ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【5】
 最外層の教会の一つに辿り着き、辺りを見回す。教会自体は街の中では小さいが、シスター達が“良い人”揃いなのだろう。人々がひっきりなしに訪れている。その人込みとは、まるっきり違った一団がネテルティを先頭に教会内部に入る。
 ネテルティの知り合いのシスターは、ドロテアより十歳程年がいった体格のいい女性であった。ふっくらとしていると言うのでは無く、正にガッシリとした農村や漁村によくいる、働き者の女性。
 そんな体躯の、顔つきは優しい古代種族の血が混じったシスターに、ネテルティが説明説明し
「だそうよ、よろしく頼むわマレーヌ」
 笑顔でシスターが答える。
「ええ、ネテルティ隊長。若くて綺麗な司祭補様だなんて」
「ガンガン扱き使ってやって下さい。体が鈍ると旅の上で困るんで」
「ガンガン使ってください!使われ慣れしてますから!!」
 トンと胸を叩いて、胸をはったヒルダを黙って皆で見つめた。忘れそうだが、司祭補は偉い。そんなのをこき使うと言えば……誰に?とは誰もいわなかった。そりゃそうだこの妹を使うのは唯一人、姉だけだ。
 ヒルダを置いて、エルストをカジノの前で投げ捨て、宿に辿り着き食堂に再び座り淡々と話を始める三人。
「じゃあ二人は丁度十年前に知り合った訳ね」
「そうだな……もう十年にもなるのか」
「そうよ。アナタ浮世離れしているようで、すっと結婚もしたし」
 ドロテアもそれが自身最大の謎であった。本当はどうでも良かったのだが、修行の一環でマシューナルに来て勘違いしたヒルダが勝手に親に報告してしまい、その連絡を真に受けた両親がドレスを仕立て、それを持ったヒルダが卒業と同時に国に来てしまったのが事の発端だ。
 卒業後の初仕事は姉の結婚式と、勝手に書類まで提出してきたヒルダ。その突進力というか破壊力にも似た行動力はドロテアに似ているような……姉妹だから当然と言えば当然だが。
 そしてヒルダとマリアに無理矢理後押しされたエルストが花束を持って、街中をグルグルとドロテアを探しまわった。その後ドロテアが大急ぎで、適当に式の段取り等を行った。ドロテアとしては勘違いしたヒルダに感謝していいのか何なのか? 複雑な胸中なような、どうでも良いような、だがヒルダに言われなくてもエルストと結婚していたような?と。
 今でもなんとも言えない気分である。好き嫌いなどと言う部分ではなく、もっと別の次元の話なのだが。
「だよな……所で聞きたいんだが、吸血鬼ってのは何だ? 昔話は後でも出来そうだが、ソレが気になって俺に声をかけてきたんだろう」
「ええ。それに今頭を非常に悩ませているのよ」
「本当に吸血鬼なのか?」
 ネテルティとテーブルを囲んで話をしていると、食堂の入り口からこれまた“正義の味方様ご一行”と評したくなる、若者の集団が入って、ドロテア達の傍に近寄ってきた。
「何だ?」
「一応、顔だけは見ておこうと……ドロテア=ゼルセッド?」
「知り合いなの、ドロテア?」
 今では誰も呼ばない呼び名を、立て続けに呼ばれ小首を傾げてマリアに向き直る。
「悪いが、俺は記憶力がいいと言う看板を下げる。知らねえよ、こんなガキ」
「大方アナタを遠目で見てた、町人とかでしょうからね」
 目立つ顔、及び性格の為に人がドロテアを覚えているのだがドロテアとて、興味の無い、そして関わりの無い人など覚えている筈もない。そう言う輩に声を掛けられるのがドロテアは好きでは無い、いや寧ろ嫌いだ。
「が……がきだと」
 ドロテアよりは若い、言動や着ているものからして良家の子弟なのは直ぐにわかる。
「顔見たからもういいだろうが、小僧。とっとと帰れよ、俺は今この人と話しをしているんだ」
「ネテルティ隊長!」
 そのリーダーらしき良家の子弟の背後に立っている、聖騎士に穏やかにネテルティが声をかけた。
「下がってもらえるかしら、ビルにシヴォーン。あと魔法使いのお嬢さんも」
「私の名前はオーワールです。覚えておくように」
 魔法使いのお嬢さんも、それなりの家の出らしい。顔立ちから察するに“良家の子弟”こと
「私の名はカルロスだ」
 このカルロスの親戚だろう。
「名が通ったらな……小娘の手習い程度の魔法使いなんざ覚える価値もねえし。カルロスねえ……パーパピルス貴族らしいが、下っ端貴族に知り合いはいねえよ」
 魔道師の格の違いだろう。オーワールと言う娘が正義の魔法使いなら、ドロテアは明らかに悪の魔道師だ。口の端を上げて出て行けと指で合図する、その迫力は半端では無い。
 下っ端貴族呼ばわれされたカルロスは、口の端を下げて他の三人に抑えられ出ていった。それを見届けるでも無く、ドロテアはネテルティに向き直り
「で、妨害が入ったが。吸血鬼となると、相当な被害なのか?」
「突如現れて、人を何人か殺して去ってゆく。それが既に五回も繰り返されているのよ」
「何人くらい?」
「平均すると一回の襲撃で十人くらいになるかしら」
「これだけ聖職者が居る訳だから、全部被害者は聖職者か?」
「そうなの。だけれども、狙っているのかと言われると自信はないわ。何せ聖職者が圧倒的に多い場所ですからね」
 確かに此処は道を歩けば聖職者に当たる場所だ、狙われていると言えば狙われているような。偶々と言えば偶々だろうが
「見てみないとなんとも言えねえが、それは吸血鬼じゃないな。恐らく吸血族だ。ネテルティさん、アンタのような隊長クラスだとは思うが。だが、この地で吸血鬼と言えばカーナベルド吸血大公くらいのモンだが」

**********

高き山により沈められたその悪しき吸血大公
ガーナベルト
吸血城 闇深く
人々の嘆きを啜り
人々の生血を啜り
ガーナベルト
土で眠る

**********

「吸血鬼伝承は得意じゃねえんだよな。遺跡関連だろうが……」
 遺跡関連にも細かい分類があって、ドロテアはそれ程詳しい訳では無い。どちらかと言うと遺跡調査の調査団の編成や資金配分人員確保、行路の調査に事後処理などを得意としていた。起動操作はできても、事細かい所までは覚えていない。
 それがまさか、こんな記録も全て焼き払われた首都で聞かれるとは思いもよらなかった。そんなドロテアが必死になって思い出していると、軽やかな足取りで食堂に入って来たヒルダ。
「お帰り、ヒルダ」
マリアが椅子を引いて出迎える
「ただいま」
「どうだった?楽しかったか?」
「うん。シスター優しい人だし、楽しいよ。明日から普通に教会に出向く事になりました」
教会に行って、普通の聖職者が行うような事を滞在中に行う。
「そりゃ良かったな」
「帰り道にカジノもありました、華やかで賑わってましたよ。中は覗いてきませんでしたが」
「そーかい」
 ま、どうでもいいけどよ。とドロテアは言うと再び記憶の底を探り始めた。目の前に座っている聖騎士団隊長・ネテルティの存在をも

**********

 その頃、受け取った金が見る間に無くなってゆくエルストの背後から、少し高い声がかかっていた。
「勝ててますか?」
 声の主に振り返り
「全然です」
 自分の胸元くらいしかない、小さな男性と思しき人物に話し掛ける。見た目は恐らく吟遊詩人なのだが
「始めまして、私ミンネゼンガーといいます」
 差し出してきた手を握り返し、笑いながら名乗る。名前から察するに恐らく男だが、不思議な感覚がある男だ。
「始めまして、エルストです。エルスト=ビルトニア」
 細い指を見ながら、エルストはふと“何か”を思い出した。
『あれ?何処かで会った事ないか……この目付き何処かで……』
 決してきつくは無いこの目付き、それは非常に見覚えがあった。喉まで出掛かっているのだが、エルストはあと一歩思い出せない。考え込んでいるエルストに、
「いかがなされました?」
「いや、初対面だと思うんですけど。もしかしたら、何処かでお会いした事なかったですか?」
「多分無いと思いますよ」
「それじゃあ、似た様な人かな」
『この雰囲気じゃなけりゃ思い出せるんだ。こう言う穏やかな男じゃなくて……』
 エルスト=ビルトニア三十二歳、曖昧に記憶力のいい男。半端に覚えているので気になって仕方の無い男。何時も半端な所まで思い出す男。
 二人はその後、何となく話しをしながら金をカジノの吸い上げられその都度笑いながら
「良かったら食事でも一緒に」
「いいのですか?」
「ちょっと怖いのが一人……いや三人程いますが」
エルスト、お前はドロテアだけじゃなくてマリアやヒルダも怖いのか?

「吸血大公って……昔立ち寄った国だと“アレクサンドロス=エドに封印された”って聞いたけど神学校の歴史じゃ“討伐され、二度と甦る事は無い”って教えられた」
 エルストに怖いと言われた事など露知らず、テーブルを囲んで4人は話をしていた。
「学者達は“封印説”を唱えるからな、それも対立の一つだ」
 神格化されたアレクサンドロス=エドがその力及ばず封印したというのは、中々受け入れられない事実なのだ。それに根拠も薄弱で、今一つ説得力に欠けているということもある。
「アナタはどう思ってるの? ドロテア。」
「正直、どっちとも言えない。伝承が正しければ、アレクサンドロス=エドはこの大陸でもっとも大きな山を吸血大公の城に被せたという。それは封印なのか、それで死んだのか? 判断は付け辛い」
「最も大きな山?」
「今では一番高い山は、海を越えたネーセルト・バンダ王国のセロナード地方にあるが、その昔はこの辺りに巨大な山脈があったといわれている。嘗ては此処に巨大な山があり、それを法力で持ち上げ吸血城に叩き付けたそうだ。本当だったら、この目で見てみたい程だ。ただ地層学的に見るとここ一帯にそんな山があった筈は到底無い、そう専門の学者が調べている。よって山ってのは何か違う物のような気もするんだが、何かを被せたのは本当だろう。伝承じゃあ吸血城は高さがさっき見た法王庁以上あるはずだ、それに何を被せたのか。そもそも乗せるものなんてあったのか?となるとやっぱり山のような気もするしなあ。それに吸血城の大きさだってこの首都より大きな城だと言われてるが、そんなの沈める為に岩石持ち上げるってどれ程の力なのか?見当もつかない」
 今では神体として奉じられているアレクサンドロス=エドだが、当時は“国無きフェールセン皇帝”が使わした一介の兵士だったと言う。
 ただ、伝承と記録と風刺と誇張が入り混じり、正しいのがどこなのかさっぱりわからないのが実情だ。
 有名なのは負傷して百万の敵の中で動けなくなった仲間・ハルベルト=エルセンを救いに戻った逸話が残っている程度ある。
 これはどの宗教でもどんな子供でも知っている物語だが、それ以外は殆ど知られていない。
「ドロテア、アナタが頑張ってどのくらいの物が、どのくらい上がる?」
「魔力を手元にあるもので補強して、死ぬの覚悟でやっても、あの法王庁を親指の長さ程度持ち上げられるかどうか」
「そう聞くと、神体って凄いわね。でも、吸血族が跋扈してるなら“何か”が居る訳でしょう?」
「魔王かとも我々は思っているのよ」
 ネテルティが言うが、手を振りドロテアが否定する。
「違うな。魔王と吸血大公は相反するものだ。魔物と吸血族は全然違うものだ」
 それに魔王は既に、ドロテアに殺されている。勿論誰にも語ってはいないが。
 学術的には吸血族等ははフェールセン王朝時代の兵器の残りであり、魔物はフェールセン王朝解体後“何処かから”来たものである。厳密に別ける事が可能で、倒し方も別ものである。強いのはランクにもよるが吸血族等の方が圧倒的に強い。
「そうなの? 私達は全部同じかと」
 見た目から察するに、同じと言い張っても差し支えはないだろうが。そんな話をしていると
「ドロテア、ただいま」
 どこか控えめな声と共に、食堂に入って来たエルスト。
「おう、負けて帰ってきたか……テメエ、隣に居るのは誰だ?」
 声の感じでエルストが、貰った金をほぼスッたのが解るドロテアだが、隣に立っている人物にはさすがに驚いた。
「彼? 彼は……」
 小柄というのはこう言う人間に向けていうんだろうな、と思う程小柄で華奢な人物。
「ミンネゼンガーです。よろしく」
「その格好だと吟遊詩人さんですか?」
 透ける様な桜貝色を帯びた黄金色の長髪に、かすみ草のような肌、淡い桜貝ような色合いの薄い菫色の瞳に、綺麗な指先。そして脇に抱えているリュート。
 これだけ揃った吟遊詩人もそうはいない。ヒルダの質問に笑顔で答えるミンネゼンガー、その笑顔は穏やかで人好きするものだ。声も優しく、全体に薄く柔らかい“霞”がかかったかのような人物。
「ええ」
 ただ一目見ただけでは男か女か解りかねるような雰囲気を持つ。エルストが一発で男だと見抜いたのは、エルストが女好きだからだろう。
「私はヒルデガルド=ランシェです」
「私はマリア=アルリーニよ」
 二人は絵に描いたような吟遊詩人に笑顔で答えるも
「ドロテアだ……ちょっと来い、ミンネゼンガーとやら」
 約一名、ドロテアは眉の端を上げ、自分と同じ程度の身長の、男性……と思しき人物の襟を掴み、食堂の隅に引き摺ってゆく。
「知り合いかな?」
 ヒルダは軽々ともっていかれるミンネゼンガーを見ながら、そう思った。知り合いが多い姉である、そしてその姿は、捕まったときのエルストさながらである。
「首根っこ掴んで歩いて、知り合いじゃないってのも……」
 ありそうだな、とエルストは黙って引っ張られて壁際に押し付けられ顔の両脇に手を置かれ、見下されるように話し掛けられているミンネゼンガーを見つめていた。助けろよ、エルスト。
「ドロテアならありえるけどね。でも私も何処かで会った気がするわ」
「マリア嬢もやっぱりそう思うか?俺も何処かで会った気がするんだ、似た様な人かな?」
「私は全然」
「……ヒルダが会った事が無いって事は、マシューナルで見かけたのかしら?」
「そうなんだよな、あの雰囲気じゃなきゃ結構簡単に思い出せる気がするんだけど」
「そうそう。顔じゃないのよね……でも雰囲気も似てないのに“誰か”を思い出させるのよね」
 壁際で尋問されている吟遊詩人を黙って眺めている3人であった。助けないのが三人らしい。
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