ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【9】
 三人が再び食事をしていると、深夜近くだというのに外が騒がしくなり、宿の食堂は開店以来初の”正式な”高貴な客を出迎える事となった。

「勇者様方は居られますか?」
 今日、ドロテア達を出迎えた大僧正が宿屋まで出向いてきた。
「何だ? 大僧正が何の用だ? ……枢機卿か」
 その大僧正の後に見える”輿”。法王と枢機卿は”輿”で移動するのが決まりだ。法王庁以外の場所で法王と枢機卿が歩く事は無いので、宿屋の中にまで”輿”で乗り付けてきたらしい。テーブルの上を片付けるようにドロテアが指示を出し、ドロテア以外は全員立ったままテーブルのまわりの椅子を片付ける。輿の下に台座を置き枢機卿がドロテアの真向かいに座った。
「枢機卿が少々聞きたい事があるそうです。正直に答えなさい」
 枢機卿の隣に立っている大僧正が、多分普通であろう口調で言う。ここまでは……
「ほざけ!」
「な!!」
「ああ? 枢機卿が嘘も見抜けなくてどうすんだよ? 聞きにきたというこたあ、解らないんだろうが、ガーナベルトの事が」
 態度は相変わらずであった、ドロテア。ドロテアの態度をみながら、エルストは灰皿を持ったまま煙草に火をつけた。本来ならしてはいけない事だが、この場で自分に注意を払うものもいないだろうと悠々と吸い始める。ドロテアの口の聞き方に驚いた大僧正だが、聖騎士達よりは度胸もプライドもあるのだろう気を取り直し
「口を慎み……枢機卿?」
”口を慎みなさい”と言おうとした所で、枢機卿が大僧正をたしなめるように腕を動かす。
「何で、枢機卿って自分で喋らないの?」
 不思議そうにマリアが枢機卿と大僧正の動きを見つめてドロテアに声をかける。因みに枢機卿と大僧正の他にも僧正だとか大司教だとか聖騎士だとかがいるのだが、全員口を開かない。
 それは通達されていたのではなく、史上稀に見る口の悪い女に唖然としているだけの事だ。その口の悪い女は、こめかみに指を添えて
「あ? 色々有るんだよ……だが面倒だな。ヒルダ、荷物からあの紫の水晶玉持って来い」
 ”あの紫の水晶玉”というのは、魔王城から持ち帰った戦利品の一つで、それに触れているもの同士、考えただけで会話が成立するものだ。金が無くなったら”エセ占い師”でもやるか?とドロテアが持ってきた、戦闘においては実用性の低い宝物である。
「はい」
 駆け出していったヒルダから目を離し、ドロテアは輿に座っている最高枢機卿に目を向けた。”ただの枢機卿”では着用を許されないミルトから垂れ下がる、緑色の豪華な刺繍が施された布が特徴となる最高枢機卿。
 ディス二世の際に”名前も生まれも性別も”不明とされた”死せる子供達”なのだが、こればかりは神の力を持ってしてもどうにもならなかったのだろう。最高枢機卿・セツは男だと誰もが一目でわかる。物凄く大きいのだ、この枢機卿。このガタイで女だと言い張るのも少々辛い程に。
 何よりも幾重にも重ねられた法衣ですら、男の雰囲気を隠し切る事が出来ない程に。
 それでも、いくら滑稽であっても性別は隠していなければならない。衣装や装飾品で飾ると威風堂々と称するのに相応しい人物。ギュレネイス皇国のチトーかエド法国のセツかと言われる程、謀略に長けている。法力が強い分、セツ枢機卿の方が上かもしれないが。
「一応言っておく。質問は枢機卿からだけ受ける。他のヤツは黙ってる事だ」
「解りました」
 大僧正がセツ枢機卿の言葉を伝え、他の者達にもそうするように命じる。宿の二階から降りてきたヒルダが水晶を差し出す。固定用に台を持ってきたのは、気が利くと言って良いだろう。何せ丸いものだから、テーブルに置けば転がって仕方ない。
「よろしい。持ってきたか、ヒルダ」
「うん、はい」
「枢機卿、水晶の手をあててみろ」
「口の聞き方を……」
 たしなめる大僧正に向けられたドロテアの眼差しは、先ほど首都を危機に陥れた吸血族よりも怖い。視線を受けた大僧正は僅かに身を下げ、再び言葉が詰まった。それを見て枢機卿が黙るように合図を出し、ドロテアの指示通りに水晶に布で覆われた手を乗せる
「黙れ、さてと……これで直接話せるぜ」
”厄介だな、性別まで隠さなきゃならないなんてな”
”迷惑を掛ける”
 意外と砕けたような喋り方の、壮年と思しき男の声がドロテアの頭に響き渡ってくる。頷いているドロテアを見ながら
「何話てるのかしらね?」
 マリアが不思議そうに声をだすと、ドロテアが振り返り
「必要な事は口に出すから少し待ってな」
”まず最初に、礼を言おう。見事な腕だ”
”そりゃどうも。アンタラも大した連携だ。ミンネゼンガーいや『アレクサンドロス四世』か。アンタの体格じゃあ、アレほど隠れて被害を食い止めるのは無理だろうけどな”
”大したものだ。慧眼にも恐れ入る。アレクサンドロスも驚いていた、正体を一瞬にして見破られたとな。今まで見破った者はいなかったのだが”
”そうか、でだが……ここからは口で言おう”
”解った”
”敬語がいいか?”
”必要はない。私は聞きにきた立場ゆえにな”
「吸血大公・ガーナベルトの事だな。ヤツはこの国では”完全に消滅”と伝えられているが、他国の書物には”封印された”と記述されている。この場合、”封印”と考えて間違いないだろう」
「そのようだな、と申されております」
「で、質問は?」
「居場所を特定できぬかと、申されております」
 ドロテアが話すとセツ枢機卿が隣にいる大僧正に小さな声で話し、それを大僧正がドロテアに伝える。まどろっこしい事この上ない状態で話が進む。
「スッゴク……面倒な話し合いね」
 マリアは脇でみながら、苦笑している。これは相手が枢機卿でなければ、ドロテアあたりが被っているモノを引き剥いで直接話しを始めそうだと思う。
「そうだな」
 答えるエルストも複雑な顔で笑う。ただ、ドロテアが短気を起こさずに”きまり”に則り話をしている所から目の前の枢機卿がこれまた本物だと言う事に、少々驚いていた。エルストの感覚からしてみると、この法王と枢機卿は自分達がここに来る事を知っていたかのような感じを受ける。そうでなければおかしい

”普通、法王や枢機卿はそれ程空き時間がない筈だ。法王の謁見と枢機卿が此処まで出向く、一日でそんな事が起こるとしたら前々から準備していたとしか思えない。法王は予知夢を見るっていってたな?それか……”

 灰皿を違うテーブルに置き、少し離れた所からエルストは辺りを見回した。ホレイル人の姿が一人も見当たらないのに苦笑はしたが、中々”抜け目無いような顔立ちばかりだな”最もそうやって、外側から見ているエルストも相当抜け目無い。そして最高枢機卿を目の前にして話をしている当人の妻も
「居場所な……仮にもこの国の法王が封じ込めたんだ、それに関する書物くらい残ってはいないのか?七十二年前におきた焚書の時にも逃れたんじゃないか?」
「あれは焚書ではなく、いかがわしい……」
「黙れ! 誰がテメエなんぞに口を利いていいと言った、ボケ! 大体テメエに質問の答えが返せるか!!」
「お前達、黙っていなさいと申していらっしゃいますよ」
「で、質問の答えは?」
「えっ……よろしいのですか? それは……そうですかわかりました……。あの明日、法王庁に来て調べていただけないかと、申し……」
「法王の間に通すって事か?」
「そうだと。法王猊下たっての望みなので、是非ともと。その頼みがしたく此処まで、セツ枢機卿が出向いたそうで……」
 そんな一大事であれば、法王の最も信任厚い最高枢機卿が出向くのも納得できる。多分大僧正も聞いていなかった話なのだろう、驚きが隠せないでいる。頷きながらドロテアが
「水晶に手を乗せろ、セツ枢機卿」
”それはいいが、邪魔するようなヤツは行くまでに何とかしておけ。貴様等二人が良しと言えば、否と言うジジイが一人いるだろう。あの手の奴は邪魔だ”
”解った。つかぬ事を聞くがドロテア卿、主はトルトリアのエルランシェ生まれか?”
”そうだ”
”そうか。それでは明日”
「じゃ、明日な。今日は疲れた、あんたも疲れただろう、セツ枢機卿」
「お疲れのとこを邪魔して済みませんでした。明日、九時に迎えの馬車を寄越しますゆえ……時計はお持ちですか?」
 枢機卿と大僧正が去った後、司教がやたら腰も低く声をかけてきた。あのドロテアの態度を見れば納得も行くが
「はいよ、この通り」
懐から時計をだして司教に答える
「では、お待ち申しております」


十二の文字盤の無い変わった時計を贈られたのは……何時頃だったろうか?
何故知っているのだろうか?

― エルストさんあの人は鋭いですね ―
― 多分、相当鋭いさ ―


「あの枢機卿も本物よね」
 全員が立ち去り、テーブルの位置をも直した後部屋に戻る階段でマリアが振り返り、ドロテアに尋ねた。
「ああ、無尽蔵に法力垂れ流しだ。地の属性で、本当に向きだな」
「地属性って聖職者向きなの?」
「まあ……この法国一体は地属性が強いからな。法王は属性変化みたいだったが」
 属性変化ってなんだろう?とマリアは思ったが、特に気にせずに聞き流した。そして
「姉さん、相手は枢機卿なんだからもう少し言葉を選んだ方が……」
 さすがのヒルダもヒヤヒヤしたらしい。相手は最高枢機卿だ、が
「何ぼけてるんだよ、あのミンネゼンガーは法王だぜ」
 三人に頭を寄せるように指示してドロテアが小声で喋る
「へ?」
「当人にも確認したし、セツにも確認した。間違い無いだろう」
「嘘だろう?」
 エルストが叫んだのも無理は無いが、そのエルストを引っ張りマリアとヒルダに手を振って
「寝るぞ、喧しい」
 ドロテアはエルストと共に部屋に戻っていった。パタンという音が廊下に響いた後
「さすがドロテアね」
「姉さんですから」
 マリアとヒルダは顔を見合わせて笑って、各々の部屋へと戻っていった。
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