ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【12】
 結局の所法王の間にあった書物は、何の役にも立つ事はなかった。
”これはオーヴァートの連絡を入れた方がいいか?”
 ドロテア一人吸血鬼と真っ向から戦って勝てない訳でもない、神の力を用いれば勝つことは出来る。ただ、被害を考えるとそうも言っていられない。
 前のように魔王の力を帯びた城と厚い結界の中、そしてあたりに人気が無い事を加味して力を放った、勿論”全ての力”ではない。
 今回は魔王より”劣る”のが問題だった、魔王の時でも半分も力を出さずに瞬殺したのだから殺すだけなら最低の力でいい、ただ最低と言っても放つ場所によっては被害が尋常ではない。街中で放ってしまえば首都は壊滅するだろう。
”何処に吸血城があるか解りゃあ、そこに行ってシャフィニイを放つんだがなあ”
 最も、オーヴァートがこの場に来たらシャフィニイの力全解放と同じ事が起こるので、そうそう連絡を入れるわけにもいかないのも事実なのだが。


”フェールセン”それは神を超える破壊の力を持った皇帝を指す
神が居るから争いが続くと、神を排除したフェールセン
だが、フェールセンは争いそのものだった


「どうしたんだい、渋い顔して」
 宿屋の主に、気のない返事を返して食堂の椅子に腰をかける。幾ら考えても場所が特定出来ない、多分法王の間にその記述はあっただろうが。
 此処に無いとなると、大陸何処を探しても無いと考えていいだろうな、と冷えた果汁を口に運ぶ。ドロテアの頭の中が、相当に困り果てていた時にあの軽い足音と、元気に扉を開くヒルダ。
「帰ってきたか、ヒルダ」
 相変わらず元気なヒルダが、ドロテアの座っているテーブルに座り
「ただいま。あ、お茶下さい」
 店主に注文して、手に持っていた包みを開ける。シンプルなスポンジが顔を覗かせ、辺りに甘く香ばしい香りを漂わせた。
「みてみて、シスターと一緒に焼いたの」
「パウンドケーキか」
「うん」
「お待ちどう、あとどうぞ」
「有り難うございます。はい、どうぞ」
 差し出された小さなナイフで切り分け、ヒルダが店主に渡す。
「おや、どうも」
「シスターいい人のようだな」
 パウンドケーキを口に入れながら、ヒルダに声をかける。全てを切り終えたヒルダがナイフを店主に渡し、ドロテアに向き直り
「うん!それでさあ……」
 ヒルダが話そうとした時、廊下が物凄く騒がしい。それは血相を変えたマリアが食堂に飛び込んできたからだ。マリアの後に、ネテルティと何人かの聖騎士も付き従っているが、みんな肩で息をしている状態だ。
「ドロテア!!」
 白い肌が僅かにピンクに色づき、美しさを更に際立たせて険しい表情を相殺している。ただ、長年の付き合いでこの表情をしているマリアは非常に焦っている事をドロテアは知っている
「なっ!  どうした、マリア。血相変えて? 変な男にでも言い寄られて殴ったらポックリ逝ったか?」
 何となく、一番ありそうな事例を言うが、頭を振って
「違う! ねえこれ見て!!」
 持ってきた紙を誰もいない食堂のテーブルに広げて、マリアが指を指す。パウンドケーキ片手に果汁を片手に、立ち上がったドロテアがそれを見る。
「……何だこの魔方陣は?」
 怪訝な声を上げながらドロテアは、まだ肩で息をしているマリアに果汁を差し出す。マリアはそれを受け取ると一気に飲み干した、その脇にヒルダも席をたちマリアの持ってきた紙を覗き込む。
「この首都は長方形の短い面に、何て言うんだっけヒルダ?」
「五角形ですよ、マリアさん」
「そう、それが両方の短い面についていて、地図は全部”層”で分けられるんだって。だから被害にあった場所も、その”層”の地図にしか書き込まれないの。でも無理をいって『全部を一枚の紙』に記入してもらったの。これってやっぱり魔方陣じゃなかった?」
 最外層の外枠に、全ての襲撃地点を書き入れた紙にドロテアが目を滑らせる。
「よく解ったな、マリア。おい! そこの、俺が襲撃の順番を言い当てる。見ていろ」
 マリアの背後にいる聖騎士達を呼び、ドロテアは襲撃順を指差していった。それも日にちまで当ててゆくドロテア
「当たってるだろう」
「……はい。……何の魔方陣か解りますか!!」
 マリアに付いて来た聖騎士の一人が、ドロテアに尋ねる。
「これは一般的な魔方陣だ、古代魔方陣な。主に”復活・再生・蘇生・召還”を……何を復活再生する気だ?」
「吸血大公じゃないの?」
 古代魔法陣となると、聖職者であるヒルダの専門外だ。てっきり復活再生と言うので、吸血大公が復活するのか? と思ったヒルダだったがどうやら違うらしい。
「これじゃあ違うんだ。これだと……ちょっと待てよまさか!」
−吸血鬼は古代遺跡の管理者に分類され−
 教科書に載っていた一文と、魔方陣そして……
”じゃあ……あの二人がか! 人間じゃねえのを二人も集めるとは大したもんだ! ディス二世、いやエルセン王子ヴィルヘルム!”
 書き込まれた地図を眺めていると、小さな声が掛かる。
「すみません、あの……」
「なんだ?」
 聖騎士の間をぬって辿り着いた男は、バツが悪そうに
「私カジノの者なんですけど」
「はあ? あのバカ負けが込んだのか、また?」
 ドロテアの声は”また?”に異常に力が籠っていたが
「違うんですよ、何か変なものを見つけたみたいで早く呼んできてくれ、って頼まれまして」
「わかった」
 ドロテアは地図を持ち、マリアは槍を持ち、ヒルダはパウンドケーキを持って呼びにきたカジノの男の後を付いて宿を後にした。
 エルストの言う所を要約すると
「で、ギルドに立ち寄った後に何人かと一緒にカジノに来て?」
「コインを落としたんだよ」
 と言うことらしい。
「なんのコインだよ。カジノのコインなら無理して拾わなくてもいいだろうが?」
「記念硬貨だよ」
 正式にはギュレネイス皇国記念硬貨と言い、建国の際にフェールセン人に配られた大した価値もないようなコインだ。
「……また落としたのかよ、テメエ本当に色々落すな。で、部屋の隅に転がったコインを見つけようと、そのバカラ台を動かしてもらったら?」
 壁にくっついていたカバラ台の下に、エルストは見覚えのある文字を見つけた。多分普通の人がみたら絶対に文字だとは言わないような、汚い文字
「こんなのを見つけたんだ? これってあの第一言語ってやつだろう? やたら見覚えがあるような古代文字が」
 エルストが指差した先には『これを文字と言ったら、文字に対して冒涜だろう』というような、死にかかったミミズの方がまだマシな”何か”が白い壁を這いまわっている。
 ただ、それは本当に文字らしく、ドロテアは頷いて
「……そりゃそうだ。コレを書いたのはアンセロウムだ、字の汚さにかけては大陸随一だったからな。ここの壁紙を剥がせ」
 懐かしい、一応師匠だった人物の汚い字を追った。ただ、全部が見えているわけではなく、大半は壁紙に隠れているので剥がす様に指示を出す。
「え? でも……」
 建物の改築等を厳重にチェックする国で、いきなり壁紙を剥がせと言われても誰もが困惑するが、
「ネテルティ、部下を何人か法王庁に送って法王に許可を、事後報告になるが間違い無く許可するだろう。そして法王に此処まで来いと伝えろ、さあとっとと剥がせ!」
「解ったわ」
 ネテルティは再び駆け出していった。そして聖騎士達の手によってカジノの壁紙が剥がされる、其処には汚い文字の走り書きが残されていた。
「汚い字だな……もう少し読みやすく書けねえのかね。もしかしてこのカジノってのは、元は学者の研究所か何かだったのか?」
 ドロテアの問いに、年のいった男客が頷いた。
「逆手に取った訳だ。此処に記していれば、消されないってな、まあ見つかるかどうかは賭けだが。見つからないでエド法国が吸血鬼に滅ぼされたとしても、それはそれで復讐くらいにはなるな」
 嘗て命かながら此処を逃げ出し、流離いながら学者として生きたアンセロウム。この事を誰にも言わなかったのは……
「ただ、忘れてただけだろうな」
 七十二年前の出来事、か。ドロテアは壁の文字を黙ってみつめていた。


−厄介なモノを残してくれたな、フェールセン王朝め……あいつ等碌なものを残さねえよな……
−これを片付けてこそ、フェールセン王朝の呪縛から人は解き放たれると言うのか?
−いや、解き放たれるは皇帝か?
−仕方あるまい、人の手で、神の力で方をつけるさ
−神を捨てた王朝の末裔よ



 黒い手袋をはめた、長い指を顎のあたりにあてて真剣な面持ちで『多分字』と思しきものを見つめているドロテアと、何となく緊張している周りの人たち。多くの人は帰ったが、それでもまだ人は残っていた。カウンターで酒を飲んでいるエルストの隣に座った男が、小声で話し掛ける
「ダンナ、第一言語って何ですか?」
 実はみな気になっていたらしいが、ドロテアに直接聞くのだけは避けたかったらしい。そこで、これを第一言語と判断した男に聞く事にしたようだ
「古代文字の中で、最も古いとされているヤツだそうだ。俺にはサッパリ読めないけどな、形はわかってもな」
「でもダンナ、それが”第一言語”ってのはわかるんですかい?」
「まあね。これでも妻の秘書だ。版に字を写したりもするからさ、わかる単語もある程度だけど。学者となるとコレは全部読めないとなれないんだよ」
 と言うか、第一言語が読めないと王学府を卒業できないのだ。
「奥さん頭いいんですね〜」
 頭は良い、顔も良い。言葉使いは滅法悪いが。そんな話をしながら酒を飲んでいると、ヒルダが近寄ってきて
「エルストさん、食べる?」
 先程切り分けたパウンドケーキを差し出す。
「ヒルダが焼いたのかい?」
「うん。結構上手くいったでしょう」
「上手上手」
 褒められて嬉しそうなヒルダが一人、聖騎士と共にバカラ台を片付けているマリアが一人に酒喰らってるエルストが一人。

 入り口がざわめいて、全員が其方を振り返ると本当に法王の乗った輿がカジノまできた。
「輿で此処まで入って来るの大変そうだな」
 ”当人小柄だから歩いたほうが絶対に早いんだけどな”と、エルストは入り口で右往左往している輿を眺めながら酒を口に運んだ。
「仕方ないが、来て貰わないとな」
「お待たせしましたと」
 法王の隣にも大僧正。これもまた中々の実力者にして”死せる子供達”の一人であったトハ大僧正と言う。到着して、一呼吸もさせないまま
「単刀直入に聞く! この文字に付いてなにかディス二世から聞いているか?」
 ドロテアが壁を指差し、法王を見据えるようにして問うと法王は首を横に振る。『いいえ』と
「やっぱりな……」
 その答えはドロテアの考えの範疇だったので、それ程困りはしないが。法王が大僧正に話、その言葉をドロテアに伝える
「知らないといけない事なのでしょうか、と申されていらっしゃいます」
「知らなくてもいいが、コレのお陰で大体解った。少しだけ整理するから、明日にでも教えてやろう。それと必要なモノを宿まで届けてくれ。まずは全ての層が載った地図、なければ大急ぎで作れ。そして正確なエド法国の地図それらを直に宿まで。後、この文字は隠して誰にも見られないように少々邪魔だが見張りを立てろ、カジノを閉鎖する必要はない。ただ色々と問題がある、下手な解釈をするヤツがいたりしたら騒ぎが大きくなる可能性もあるからな」
 本当に相変わらずの物言いだが、大僧正は
「畏まりましたと」
 深く礼をした。さすがに昨日からの騒ぎで、ドロテアがどんな人間なのかは解ったようだ。しばし法王を見つめて、思いついたようにドロテアが
「あ、後……残ってるか、パウンドケーキ?」
 ヒルダに向き直る。
「うん。少しだけど」
 本当に僅かだけ残ったパウンドケーキを包み、法王に投げつける。
「ほらよ。セツと一緒に食え、命令だ。そして以上だ」
「何処の世界に枢機卿と一緒に、パウンドケーキ食べろと法王に命令する人間がいるんだよ」
「ここに居るだろうが」
 周りの人間から見たら、非礼極まりない行為だが悪びれないドロテアと、受け取ったパウンドケーキを胸に抱いて、お辞儀をした法王の前に取り敢えず誰もが沈黙した。
「所でドロテア、コレなんて書いてるの?」
「それ程難しい事、書いてるわけじゃあねえが聞くか? マリア」
「出来れば知りたいわ」
 二人が話していると、法王の言葉を受けた大僧正も
「是非とも知りたいそうです。猊下も」
 話し掛けて来た。ドロテアは手を上げて
「わかった。書いているのは”ヘンリーにより失われる記述の抜粋”ヘンリーってのは法王・シュキロスの本名だ。”南東から北西にかけて広がる選帝侯の辺境地”この首都エールフェンは選帝侯の別荘地だ、選帝侯の居城は今でもエド法国の丁度中心地に位置している、知ってるよな”エルドラド”って呼ばれている黄金の居城だ。”真横に横切るように首都の三倍の長さと四倍の幅を持った吸血城が地中に隠されている”規模だ。”吸血鬼逃げおおせエド討つ事かなわず”コレだけだ。後は聞いてもわからないだろう」
 その後、作られた地図と形を見て、ドロテアには粗方わかったってしまった。

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高き山により沈められたその悪しき吸血大公
ガーナベルト
吸血城 闇深く
人々の嘆きを啜り
人々の生血を啜り
ガーナベルト
土で眠る
『吸血大公は、選帝侯の使いの一種であったとされるがその詳細は不明。ただ深手を負い眠りに付いた模様』
『古代民族と吸血大公の違いは?』
『古代民族のほうが上だ』

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