ビルトニアの女
詩が始まり時廻り過去の貴方に会いに行く【4】
 "何と言って別れたの?"
 "別れよう、だ"
 "それだけ?"
 "それだけだ、マリア。そんなもんだぜ"
 別れても2人は仲が良く、それでいてオーヴァートはエルストとも仲がいい
 男と別れた事がないマリアには解らないが"上手な別れ方をする女だ"とオーヴァートの部下が言っていた
 多分そうなんだと思う
 そして、今でもオーヴァートはドロテアが気に入っている
 唯、エルストの事も気に入っている
 "ドロテアとは仲良くしてるか?"
 "まあそれなりに"
 "ならいいんだ。プレゼントでも買って帰るんだね"
 "どうも、また遊びにきますから"

 不思議なものだと思う、でもそんなものだと思う
 だからこのイシリアとギュレネイスがいがみ合うのも、そんなモノだろうと
 言葉に出来ない事というのは、世の中には数え切れない程あると

**********

「そうでしたな、遺跡調査にはよく同行なさっていたそうですね。……フェールセン人というのは、ギュレネイス皇国の首都一帯に元から住んでいた人々です。ただオーヴァート卿は違うらしいですね、何とか人……ドロテア卿に聞いてみると良いでしょう。フェールセン人はあまり戦いを好まなかったので、黙って改宗に従ったそうです」
 エルストを見ていると何となく解るような気がする、確かに。流されて流されて此処まできてしまったような男、そんな感じがするエルスト=ビルトニア。
「それは、なんだっけ? ブレンネル何とかでしょう?」
「ええ、ブレンネル正統聖教です」
「じゃあ、その後分裂した時には結構此処に流れたの?」
「いいえ。彼ら彼女らはあくまでも、土地に住んでいます。宗教は関係なしに」
「そうなんだ」
「そう言えば先程貴殿はドロテア卿が、世界で行ったことが無い場所は無いと仰いましたね」
「ええ。因みに貴殿なんて呼ばないでくれる、むず痒いわ。マリアで結構、私もエドウィンさんって呼ばせてもらうし」
 因みにドロテア卿というのも何とも可笑しいのだが、何せ名字を持った人々は一律でそう呼ばれるので仕方ない。あんな言葉使いでも一応立派な"卿"だ。態度は間違い無く"卿"だが。
「そうですか、エドウィンで結構ですよ私も。……彼女はトルトリア出身ですね」
「そう、トルトリア首都出身。最後の日に逃げた数少ない一人よ」
 マリアにとって幼い頃の話だ、話を聞いた時怖くて一人で寝る事も出来なくなるほどに。
「成る程」
 隣の国が半日で壊滅したと。"壊滅って何?"親に聞いた"沢山の人が殺された"と。
「あら、綺麗な庭ね。暫く見ていていいかしら?」
 傷ついて着の身着のまま逃げてきた人々が随分といた。
「ええ、私は暫し席を外しますが。夕食の準備が出来次第お迎えに上がります、マリア」
 圧倒的な力の前に壊滅したトルトリアの首都・エルランシェ。
「有り難う」
 トルトリアにあった高級な姓"ランシェ"。それをドロテアが選んだのは、当然だったのかも知れない。

 "何で国が滅ぼされたのかしら"
 "さあな。だが世の中はそんなものだ"
 自家製の煙草を咥えて、片目を瞑り笑うドロテアにマリアも笑った
 ドロテアの家の庭に広がる薬草畑で、ドロテアが花を摘んだ
 ― コイツもなあ……

 中庭に咲く花が、エドウィンの邸の中で最も華やかだった。
 そしてエドウィンの苦労がマリアにも見て取れた。
 毒を感知する花が育てられている、ドロテアが言っていた。
 "貴族の庭にあるこの花は、全ての食事に添えられる"ドロテアの家の庭にも植えられている。その株を買っていくものも大勢いる。
 白い小さな花【命の奇蹟】と言われる花。
 手に入る毒薬の殆どに反応し、毒薬に触れると白い花は青くなりハラハラとその六枚の花弁を散らす。
 中庭に広がる白い花。
 宗教家の毒殺は日常茶飯事だ、王族もな。
 "だから薄味なんだぜ"
 トルトリアの王族も薄味で育つんだと、命の奇蹟が反応しない毒があり、その香りを覚えさせられる。だから薄い味、あまり香らない料理。
「思い切りご飯も食べられないで生きるのって、苦痛よね」
 花を添えて、花を添えて、白い花を見ながら口元に運ぶ食事。花を浮かべ飲む酒。

 そうしてまで生きて行く
 それでも中庭に咲き誇る白い花は美しかった。

 −毒を感知するだけじゃなくて、実を結びたいだろうにな
 庭に落ちた灰と、両目を閉じて花を持つドロテアと
 "そうかもね"
 世の中がそんなものだ、と言う言葉に返した言葉なのか? 実を結びたいといった言葉に返した言葉なのか
 言ったマリア自身解らなかった。ただ実を結ぶというのは、人であれば子孫を残す事だ、それは……


 美しい華であるドロテアには無理だと、オーヴァートが笑って呟いた


「エドウィン様」
「何だ、クリシュナ」
「先ほどは申し訳ございません」
「謝るのなら私では無く、エルスト卿に。基本的にフェールセン人は悪い人ではない、それを教えておいただろう」
「それは確かに。改宗を此方が一方的に推し進めたと」
「そう、彼らはあの先祖代々の場所から動く事を拒否しただけだ、そして我等がこのゴールフェンに居たゴールフェン人を改宗させた。彼らは宗教に従っているのではなく、土地に従っているのだ。古代のフェールセン王朝に」
 どう言う訳か戦う事を好まない、軍事大国の生き残り達。不思議な程従順で、気味悪がられるその穏やかさ。ただ改宗にすんなりと従ったその為に、彼らにはそれなりの褒章が与えられた、エルストの”ビルトニア”なる姓もその一環だ。その他にも就学の特典などが多数与えられている。
 クリシュナは少し考え、エドウィンに話かける。
「はい。あの……先程の"最後の日"とは」
「クリシュナは幾つになった?」
「十四歳になりました」

 六年前、焼き払われた村から拾ってきた少女は、真実を知らない。

 火をかけたのは、イシリアの部隊だと。それはギュレネイスの虚偽の噂だと。
 真実はその場にいたエドウィンが知っているのだが、もう少し年を経てから少女に伝えるつもりであった。濁ったような灰色の髪と、やや赤みを帯びた肌の少女に笑いかけ、
「そうか、知らないのも無理はないだろう。今から二十一年前にエルセン王国とパーパピルス王国を結んでいた街道があった。それは大陸行路と呼ばれていたのだ。旅人なら誰でも一度は通ると言われた、白亜の道が月明かりに照らされて夜道であっても道に迷う事の無い、銀の砂漠に煌びやかな道と謳われていた」
 今では魔物を恐れ、盗賊しか通らないと言われる寂れた道だが、立派な舗装と装飾が施されているという道がある。勿論イシリア生まれのエドウィンは見た事もない。
「大陸行路?」
 トルトリアが滅んだ後に生まれたクリシュナには、その国が何処なのかも見当が付くはずもないだろう。
「ああそうだ。砂漠……砂の大地だそうだが本当は見たことが無いからよくは解らないが、その砂漠の中にエルセンにも劣らない王国があった。アレクサンドロス=エド、ヘルベルト=エルセン、二人と共に戦ったシュスラ=トルトリア。彼が建てた水の都があったのだ」
 それはそれは美しい都だったと、僅かに戻って来るイシリア教徒が語る。遠くの国交のあった都。
「砂漠は水がないのでは?」
「そうではない。水が無かったら死んでしまうだろう。事実エルセン王国に負けない程の繁栄を誇っていた王国だった。その王国が一瞬にし滅んだ日。それを"最後の日"と呼んでいる」
 大国だった、何処にも属さない事が可能な程大きな大きな、それでいて大らかな国だった。
「誰かに滅ぼされたのですか?」
「魔物だよ。ウィンドドラゴンが城壁を割って進入して、ワイバーンが空を埋め尽くし、地をサンドワームや蠍が埋め尽くしたそうだよ。半日もしないうちに全てが死に絶えた。運良く逃れられたのはほんの僅かな人々だったそうだ。王族で逃げ延びられたのは、たった一人の姫君だけだったそうだ、彼女はエルセンにいて難を逃れた。だから今ではトルトリアの嘗ての繁栄の姿を知る者はそういない。トルトリアの首都以外で生まれたものも多数いるし」
 ランシェと名乗るからには、彼女は間違い無く首都の出身だろう。
「何故、エドウィン様は彼女がトルトリア王国出身だとお分かりになられました?」
「あの国だけはイシリア聖教を許可していたのだ、クリシュナ」
 いつかは行ってみたいと、幼心に思っていた。それはエドウィンが十五歳の時に潰えてしまった希望、今となっては儚い夢物語。
「え?」
「ドロテア卿が私に何と言ったか覚えているか?」
「いいえ」
「イシリア経典を寄越せと彼女は言った。イシリア聖教を知らなければ"聖典"と言う筈だエドもギュレネイスも"聖典"だろう? だから彼女はトルトリアの首都出身だろう。そうでなければ解らない」
 些細な事でもそれが嬉しいと思える時がある。トリトリア王国にいたイシリア教徒はどんな者達だったのだろう
「それは……」
 もう幻なのだろうが
「三宗教全てが混在していた国だった。今となっては正に幻の国よ、どう統治していたのかも」
「そんな国が本当に……」
「ああ、ドロテア卿はイシリア聖教を知り、妹君はエド正教司祭補にして、夫君はギュレネイス皇国出身だ。彼女にはあまり宗教の垣根がない」
 いや多分ドロテアはどうでもいいだけだと思うのだが……。学者はあまりそう言うのには拘らない。

**********

 石造りの壁が威圧感だけをあたえるような道をエルストとヒルダは歩いていた。
「寂れた首都ですね。首都と言うよりは地方都市ですよね、この雰囲気」
「まあな、華やかさのカケラもないな」
 華やかさ以前に、生気すら感じられない街中を二人は肩を並べて歩いている。女のエド正教の司祭補と恐らく護衛の衛士くらいに思われているのか、一般人は別に気にも留めないが、僧侶はやや怪訝そうな顔で二人を見る。だが取り立てて呼び止められる事もなく街中の探索は終わった。何も無いので直に終わってしまったのだ。
「ま、一応取り敢えず、盗賊の寄り合い所に顔を出すんだけど」
「一緒に行きますよ」
 ヒルダは当たり前の様に言う、エルストも少しだけ考えてヒルダに向き直り
「そうか……ん?」
 "行こうか"と言おうとした時ヒルダの背景を歩く四人程の人に目が止まった。別に目立つような出で立ちでは無いのだが、何かがエルストに引っかかった。
「どうしました、エルスト義理兄さん?」
 エルストの視線にあわせてヒルダが振り返る、そこには赤いフードを被った一人と三人の帯剣している聖職者が歩いていた。別段珍しいような光景ではないのだが。
「いや……どっかで見た顔が……気のせいだよな」
「どの方ですか?」
「あのフードを被った老人……親父の知り合いだったかなあ」
 僅かにずれたフードの中にあった"顔"に何かが引っかかった。別に親しい人では無いだろうが、何処かで何度も見たような顔だ。だとすると長年ギュレネイスに住んでいたエルストなのだから、故郷にいた頃に見た事になる。知り合いと言うよりは……
「でも普通はコッチに来たりはしないんじゃ?」
「結構改宗した人がいるんだ、そんな人達が故郷の人を改宗しに出向く事もあるんだが……誰だったかなあ。あんまりいい印象が無いんだが……」
 エルストは首を捻りながらも、その老人と聖職者達を見送った後にヒルダを連れて盗賊の寄り合い所に足を向けた。ちょっと目立ったが理由を察すると別に奇異の目を向けられるでも無く、話をしてその場を後にした。
『誰だったかなあ〜。凄く気になるんだけどな……』
 エルストとしては何となく思い出さなければならないような気がするのだが、後一歩が出て来ない。考えながら歩いているとエドウィンの家に戻る事が出来た。玄関から出ていないのだが戻るのは玄関からでなくてはいけない。飛んで窓から入る事も可能だが、それでは余りにも不審者だ。
 待っていたらしく玄関にドロテアが立っていた。
「ただ今」
「ただ今! 姉さん!!」
「よお、無事に帰宅か。殺されてるかと思ったぜ」
 相変わらずの言い草であるが、エルストにしてみれば悪い気はしない。玄関で待っていてくれたというだけでも相当嬉しいのだが。
「以外と平気だった」
「ふ〜ん。この家のバカ娘程ではなかったようだな」
「何?」
「いやな、戦争で一般人を平気で殺すイシリア教国のお嬢さんが、親を殺された仇と見ず知らずのフェールセン人を殺そうとしたのさ」
「あの、私は!!」
 謝る事を決めて、ドロテアの後ろにいたクリシュナだが謝りそびれてしまったようだ。おたおたする少女を前に、
「ま、殺されなかったから良かったとするか」
「小娘が殺されかけたがな」
 額に人差し指を当てて、困ったような素振りをするしかないエルストだった。大体想像は付くから
「そうか」
 小さくなって頭を下げている少女には、まだまだ人を見る目はないようだと、エルストは思ってみたり、妻の迫力に押されてみたり。
「さてと二人共戻ってきたから夕食だな。腹減っただろう」
「はい! 姉さん!!」

「所で、夕食を振舞って何が望みだ?」
 テーブルに並んだ豪華な食事を平らげて、ドロテアが顔を上げる。


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