ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【2】
 ギュレネイス皇国とエルセン王国の間に位置する、現在最大の国土を有するエド法国。
 北はホレイル王国、イシリア教国とも隣接している。首都の直傍の運河により海路も開けており、南には大陸1の港町が存在してる。
 エルセン王国との国境に近い北部に、北東から南西に掛けて地図で見ると斜めに存在するエド法国の首都・エールフェン。
 形もかなり変わっており長方形の街は内部が5層で分けられて、長い面にしか出入り口が付いていない。短い面には“五角形の棺”を巨大にしたモノが付けられている。
 この“五角形の棺”はこのエド法国に眠る初代エド達の棺を模して、後からつけられたと言われている。
 中心の層の中にあるのが法王庁。法王が居る場所にして、説法を行う広間がある。この説法の広間での言葉は首都全域に聞こえる作りとなっており、未だにその理論は解明されていない、いやこの先も解明されないだろうと言われている。
 大国でありながら、首都には学者の類いが皆無なのである。勿論宗教学者はいるが、それ以外の本職の学者は居ないと言っても過言ではない。それは何故か?それは、七十二年前にこの国で起きた焚書坑儒による所が大きく、その傷跡は今だ癒えていない。
 当時殺害された学者の数は、法国在住学者の九割に相当したと言われている。
 そんな血生臭さを覆い隠さんばかりの白い壁、白い建物。白亜の壁に圧倒されているマリア。一通り外側を回る事にしたのだ、エド法国は至る所彫刻が施されており、それは最外層も変わりはない。
「凄い壁なんだけど、コレ……」
 白亜の壁はそれこそシミ一つない外観で、その財力を誇示している。建国より三百余年、建築物の改装や増築、破損は大罪とされてるエド法国。
「ほわああ。初めて見たあ」
 その壁を見上げながら、ポカンと口を開いたままのヒルダ。
「テメエの宗教の親元だろうが、ヒルダ」
 忘れられそうだが、ヒルダは高僧だ。正し学んだのはエドの総本山たるエド法国ではなく、マシューナル王国の隣国ベルンチィア公国で、厳密に言えばエド正教ロクタル派と言い、首都にいる多数派の者達とは宗派や派閥が違う。
 ちなみにヒルダが幼い頃に立ち寄ったのは首都・エールフェンではなく、地方都市のヒンデルだ。だから名前がヒルデガルドと言うのだが。
 そんなどうでも良い事は置いておき、広大な領土を有するエド法国。そのエド正教を奉じていても、一度もエド法国に足を運んだ事のない聖職者も多数いる。国土を横断するというのは、それ程楽なことではないので、行きたくても行けないのだ。
 易々と横断している一向がいるのも事実であるけれど。
「そうなんだけどさあ。エルスト義理兄さんは見たことないだろうけど、姉さんは見た事あるの?」
「二歳くらいの時に一度な、少しの間滞在してた」
「記憶にあるあたりが凄いな」
「マリアと同じで、驚いた。最も俺にしてみれば面白味のない建物に見えたがな。飾り気がなくて。彫刻って言っても所詮は宗教絡みだろう? 字を覚えると一々説教臭くて仕方ない」
「そりゃそうだろうよ。ギュレネイスだって同じようなモンだし」
 街の至るとこにそのような“ありがたい聖人のお言葉”が刻まれるのは、宗教国家の特色だ。洗脳していると、学者には非常に不評であるが、聞き入れられる雰囲気はない。
「俺が来た頃は前の法王・ディス二世のご時世だったし。ま、最外層でボーっとしてたんだけどな俺は。親は忙しかっただろうけれど」
 二十年以上前にドロテアが立ち寄った当時、エド法国は大いに荒れていた。次期法王の後継者が定まっておらず、リク枢機卿とセツ枢機卿どちらを後継者にするか? で大揉めであったのだ。
 勿論幼かった当人達の意思とは無関係に、派閥が争っただけである。当時のリク枢機卿、現在のアレクサンド四世を推したのは先代の法王・ディス二世でジェラルド派を信奉していたが、このジェラルド派はエド正教内では信仰人口比率といい、勢力といい第一党ではない。
 第一党はセツ枢機卿を推したバルミア枢機卿が属するザンジバル派。ジェラルド派はこの機に勢力を伸ばそうと必死で、ザンジバル派はジェラルド派の勢力を抑えよう等、その他の思惑が絡み二大勢力が幼い枢機卿を担いで争った。
「今はアレクサンドロス四世猊下。ま、有名所だ」
 結果はディス二世の推したリク枢機卿が後を継ぎ、法王の座に就いた。紆余曲折は今でもあり続けているだろうが、大陸最強国家として君臨している。
「エドゥインも感服していたくらいだから相当なモノよね」
 根本は同じだが、変質してしまいつい六年前まで国交を持っていなかったイシリア聖教徒ですら、その人徳に感服する現法王アレクサンドロス四世。
「まあなあ。二十年も法王位に就いているんだ、相当なもんだろう。人徳も気苦労も」
 逆算しても四十歳になっているかどうかと言われる歴代で最も若いと称される、性別も年齢も不詳の法王猊下。二十cmもある高いミルト(帽子)顔の全てを覆うヴェール、豪華な刺繍が施されたアルブ、そして若木のような中性的な優しい声。法王の正体を知るのは枢機卿セツだけだと言われている……

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法王が代替わりした際に、一人の聖騎士兼僧正がエド法国を去っていった
枢機卿にもなれただろう男が一人
古に従うのは愚かだと思うか? と尋ねられた事がある
その紫色の瞳が笑っていた。バルミア枢機卿の息子
エールフェン選帝侯・ヤロスラフ
− 選帝侯は皇帝以外のフェールセンに仕える事はない −
古書に書かれている言葉。誰でも知っている言葉
それに未だに従う男がいる。そしてこれで終わりだ

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 外層を一回りしていると入り口に人が列をなしている。その列に並び順番が来ると、兵士に丁重な断りの言葉を言われる事となった。
「入れない?どうしてだ?」
 巡礼者が多いので立ち入りは自由なエド法国の首都で、まさか立ち入り禁止を喰らうとは誰も思ってはおらず、四人は顔を見合わせる。槍を携えた兵士が、
「ただ今は緊急事態でありますので」
 女性衛士が何度も説明して、かなり疲れてきているのだろう、声も擦れかかりながら。それでも丁寧に受け答えするのは、騎士を目指しているものとしては最低限の礼儀と取るが、ドロテア以下三人はここで帰る訳には行かない。ドロテアとて、法王に会う算段は立てたがそれ以前にまさか首都に入れないとは思いもしなかった。
「緊急事態ってなんだ?」
 やたらと不機嫌そうにドロテアが尋ねる。実際不機嫌なのだ。
「とにかく、身分が証明できない者を通す訳にはいかないのです」
「司祭補の連れでもか?」
「そうです」
 司祭補のヒルダはどうやら通行可のようだ、実際同じような格好のものだけは中に通されていたので。だが、ヒルダに事を任せてもどうにもならない。一介の司祭補+ちょっとボケが法王の腹心に秘密裏に書類を渡すなどは無理に決っている。ドロテアは仕方なしに肩に巻いている黒い布を押えているブローチの右側を外し兵士に突き出した。金にオニキスで装飾を施されているブローチ。因みに左側は金にペリドットで装飾されている、どちらも
「……俺はコレだ」
 種類は違えど、学者を指し示す身分証である。何故かドロテアは肩に二つの学者証をぶら下げていても気付かれる事が無い。学者証よりも顔の方が目立って、誰も気付かないらしい。学者証を受け取った兵士は驚いたように肩を見つめた。やはり彼女も気がついていなかったらしい。受け取った学者証と、もう一つ肩についている学者証を見比べて裏返し、本物かどうかを調べる。本物だとわかると学者証をドロテアに返し、
「学者様でいらっしゃいましたか。後のお二方は?」
 あくまでも、身分が確りとしているものだけしか立ち入らせないつもりらしい。
「俺は……一応学芸官の身分証なんだけど」
 なんでエルストがそんな身分証を持っているのか?それは妻の秘書という事で無理矢理その位をオーヴァートからプレゼントされたらしい、本当に無理矢理。ごそごそと腰の小銭入れから出した四角い銀のプレートを差し出す。だが
「私ないわよ……」
 マリアだけ身分証がない、元々身分証があるほうが珍しい。ドロテアは腕を組んで兵士を一瞥すると、
「ちっ……コレだったらどうだ?」
 滅多に出す事のない勇者証を取り出した。前回コレをエルストに持たせておいたら、迂闊にも人前で落してしまいそれを見られて“エライ難題(国家転覆)”に巻き込まれて以来、ドロテアが管理していた。
「勇者様方でいらっしゃいましたか」
 受け取った兵士は、酷く怪訝な顔をして確認した。それが本物なので尚更不思議に思ったそうだ。何故これを最初に出さなかったのかと。だが門番は忘れている、現在女の勇者はいない事になっているので、本来ならソレを出すのは男であるエルストな筈なのだが……其処まで頭が回らなかった模様。
 どっからどう見ても、勇者って型じゃないだろうがこの男は。
「通っていいんだな」
 だが、ドロテアの低い声に何も言い返す事が出来ず扉を手で指し示した。
「勇者なら一纏めか」
「何でいつも勇者証出さないの?」
「厄介事に巻き込まれるのは嫌だから」
 余りに正直な一言だ、ドロテア。
「まあね」
 因みに勇者証で半額で買える薬草も、ドロテアの“魔の値切り”にかかれば、十分の一の金額で買える。オマケに山の中で自力で採取して、精製したほうが性能のいい薬草となるのだ、薬草学者ゆえに。薬草学者というより、毒学者だがドロテアは明らかに。
「何処に宿を取りますか?姉さん」
 馬車から降りて馬を引きながら歩く四人、立ち入り禁止がかかっているとはいえ、元々人口の多い首都だ人は溢れんばかりにいる。
「最も外側の一般人が多いところでいいだろう。そこには確かカジノもある。行くんだろう、エルスト」
「お金下さい」
 掌を出し笑うエルストと
「ああ、取りあえず宿を決めるか」
 聖職者が静かに行き来しているが、そこで生活している子供達の笑い声は何所でも変わらない。
 改築や増築を決して行わず、建物が寂れる事もないエド法国の建築物に囲まれて
『懐かしいもんだな……建物が変わらないから郷愁まで感じさせてくれるぜ』
 時間の流れが止まっているエド法国の中、幼い頃に滞在した時のままの時間が確かにそこにはあった。
 この場を去って二十三年
“そろそろトルトリアに行ってみるか……”
 何時もトルトリアに隣接した国に住んでいた。離れる気はなかった。
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