ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【3】
「トルトリア料理の出る所って訳ね」
ドロテアの指示の元、大通りに面した宿屋に決めて裏手に回る
「味が薄いのを食べたかったら、近くでも食えると思うぞ」
 馬車を置き場に預け、宿の扉を開く。店の主が心底驚いたような顔で出迎えた。顔の造りはドロテア達と全然違うが、確かにトルトリア人であろうと直に察しのつく初老の夫婦が出迎えて
「お客さんか? 珍しいね」
 声をかけて来る。人は多いとは言え、さすがに宿は繁盛している気配はない。何せ宿を使用するような人は立ち入り禁止を喰らっている。普通の王国ならば聖職者も宿に金を払って泊まるが、エド法国に来れば教会の簡易の宿が提供されるので、一般的な宿には殆ど泊まることは無い。簡素な食事が我慢出来なければ別だが、まさか法王のお膝元でそんな行動を取る輩もそうはいない。
「商売上がったりじゃねえのか?」
 部屋を交渉し、妻の方が荷物を持った三人を案内している間、宿の食堂に腰を下ろしドロテアが話し掛ける。
「仕方ないですよ。今は大変なんですよ」
 暫く黙ってドロテアの顔をそれこそ穴が開くほど眺めた店主は、やっと口を開く。
「……大変? 何がだ?」
 椅子を目一杯引き、足を伸ばして椅子に身体を全て預け、目を閉じてドロテアが聞き返す。
「知らないで来たのかい、アンタラ」
「そりゃそうだ。エドの情報が世界を支配している訳じゃねえし」
「吸血鬼が出て大変なんだよ」
「吸血鬼? 吸血族の間違いじゃねえのか?」
 吸血族ならば結構みかけるが、吸血鬼となると話が違う。その魔力気候をも変化させ、その声人の暗部を抉り出し、その動き人のそれをはるかに凌ぐと言われている。
 元よりその派生は古代遺跡に住まう“住人兼管理人”だとされている。最も学者が1人もいない国ではそれを厳密に分ける者もいないのだろう。
「違うのかい、それって」
普通の人にしてみると、大差はない様に感じられるらしい。
「まあな。吸血鬼ならヤバイが吸血族なら大したことは無い。だが騒ぎになって、封鎖するくらいだから吸血鬼かもしれねえな。ここらに伝わる、吸血鬼伝承もあるし」
「吸血鬼伝承?」
「ああ。荷物は部屋に置いたか?」
降りてきた三人に声をかけて、三人も椅子に腰をかけて
「ああ、とりあえず茶でも貰うか。一休みしてから荷を解くとして……誰か来たようだな?」
 一息つこうとしたのだが、そうもいかないらしい。人気の少ない宿屋に、不釣合いな甲冑の響き。入り口を見ると其処から入って来たのは二人の聖騎士。
 エド正教聖騎士団。大陸最強の軍隊と“言われ”ている。若い男が二人、ドロテア達に話すところによると
「……法王庁にご案内して下さるって」
 直々に法王猊下がお会いしたとの事で、ご足労願いたいと上辺だけは丁重に言ってきた。
「吸血鬼でも倒せってのかな?」
 エルストが自分より若い、恐らく聖騎士に叙任されて間もないであろう二人を見つめて、上の空のような口調で言うと
「やってられるか、そんなモン。所でテメエ等本当に聖騎士か?」
 地を這うようなドロテアの声が、人もまばらな宿屋の食堂に振動を与えた。響くなどと言う可愛い声ではなく、正にモノが震えるかのような声で若い聖騎士を威嚇する。
「何だと!」
片方が強く出ようとするのだが……怖いのか、足は一歩も動かない上に二の句を繋げられず口をパクパクさせている。
“やめておけ、若いの”
 エルストは煙草に火を付けて、暫く罵られるであろう若い聖騎士達を黙って見据えた。ちなみにヒルダとマリアは我関せずで、宿の主人に持ってこさせて茶を飲み始めた。何処までもマイペースである。
「首都に入るのにあれ程厳しく取り調べられたんだ、こっちが疑って掛かって悪い訳はないだろう? 身分証も見せないで“聖騎士達がお迎えに上がりました”なんて誰が信用するかよ、見せろよ聖騎士の身分証。それとも名を名乗れば解る程の高名な騎士サマかテメエ等? フォルデス団長とかじゃあねえよな、それともバルヒスム男爵隊長か? ハッセム隊長か? ああ? それとも別のご身分のお高い貴族の手習い聖騎士サマか?」
世の中に話をし辛い相手がいるとしたら、間違い無くドロテアだ。
「ぐっ……」
 二人の聖騎士は、まさかこうくるとは思っていなかったらしく目をキョロキョロさせたり、指を震わせたりで碌な言葉も返せない。
「最後があたりか、いいから身分証見せろよガキ!」
 それだけ言うと、テーブルの上にあったカップをクッ!と口に運び酒でも飲むかのような勢いで飲み干す。
「ドロテア容赦無いわね」
「立ち入るのに手間が掛かった分、憂さ晴らししているように見えるけどなあ」
 聖騎士相手にそれはないでしょう、と云わんばかりの勢いだが三人共大して気にしていないようである。おたおたしながらも、聖騎士の身分証であるとされる“盾”を馬車から降ろしドロテアの前に見せる。一瞥くれるとドロテアは
「ふーん……仲が悪いのは構わないが俺達を政治闘争に巻き込むなよ」
それだけ言い、三人に付いてくるように合図を出す
「どう言う事ドロテア?」
ドロテアの意味深な言葉をマリアが聞き返すと、ドロテアが先程からからかい半分で(されている当人達はとても怖いのだが)怒鳴られている聖騎士に
「俺から向かって右側の男!名前は?」
「フラッツです」
「左側の男! 名前は?」
「ゲオルグ=カルスオーネ!」
威圧的に声をかける。腕に持っている盾が揺れると
「……あっ!」
煙草を揉消したエルストが小さな声を上げた。
「気付いたか、エルスト」
「成る程な、マリア嬢二人の盾を見比べてみてくれ」
「あら? 同じ聖騎士なのに紋章違うわね? 身分証なのに違うってどう言う事?」
「王学府出身でもない限り、一律同じ身分証ってないんですよマリアさん」
ヒルダも伊達に神学校出身ではないらしく、気が付いたようだ。
「……ふーん」
「まあ馬車の中で教えるよ、どうせ長い道のりだしな」
それだけ言うと、食堂を後にした。後に残った僅かな人たちが口を開いたのは、馬車の音が遠く過ぎ去ってからのことである。

 迎えに寄越された馬車に乗り込む。豪奢ではないが、造りの確りした立派な馬車でドロテアがマリアに説明を始めた。
「フラッツと名乗った男の盾は“エド聖教聖騎士”の紋章だ。そしてゲオルグと名乗った男の盾は“ホレイル王国所属エド正教徒騎士団”とでも言う訳だ」
「……どう言う事? 詳しく教えてくれるかしら」
「いいぜ。フラッツは生粋の聖騎士だと思ってくれて構わない、隣のゲオルグの盾なんだが。構えろ」
「なっ!」
あくまでも攻撃的な口調なのは、性格半分そして……
「黙って構えろガキ! よし、この盾を十字に四等分する。向かって左上がエド正教の紋章、その右隣がホレイル王国の紋章。左下が聖騎士の紋章、その右隣がカルスオーネ家のという貴族の家の紋章っていう風に合体している訳だ」
手を十字に象り、マリアに教えると
「それって変じゃないの?」
素朴な質問が返って来る。攻撃的な口調の半分は其処にあるのだ
「マリア教えただろう? 仲の悪い枢機卿が睨みあってるってな。フラッツはセツ枢機卿の寄越した者で、ゲオルグはハーシル枢機卿が寄越した者さ。互いに牽制しているから情報集めもこうなる訳だ。だろう?」
「ハーシル枢機卿ってホレイルの方なの?」
「ああ、ホレイル王族だ。確か今のホレイルの女王・ベアトリスの伯父にあたる。エド法国で重用されているホレイルの人間は全部ハーシルの子飼って言われてるくらいだからな」
 言い返せば、ドロテア達はどっからどう見てもホレイル人ではないので、ハーシル枢機卿に呼び出される事はない。呼びに来たのは恐らくセツ枢機卿の方だろうとドロテアはあたりをつけた。
「貴様言わせておけば!!」
「なんなら伝えておけよ、ハーシルに。世論じゃテメエはもう法王なんざ無理だって。たしかカルスオーネ家ってのは、ホレイル王国の親衛隊隊長の妻の分家だったな。親衛隊長の推薦で来たんだろう? でなきゃ無理だろうなあ、小僧」
「うっ!!」
「アナタ本当に良く覚えてるわね」
 ドロテアの貴族勢力の記憶に心底驚きながら、マリアが頷く。手を振りながら、大した事ないと言った風情で
「まあな。ホレイルにはオーヴァートの親戚が居を構えている。前に話した選帝侯の一人でゴールフェンと言う姓を持つ女だ。まあオーヴァートの親戚はいいとしても……」
「どうした」
「ホレイル人だけを重用するまでに落ちたか、ハーシルも。セツの独壇場だろうなこれじゃあ、門地が無い分セツは人を育てるからな」
「何だと!!」
「マリア、この小僧の盾を見て何か気付かないか?」
「解らないけれど」
「ヒルダは?」
「? 解りませんが」
「エルスト」
「……特殊な金属でも使用してるのか、この盾。俺達が持ってるあの特殊な盾でもあるまいし、綺麗過ぎだな」
 エルストが言う”俺達が持っている盾”とは魔王城から失敬してきた盾で、逆三角形に緩いカーブで幅を持たせた銀色の傷の治る盾だ。
 ドロテア曰く“力学上この盾で防げない威力のモノは無い、さすがに神の力となると別だが”と言われたその盾は実際試してみるとドロテアが使える通常の最高の攻撃魔法をも、簡単に防ぐ事が出来た。
 それも盾を持っているエルストが勢いに負けてひっくり返るという事も無く、手もまるで痺れることすらなかった。勿論ドロテアの使う魔法だ、その殺傷能力は尋常ではない。そんな特殊な盾ならばまだしも、一般的な盾であれば傷があるのは当然だ、戦っていればであるが。
「そう言う事。マリア、ヒルダ見てみろよ。戦う聖騎士が無傷の盾を誇らしげに持って歩いてたら様にならんな。首都に吸血鬼だか吸血族だかが現れているって時に、無傷の盾とは恐れ入った。誰かを盾に盾を構えてるのか?」
「戦った事無い訳ね」
 やれやれとマリアが眉間に皺を寄せて、先程から良い様にされている若い貴族青年を見つめる。彼は返す言葉も見当たらないらしい
「はあ……成る程」
 貴族の子弟が箔をつける為に聖騎士団に入団“させていただいた”らしい。箔が付く前にドロテアと会って、コケにされまくっている訳だ。その様子を恐らく実力で入団したであろうフラッツは黙ってみていた。
 因みにフラッツの持っている盾はそれなりに傷がついている、フラッツは前線にも出る本当の聖騎士なのだろう。
「身分の高い貴族の子弟で固めても、如何しようもないだろうが」
 エルストもやれやれと栗毛の青年を眺める。こんな所までこなければ、こんな思いをせずに済んだろうになあ。仕事とは言え大変だなぁと視線の先を替え、禁煙の馬車内から外を眺め
「吸血鬼じゃなくて吸血族だろうな。吸血鬼が攻めてきてたら今頃この街崩壊してるぜ、こんなのが聖騎士と名乗って大手振って歩いてるならな」
「……」
「言い返さねえのかよ、ボク」
「まあそのくらいにしておいてやれよ、ドロテア。それにしても時間が掛かるな、それ程大きな街だとも思えないんだが」
 馬車の中から外を見ていたエルストが、奇妙な走り方をする自分達の乗っている馬車に怪訝な声をあげる。同じ所をグルグルと廻っている感じをうけるのだ、最も外壁は全て白塗りなので、そう感じているだけかと? と思うっていたのだが、そのエルストの問いにヒルダが答える
「ああ、それはですねエルスト義理兄さん。この街は五層に分けられています、一番外側は横からしか入る事が出来ません。勿論壁には横側に入り口はありますがそれは法王猊下、枢機卿しか使うことが出来ません。一般の人は長方形の小さい面の部分に設えられた扉から出入りします。だから実際の街の大きさより長く走らなくてはならないのです。法王庁は中心にありますから、私達がいた最外層から大回りして入り口から入って、層を抜けて法王庁の周りにある迷路を四周程して辿り着くのです」
 ヒルダの説明は解り易く端的に言ったモノだが、解り辛いのは仕方ない。ドロテア風に要約すれば“近道はエライ人専用、後の一般人は遠回りして歩け”と言う事である。
「何だそりゃ……さすがは最強宗教国家ってヤツか?」
「色々大変なんだろうよ。暗殺者とか毒殺者とか吸血族とか。ま、それより今日中に帰れるといいな」
目の前の聖騎士君を解放して、ドロテアが呟く。ヒルダも頷きながら
「そうですね」
神妙な面持ちで答える。
「どう言うこと?」
「三時間待ちくらいは当然らしいから」
「そう言うこと」
 国王ですら会う事が中々叶わない法王。カチリと懐中時計を開き、ドロテアが針をみて舌打ちする。
「ま、最低でも深夜には帰りてえもんだな」
 象牙に青瑪瑙の細工が埋め込まれた時計で、中の歯車はすべてエルストが作ったものだ、偶に職人技を真っ当に生かして。それは一応、結婚指輪の代わりとしてドロテアに渡したものらしい。
 文字盤は一から十一までに種類の違う宝石がはめ込まれている、ただその時計に“十二”だけは存在しない。不思議な時計でもある。エルストは笑いながら“十二に埋める宝石を質に入れた”と笑っていたらしいが。そんな経緯の懐中時計の蓋をしめて懐にしまい込むと、予想以上に早く法王に会う事となった。
「待ち時間無しかよ……」
馬車から降りると、その場にドロテア達の到着を待っていた、大僧正が一人と僧正五人。
「直にお会いしたいと。宜しいですか」
 幾重にも重なったヴェールのせいで聞き辛い声ではあるが、エド正教の大僧正が自ら声をかけると言うのは、まさに賓客待遇で迎えられたことになる。
「嘘っぽいがな」
 ドロテアを先頭に呼びに来た大僧正の後を四人は付いて歩いた。厚い絨毯に足音を吸い込ませながら。
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