ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【8】
 些か呆然としていると、暗闇の中魔法を作り出す時特有の、淡い光がドロテアの視界の隅に入った。気付いたドロテアは駆け出して、その魔法を唱えようとしていた主を蹴り、魔法を阻止する。
 魔法を唱えようとしていたのは、宿屋までドロテアを見にきた貴族の子弟達一行の魔法を使う小娘である。
 蹴られて驚いている彼女の隣で、一拍遅れで"勇者さま"が怒鳴る。
「何をする!!」
 "それじゃあ魔法使いもオチオチ魔法唱えてられねえぜ"と心の中で悪態を付くが、今はそんな事を言っている場合ではない。ドロテアは吸血族を指差し
「ガキの遊びみてえな魔法なんざ、被害を拡大するだけだ。見えねえのか? 対魔法防御の層が!!」
 あの吸血族に直接的に普通の魔法をかけるのは、ほぼ不可能に近い。特殊に練り上げた魔法か、邪術でも無い限り。見ただけで解るようなものなのだが、若い魔法使いの娘はそこまで頭が回らないようだ。そして蹴り倒され指摘され呆然としている。
「はね返されて回りに被害が及ぶだけだ!」
 ドロテアはそれだけ言うと、若い勇者一行に背を向けて吸血族に目を向ける。
「ドロテア!来たわよ!」
 そうマリアに言われて向き直ると、既に二,三人の聖騎士と思しき死体が転がっている。"強いじゃねえかよ、随分と!"
「ちっ! さすがの聖騎士も役立たずか!」
 舗装されている白い道が、人がいなくなり目に痛い。大急ぎで聖職者達が辺りを照らし出し、その白い道が黒い血で染まっているのが目に入る。
「あれ、吸血鬼じゃないのか? ドロテア!」
 エルストがドロテアに声をかける。エルストも数多く魔物を見たがこれ程禍々しいモノにお目にかかったことはそうそう無い。それに、完全に主に操られている魔物にも。山の中で人を襲う魔物とは訳が違う、完全な支配を受けた目的を持った知性のある吸血族となれば。
「違う! 吸血鬼なら魔法を使って来るし、この程度じゃねえ! 行くぞ、翼を狙え二人とも!」
「おう!」
「解ったわ!」
「風よ、翼となりてこの者達を空の眷属とせよ!」
ドロテアが指を二本上から下へと下げただけで、マリアとエルストが飛ぶ。
「は、早い!」
「あんな直に唱えられる……ものなの……」
 蹴倒されて未だ体勢を治せないでいる若い魔法使いが、速さに驚く。
「闇よ、その影の主を守りたまえ!」
 そんな事はどうでもいいと、ドロテアは明りで発生した人々の影を立ち上げて
「影で盾を作った、少しは持ちこたえて攻撃できるだろう!! それにしても飛び上がらないな……」
 邪術の一環だが、速さと正確さに聖職者達が驚きの声を上げた。その間に、ヒルダの背後にいるミンネゼンガーが"聞こえぬ聖歌"を歌う。人には聞こえないその聖歌は、通常の聖歌の数百倍の効果がある。
 最も、聞こえないので人々には気付かれないが、ドロテアの目の前で吸血族の対防御の膜が薄くなってついには消え去った。
"大した力だ……法力だけでもこれ程とは恐れ入る"
 吸血大公が配下に施した魔法が消え去ったのを見て、ドロテアが声を上げる。
「ヤツの右肩のオレンジ色の石。あの小さい石がヤツの本体だ!!」
 身体自体は人々を凌駕しているが、弱点に辿り着く事はできる。ドロテアの声にエルストが
「狙えるか!」
 聞くが
「魔法では砕けない代物だ!直接攻撃しかきかない。血よ、我が意思に従いて捕縛せよ!!」
 "石"自体は吸血大公が直接力を送り込んでいるので魔法は効かない、吸血大公以上の魔力ななければ。それこそ法王庁からくるであろう砲撃であれば、砕け散るが。
 この場で確実に手傷を負わせるとなると、直接攻撃にかけるしかない、とドロテアは判断して少しでも動きを止めようと捕縛魔法をかけて、上空に投げつけようとするが動かない。元より体力の差が歴然としている。
"力自体が負けるから仕方ないとは言え、頑丈だな"
「しつこいくらいに飛ばないな」
 舌打ちしながら、ドロテアは捕縛した吸血族を上空に上げようとする。その時、吸血族が力を込めオレンジ色の石も力を放出する。
 その力の衝撃が見えない聖騎士達三人程飛ばされたと思うと同時に、通常では考えられないような白光色のエネルギー波が地上を掠める。
 轟音と共にそれに目を取られ、一瞬ドロテアも動きが止まり頭の中も真っ白になる。
"なっ!!道にぶつかる?"
 そう思った瞬間ドロテアの目の前で、ヒルダの後ろにいたミンネゼンガーが腕に法力を込めてそれを弾き飛ばした。ぶつかる寸前で回避されたその白光色の法力は、暗闇をも白く染め上げて空に飲み込まれ、暫くの間夜空を染めそして消えていった。。
"毎回この連携か……"
 多分誰もミンネゼンガーには注意を払っていないから出来る芸当だ。事実ヒルダも気がついていない。人に気付かれないようにする魔法というのも存在する、それを用いているらしいが、それにしても砲撃も凄まじければ、それを弾き返した法王も凄まじい。

 吸血族は空に吸い込まれた砲撃の余韻が残っている首都を、まだ明るさの残る闇に翼をはためかせ消え去った。

「凄まじい砲撃だな」
 吸血族が見えなくなったのを確認してエルストが言う。
「飛んでいったわね……ふう、凄かった……」
 マリアも吸血族よりも、法王庁からきた砲撃の方に驚いた。ドロテアですら驚くような砲撃だ、マリアが驚くのも当然。
 因みにヒルダはポカンと口を開けて空に飲み込まれていった砲撃をまだ見ている。なまじ魔法を使えると今の"アレ"がどれ程の物か良くわかる分、驚きも凄いらしい。
「アレは砲撃が怖いとかじゃなくて……役目を終えたようなもんだろう。それにしても生きているようだな、吸血大公・ガーナベルト」
ドロテアは気を取り直してミンネゼンガーに言う。
「生きて……いるのですか?」
 ミンネゼンガーが困惑の面持ちで向き直る。
「信じる、信じないは別として、あのオレンジ色の石はガーナベルト直属の吸血族を指し示す。ヤツの指示に従ってると考えた方が納得いくだろう。でなければ、退却する意味もない。まだまだ余力はあるようだしな、上手く砲撃もかわした。次の砲撃まで時間が掛かる事くらいお見通しだろうが……それでも戻ると言う事は、背後にいるだろう吸血大公が」
 "かわした"というより見事な"威嚇"だ。ドロテアが見た中であの力は、一,二を争う程だ。この場に法王がいるのだからアレを放ったのは最高枢機卿・セツになるが、
"人じゃねえよな……セツ枢機卿も"
 明らかに人間の力を凌駕している、法王でなければ弾き返す事は不可能な程の力。ドロテアはミンネゼンガーに無言で頷く
「だが! アレクサンドロス=エドが完全に!!」
 背後から掛かった声に、それ以上の声で
「テメエ達とそんな議論を交わす気はねえ。戻るぞ、三人とも。またな、ネテルティさん」
 最初は怒鳴り、後は普通に会話するドロテア。戦いが済んだ後の呆然としたような態度もなく、淡々としているドロテアに
「ありがとう。本当に強いのね、アナタ達。聖騎士も形無しだわ」
 心底驚いたという表情と、笑いを浮かべてネテルティが返す。
「聖騎士は強いとは言え、それは対人間戦。人間以外との交戦に慣れていなければ、その実力も発揮できない。まあ人間相手にも力を発揮した事も無い奴もいるだろうがね、小僧邪魔だ!」
 ドロテアの強さというか、戦い慣れぶりに驚いている。貴族の子弟は、棒立ちになっていた。
「そうね。良かったら明日にでも騎士団の訓練場に来てくれないかしら? 少し教えを請いたいわ」
「……俺は面倒だが、どうだ、マリア?」
「ちょっと!! 私が聖騎士団の隊長に教えるの?」
「ま、しごかれるつもりで行ってみな。いいな、ネテルティさん」
「ネテルティでいいわ、ドロテア。ええ待ってるわ、マリア」
「はい」
マリアがネテルティと話をしていると、ヒルダがキョロキョロしながらドロテアのスカーフを引っ張り、
「あ、姉さん……」
「何だ?」
「ミンネゼンガーさん消えちゃった。いや、一応"有り難うお姉さんによろしく。また後で"って言って」
 まだ、人が大勢いる場所なのだが何所を見てもあの特徴的な金髪の吟遊詩人の姿は見えない。
「ああ、気にすんな。ヤツがそう言ったなら又会う」
 "大したもんだ。魔法の気配も気取られずに瞬間移動か。人間技じゃないのを見るのは慣れているが……"
「??」
「宿に戻って酒でも飲むか」
「そうだな」
 エルスト頷き四人はネテルティに別れを告げて、宿に戻る。
 "書類渡しそびれたな。まあ、この分なら後でも渡せるか。それにしても……フェールセンでも無い、選帝侯でも無いとなると。セツ枢機卿ってのは、直系古代民族か?"

 緊急措置の道が閉まらないうちにと、四人はとっとと最外層まで出て、のんびりと歩いていた。やっと夜半になったような時間で、吸血族が撤退したのでそれなりに人は出て歩いている。その人の流れに乗りながら、宿屋に戻ってくると宿の主人が
「奢りだよ!」
 といって、瓶を投げてきた。エルストが受け取り、ドロテアに差し出すと中々の銘柄の酒であった
「何だ?」
 そう言いながら、テーブルにドロテアは座る。後の三人は部屋で脱ぐのは億劫とその場で武装を解いていた。
「いや、強いったらありゃしねえ」
 噂はドロテア達よりも早くこの宿に到着したらしい。
「若い勇者達が右往左往している間に、バンバン魔法を紡いで撃退したんだってな」
 どうやらカルロス達は、正式な勇者達だと食堂で知ることとなった。
「撃退っていうかどうかな」
 あれは撃退というよりかは、明らかに吸血族の撤退であった。
「アンタ……悔しかったかい?」
「どうかな?ただ、負けるのが嫌いなだけさ。出だしが敗北だっただけにな」
「そうかい……強いねえ」
 店主が置いた酒をグラスに注ぎながらそう答えたドロテアの姿に声をかけて、店主は調理場に戻っていった。
「何の話?」
 マリアが声をかける。
「いやな、昔国が滅んだ時も、聖職者が必死に魔法を紡いだ。けれども時間が掛かりすぎて、役に立たなかったんだよ」
 法王で二分、最高枢機卿で五分。最高の技を紡ぎ出すのに掛かる時間を聞いた時、ドロテアは聖職者の道を捨てた。それでは時間が掛かり過ぎのだ、勝負は一分以内にどれ程の魔法を紡ぎ出せるか。

 そうでなくては、何の役にも立たない事を身を持って知った。

 痛む掌をおさえ、涙に霞む視界は広がったのは遺体すら残らぬ惨状。血すら残らず存在が消えていったあの日。
「そう……」
 敵は待ってはくれない、神聖魔法はその信仰心ゆえに逃げる事を仮定していない。
 逃げてもらいたいんだ、逃がしたいんだ

 攻撃魔法と防御魔法を同時に発生させなければ、それが無理だと知ったのはかなり前の話だ
 力の大きさではなく、先見の明があれば何とかなる
"でもあの力は憧れるな、実際"
 得られない力に憧れる事も、まだある
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