ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【11】
 法王とは違った敬意を払われるセツ枢機卿。
 ”畏怖されている”と誰もがいい、そして誰もがこう言うだろう
”アレクサンドロス四世に絶対の忠誠を誓っている”と
 その男は別に最初から、アレクサンドロス四世に忠誠を誓っていた訳では無い、誰よりもそれを当人が知っている。そして当人以外は誰も知らない

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 ”法王を守る為に残ったのか?”
 そう問われれば私は答えに詰まるだろう
 書類を腹心のエギ大僧正に見せ、対応策を練りながら脚立に腰掛け、吸血鬼対策を練る女の横顔を見ながらそう思った。
 エギに調べさせた所によれば、怜悧な頭脳、鋼鉄の意志、臨機応変さにおいては当代随一、策略をも臆する事のなく使い、稀代の胆力に絶対の美貌。
 『この女以外にこの女は存在しない』と言わしめた女。この女ならば、あの時どう判断しただろう?

−置いていくのかい? この子を
−知った事か
−まあ、そうだんだけどさ
 女はあの当時はまだ短かった、アレクスの柔らかい色合いの金髪を撫で、そして私の癖の強い銀髪を触って微笑んだ

私がこの場に枢機卿として残ったのは、法王に懇願されたからだけではない
私が残ったのは、それだけではない……
この美貌の女に、一度尋ねてみるかと考えながら書類に目を通した。

私室の窓から最外層の教会の屋根が、かろうじて見える。私は何故、法王を選んだのか?
あの日から二十年、答えなど出るわけもない
答えなど無いのだろう

−残ってやる
−本当に?
−わざわざそんな嘘を付くか
−嬉しいよ
大きく見開いた目に違和感を覚えながら

 本当は妹を迎えに行くつもりだったのに、何故か私は残った

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 そこらの尼僧に負けない勢いで掃除をこなし、頼まれて子供達に字を教えたりして一日の仕事を終えたヒルダは、シスターに声をかけられ一緒にケーキを焼くことになった。
 焼いたケーキは親の無い子に振舞われるのだ。かなり年上のシスターと共に卵を溶きながら話しに花が咲く。
「強いお姉さんね」
 バターを溶いていたシスターは、昨晩の話を持ち出した。
「はい。それはもう自慢の強さで、尚且つ頭も私よりずっといいし」
「大好きなのね」
「はい」
 ガシガシと混ぜるヒルダの横顔を見ながら、二人しかいない台所で小さな声でヒルダに話し始めた。
「私にも兄が居てね……死んでしまったけれど」
「病気ですか?」
「一緒に修道院に入れられたのだけど、二年後に事故で」
 修道院で魔法の研究をしていた神父が、魔法を失敗してあたりが爆発した。シスターの兄以外にもたくさんの死者が出た。誰もが怪訝そうに、それでも黙って口をつぐんだ。

 たった一人を手に入れる為に行われた行為

 だから死んだとは思えないでいる。丁度”あの子供達”を集め始めた頃だった。
 類い稀な力があった兄だったと、でも自分にとってそう思えただけで本当は普通だったかも知れない。
「それは、複雑ですね。生きていらっしゃるかもしれませんし」
 ヒルダもその話を聞いた事がある。どの子が”必要”だったのかは誰にもわからないが、その子以外は全て隠す為に殺害された。
 バラバラになった遺体の数は、合っているのかどうか? 誰も何も言えなかった。
 それでもシスターは高僧を見つめるのが楽しみであった。もしかしたら兄が生きているのでは無いか? と。
「偶に言いたくなるときがあるの。ネテルティ様にも言った事があるわ」
 生きていてくれるだけで良かった、名乗りなんて必要ない。いつもそう思って眠りにつく、夢の中に出てくるのは年の割には大人びた大柄な兄。
「そうですか」
 ヒルダの生命力に溢れた、儚さとは無縁の力強い笑顔は何処か、シスターに生きているかもしれない兄を思わせた。生きていればもう四十傍の男に似ているだなんて、と彼女は思い直しつつも、不思議とまるで似ていないのに、兄を思わせる少女の面影のあるヒルダに
「大きくなったら兄さんと故郷に帰るのが楽しみだったんだけど……その故郷も兄の死と前後するように無くなってしまってね。小さな村だったの」
 手紙の配達人が”村が無くなった”と。魔王に滅ぼされたみたいだと言って、届けられなかった手紙をわざわざ戻しにきてくれた。兄が死んだ事を、両親に知らせる手紙だったのに、それすら届く事もなく火にくべて。
「だからずっと此処に残られたんですか」
「ええ、何となく離れられなくて。そして今の話、一度だけ他人に。ネテルティ様に泣きながら話を聞いてもらったわ」
 トルトリアに帰りたかったと彼女は言っていた。待つ人はいないけれど
 廃都が魔物を抱えて眠っている
 魔物が私の子を抱えて眠っている
 ネテルティ様はそう言って涙を浮かべて言っていた

貴女が逃げきているとは思わなかったわ
ドロテア。無事で生きている事が何よりよ
たとえ失っても
でも、貴女はもう解っているみたいね
賢い子だったものね、貴女は


「これを混ぜて、後は焼くだけですね」
「そうね」

『エセル、お兄ちゃんと食べなさい』
『はい、お母さん』
 兄を探して小さな村を走った、もう見つかる事もない兄を探す夢をみて
優しい兄だった。
 でも何所かで生きている気がしてならない、戻る故郷も無くなった私のたっ た一つの故郷なのかも

−もう帰る故郷がありません−

法王の祈りが日に一度木霊する

−待っている人もありません−

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 一通り”型”の訓練をマリアは受けた。はっきり言って結果は惨敗だが、型以外の動きでは中々の強さをマリアは発揮する。
 強いですね、と聞かれたマリアは休憩しながら自分に槍術を教えたのが選帝侯だったと答えた。”ああ”と年嵩の男が頷き、それなら解ると言ってその場を後にした。
 その後、作戦室に通され飲み物をネテルティに振舞われて、魔物に対する戦い方を教える事になった。
 最初は「教えるなんて柄じゃない」と断ったマリアだが、結局ネテルティに説得されて、後でドロテアにも詳しく話しを聞く事を条件に知っている事を話し始める。
「人ではない魔物の急所を瞬時に見極めて、その特性を理解して攻撃を仕掛けるそうよ」
「でもどうやって?」
 異形の姿の急所を理解するのは、思っている以上に難しい。昨日聖騎士団は初めて”あれ”が『吸血族』であり『オレンジの石』が弱点だとわかったくらいだ。
「慣れもあるけれど、私は全般にドロテアの指示に従うだけよ。ある程度の急所なら研究されて発表されているそうよ」
 初めてマリアがそれを聞いた時、随分と命がけで訳の解らない事を研究する人もいるものねえ……と思ったのだが、こうなってくると相当必要な事柄らしいと納得した。
「それにしても、強いですね」
 ネテルティ以外の聖騎士も近寄って話しを聞いている。マリアに声を掛けてきたのはフラッツだ。
「そうかしら? ドロテアの方が強いわよ」
「あの人魔法だけじゃないんですか?」
 強い魔法使いというのはあまり聞かない事だが
「強い強い。私なんて敵わないくらいに、本当に強いわよ」
 聖騎士達は少しぞっとした。あの態度にあの魔法に腕っ節まで強いのか?と。
 そのマリアの言葉を聞き、ネテルティが
「無手ね。まあ手甲が付くから違うのかも知れないけれど」
「何でわかりました、ネテルティさん」
 ドロテアは本気で戦うとなると、黒い手甲をはめ、それはそれは強い口だけではなく、体力も桁外れだ。
「彼女、肩から肘まで黒いショルダーアーマーで覆ってるでしょう? そして肘から腕までの所謂手甲が夫の腰にぶら下がっていたから。それに身のこなしも、通常の魔法使いとは桁違いの速さよ。それにあの集中力と並行して、辺りを見回せ窺える能力、慣れもあるでしょうけれど性格も往々に作用しているでしょうね」
「才能っていうんですかね」
 他の騎士が、何とも複雑な表情で言葉を発する。マリアとしては、その騎士が言いたい事は解る。多分こう続けたいのだ”容姿だけでも充分だろうに”
「ドロテアは才能なんじゃないかしら。私はどうかな? 始めたのも遅いし、それ程強い訳でもないし」
「幾つの時?」
「ドロテアに会ってからだから、十七歳になった頃」
 昔は戦う事すら思い描いた事もなかった。異国から来た”滅んだ国”の生き残りと出会って十年。随分と自分は変わったわねとマリアは思う。
「それじゃ早いわよ。私なんて二十八歳になってから目指したのよ、聖騎士を。なったのは三十歳、二十八歳まで武器なんて持ったこともなかったわ」
 笑い声を上げるネテルティに、マリアは当惑する。綺麗というよりは、品のある顔立ちが楽しそうに綻ぶ。
「は、はあ」
 それは遅いというか、かなり珍しい部類だろう。そしてその年から目指してなれたとなると、元々才能があった筈だ。
 前身がなんなのか解らないが、穏やかなネテルティは部下に慕われて上官にも恵まれているらしく、聖騎士団の中でそれなりの敬意を持って表されていた。
 そんな会話の中、部下の一人が大判の紙を持って傍に寄りマリアに一礼する。マリアは”どうぞ”と無言で話すように手を差し出す。
「ネテルティ様、警備をどう配置しましょう?」
「二日続けて来る事は今までなかったけれども、どうかしらね」
 大きいテーブルの上に広げられた紙に、不可思議な形。
「この地図かわってますね」
 マリアは疑問を口にした。ネテルティは再び笑いながら
「そうね、最外層、外層、中層、内層、大聖堂と幾重にも囲まれているのを、その”層”だけで書くのよ」
「決まりごとなんですか?」
「そうよ。どうしたの? マリア」
 ”層”により独立した”街”と見なすのでそう描かれている地図なのだ。
 今回襲われたのは中層でそこに印が記されている。そして違う”層”の地図に、その”層”で起こった襲撃が記されていた。なんと無しにマリアはその地図の最外層・外層を重ねて透かし見ると、マリアの記憶をその”点”が刺激した。
「これ……あれ?? あの! この赤い点があの吸血族が暴れた場所ですよね?」
 重ねて透かし見た地図から目を落とし、テーブルに広げられている地図を見る。それは
「ああ、そうだが何か?」
 フラッツが、マリアの少し興奮したような声に驚きながら返事をする
「えっと……新しい紙に、全部の地図そしてインク壷をかして下さい!! これ多分……」
「思い当たる節が?」
「地図に写してドロテアに見せると恐らく! この形を見た事がある!! ドロテアの家で見た事がある! ドロテアの家で見たことがあるとすると」
 それは古代遺跡に通じているはず。古代遺跡に通じているのなら、ドロテアも打つ手があるはずだ。マリアの表情を見つめていたネテルティが指示を出した
「マリアの言った通りに、正確に。そうね、最外層の地図に写して。そして法王庁に連絡を入れて、彼女はもう戻ったかしら? いるのならこっちに足を運んでもらうように連絡を!」
「はい!」
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