ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【20】
 吸血城を飛び回りながら開錠して回るドロテアとエルスト。鍵は思った以上に遠くに設置されていて、二人は入った場所から相当遠くにいる。
「基本的に勝てるのか?」
 鍵を開けながら、エルストが呟いた。
「何が、だよ?」
 声をも吸い込むような暗闇と表現するに相応しいその空間。
「付いて来た連中」
「……勝てる訳ねえだろが。ま、セツが付いてるから大丈夫だろう二人は。後のヤツラなんざ知らん」
「そう言えば、ネテルティさんの事は思い出さないのか。珍しいよな」
「何か、頭の奥の片隅に引っかかってる……気分悪くてしょうがないぜ」
「でも会った事はあるんだろ」
「ゼルセッドって呼ばれた訳だからな……多分、相当な昔だ」
「ドロテア、もしかしたら……」
 鍵が開く音はしたが、ドロテアの記憶の鍵は上手く開かなかった。
「何で思い出せないんだろうな」
−思い出したくない記憶に引っかかってるんだろう


エルストは口には出さなかったが


 ドロテアの言ったとおり、吸血大公はマリア達を出迎える。
「人の子よ、よく此処まで辿り着いたな。先に入ったヤツラがどうなったか」
「無事に決ってるじゃないの。アナタが生きてるんだから」
 返したのはマリアだ。暗闇よりも深く、艶のある瞳が吸血大公を捉える。
「中々言うな、人間」
 己を捉えた瞳が、恐れを微塵も帯びていない事に少々気を悪くしながら、吸血大公が語りかけるが
「吸血鬼の言葉には人を惑わす力が宿るそうですからね、黙って聞いている筋合いはないですよ」
 ヒルダも全くもって相手にしない口調で畳み掛ける。
「ほう、小娘も」
「別に吸血鬼じゃなくたって誰でも惑わせる事は出来るけれど。殊更言わなきゃならない事でもないわよね、吸血鬼。それとも特技はそれだけかしら?」
 ドロテアが居るとそうでも無いが、単体であればマリアも相当言える。
 最もマリアの口が悪くなったのは、ドロテアの影響が大きいのだが。
「口の減らぬ!!!」

「瞬殺される雑魚が、でけえ口叩くな!!」

 不意をつかれた事と、ドロテアの肩から腕にかけて嵌っているアーマーに驚き、逃げようとした吸血大公が体勢を崩し、それに追い討ちをかけるように殴りつけたドロテア、そしてついでとばかりに蹴ったエルスト。
「あ、姉さん」
 すぐに体勢が戻った吸血大公を見据えて、右腕を上げた。
「とっとと耐火魔法でも唱えろ」
 ドロテアの身体を炎が包み込む。勝敗は決まっている、ドロテアが”勝つ”。だが……
「ドロテア、私あの吸血鬼倒したい」
 ドロテアが振返ると、来た時よりも聖騎士の数が減っている。そこにはネテルティの姿も無かった。
”死んだ、か”マリアの表情を見て、少し考える素振りをすると
「……無理だろうが時間を少し作れる。セツ耐火魔法と対物理魔法を唱えろ。エルスト、ヒルダの盾でマリアを援護しろ。ヒルダ、マリアに補助魔法をかけろ。それじゃあ”この者供を風の眷属にせよ”俺はこいつの腐ったような土の寝床に辿り着いたらシャフィニイを放つ。それまで”遊んでやってくれ”マリア」
ドロテアのかけた魔法で、飛行可能となったマリアと
「ええ!」
 先程から雑魚扱いされている、吸血大公
「言わせておけば!」
「テメエもな、後は任せたぜ!」
 『かわいそうに吸血大公も』とエルストは思いつつ、ヒルダの背中から盾をとり、構えた。
 夫が吸血鬼に同情するような台詞を吐いた彼の妻は、威圧的な足音を立てて炎を纏ったまま城を歩いていた。勿論床は普通では見えないが、お構いなしである。その後姿の威風堂々ぶりには、はっきり言って誰もが唖然とする程だ。

無敵の魔法を使えるからとかじゃなくて、多分性格だろう……。

結界から出て、戦っているとき死んでしまった
呆気無いものね
呼んでも返事は返ってこなかった
ついさっきまで、普通に話をしていたのに

 全員と別れ、最深部を目指すドロテアは
「よくもまあ、黒い螺旋階段とは……ちっ!降りるのも面倒だ」
 手摺から身を躍らせ、落下速度を調節する魔法をかけた。炎を身に纏ったまま螺旋階段の中心を落下してゆくドロテアの脳裏に、不意に映像が映し出される。
 それは随分と幼い頃の記憶で、頭上から会話が降ってくる頃の話。
”追い出されてしまったそうよ”
”可哀想な事を。でも夫人の不注意じゃあないでしょうが”
井戸端会議をしている女達の隣で遊んでいた時聞いた言葉。
”あのご主人、愛人がいるでしょう。それを後妻に添えたくて追い出したそうよ”
まだ着地地点の見えぬ螺旋階段の中心、落ちてゆくドロテアと
”遊びに行こう!”
”まあ、わざわざ迎えに来てくれたの”
優しい母親と気の優しい息子だった
『アイツか!! ネテルティ!アンタの息子』
仲良く遊んでいた。子供の遊び場で、皆で噴水に飛び込んで遊んだ子供だった。
トルトリアが壊滅する前に……死んだ少年。
『ネテルティじゃあ解らねえぜ!』
 床に手をつき、襲い掛かる魔物に火術をかけ暗がりで飛び降りてきた階段を見上げるドロテア。
 ネテルティの死んだ息子の名はゼファー。トルトリアでは珍しくない、ありふれた名前の少年。
遺体に取りすがり、冷たくなった息子にあらん限りの声で叫ぶ

「目を開けて!」

「ネテルティ!」
声が最後に聞こえた
綺麗な女性ね、ドロテア
一緒に行くといいわ
素敵な女性ね
「ネテルティ! 確り!!」
致命傷以上のモノを負った相手に、確りなんて言っても無為な事
それでも、知りつつ声を張り上げる

「目を開けて!」

無駄な事と知りつつも、人は叫ぶ

「戻って来ないのに……な」
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