ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【19】
 空虚な暗闇で、辺りに全く生命を感じさせない場所。敵がいると言い切れないが、居ないはずもない。
「結界を張って待つか……集まれ!!」
 突然声を荒げたセツ枢機卿に、驚きながら
「えっ?!!」
「うわああああ!!」
 全員が結界の中に逃げ込んだ。ただ、馬車の馬達は統制が取れず襲ってきたバケモノに殺害されてしまったが
「バケモノ達!!」
 聖騎士が叫ぶが、多分ドロテアがこの場にいれば”魔法生成物”と舌打ちしながら訂正すると思われる。
「やっぱり私達の方を先に片付ける予定みたいね」
「そうでしょうね。なにせドロテアにはこんな手下、相手にもならないでしょうからね」
 目の前で馬達が唯の肉塊に変えられてゆく様は、あまり見たくは無い光景である。手下達は恐らくそれ程強くは無いだろうが
「だが数が多い」
 幾らでも増えてくる、と表現するのが正しい状態で、数える傍から増えてゆく。
「どうしたものか……」
「落ち着いて考えるしかないわね。馬車は襲われてしまったけれど、幸い枢機卿の結界に全員逃げ込む事ができたから」
 ネテルティの言葉に皆、頷く。
 淡い光とは違い、確りとした光の結界、ドロテアが見ていたら”流石だな”の一言くらいはもらえただろセツ枢機卿の”完全な結界”で、敵は全く近寄れはしない。
「結界はどのくらい持つの?」
「この程度ならば七日くらいは簡単だ、マリア嬢」
「そうなら少し安心して……ねえヒルダ?」
「はい? 何ですかマリアさん」
「どうしようかしら?」
「そうですねえ、このまま枢機卿の結界の中にいるのも良いかも知れませんが。後で聖騎士の皆さんは、姉さんにバカマヌケと罵られるのは火を見るよりあきらかですな」
「そ……そうよね」
 あの性格だ、間違いなくそうくるだろう。”何の為の護衛だ、バカ!”と。
「それに、このままでは数が増えて大変な事になりそうですし。恐らく此処で私達に手出しが出来ないとなると、首都に向かうかも知れませんよ」
「そのつもりらしいな」
「枢機卿、飛び立つのも押さえ込んで?」
 二重結界となると、相当な技量と法力が必要だ。それも吸血大公の城の上で普通に張っているとなれば、ヒルダも驚く。
「ああ。今首都に向かわれると困る。傷は癒えたが本調子ではない法王の元に行かれてはな」
 歴代最強と謳われる法王と互角、と称されるだけの事はある枢機卿だ。
「ならば、我々は結界の外に出て戦います」

絶対に勝てない相手にかかっていくのは、無謀だし馬鹿だとおもう。でもそれを当人が望んでいるなら、止める筋合いの物でもない。
それに、偶には死ぬ為に兵士になった奴もいるだろうからな……

−この為に此処まで来たの

「行け!」
セツ枢機卿の指示に従い、全員が飛び出した。


 辺りに血の臭いが立ち込めて。
 人の血と馬の血と、バケモノ達の血といっていいのか解らない液体の臭いが入り混じり、目眩がするほど濃密な臭いが、辺りに充満している。生き残ったのは、全員『人間』で、勝敗はマリア達に軍配が上がった。多くの犠牲があったが。
 全員、緊張の糸が切れてしまった中、突如『扉』が重い音を立てて開いた。その扉の向こうには、外の闇夜よりも暗い『黒』が支配していた。
 一瞬、全員が構えるが中から何かが出てくる気配は全くない。マリアとヒルダは顔をあわせ、頷いて
「入れるみたいね」
「でも床がありませんね」
 入り口に近寄った。暗いポッカリと開いたそこは、ただの暗闇だった。そのマリアとヒルダの背後から、内部を覗いたセツ枢機卿が
「実際はあるが、どうやら床に透明化の魔法がかかっているようだ」
 馬車の中での、ドロテアの透明化の授業で、なんとか合格点をもらったセツ枢機卿。
「セツ枢機卿には見えるの?」
「ああ。だが、若干普通の魔法とは違うようだ、だが確かに床は存在している」
 魔法無効の魔法をかけても床が見えてこない。セツ枢機卿のような古代民族の血を濃く引いていれば無条件で”見える”が、他者はそうはいかない。ヒルダも色々と唱えてみて、合点がいったとばかりに手を叩き
「施設魔法ですね」
「施設魔法?」
「そうです。この建物に装備されている魔法です、それを恐らく吸血大公が操ってるんですよ」
「?」
「ドアが入った途端に閉まったり、突然他者の声が鳴り響いたりするのもその一種です。これは施設自体が媒介となり、魔力は必要なく行える魔法なんです。吸血大公は空を飛べたり、浮遊したり出来ますから実際床は必要ないのでこうしているのかも知れませんね。これは施設自体の構造が関係するので、通常魔力ではどうにもならないそうですよ」
「詳しいな」
 一介の聖職者の知識としては、最高のレベルだろう。
「そうですか?」
「セツ枢機卿。道が途切れたりはしてないんでしょう?」
「それは大丈夫だ、マリア」
「なら怖くはないわね」
「大した度胸だ」

 マリアは何の躊躇いも無く、見えない床に足を踏み出し、ヒルダもその後ろについて軽やかに歩き出した。
「行くぞ」
 セツ枢機卿の言葉に、呆然としていた聖騎士達は立ち上がり歩き出した。
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