ビルトニアの女
勇者の祈り僧侶の言葉【5】
抱いた事のあるどの女ともまるで違った
“前の女に似ている”“似たような女だ”
そんな事のない女だ
あの女はあの女以外にいない
白皙の肌、長い手足
それ自体は女のそれで、美しく手折る事も簡単なのに
圧巻だった、恐怖すら覚える程の
階段を昇る姿も
風になびく黒いパルダメントゥム、両肩の下がる金の証
海風が強く、臙脂色のマントの男が軽く包み込んだ
ふわりと隠れてしまうかのように

鳴り響く教会の鐘にを背後に聞きながら
『今でも?』
『それを聞くか?レクトリトアード』
オーヴァート卿は笑って歩き出し
『お前も、だろうな』
振り返り、私に返した
そう、今でも愛している
皇帝も今でも愛している

煙草を咥えて笑う表情が、大人びて好きだ

出合った頃も、やはり学生だった

 ドロテア達が、全く大変ではない一仕事を終えて宿に戻ると、
「お帰りなさい!」
 ヒルダが食堂で一人食事をしていた。軽食のサンドイッチを頬張りながら三人を出迎え
「よお、提出してきたか?」
 ヒルダは態々此処まで書類を持ってきたのだ、法王庁の法王に提出してくれば良かったものを。あんな書類を受け取った事務の輩は今頃、書類を大聖堂に祭っていることだろう。
「はい! 無事提出しました! お湯も張りました!」
 食べていた皿を三人に差し出す。ドロテアはそれを摘まんで
「マリア先に入ったらどうだ?」
 内湯を使うか? と尋ねる。
「じゃあお先に」
 マリアも皿からサンドイッチを一個取ると、部屋に向かっていった。

 宿には公衆浴場の小さいものが大体設置されている。大きい部屋を取れば、桶を運び入れてそこに湯を運んでもらう事もできる。
 勿論湯を運ぶのを頼む事もできるが、大体は自力で湯を運び入れる。結構な重労働だが、ヒルダは易々と終えたらしい。
「鍛え方が違いますから」
「誰に向かって言ってるんだ? ヒルダ」
「真君・アレクサンドロス=エドです」
 聖書片手に、ヒルダは祈りを捧げはじめた。結構マイペースである

 王子を無事に国内に連れ帰る事『だけ』が任務の俺とは違って、他の部下、特にバダッシュには他の仕事もある。元々バダッシュは別の仕事を中断してこの仕事に就いた。人を捜すのに定評があるバダッシュ、本来は逃亡犯を追うのが仕事だ。
「忙しそうだな、バダッシュ」
「まあな。王太子の身柄を無事確保できたのは良かったが、俺はこれでも色々仕事があるし」
 色々と複雑な仕事もバダッシュの元には舞い込んでくる。学者位持ちで、探索の仕事に就くのは珍しく、そして非常に回転がきくので重宝され、尚且つ家柄がいいから、適度に出世していく。……と、バダッシュは前に、そういっていたが。実際そうであり、そして中々大変なようだ。
「見つかりそうか?」
「全く手がかりもない。五ヶ月前に取り逃がしたのは惜しかった。あそこで逃げられるとは思いもよらなかった」
 逃亡犯を追い詰めたのだが、後一歩と言うところで予期せぬ魔法……ではなく“邪術”を用いられ取り逃がしたらしい。
「同じ学者同士、手の内を知り尽くしているという事か」
 魔法と邪術は全く違うのだそうだ。使えない俺には解らないが、混同してはいけないものなのだと、ドロテアに教えられた。
「そうだなぁ。厄介なんだよな、あのジジイ。頭も良いし魔力もある」
「協力できる事があったら言ってくれ」
「ああ、捕まえる時に協力して貰いたいな、是非とも。レイならヤツ程度に後れを取る事もないしな」
 バダッシュは魔法は使えない、相手は魔法を巧みに使うらしい。

俺には全く魔法はきかない

 一仕事終えた男爵は、大任から解放され、好きな酒を口に運びながら優雅なひと時を過ごしていた。この仕事を大過なく最後までやり遂げれば、後は退職し領地で悠々自適に余生を過ごすつもりであった。のだが、その予定は
「男爵! 王子達が逃げました!」
「何だと!? 見張り……いや護衛達は何をしていた!」
 あっけなく崩されそうであった。そしてバダッシュは、また自分の仕事を放り投げるハメになった。
「何処に行きやがったんだよ、王太子殿下め……。あの我侭ドラ息子め」
「落ち着いてバダッシュ」
 ラミレスという部下が、バダッシュを押しとどめるが怒りはそう簡単に収まらない。逃げ出した王太子二人が立ち寄れそうな場所を、一通り確認したが何処にも立ち寄った気配がない。両国の捜索隊が頭をつき合わせて黙っている中、ナーシャが口を開いた。
 ナーシャの意見は、もう一度ドロテアの元に向かったのではないか?。多分、そこしか王子達が頼る場所は無いだろう。
「そうだな。……王子達が馬と馬具と食料を調達して出て行けるとは、到底思えない。ま、居なくてもドロテアに意見を聞くのは得策だ。ドロテアは王宮関係に強いから、若しかしたら秘密の隠れ家も知ってるかもな」
バダッシュがそういい、全員でドロテア達の泊まっている宿へと直行した。

「夜分遅くにすまないが、少々話が」

「ああ? 夜に寝室に入って来るたあ大した度胸だな」
 機嫌の悪さに磨きが掛かっているドロテアの、地を這う声。夜の潮風の音もかき消すような、低い声だ。慣れないベルンチィア側の方は、威嚇された小動物のように縮こまっている。因みにヒルダもマリアも眠いので、目が半眼で黙り込んでいる。
「怒るな、怒るな、で話ってなんだ、レイ? 夜に訪ねてくるなんて?」
 このメンバーで夜更けに突如訪問してくる等、先程の身柄確保に関する事なのは誰の目にも明らかだ。エルストに声を掛けられたレクトリトアードは
「エルスト……で、いいか?」
 躊躇いがちにエルストと呼ぶ。
 実はこの二人会話した事が一度もないのだ、レクトリトアードの性格からすればそれも仕方の無い事だろうし、それが一般的なことかもしれないが。
「そりゃ、勿論」
 エルストは気にしていない。大体エルスト、ドロテアがオーヴァートと会っていてもあまり気にはしていない。当人は『物凄く気になってる』と口では言うが、その素振りから気にしているとは到底感じられない。
 今もレクトリトアードと面と向かっているが、全く気にしてないように誰の目にも映る。

『こういう所はドロテアの亭主だよな……さすがフェールセン人、皇帝の直轄配下人』
 バダッシュはエルストを眺めて、妙な納得をしていた。

 レクトリトアードがドロテアに説明を始めた。
「実は王子達が行方不明に」
「ほう、両方ともか?」
「ええ、そうよ!」
 無視されているベルンチィア側の兵士の一人が話に割り込んできた。やや甲高い声と、着用している鎧の華美さ。そして態度からどんな出自なのか直に察しが付く、典型的な貴族の娘だ。
「別にキサマには聞いていない、小娘」
 だからと言って、ドロテアがモノの言い方を変える訳もなく
「口を慎みなさい! 私を誰だと!」
「名前は知らんが、親の権勢に傅くヤツラを見て己も力があると勘違いしている、生まれが偶々良いところだっただけの、お荷物だろうな護衛隊の。違うのか?」
 相変わらずなのは、最早当たり前である。ドロテアの物言いに、怒りに肩を震わせながら
「……唯じゃ済まさないわよ!」
 剣を抜こうとする態度に、ドロテアは初老の男にチラリと視線を向け、殊更面白く無さそうに告げる。
「口を慎ませたらどうだ。俺は別にいなくなった王子達を捜す事に協力などしなくとも、痛くも痒くもない」
 全くもってそうである。ドロテアの性格なら尚の事。
「少し黙っていなさい、イザボー。失礼いたしました」
「ですが男爵!」
「黙った方が特だぞ、オルンティアの娘」
 レクトリトアードが口を開く。
「な!」
「この女は気に入らなければ、貴族だろうが王族だろうがなぎ倒す。権勢など効く女じゃない、聞けば元枢機卿・ハーシルも処断したそうだな」
 アレを “処断” と言っていいものやら……。ただ対外的に“処断”としてくれたらしい、セツ枢機卿が。
「だからどうした。そしてそこまで知っているならとっとと話を進めた方が得策なのも、理解しているだろう?レイ」
 ドロテアの言葉にレクトリトアードは頷き、バダッシュに話を進めるように促す。バダッシュが心得たとばかりに
「王子達が逃げた。護衛と言うが正確には見張りを立てていたのに、だ」
「見張りは誰だ?」
「ベルンチィアの二人が立っていた。警備体制は時間で交代だ、ちょうど此方との交代の時間の隙を突かれたような感じだ。……最も王子達は “交代時間” を知りはしないんだが、な」
 バダッシュは意味有り気に、空白の時間を作った他国の衛士に視線を向ける。ドロテアは顎に指をあて、バダッシュが言いたい事を理解した。
「そうか……。所で、王子達は最初何処から逃げ出したんだ? 王宮じゃあねえよな?」
「ウィリアム王太子をダンカン王太子が出迎えに。ウィリアム王子の滞在先、ボスター公アンドルー殿下の居城に出向いて、そのまま二人が逃走した」
「アンドルー殿下……大公陛下の弟殿下だったな」
 半ば得心がいったドロテア。そして潮風に吹かれ寒さに目が覚めたマリアが、疑問を口にする。
「何で王宮じゃなくて、弟殿下の居城に?」
 その問いに答えたのは、これもまた覚醒したヒルダであった。
「それは、アンドルー殿下の後妻がマシューナルの王女、ウィリアム王太子の姉君だからですよ、マリアさん。多分ご機嫌伺いとかでしょう?」
「そう言えば、嫁いだお姫様……ゾフィー様だったかしらね?」
 数年前に結婚したな、とマリアも思い出した。勿論、嫁いだのでマシューナル王国での挙式ではなく、ベルンチィア公国での挙式故、マリアには記憶が浅く、ヒルダには記憶が深い。
 マリアの疑問が氷解したところで、ドロテアがバダッシュに基本的な質問をした
「ああ、そうだ。所で肝心な話だが、何で王子が二人で逃げてんだ?」
「愛が芽生えたと書置きされていた」
「ぶっ!! ウィリアム王太子にそんな性癖あったなんて、噂聞いた事ないぞドロテア?」
 さすがにエルストも驚く。別に同性愛者が珍しい訳ではないのだが、王族、それも跡を継ぐべき王太子がそのような性癖を持っているとうのは、致命傷である。
「……俺も聞いた事はないが? 前々からあったのか?」
 もしも、そんな性癖がある場合は王太子から除外される事もある。事実ウィリアム王太子には弟王子が二人いるので『挿げ替える』のには何の問題も無い、それに
「ない」
「ダンカン王太子にも、その様な性癖はなかった。つい近頃、王太子妃がご懐妊されたばかりだ」
 二人とも妃を娶り、その他に『女性』の愛妾がいる。此処に『男性』の愛妾がいたりしたら驚きも半減するだろうが、そんな噂も無いし、事実存在しない。
「ダンカン王太子の妃ってのは、アンタの親戚だったな、オルンティアの娘」
ドロテアが縁戚関係を思い出しつつ、先程コケにした貴族の娘に声を掛ける。
「オルンティア……ベルンチィア大公の親戚筋か何かって事か?」
 貴族の名前は、縁戚であれば似ている。
「ええ、そうよ」
 とても偉そうな口調でドロテアの問いに答える。家から妃を出すのは、貴族の家では名誉な事だ、その親戚でも。ドロテアに言わせれば“テメエが妃になった訳でもねえだろ”だろうし、バダッシュに言わせれば“一人二人なんか大した事ないだろ”だが。
「成る程な……大公夫妻に他に子供はいなかったよな、ヒルダ」
「うん、一人っ子だって」
「それじゃあ、そこの二人。死ぬ覚悟は出来ているな?」
「我が国の二人が王子を逃がしたとでも?」
 男爵が批難を込めてドロテアに意見するが、ドロテアは我関せずで掌に力を込める。暗闇が白い光で照らし出され、ドロテアが本気なのを知った、先程まで王太子を見張っていた兵士は
「違う!!」
 声を上げるが、それを全く気にしている素振りもなく
「因みに聞いておこう、男爵」
「?」
「アンドルー殿下の元に滞在中に王太子が二人いなくなった、その時の警備員はどうなった?」
「責任をとって、即刻処断されたが」
「それは口封じだ。王太子がいなくなって誰が喜ぶ? 王位継承権を持つのは弟殿下のみ、妻は隣国の王女だ。どちらがどちらの王子を誘惑したのかは知らんが、そんな事は関係ないだろう。見張りと言えども金を積まれれば簡単に落ちる。まあ、家族を人質とかそう言う事もあるが、今回はしてはいないだろう。それは足が付きやすいから」
「それは……お前達まさか?」
 バダッシュが見張りの一人の腕を掴む。レクトリトアードがもう一人の腕を掴んだ。それを確認して
「まあ……弟殿下に意見を求めに行ったらどうだ? 幸い権力者の姪もいる、無碍に断られはしまい。居場所さえわかれば取り敢えず安心できるだろう」
「だが、そうだとしたら我々が殿下に」
「殿下は軍隊持ちじゃねえだろ?」
「少しは兵を持っておられる」
「弟に兵力を与えるってのも変な話だな、簒奪してくれと言わんばかりだが? 理由は?」
「殿下は国境沿いにある、イローヌ遺跡の管理を一任されている。国境沿い故に色々と問題があるので」
 学者であれば、イローヌ遺跡を知らない事は無い。相当な危険遺跡に分類されている代物だ。
「そうか……なら……早く行ってやった方がいいぜ、ほぼ間違いなくヤツは舞台俳優の一人だ。それに、多少の兵なんてのはこのマシューナル伝説の男の前じゃ無力だ」
「やはりそう思うか、ドロテア」
「てか、バダッシュ、お前気付いてるんだろ?」
 ドロテアは男爵との会話を打ち切り、バダッシュに向き直る。
「万が一だ」
 ドロテアに話をふられたバダッシュは、笑顔で答える。
「万が一?」
「俺達が間違って全滅した場合、俺達の足取りを知っている人がいないと何かと困るから。事が事なだけに、事情を知っているドロテア達くらいしか事実を告げられないから」
 バダッシュは用心深くて有名だ。それが調査の成功に繋がっているといわれている。魔法や邪術を使えない分用心深く、素早く作戦を練って攻撃をしかける。それがバダッシュの信条だ
「相変わらず用意周到で」
「最高の褒め言葉だ」
「あんまり用意し過ぎてると、女を口説く好機を逃がすぜ」
「……ありがたく頂いておく、その言葉」

 遠ざかる一行の背を眺めながら
「まあ、ヤツは主演じゃねえだろうなボスター公、アンドルー」
「寝るか、ドロテア」
「ああ」
 宿へと戻った。


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