ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【10】
 宿屋に持参する昼食を注文して、ドロテアは迎えが来るのを待った。持参する昼食のバスケットの中に、あのエドウィンから預かった書類を隠して。
『多分身体検査はするだろうからな……』
「それじゃヒルダはシスターの所で仕事してきな。エルストはまあ、ギルドに足運んでその後カジノにでも行って遊んでろ。じゃ行くかマリア」
「じゃ!」
「それじゃあな!!」
「何であの2人付いて来たがらなかったのかしら」
「一応、聖職者と宗教国家出身だ。恐れ多さが先に立ったらしいな」
「成る程ね」

「じゃあな、マリア。よろしく頼んだぜ、ネテルティ」
「ええ」
 マリアを聖騎士の演習場に置いて、ドロテアは一人法王庁へ向かった。案の定決まりと言う事で、持ち物検査をうける事となった。
 最も魔道師に身体検査を施しても魔法が武器なのだから無意味といえば無意味である。
 豪華なステンドグラスや壁画と呼びたくなるようなサイズの宗教絵が飾られている通路を抜け、三回程持ち物検査を受けてドロテアはようやく法王庁の中心に辿り着いた。勿論持参した昼食も検査されたが、触らせずに自分で開けてみせた。”他人の食い物を触るな”と低い声で注意した(威嚇ともいう)のと、検査員がセツ枢機卿に注意されたのが効いて昼食はそれ程厳しく審査されなかったようだ。
 彼等彼女等は『機嫌を損ねないよう重々注意を』と、セツ直々に言われたらしい。昨日の短い会見でさすが枢機卿、ドロテアの性格を見抜いた様子だ。”怒らせると怖いそうだぞ、あの女”そう言う噂もあるからな、ドロテアは


「顔を見せたほうが信頼してもらえるでしょう、はじめましてアレクサンドロス四世です」
 大きなミトルを外すとそこからは昨日会った、ミンネゼンガーと名乗った男が現れた。線の細いこの法王は、枢機卿セツと違い男性か女性か誰も判別がつかないので有名だ。実際顔を見ても、男か女か判別するのは難しい顔立ちだ。
「……で、法王。実際の所どうなんだ?」
「実は七十二年前の焚書の始まりは、この法王の間なのです」
「なんだって?」
 それはドロテアにとっても初耳だった。多分どの学者も知らない真実だ。
「だが、僅かに残っている石版などがあります。それから何とか推察できないでしょうか?」
「でもな……」
「頼みます!」
 頼みますと言われても、ドロテアとしても困る。資料が無ければ”憶測”しか出来ない。それは最も危険な判断の一つだ、少し渋っていると布を垂らした扉の向こうが開き声がする。
「猊下、礼拝のお時間です。後は私が」
「それでは、後でまた」
 大きなミルトを被り、ヴェールをまきつけ完全に姿を隠し布の向こう側に出て行ったアレクサンドロスと、入れ違いに入って来たセツ枢機卿。

**********

「綺麗だったろう?」
「綺麗だが、正直怖いな」
「セツの顔の方が怖いよ」
「顔じゃなくて」
「そうだね」
「だが信頼に値するようだな。特に腕は確かだ、
判断力もそれに伴う行動力も随一だ」
「ああ。世界を知っているだけあって、
彼女は直に私の正体に気付いた。
夫も友人の女性も気付きかけていた」
「それは凄い。鋭いとはああいう輩を言うんだろうな」
「あの黒髪の美女、セツの好みだろう」
「お前も相当鋭いな」
「法王だから」

**********

 少しの間ドロテアとセツ枢機卿の視線が交差する。そして、昨晩水晶玉から響いた声が、今度は確りと室内に響き渡る
「……アレクサンドロスが顔を見せたのだから、私も見せるか」
ミルトを取ると其処には法王とは正反対の男が現れた。
「顔もゴッツイな、アンタ……。それに少し俺の知り合いに似ているな。古代民族の純粋な末裔か、その緑が掛かった白目は」
 ゴツイというか、剽悍な顔立ちだ。道端などで絶対に因縁など付けられる心配もないような、迫力のある顔、そして体躯。やはりドロテアの予想通りに古代民族の純粋な血を引いているらしく、特徴である普通の人間であれば白目の部分に色が掛かっており、特に左目が強い。持っていたミルトを脇に置き、襟元を引っ張りながら、
「さすがに鋭いな。確かに古代民族の末裔だ」
 古代民族の混血自体はそう珍しいものでは無いが、ここまで特徴を兼ね備えているとなると数は多くない。古代民族というのは一説では、選帝侯のすぐ下にくる階級であったとされ、その能力・知能も通常の人より格段に高い。勿論個人差もあるが、概ね”鍛えなくても一個中隊”クラスの力があるとされている。
「ところで一体幾つだ、枢機卿?」
「セツでいい。年は三十八歳だ」
 年相応の顔つきだが、険しさが枢機卿を年よりも若く見せる。落ち着きが無いとかではなく、その”鋭さ”それは年を取った人間からは徐々に消えていくものだが、この枢機卿にはそれが確りと残っている。
「アレクサンドロスの方があんたより二歳若いが、不満はねえのか?」
「大した年の差ではない……何故アレクスの実年齢を知っている?」
「色々とな。三十六歳で清らかってのもどうかとも思うな。アンタは違うけど」
「本当に鋭い」
「そうか……だがアンタも知ってる訳だ、アレクサンドロスが何もしていないと」

大人になるのを嫌うほどいやだったんだろう?幼いまま

−所で何で死んだ事になったんだ? お前の親戚なら……だろう?
−不倫……て言うのかな? ……な訳
−それっ……最低だぜ
−不倫が? ドロテアがそう言うとは思えないけどな
−違う。そんなことはどうでもいい。……がだ
−やっぱりそう思うか……ってのは最低最悪だよな
−当たり前だ。それで……か
−だから生かしておこうと思ってね

「顔を見ればわかる。あれじゃあな」
 法王が女性と間違えられるのには、その一度も異性に触れたことの無い所にある。何事もなければ中性的な雰囲気が消えないし、下世話に邪術で探ろうとしても判断が付かない、ましてあの姿形では見た目で判断を下すのはほぼ無理だろう。
「まあな。ある娼館に隠れて町に出る。そこの女将も知ってはいるが。一室を借り切り、特殊磁場を引きゲートを開けて移動している」
「この首都内なら、アンタ達なら瞬間移動のように移動出来るんだろうな。それにしても随分と俺に軽く喋るな」
「アレクスが、法王が信じると言ったからには、私は全面的に信用する」
「よし、これを渡そう」
 昼食の入ったバスケットを開け、ドロテアが封書を差し出す。封には”魔力印”と言う魔法の力によってされた封が施されている。
「何だ?」
 ただ、職種によりけり”封”の種類が違う。セツ枢機卿に手渡されたその封書は明らかに聖職者の手によって”封”を施されていた。受け取り真っ白な厚みのある封筒丹念に観察している枢機卿に、ドロテアが声を一段低くして。
「イシリア教国でエドの高僧が行っている悪行だ」
「ハーシルか」
 表情に、微かな怒気がこもる。余程仲が悪いのだろう
「そうだ、どうせエドの方でも掴んでいるだろうがな。ただ厄介な報告がなされている、読んでみろ。俺はその間この隙間だらけの、法王の知識の間で何か探す」
「エドウィン高祭……いや今は司教となった筈だな」
「ほう、改選時期がきてたのか。まあ昔みたいに改選時期毎に戦争を引き起こさないだけ、マシか」
「……もうそんな余力もあるまい。よって国交を結んだ」
「ふーん」
 特徴的な眼球が書類を追いながら、ドロテアに質問をしてくる
「聞けば貴公、薬草においては人後に劣らぬ者だそうだな」
「ドロテアでいい。薬草ならおそらくこの国にいるヤツラよりはマシだろうな。白い慈悲の粉の事だろう?」
「ああ、解毒剤は」
「ない。本当はあるにはあるが、致死量に満たない程度で、即座に投与できる場合だ。致死量を越えられると打つ手は無いに等しい」
「魔法にも精通しているようだが、魔法磁場は」
 魔法磁場とは特殊な結界を張った当人達が、自身の魔力の施行をしやすくする場所の事である。
 戦場では”陣地”と呼ばれ、此処を取られるとほぼ負けたと見て間違いはない。味方の盾であり、敵に取っては罠ともなる魔法磁場。それを体内に張ると、ある種の防御力が働き即死を逃れる事が可能だ。
 非常に高等で尚且つ高い魔力が必要となる魔法で、理論的には可能だが、現実的には不可能とされている。が、この法王と枢機卿となれば話は別だ、
「体内に解毒の魔法磁場を仕込んでいれば即死は免れるかも知れないが……まあアンタ等の力で張ればそれも可能かもな。ただアレクサンドロスを見た所、奴は普通の人間より致死量が高い、それだけは間違いはないな。アンタも相当だが」

−従弟って事は、テメエと同じ体質か?
−特質は受け継いでいるよ俺と同じだな
−厄介な事で
−本当になあ……良い事は何一つないのにな


「そうか、一応そうアレクスに指示をしておく。最も、毒を使う前に事を処理すればいいだけだがな」
 エドウィンからの書類に目を通しながら、枢機卿は言う。
「そろそろ引退させても良いんじゃないか? ハーシルを」
 今年で枢機卿在位四十五年のハーシル。老人であるが、権力欲は今だに衰えていない。法王になった所で一年も持たずに死にそうなものを、とドロテアは悪びれもせずに呟く。その言葉を別に咎めるでもなく、表情も変えずに枢機卿が続ける。
「そのつもりで、此方でも調べていた。元々ヤツはホレイル王族だからな。イシリアと国交を結べば、自ずと隣接している故国を解して不正を働くのは目に見えていたからな。エド法国内では行えない事を仕出かすだろうと、火刑台に送り込むのもそう遠くはない」
「成る程な、ヤツの暴走を引き起こす目的もあった訳か」
「勿論だ。私が善意や慈悲だけで国交を結ぶと思うか?」
 確りと言い切る枢機卿に、さすがにドロテアも苦笑した。
 聖職者としてはあるまじき言い分だが、望んでなったのではないのならこう言う男がいてもおかしくはない。最高の位に無理矢理就かされた十六歳の法王を、十八歳の枢機卿が補佐してきたのだから元々こう言う男なのだろう。
「たいしたモンだな。アンタ等みたいな教会の外を知らない人間は、ボケが多いと聞くが。アンタはそうではないようだな」
「甘く見るな、これでも枢機卿に就いて二十年だ。法王の側近として二十年間ヤツや他国の王や宰相、外交官と渡り合ってきた、そう易々とは負けん」
 壮年の男の顔つきは、決して穏やかとは言わない。表情を見てドロテアは似ている人物に心当たりがある、それは”自分”。
 何かを守る際に他者を犠牲にするのも厭わない人間はドロテアは好きだった、自分自身それを心に決めて此処まで生きて来たのだから。
 良い悪いはその後の事。ただ一つ、この男を信頼している法王は正しい事だけはわかる。多分何を差し置いてもこの枢機卿は法王を守り抜くだろう。
「そうか、じゃあ俺は一人でも構いはしないぜ」
「いや私としても此処で作戦を練った方が、機密性に優れているのでなこの部屋は」
「そうか、じゃあお互いに勝手に過ごすか」
「そうしよう。エギ大僧正!」
「そいつは信用できるのか? セツ」
「昨日オマエが言っただろう、枢機卿が嘘を見抜けなくてどうする?と」
「そうか」
 呼ばれて入って来たのは、昨日ドロテアに言い負かされかけていた大僧正であった。
 微かに色を讃えた白目はドロテアの昔の男によく似ていた、だがこれ程強くは無かった。不退転と謀略が見て取れる薄い緑の白目、金色に近い瞳。遠くギュレネイスの北から来た男・セツ。この男のこの名もまた、本当の名ではないのだろう

 子供達は全ての名前を失わされて、名前からも男女の区別がつかないようにされてしまったのだから
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.