ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【4】

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子供のまま大人になりたくなかった

「何か見えるのか? アレクス」
「セツ、今帰って来たのか」
「そうだ。深夜にバルコニーに出るのは止めろとは言わないが、少し警戒しろ。吸血鬼騒ぎの真っ只中だ」
「うん。少し風に当たりたかったんだ」
「何か見えたのか?」
「そうだね……トルトリアってどんな国かな?」
「さあな。俺も行った事はないから何とも言えないが」
「夢を見た」
「予知夢か」
「そうだね」
「吸血鬼に関係するのか?」
「どうなんだろう? 唯、明日此処にトルトリア人が来る。
綺麗な綺麗な女性だ」
「ほお。それ程綺麗か」
「うん。風をはらんだ亜麻色の髪、鳶色の瞳に白亜のような肌に真っ黒な衣装。エルランシェ生まれの数少ない生き残り、そして学者のような気がする」
「それは随分と特徴のある……聞いた事ある風貌だな」
「予想だけど、オーヴァート卿の下にいた女性ではないかと思うんだ」
「そうか。ところでその女が何か?」
「解らないけれど……とても重要な気がする」
「心に留めておこう。その女が来たら直に連絡を入れる」
「是非会いたいから頼むよ、セツ」

幼いまま、それで構いはしない

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 下手な鏡よりも姿が確りと映る程磨かれた大理石の廊下と、巨大な窓硝子から取り込まれる明り。促されるままに入った部屋の奥には玉座と同じように階段が設えられている。青に錦糸で刺繍を施された大通りのような絨毯が階段の上まで続く。見えぬような高さの天井から吊り下げられている淡い緑色のヴェール。
 ドロテア達は衛士達の途切れる所で膝を付き、頭を下げる。頭を下げた事を確認するとヴェールの外側にいた枢機卿が手を伸ばし、合図を送る。その合図に従いヴェールがゆっくりと引き上げられる。座しているのは法王
「顔を上げてください」
穏やかな声があたりに響き渡る。

−本物のお出ましとは驚いた

「お疲れの所呼び立ててすみません」
”魔法を通した声”なので、法王の本当の声では無いが、穏やかな声が静まり返っている謁見の間に響き渡り
「猊下からそのようなお言葉をいただけるなど、身に余る光栄です」
法王より低い声のドロテアが、確りした声で返す。
「呼び立てたのは、もう気付いてるのでしょうが、現在首都は吸血鬼が跋扈しているのです」
「お言葉を返すようですが本当に吸血鬼なので御座いますか、猊下」
「そこが少々我等にもわかりかねているのです。貴殿は学者と窺いました、専門でしょうか?」
「生憎と、古代遺跡と薬草学が専門でございます。ご希望に添える程の知識は持ち合わせているとは思えませぬ」
「ですが、我等よりも数段知識はあるとお見受けします。滞在中に何かありましたら、ご尽力願いたいのですが」
「勿体無いお言葉です。非才ながらも力の及ぶ限り猊下の盾として使われたくぞんじます」
 上記の会話はドロテア、いつもの言葉使いとは違うがドロテアだ。普通に喋る事も可能だった様子。

 簡単な謁見の後、“ご足労を。どうぞご自由に見学して行ってください”と法王猊下のお優しい言葉を受けて、四人は法王庁を見て回ることにした。基本的に立ち入り禁止なので、中に入っていれば許可を受けている事になる訳だから見学は自由だ。
 四人は外壁以上の“透明感のある白さ”を誇る教会をグルグルと歩き回っていた。人に会うのは殆ど無いが、人の気配がしない訳ではない。通路には見えない部分に多くの衛士が控えているのだろう。
「まさか、本当の法王に会うはめになるとは思わなかったぜ」
純白の建物の中を漆黒の衣装で歩きまわるドロテアが、顎に手を当てながら声を響かせる。
「……やっぱり本物だったんだ」
「やっぱりって?」
「だってアナタが、丁寧口調だったから」
 マリアは有名な“影武者”か何かかな? と思っていた。それ程偉い人物が直接会ってくれるなどとは誰も考えはしない。が、どうにもドロテアが黙って敬語を使っていたので、もしかしらた本物? と思い直したらしい。それを聞いて、ドロテアが頷き
「別に一対一で街中で会ったら、普通に喋るが。それに、向かって左脇に控えていた枢機卿も凄まじい。アレが最高枢機卿セツだな」
 たった三人しかいないとはいえ、枢機卿が全員揃っていた事もかなりの驚きだが、ヴェールを上げるように指示を出した枢機卿。その力の大きさに正直ドロテアは舌を巻いた、尋常な力ではない。法王と競う羽目になる程だ、と一目で解る力の持ち主
「最高枢機卿?」
「王国風に言えば王太子。法王はいつ何時何があるかわからない上に、口伝の魔法が多数ある。一人だけで覚えていて、コロッと死んだら、大変だ」
「アナタが何時も使うようなので、拾い集めるの?」
 ドロテアが何時も使うと言えば、魔の舌である。あれは邪術の一環で、一般的には禁止されているのだが役に立つので誰も咎めないだけで。
「まあ、一応そうなんだが建前上も宗教上もマズイしな。それで、たった一人だけそれを伝える相手、それが最高枢機卿だ。実力的に見ても甲乙付け難いまさに、ディス二世の子供達だな。慣習的にみても最高枢機卿が次の法王になる」
「ディス二世の子供?」
「正確には子供じゃない。各国から法力がずば抜けた子供達が集められたんだ」
「それって普通じゃないの?」
「言っただろう? 宗教国家と言えども色々あるってな。実際ディス二世の頃には、まともな神聖魔法を使えるヤツは数える程度。後はみんな金で位を買っていたんだ。だから子供を集めた、その子供達の親が干渉してこないように“死んだ”という事にして。当時は有名な話だったらしい“死せる子供達”と言う。三十一年前に始ったはずだ」
 随分と子供が集められたらしい。人攫いも法力の高い子供を狙い売りつけに来たとも言う。それを事もあろうに買ったのだ、前法王は。
 娼館に売られる途中で爆発的な力を発揮し、法王に高値で売りつけられた娘もいると語られている。そして現在、法王以下僧正までの中には、少なくとも五人はそうやって集められた子がいると噂されていた。
「……じゃあ、法王猊下と枢機卿は人を騙している事になるんじゃないの?」
人を騙すのは最もな悪とされている。聖典の教えでは。
「そうだな。聖典の教えに背いているが、金で位を買うのもまた背いている。どちらが良いとは言えないが、どちらも良くはないとは言えるな」
 人を金で買う、位を金で買う。どちらが良いかなど言える訳もない。だがどちらも行われてしまったのが事実。
「宗教国家と言えども、唯の国家って事。よく解ったわ」
嘗てそう、ドロテアに説明されたマリアが小さくドロテアに呟いた。
「姉さん、姉さん。罪の噴水見て帰ろうよ、折角法王庁まで来たんだから」
 エルストと建物に感動しながら見上げているヒルダが、振り返りドロテアに声をかける。その法王庁に相応しく無いような名称の噴水に
「罪の噴水って何だ?ヒルダ」
エルストが尋ねる。
「法王庁の中心にある噴水なのですけれど、物凄い魔力を持った水が地下から吹き上げてきているのです。それを飲むと確かに魔力は上がるんだけど、何かに憑かれたかのように悪業を初めてしまうのです。だから罪の噴水って呼ばれていて、中々見ることは出来ないそうです。勿論飲む事は法王猊下でも禁止です」
「へえ……でも本当に悪い事した人はいたのかい?」
唯の言い伝えかじゃないのか? とエルストが尋ねると、ドロテアが淡々と
「シキュロスと言う、ディス二世の前の法王だ」
 七十二年前焚書坑儒を行った、これもまた悪名高き法王。学者達からは魔王以上に嫌われている“人の皮を被った獣”“野蛮な無学者”として呼ばれている法王。
「ほ、法王までそうなるの?」
マリアも流石に驚く。まさか法王がそんな事をするとは普通は思わないが
「正確に言えば、その水を飲んだから法王になれたようなもんだ。確かに法力は上がったが、確かに狂ったように書物を焼き払い、学者殺害を指示したそうだ。命かながらこの国から逃げ出した、若き日のアンセロウムが言うんだからな。まあ若き日ったって五十は越えてただろうよ」
百三十歳が過去を語れば、確かに五十歳過ぎていても若き日の出来事だろう。
「学者を殺害ね。何で?」
「宗教家とは対立するからな、何かと」
 シュキロスは即位直後から焚書坑儒を徹底して行い十六年間在位した、ただ後半は明らかに常軌を逸しており後に発狂して事切れた。
 このシュキロスが第一党とされるザンジバル派の選出法王であり、あまりの乱行にジェラルド派の台頭を許す事となる。そしてジェラルド派初の法王・ディス二世が即位した。
 三十八年も在位した法王が、シュキロスに負けず劣らずの“死せる子供達”などと言う行為を行うとは、ザンジバル派もジェラルド派も想像していなかっただろう。この十四代、十五代の狂人・奇人と称される法王の後を継いだ十六代目の法王、それがアレクサンドロス四世であった。
 現法王は死せる子供達を集める事を禁止し、罪の噴水の警備を強化した。が、学者だけは呼び戻せないでいる。それには色々な問題が絡む故に

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選帝侯ヤロスラフはザンジバル派だ
戻ってこられると、いくら現法王が偉大でも
我々の勢力が失われる
唯でさえ、次代の法王はザンジバル派のセツ枢機卿なのだから

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 衛士を一人捕まえて、場所を聞くと四人はトコトコと噴水に向かった。警備は厳重だが、元々法王になろうとかそう言った野望が有る訳でもない四人はただその噴水の水量に驚いていた。
「凄い、噴水ね」
 室内にこれほどの噴水があるとは、と言いたくなる程の噴水で壁のあたりは立派な彫刻が施されている。元々噴水は法王庁が建った後に噴出してきたので、取り立ててこの場を飾った訳では無い。
 それに法王庁といえども首都の一つであり、簡単に建て替えたり彫刻を施したりなどは出来ない事になっている。噴水に近寄り水に手を入れたドロテアが
「確かになんか変な水だが……わからんな」
「珍しいな、ドロテアが解らないだなんて」
「法王の力が強すぎるんだ。負の力を無意識に押さえ込んでる。力が強いとは聞いていたが、ココまでスゲエとある種の恐怖すら感じるほどだ」
歴代最大の力を誇ると言われている現法王。
「そんなに凄いんだ」
「ああ。さすがだよ……オーヴァートが言った通りにな……」

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お前の従兄弟って事は、並外れた力の持ち主なんだろうな
それはもう何せ神と袂を別った一族だから

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 そろそろ戻ろうか?と馬車乗り場へと向かと、準備されている馬車の前に、一人盾を持った上品な女性が立っていた。年齢は四十を過ぎているだろうが、上品な物腰の聖騎士が。
「こんにちは」
 盾を構え、聖騎士の礼儀作法に則った礼をする。盾は先程迎えに来たフラッツに属する“セツ枢機卿”支配下の聖騎士らしい。ただ、フラッツのような一兵卒ではなく
「始めまして、聖騎士隊長が何か御用でも?」
 中々の実力の持ち主だろう。女性の聖騎士団隊長。癖の強い髪と、白皙の肌。そしてこ若い頃はそれなりに美しかっただろうと思わせる、トルトリア人特有の顔立ち。
「ほほほ。いいえ、覚えていないかしら、ドロテア=ゼルセッドさん」
「……どうやら、知り合いのようだが、生憎と」
 ドロテアの昔の呼び名は“ゼルセッド”と言い“ゼルセの娘”である。マリアと違うのは生まれた国が違う為だ。“ッド”でトルトリア王国出身を指す、最近では数もめっきり少なくなった呼称でもある。
「ええ!! 覚えてないの!!! 二歳の時に此処に立ち寄った事まで覚えてる姉さんが!!」
「妹さんかしら?」
 紅葉したした葉のようなオレンジ色の長い髪を、美しい銀細工の髪留めで纏めている聖騎士団隊長はヒルダに声をかける。話し方といい“貴族に近いな”とドロテアは思うが、まるで名前が出て来ない。
「はい、ヒルデガルド=ランシェといいます」
「私の名は、ネテルティ。そう……ランシェ……いい響きね。じゃあドロテアさんも今は」
「ドロテア=ランシェ。可笑しいな、忘れるはずないんだが……二人姉妹だ」
 年の頃から言えばドロテアの母親くらいの年代。だとすると、直接的な知り合いではないが……ドロテアは片目を閉じネテルティと名乗る女性に答えた。
「そう、二人姉妹。お話がしたくて来たの、いいかしら?」
 品の良い笑みを浮かべた女性の顔は、ドロテアの記憶を掠りもしなかった不思議な事に。
「それは構いませんが、この男はこれからカジノです。そして……最外層の教会に知り合い居ませんか? ヒルダの功徳もありますんでね。」
「最外層に私の知り合いのシスターがいるわ。其方でいいかしら?」
「はい!!」
 五人は馬車に乗ると、法王庁を後にした。
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