロテアが水差しから直に水を飲みながら現れた。その背後からはエルスト。
「なんだ、ヒマだなテメエ等も。観光は楽しかったか?」
 ヒルダから、話を聞いたドロテアは空いている椅子に腰掛け、当たり前のように料理に手をだす。それに連動するかのように、マリアが料理を取り分けドロテアに差し出す。
「ああ」
「そうか。ま……ありがたくいただくか。誰か、ヒルダ呼んでこい。飯が出来たから直に来いって」
 ヒルダが直に出てきたのは、いうまでもない。
 バダッシュから報告を聞きながら、ドロテアのフォークを口元に運ぶ動きは鈍くなったりはしない。見た目より、食べるのがドロテアだ。
「……というわけで、ドロテアも同行してくれないか?」
「嫌だ。そんな面倒なこと誰がするか」
 バダッシュが頼むも、全く首を立てに振ろうとはしない。
「頼むよ。吸血大公を倒すのより楽だろう」
「嫌だね。吸血大公倒すほうが、マシ。あ、これもう一皿なエルスト」
「わかった。おい、オヤジ」
 と、まあ何度もバダッシュが頼むも、全く意に介さなかったのだが、ついに折れた。折れたというよりは、イローヌ遺跡が気になったらしい。下手に突いてイローヌ遺跡を使われては、元も子もないと。
 学者の性なのだろう。


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