ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【6】
「テメエ法王だろ?」
 耳元で低いが通りのいい声でドロテアがミンネゼンガーに話し掛ける。
「さすがですね」
 否定する事なくミンネゼンガーは苦笑して頷いた。第十六代エド法国法王・アレクサンドロス四世、それが彼の“今の”本当の名。
「アンタ……いや見りゃ解る」
 ドロテアより少しだけ背が高いが、体重ははるかに軽いらしく小さく見える法王は、若いと評判なだけあり笑うと幼い雰囲気が残っている。そして、エルスト達が辿り着けない“似た誰か”の雰囲気も。
「そうですか、でも今まで誰も気付かなかったんですよ」
「俺も、カマかけた様なもんだからな」
 ドロテアは知っていただけだ。“似た誰か”から直接聞いた。そんな事など露知らずに
「エルストさんも何となく気が付いたようですね、あなた方は鋭いです」
「いいや……エルストのヤツは鋭いかもしれねえが……。あとネテルティは知ってるのか?」
「知りません。私のこの姿を知っているのはセツともう一人だけです」
「わかった」
 それだけ聞くと両腕の囲いを解き、テーブルに就くようにドロテアは合図した。

−死んだはずの従弟が一人いるんだよ、ドロテア。
一目で解ったよ
−何だ? 死んだはずの従弟って?
−お前が生まれる前の話だもんな。二十三年前の話になるか……
−まさか“死せる子供達”か?!

 囲いを解かれ、ドロテアの後ろを付いて歩くミンネゼンガー。身長自体はドロテアより高いのかもしれないが、体つきが細くドロテアより小さくみえる。
「話は終わった?」
「ああ」
「何のお話だったの、姉さん」
「知り合いに似てるから、殴りたくなっただけだ」
 ドロテア=ランシェ。誤魔化しているのか何なのか?普通の人では真実は測りかねる女。
「……知り合いじゃないのね……」
「知らねえよ、こんな線の細い男」
「知らない人の首根っこ掴んで引っ張るなよ……」
 気さくなのか大物なのか(確かに大物ではある)ニコニコ笑ってミンネゼンガーは戻ってきて、テーブルを囲む
「まあ、いい。で、メシでも食うかミンネゼンガー。一応、詫びって事でな、何か持って来い店主!」
「絶対に悪びれてないように見えますけど」
「ネテルティさんも何か食うかい?」
「奢ってくださるの?」
「ああ」
 上品に笑う聖騎士団隊長の女の正体を思い出すのをドロテアは止めた。多分思い出しても仕方が無いと、ネテルティ自身が過去を語りたがらない所をみるとそれでいいだろうと判断を下してメニューを開いた。

 余程食べなれていないのか、味の濃い料理に半ば噎せながらミンネゼンガーはそれでも楽しそうに料理を口に運んでいる。
 イイ勢いで口に食事を運びながらドロテアがミンネゼンガーを、若干顔にかかっている髪の隙間から見つめる。
−確かエルストより年上だったよな……
 ヒルダとエルストの間に座っている男は、それこそヒルダと同い年くらいに見えるが実年齢は
−今年で三十六際だったな。って事は法王になったのは十六歳の頃だったよな。リク枢機卿だった……ね
 幼い頃に立ち寄った時の記憶と合致するような体格。かつてドロテアが見たリク枢機卿は、全く成長していないかのような
「ドロテア、何か他に注文する?」
 マリアの問いに、笑いを作り
「白身魚の香草焼きと、白身魚の塩釜焼き」
「また味濃いのね」
 甘い果実酒を喉に流し込み、ヒルダより余程少食な法王を見る。これ美味しいですよ、とヒルダが小皿に取り分けて次々と差し出すのを、律儀に食べているミンネゼンガー


−仲直りとかしたいわけか?
−無理だな
−そんな感覚が無い
−フェールセンは一人だけ
−選ばれなかったヤツって
−ああ、殺されるよ。全員。今の時代は違うけれど
−じゃあ殺せば
−そうだな……
オーヴァートもヤロスラフも。ただ一言
−死んだというのなら、死なせておけばいい



 海に沈められた棺を探し当てた男は言った“空だったよ”と。
“殺してあげよう”と思ったのに、ね。
 褐色の肌に紫色を帯びた黒髪をなびかせた男が、片眼鏡の奥で言い知れぬ感情を光らせた
狂気の帝王・フェールセン。その片鱗を見たような
全てを意のままに動かせるのに、これだけは意のままに動かせずに


 フォークを口に咥えて歯で挟み、噛締めながら
“コイツに渡すか、エドウィンの書類”
 ドロテアが立ち上がろうとした瞬間に、向かい側に座っていたミンネゼンガーが勢い良く椅子を倒して立ち上がる
 ガタンッ!! 音を立てて倒れた椅子と、集まる視線を気にせずに立ち尽くす
「どうした? ミンネゼンガー」
 エルストが不思議そうに声をかけるが、ミンネゼンガーは視線を宙に走らせたまま
「……吸血族か!」
ドロテアが叫ぶと、小さく頷いた。
「何処に!!」
 その声に、あまり人のいない食堂の中は静まり返った。ドロテアはミンネゼンガーの足元にも法力が及ばない上に、ミンネゼンガーの特殊な力のせいか何時もの様に簡単に外の気配を窺う事が出来ない。意識を集中して何とか飛んでいる物の気配を感じ取り
「飛び回ってるな……焦るな、ネテルティさんにミンネゼンガー。落ち着け、何処に来るか予測が立たない以上、翼が動きを止めてからが勝負だ。マリア、エルスト一応完全装備で来い。ヒルダはあの盾を装備しろ」
「何処に……降り立つと思いますか?」
 ミンネゼンガーに問われて、ドロテアは笑いながら
「知らんが、騒ぎが最も大きい所に降り立ってるのは確かだ」
 そうですね、とミンネゼンガーも笑って答え準備をしている四人達の目を気にしながらドロテアに耳打ちをする。
『私は何時も出て吸血族を止める役目を。出来ればご一緒したいのですが』
『吸血族って知ってるのか?まあ、一緒に行くのは構わんぞ』
『ええ、直感ですけれど。私の』
『アンタの直感ってのは、予知夢だって聞いたぜ』
『信じてくれますか?』
『さあな、俺は自分の目で見たものも信じないクチだが』
「ドロテア、準備できたわよ」
「そうか、なら行くか!」
 ネテルティを先頭に、続々と食堂から出て行く六人を見ながら店主が気を取り直したように
「アンタらも行くのかい?」
 やや呆れながら声をかけるが。
「吸血族程度なら恐れる必要もない」
 煙草に火を点けて、金を投げつけドロテアは一番最後に食堂を後にする。
「剛毅な女だね」
 誰もがその言葉に頷く程、自信に満ちた足取りで。
「ウィンドドラゴンから逃げ切った女だ、そう簡単には負けはしねえよ」
 トルトリア王国を弾き飛ばした魔物・ウィンドドラゴン。その強さ吸血大公と肩を並べるだろう
「大したもんだ」
「何時か後悔させてやるさ。この俺を殺しそびれた事を、身を持って知らせてやる」
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.