ビルトニアの女
詩が始まり時廻り過去の貴方に会いに行く【3】
 嫌な噂のある戦争だ。それは戦争ではなく……虐殺だった……という

「六年前か、アンタは前線に行ったのか?」
 火をかけたのはギュレネイスか?
「一応。唯辿り着いた時は既に遅かった」
 それともイシリアか?

 炎があたりを薙ぎ払っていた
「アンタ自身もな」
「……然様です」
 一瞬だけ嫌な空気が漂う

「ヘイノア運河戦ってどんな戦争だったの?」
 他国の戦争の噂など余程興味が無ければ耳に入って来る事もない。何十年も続いた戦争など"また奴等小競り合いしてるのか"程度にしか受け取られる事はない上に、人々の興味は魔王に流れている。"やりたきゃやらせておけばいい"それが誰もが思う正直な気持ちでもあった。
「そうだな、戦争自体は大した事はなかった。ただ放火が激しかった戦争として有名だ。エドウィンやイシリアの奴はどう思うのかは知らないが、あれ程無謀な作戦に打って出るとは。あれがイシリアの凋落を物語っていた、と他国では言い合ったな」

 恐らく火を掛けたのはイシリア。自国の民を多く殺して団結を図ろうと、イシリア人を手厚く歓迎するギュレネイス側には何のメリットも無い。

「そうですか。やはり国内にしかいない私達には趨勢が見えないのでしょうね」

 それこそがギュレネイスの狙いだと一部のイシリア人は言う。イシリアに罪を負わせ自国に多数の人を呼び込む為だと。

 チトー五世は笑って何も言い返す事は無かった、誰もイシリア教国の事等気にしていないとタカを括った。そこにエド法国が介入した事でこの論争が大きな事件に発展していく。突如エド法国がイシリア側に国交を結んでも良いと言い出したのだ。
 こうなればチトーも弁明に出なくてはならない泥沼の舌戦がはじまったのはこの頃からで、真実は今だ明かされていない。それでも平和なのかも知れない、口喧嘩だけでそれ以後戦争していないのだから。

 エド法国はそれを狙ったのだろうか? それとも他に何か目的が?
 在位二十年を誇る法王
 それと同時に『時期法王候補筆頭』と呼ばれ続けている男

「だろうな、十年前に司祭になったギュレネイスのチトー五世は冷徹な政治家だ。傭兵の補給にも長けているしな」
「傭兵の補給って?」
「ああ、前に言っただろうマリア。チトー五世はセンド・バシリア共和国大統領の息子だって」
「ええ、聞いたわ」
「そしてセンド・バシリアには徴兵制があるって」
「うん。徴兵制って一定の年齢になると、軍隊に入って訓練されるんでしょう?」
「兵役が終われば普通の生活に戻れる、が仕事にあぶれると傭兵になる奴がおおい。まあ、国で訓練してくれた訳だからな、それなりに集団行動が得意でな。最近じゃあギュレネイスの傭兵団を飼育しているようなもんだ。実際傭兵の募集はセンド・バシリアで行っているしな、どちらで雇っても攻めるのは隣の国である此処だ」
 一個の強い兵士などそういるものではない。誰もそんな事を傭兵に求めてはいない。傭兵に求められるのはその数、そして黙って集団で命令に従う事、それだけだ。
「成る程ね」
「恐らくイシリアを壊滅させる気だろう。そしてギュレネイス、イシリア、センド・バシリアをまたに掛けた大帝国を築く気でいる筈だ。まだ四十五になったばかりの若い司祭閣下だ、野心も生半じゃあねえ。十年前の選考会は凄まじかったらしいぜ、当時選ばれるのは確実だと言われていたゼリウスと、当時はまだクロードと名乗っていた若い大司教の争いは」
「……大司教はギュレネイスでは、枢機卿って事?」
「違うんだよ、チトー五世は二つの位をすっ飛ばして最高位に付いたんだ。ゼリウスは当時五十半ばを過ぎた所で最高位の直下である大僧正だった、まさか三十半ばの小僧にしてやられるとは思わなかっただろうさ」
「どうして負けたの?」
「資金力の違いだな、親の国から相当流れたんだよ。それにチトー自身相当な額を貯めた」
「へえ……」
 奴は宗教家ではない、唯の政治家だ。ゼリウスはそうチトーを、嘗てのクロードを攻撃したが……
「チトーが始めたものにバザールがある。これは利権を商人に売って一定の期間だけ商売をさせるんだ。チトーは自分が任せられた地区で盛大にバザールを開いた」
「それでお金貯めた訳?」
「そいつで貯めても国は買えない。そこから商人に便宜を図って金を出させた。自分がギュレネイス皇国の最高位・司祭になった暁には首都で大きなバザールを開くとな、そしてそれなりの利権を与えると。まあ口で言った所でそう簡単に商人も乗らないだろうが、そこは一流の政治家なんだろう、それでえらい資金をかき集めた。教会頼みのゼリウスでは太刀打ち出来なかったらしい。勿論ゼリウスだって大金持ちだったがな、焦って世界最大の大富豪に資金を求めたが、一笑されて一銅貨も貰えず帰っていった」
 世界最大の大富豪とはオーヴァートのことである。オーヴァートは女性の学者が【好み】なので、女学者のいない国にははっきり言って興味がない。丁度その頃オーヴァートの家にいたドロテアは、門前払いを喰らっている大僧正の姿を見ていた。初老の男が焦りに顔色を悪くして、自国では下げないだろう頭を地に擦りつけている姿を。


 "どう思う?"
 "ああ?同じように金で国を、位を買うなら政治的手腕を持ったヤツの方が幾分マシだと俺は思うぜ"
 "俺もそう思う。まあ国が滅びても誰も困らないしな"
 テメエの故郷だろう? 喉まででかかったが、無意味と押し込んだ
 ゼリウスは城下町から引きずり出され、失意のままギュレネイスに帰っていた


 所詮は金の力が全てだった、法力自体はゼリウスの方が上だったのは確かだが。最も現実的な政治家という側面も無くては、国として立ち行かないのも事実だ。そしてこれ程親が、国を私物化してまで息子の位を買ったのにはそれなりの利点がある。
 そしてそれに見合った才能がチトー五世にはあった、事実他の兄弟は国内で大人しく政治家以外の職業に付いている。最も父親に似た、いやそれ以上の権力志向の強い聖職者、それがチトー五世の顔だろう。そして敗れたゼリウスは……
「へえ……そのゼリウスって人は?」
「確か国外に逃亡したそうだ。再起を図るとか何とか。まあ捕らえる罪状もねえが今更チトー五世の下で働く気にもならねえだろうからな。生きてりゃ六十過ぎばだ、まあまだ"司祭閣下位"を狙えない訳でもないが、奴は宗教家だからな。今最も廃頽の都として名高い花の都フェールセンだ、今更ガチガチの宗教家が戻って来たところで誰も喜びはしねえだろう。当初はホレイルにいたが今は知らん」
 結局の所、繁栄によりチトー五世は絶大な支持を受けている。選ばれた時に支持を受けるのは珍しくはないが、チトー五世は年々その評価を上げている真の実力者であった。今ではゼリウスが戻った所で誰も見向きもしないかも知れない。
「ここが図書室です。お気に召すものがあると良いですが」
「じゃあな、マリア」
「ええ。それじゃあ」
 ドロテアは重そうな扉の中に消えていった。

**********

 マリアはエドウィンと肩を並べて歩くいている。背の高いマリアと然程目線の変わらないエドウィン。
 聞けばエドウィンは三十六歳との事、エルストと大差ない年齢でマリアは正直驚いた。
 人とは随分と違うものね、と。
「綺麗なタペストリーね」
 質素ではあるが、それなりに贅はつくされている家なだけの事はあり細かく説明してくれるエドウィンにもマリアは好感が持てる。


 基本的にマリアは男嫌いだ、男関連でいい思い出が無いのが最大の原因なのだ。
 襲われそうになったり、変な男に言い寄られたり、愛人になれと強要されそうになったり、美人だからといって仲間はずれにされたりと。


「そうですか」
「あの、基本的な事聞いてもいいかしら?」
「何ですか?」
「エド法国は法王猊下、ギュレネイスは司祭閣下、イシリアは?」
「教父総代です」
「有り難う」
 だがこのエドウィンはどうやらマリアに嫌われないタイプらしい。因みに一番嫌われていない男はマリアの家族を除けばエルストである。ただ嫌われていないだけでもあるが。
 エドウィンがマリアに笑いながら
「マシューナルはどんな国です?」
 少し恥ずかしそうに話し掛けた。マリアより年上の高位の彼は国外を知らない。ただ聞かれたマリアも
「どんな国っていわれてもね、闘技場があって伝説の剣闘士と皇帝がいる王都としかいえないわ。私もドロテアと旅始めたばかりだし、外からは殆ど見たことはないわ。ドロテアに聞けば解る筈よ、世界各国行った事の無い国は無い筈だもの」
 旅は初めてだった。マリアはドロテアに初めて城下町の外に連れて行ってもらうまで、街から一歩も出たことが無かった。
 恐らく、ドロテアに会わなければ一生出る事もなかっただろう、と当人は思っている。実際そんな人も多数いる。
「それは凄い。私などギュレネイスの国境が最高の遠出だ」
 因みにイシリア教国からギュレネイス国境付近までなら二日で行ける行程である。
「えっとホレイル王国なら地続きなんじゃないの? 確か地図ならそうだったけど」
「ええ、ホレイルとは地続きですが国交が殆どありません」
「仲悪いのね。まあ私には関係ないけれど、仲直りした方がいいんじゃない?」
「ちょっと簡単に出来ないので。私が生きている代で何とかなればいいのですが」
「そうでしょうね。そう言えばエルストの伯父さんも確かイシリアとの戦争で死んだって聞いたわ」
「彼の伯父が? そうは見えませんでしたね」
「戦争してるんだもの、当たり前でしょうね。その子みたいに殴りかかったりはしないけど」
「うっ……」
「ですが、彼の伯父ともなれば一般人の上に先祖代々フェールセン人でしょう。あの人達は戦いを好まないでしょう」
「確かそんな事言ってたわね。先祖代々あの土地に住んでいたって」
 ギュレネイス皇国の首都はフェールセン。嘗てあった古代王朝の首都だった。そしてその時代からずっと其処に住んでいるのがフェールセン人、今はギュレネイス人と呼ばれる事が多いが。
「ええ、ならば軍隊など前線に出ることは無い筈ですが」
 フェールセン人は結構な特権がある。理由は唯単に"皇帝の召使"だったからであるのだが
「昔、国境線越えて戦争したんじゃないの? その時に亡くなったと思うわ」
「二十年前のタンセロ平原戦でしょうね。その頃がわが国が最後の隆盛を誇った頃です」
 長椅子に腰掛け、話をしているとクリシュナがお茶を出す。マリアは一口飲んでみて"結構飲める味だわ"と少々驚いた。
 この国の有様だと、茶葉もろくなのが無いと思っていたが……。さすがは名家、来客用の茶葉くらいは揃っているらしい。
 ゆっくりとカップを置いて一息つくと
「へえ。ところでフェールセン人って、あのオーヴァート=フェールセンと何か関係あるの?」
 普段国にいると疑問に思わない事でも、他国で聞くと気になる事もある。
「オーヴァート卿ですか。あの人を知らない人はいないでしょうね、マシューナルの方では。国交が無いに等しい我々でもその名声は聞こえてきますから」
 多分それは、氷山の一角しか聞こえていないだろう。本当は風呂に入るのに上質な絹の服を着たまま入り、召使に頭を洗わせている最中に雄たけびを上げて家の中を走り回ったり、いたいけな少年を捕まえていきなり"今日から君が私の後継者だ!!"と無理矢理に少年・ミゼーヌを養子縁組した等と言う事は間違い無く伝わっていない筈だ。
 余りに突拍子もないので、言う気にもならないがオーヴァートはそう言う男だ。その姿を黙って見つめているドロテアもドロテアだが。
「一応知り合いよ。ドロテアの兄弟子だし、私もあそこでメイドで働いていたしね」
 取り敢えず当り障りない言葉を選ぶ。オーヴァートの愛人だったのも噂で流れているかも知れないが、敢えてそんな事を言う必要もない。
 いや、愛人ではなく大寵妃だったという真実のほうが流れ着いているかも知れないが。


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