ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【1】
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず

空を飛ぶ海鳥よ
どうか私を大陸へ連れて行ってくれないか
この高き山を  その翅で
越えられぬこの高き高き山を  荒れ狂い  船の通られぬ海を
あの大陸へ  あの大陸へ
私を連れて行ってくれ

黒い海が、軋むように鳴いて

 ネーセルト・バンダ王国の国葬は水葬の形式をとっている。
 王族は全て人の通れぬ、沈んだら決して浮かび上がってくる事のないエルベーツ海峡に沈められて。
 海に投げ入れられた花も、深い海の中に沈むだけ。誰も近寄らないその海際で啼く黒い鳥。
 その海の上空だけを飛ぶその鳥は、死者を導くと言われている。

**********

もう未来は必要ないだろう
金色の長い髪が外と隔てているカーテンの内側で揺れている
「連れて行ってもらえたか、アレクス」
「ああ、セツ。何処までも遠くへ」
「そうか、何処までも」
「うん。とても遠く……遠く」
銀色の髪の男が彼の着衣にヴェールを乗せた
もう過去に焦がれる事はないだろう

**********

「おや久しぶりだね、ランド。色々と忙しかだろうね。それに、いい人でも出来たかい?」
「上がるぞ、女将」
 エド法国は基本的に娼館を認めている、珍しい国である。
 現法王は規律を守りさえすれば咎めない事を布告している、人買いも“攫ってきた”ものでなければ黙認もする。勿論娼館から上前を取ろうと言う輩も居るが、それを全て禁止し、娼館も適切に税金を納める事にしているのだ。
 その為に娼館で働く事の出来ない女達が、外に立っていても場所代などを請求する輩などがいる場合は取り押さえられ、大陸一治安の良い娼館通りというのが出来上がっている。
 まして治癒の専門家達が集う国だ、料金代わりに “薬草” を与えたり “治癒魔法” を施す者も大勢おり、病気の蔓延が最小限に押えられている。治安のいい娼館が立ち並ぶと聞けば、女達の集まりも自然と良く、女達が揃っていると聞けば足を運ぶ輩も多い。
 巡礼者も多いが、ソレ目当てにエド法国の首都を訪れるものも大多数いる。そんな花街の宵でも昼間のように明るい道、昼間はかえって寂れたような通り。

「全て片付いて良かったわね」
 ランドと呼ばれる男は “エルーダ” という高級娼館の常連だ。
 ただこの男が何者なのか女達は知らない、女達は聞く事はない。エド正教の聖職者が女を抱く事は禁止されてはいないし、男女とも婚姻も禁止されてはいない。
 それでも尚、身分を偽り足を運ぶ輩がいる。ランドと言う男は決った女も居ない、この店に来る客の中で最も立派な体躯、剽悍な顔でありながら落ち着いた表情、片目を眼帯で覆っている壮年の男。
 強いて一人決った女がいるとすれば、この店の女将だろう。昔はこの店一番の人気のある女だった、今は前の女将から娼館を託されて、立派に取り仕切る、その彼女だけがこの男の正体を知っている、多分誰にも言わないで棺に眠るだろう。
「俺は何もしていないのと同じだ」
 酒を片手に、窓の無い煌びやかで頽廃感に満ちた部屋で酒を口に運ぶ。低い声が通る。
「そうかい。でもミンネゼンガーはケリが付いたみたいだね」
 −恋をしたら私にキスしてごらん−
「ああ」
 −柔らかな唇だった−
 二十年前と殆ど変わらぬ男は女将にそう言った。
「綺麗な女だったねえ、震えが来る程に。いや恐ろしくて顔を上げられない程だったよ、ミンネゼンガーが恋した女は」
 大地を蒼く染め上げる女、ミンネゼンガーが恋した女。長い間裏に近い世界で生きて来た老女になろうかと言う年の女が見た、美女。あれ程の女は他にいないだろうと言わしめた黒衣の女。異国の空気を纏ったままに、誰にも染められる事なく。
「そうだ。太刀打ち出来ない程に……二人と居ない」
 柔らかいカーペットを敷き詰めた床に、片足を伸ばし片足をまげて、ランドは腕を組み座り直す。
「ランド、アンタが気に入ったのは黒髪の女だろう。あの女もまた綺麗さね、全く神様の贔屓ってヤツを目の当たりにしちまったね」
 笑った女に、カタンとグラスを置きランドは口の端のみを上げて笑う。
「神の贔屓な……かもしれん。……だろうな、美しさと強さとを兼ね備え、知性をも持ち合わせる。これを神の贔屓と言わずに何というか」
 正に美そのものを持ち、そして見えぬ道に恐れ一つ無く踏み出す事の出来る女。最高の友人を持った女。誰の目からみても、贔屓だろう。
「アンタがそう言っちゃお終いだろう? ランド」
 神の平等を説く男の口から出た言葉に、女将は笑う。
「そうか、だがな……いや。所で女将、その土地の唄と言うのを知っているか?」
 思い出したように顔を上げた、自分より十歳以上は年下の男の問いに不思議な面持ちで答える。
「いきなり何だい?」

**********

麗しい姫君の危機に
騎士が立ち上がり 見事に姫君を救い出し
騎士は姫君を残して
その国を去っていった
姫君は永遠にその騎士を想い続けて
他国の王の妻となりました

**********

「いやな……女を一人。トルトリア人でもマシューナル人でもない女を」
“いい声だな”
“それだけは褒められますよ、ドロテアに”
 あの女が、あの手厳しい女が褒めだけの事はある、いい声だった。グラスを置き呼び出された女の後を付いて思い出す。
 姫君の心に刻みついた騎士に勝てる訳もないだろう
 お前達、何処までも遠くへ行くがいい

神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず
永遠に空に憧れて
故郷に憧れず
神は皇帝に遣わされたのに
皇帝は1人空を見上げる


Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.