ビルトニアの女
詩が始まり時廻り過去の貴方に会いに行く【2】
 歴史上このゴールフェンはフェールセン帝国のゴールフェン選帝侯が居を構えていた。

 フェールセン帝国は皇帝を"フェールセン"の中から、一人選び出す。皇帝は生前には後継者を定めることは無く、皇帝の死後資格のある"フェールセン"達の中から一人だけを選ぶ。その権利を持っていたのが"選帝侯"と呼ばれる者達であった。
 その選帝侯達も僅かながら現代でもその血筋を残して、可哀想にオーヴァートを主と仰いで現在も仕えている。いや、好きで仕えているのだからいいのだろうが……いや、何となくそれでも不憫だ……。まあそんな大陸全土を支配していたフェールセン帝国の、皇帝を選ぶほどの権力を持った選帝侯が住まっていた場所。
 嘗てはそれは華やかな"地中都市"と呼ばれていたが……どう華やかだったのかは、知る余地も無いが今となってはその繁栄は、何処にも見ることは出来ない。
 言葉で表すると"灰色の街"とか"鈍色の街"と言うしかないようなゴールフェンの一角、石造りの邸に四人は上がりこんだ。やはり召使達はエルストの姿を見て、驚きの色を隠せないようでもある。
 何故か見たことは殆どなくとも、ギュレネイス人とわかるのだ。このゴールフェン一帯に居る人々も元を正せば同じ種族な為に。この首都の辺りに元々住んでいた人々をゴールフェン人と言う、因みにもう一つの宗教国家エド法国は首都がエールフェン。元々住んでいた人々をエールフェン人と呼ぶ。
「ドロテア、俺ギルドに行って来たいんだが」
 珍獣さながらな眼差しにも、余り気にする事なくエルストは"ある筈"の盗賊のギルドに顔を見せてくると言う。盗賊は意外と戦争している国の人間でも別に関係ないのだ。エルストがギュレネイスにいた頃には、イシリアから来た盗賊が多数いた。イシリアでは仕事にならないと、盗賊すら既に見切りをつけるほどに凋落してる国、それが今のイシリア教国だ。
「テメエ……外出しただけで速攻刺されるぞ。まあ室内にいても変わりはないかも知れないが」
 先程エルストを出迎えた一人が、今にも殺さんばかりの"殺意"を放っていた事に気付いているドロテアは、清貧を良しとするイシリア教徒の鏡のような部屋で窓の外を見ていた。
「どうにかならんか?」
「ヒルダと一緒に行きな。あとは……」
 エルストの髪の色を変えて外に送り出した。灰色が大きな特徴なので黒くしておけば多少はごまかしが利くだろうと、水差しの水を黒く変え頭にペシペシと掛ける。不思議な程艶やかな黒髪に変化した髪の毛を窓ガラスに映し、見慣れない顔に一人笑っているエルストと、
「あ、行ってきますね。私もイシリア国内のエド教会を見たいんで」
 がっちりと聖典まで持ったヒルダ。
「それじゃ」
 二人を窓からポイッっと捨てて、人通りの少ない道を歩いていく姿を眺めていた。イシリア教国は嗜好品が一切禁止なので、客に灰皿を出すような習慣はない。仕方なしにドロテアは煙草を馬車に置いてきた、手元にあると我慢が利かないので、流石に他家で床に灰を落すようなマネはしない。最も相手によりけりだろうが。
 手元も寂しく魔法の練習を始めたドロテアに、マリアが話し掛ける。
「ねえねえ、ドロテア?」
「あん?何」
「苗字の間に入る"ベル"だとか"ヴィル"って何の違いがあるの?」
 基本的に名字を名乗るのは貴族だけで、平民が名字を名乗るにはそれなりに資格が必要だ。マリアにはそれは解る、ドロテアも初めて会った時はまだ学生で、マリアと同じように"〜の娘"と名乗っていた。
 因みにマリアの"アルリーニ"は『アルリの娘』と名乗っており、『ーニ』はマシューナル王国の人というのも一緒に指し示す。
 先だってヘレンに捕まった際『ドロテア=ゼルセッド』ならば解かる、と言われたのはドロテアがオーヴァートの元にいた時、『ゼルセの娘』とかつての名前を名乗っていた為である。ドロテアが今の『ランシェ』になったのは、オーヴァートと別れてからのことである。
 あとエルストの名字は特殊な仕様で、ギュレネイスで一応、昔からこの土地に住んでいるものには名字を与えると言われた為だ、間違っても貴族ではない。
 その為、名字を名乗る際に"ヴィル"を入れたり入れなかったりする理由の判断がマリアには付かない。
「あれね。"ヴィル"だとその姓の主を指す。"ベル"はその主の後継者を指し示す。エドゥイン高祭は伯父のバティーヌ大司教の跡取だ。バティーヌの妹の子だったな、俺の記憶じゃ。普通はヴィルは名乗らないが、相手が名乗ってきた場合は名乗る。俺は元来名字を持っていた訳じゃないからな、だがエドウィン高祭の場合は元来持っている。生まれながらにして持っているとそう名乗るのが一般的だな。その差異が名乗る際に現れると言ってもいい、簡単に言うとこんな所か」
 世界各国を旅する際には、他国の政治事情や勢力分布図の一つや二つを押えておかなくては生きては行けない、世間知らずが旅に出るなどはっきり言って死にに行くようなものだろう。情報が少ないイシリア教国の出来事であったとしても、軽くは知っておかなくては旅など出来る筈もない。
 国内外の有力者は勿論、その家系も必須の一つだ。
「それで行くとヒルダはアナタの後継者?」
「いやな、別なの買ってやっても良かったんだが、新たに買うよりかなら後継者になった方が安上がりだから、なにせタダだし」
 名字は全大陸で統括しており、同じ名字は無い。同じであれば必ず親族であり、他人と言う事はまずない。名字にも階位があり"値段が高い名字"や"この資格なら此処まで"など色々と細かい規定がある。因みに金額は最低と言ってもかなりのもので、資格があっても買えない人のほうが圧倒的に多い。
「しょ……商人……」
「一応司祭補からは名字を名乗ってもいいから後継者の資格もある訳だ。俺の名字は"資格"がなければ継承できないが、幸いというかヒルダにはその資格もある。まあ本当はアイツはまだ規定に足りていないんだが、聖職者だけは別な。アイツラは出世する可能性があるから、少しは融通が利く」
 ドロテアの名乗っている姓・ランシェは相当な高位にして高額。そして司祭補のヒルダではまだ"資格"が追いつかないので通常"ベル"と自ら名乗ることはない。
「じゃあエドゥイン高祭も?」
「ガデイル家は名門だ」
「あら? 宗教国家には貴族とか名家は無いって聞いてたけど?」
「建前はな。やっぱり何人も高位の聖職者を出すとなると、それなりの金とそれなりの家と婚姻を結んだ方が良い。結局巡って"名家・名門"呼ばわれする。ガデイル家もイシリア教国が建った頃からの家柄だった筈。建国に多大な貢献をしたベスマン司祭が始祖だったな。イシリア聖教の最高位に就いたのがこの家で三人だったかな? もう一つ名家があった筈だ、クロティス家てのが。ただ、この家はもう終わりだろう。因みにエドゥイン=ベル=ガデイルと名乗ったが、ベルの後ろにハンドーヌとかが入る。国内だけで通用する名称な、普通の国だと貴族称号みたいなもんだろう」
「高祭ってのもあまり聞かない位ね」
「そりゃエド正教にねえしな、ギュレネイス神聖教にもねえし。ここの最高位は教父という特殊な階級だ、まあ覚えても無駄な事って気がしてならないな。そうだな、強いて言うなら高祭はエドじゃあ大僧正にあたるはずだ」
「凄く偉い人なのね」
「ああ、偉いな」
「あれ? でも伯父さんは大司教? 大司教と大僧正なら大僧正の方が上じゃなかったっけ?」
「ああ……それはエドで言うと、枢機卿にあたるんだ此処の大司教は」
「もう良いわ!! 覚えられないもの!!」
 マリアの気持ちは良く解る。
「解った解った。家の中でも探索するか」
 マリアが頭を抱えて伏せてしまったので、ドロテアは無断で他者の家の探索に出ることにした。少し罠を持って。
 石造りの家は、非常に簡素ながらも良家の面持ちまでは失っていない。凋落している国内で、これ程の内装を誇り、多数の召使を抱えている所を見るとガデイル家はまだ繁栄の中にいると言っていいだろう。
 大きな家のカーペットを敷き詰められた廊下を、ドロテアとマリアが歩く。曲がり角から、逆光を浴びて影が伸びてるのだがあえてそれを無視して。
「うわああああ!!」
 曲がり角付近に差し掛かった所で、大きな声を上げて刃物を振りかざし少女が踊りかかってきた。少女の持っている凶器の刃は一直線に"エルスト"を狙う。
「何のマネだ、小娘」
 最も少女の握り締めていた刃は"エルスト"に到達する事は適わなかった。ドロテアに足をかけられ、刃物を持ったまま深紅の絨毯に転がる。
「あ……あ……」
 転がった少女に間髪入れずにドロテアが、武器を持っていた腕に足を乗せて見下し、赤い舌で形のいい唇をなぞる。
「クリシュナ!」
 騒ぎを聞きつけ、近くにいた召使の一人が駆け寄って少女の名を呼ぶ。少女の名はクリシュナと言うらしい。最もドロテアにとってはどうでも良い事だろう、そんな召使の言葉など無視して、見下ろした少女に"柄の悪い男でも裸で逃げ出す"と言われる容赦無い殺気をぶつける。この少女こそ、エルストを見て殺気を隠そうともしなかった人物であった。
「何のつもりだ」
 低い声が石造りの壁を這うように響く。
「実は、このクリシュナは」
「誰がテメエに聞いている? 俺はこの刃物振り回した小娘に聞いてるんだ。テメエは黙ってろ」
「ですが」
「ギュレネイスが私のお父さんとお母さんを」
「はっ! 殺したってのか? それが何の関係が有るんだ?」
「何って!」
「テメエの両親を殺したのはギュレネイスが雇った傭兵だろう? それともこの男が殺したのか、テメエの両親」
「でも! いたっ!!」
「まあいい。その理屈で来たのなら、テメエは俺に殺されてもいいだろう? 俺の目の前で俺の夫を殺そうとしたんだ? まさか返り討ちは考えていませんでしたとか言うんじゃねえだろうな?」
 普通は考えてなどいるはずもない。言われて初めて自分が取った行動に恐怖を覚えたらしい、傷つけようとは思ったが、自分は傷つけられるとは思っていなかったようだ。
「いたっ!!」
 ギリギリと細い腕に力を込める。最も折れやすい場所にドロテアは足を乗せる
「痛いのは当たり前だ! 次に力を込めればテメエの手の骨は折れる」
 赤い舌と、完璧なまでの"冷静"な笑みを浮かべ、人体構造を知り尽くした女は徐々に足に力を込める。少女の掌は紫に変色し始めもはや掌を握り締める事も適わない。声も出せない程の恐怖に怯え、小さな瞳からポロポロと涙をこぼす。普通はここで止めるんだろうけれども、相手がドロテアではそれを望むのは愚かというもの。
「クリシュナ」
「エドウィン様」
 ドロテアが足に力を込めた、バキリと乾いた音が石造りの建物の中に響き渡る。
「ぎゃあああ!!」
 細い娘の腕がドロテアの足の下で折れた。普通の人なら脅しで終える所も、相手が相手なだけに身を持って知ることとなったらしい。
「小娘、死ぬときはもっと痛いぜ」
 それだけ言うとドロテアは足を離し、顎でエドウィンに治すように指示する。
「失礼を。暫しお待ち下さい」
 一礼するとエドウィンは倒れ泣き叫んでいる少女に近寄り手に力を込め始める。騒ぎを聞きつけ集まった者達にドロテアが一瞥をくれる、その顔には笑みを浮かべ些かの揺るぎもなく自信に満ちて。
 後ずさりする者のなか、エドウィンの治癒魔法淡く心安らぐ光が暗い石造りの邸の中を照らし出し始めた。
「本当に折ったのね、やっぱり」
 クリシュナと言う少女が落とした、短剣を拾い上げ刃をみながらマリアが尋ねる。あの音では本当に折っただろうが、相変わらず容赦の無い親友だ、身内に対して危険が及ぶと。
 最も半端に優しくして、二度目の襲撃を喰らうよりははるかにマシだ、マリアにだってそのくらいは解る。余程の人物でもない限り、脅しで己の非を悔いて二度と過ちを犯さないなどと言う事は無い。最もそれほどの人物ならば、最初からそんなマネをする事もないが。
「ああ。エドウィンなら簡単に直せるだろうよ」
 別に悪びれるでもなく、優雅に治癒魔法を唱えるエドウィンの後姿を眺めつつマリアから刃物を受け取る。手の上で剣が持ち上がりそしてパリンと音を立てて崩れ去った。
「誠に失礼を」
 少女を治し終えたエドウィンが二人に向き直り、深く頭を下げる。泣き叫び目を腫らし、まだ痛みが残る腕を押さえつつ少女は膝を付いて頭を床に擦りつける。一応謝罪のつもりらしいが、
「本当にな。家主の客に刃物持って襲い掛かって来る様な程度の学徒なんざ、ろくな聖職者にならんぞ。自分の両親を殺した国の人間なら、誰彼構わず刃物で遅い掛かって来る、返り討ちされると叫ぶ。馬鹿じゃねえのか? テメエ基準で世界が回ってる訳じゃあねえ、殺しあうから戦争だ。殺しにきたら殺す、その程度も弁えないで刃物を振り回してどうする。大体戒律違反だしよ、一からやり直せ、ガキ! 泣けば済む世の中じゃねえよ」
ドロテアはそれでも情け容赦なしに話を続ける。
「返す言葉も御座いません。おや? 彼は?」
「ああ、外出した。これは幻影。どうせこうなると思ってな、読みどおりで面白いぜ」
 さすがに高祭になるとドロテアが作り上げた幻影くらい簡単に見分けられたようだ。幻影と聞かされて驚き床につけていた頭を上げたクリシュナの前でエルストが煙のようにきえてゆく。
「外出して平気でしょうか?」
「髪の色を変えて出した、まあエドの司祭補と一緒だったら平気だろう? ギュレネイス人でも大勢エド正教徒はいるしな。まさかとは思うが、この国はエド正教徒でもギュレネイス人だと殴りかかってくるのか? 建国教父も泣くぜ」
 イシリアの建国教父・イシリア神父は女性の信仰の道を閉ざしたギュレネイス司祭と袂を別ち、多くの人に信仰の自由を齎すために立ち上がった神父だ。それが建国理念だったはずなのだが、今となってはその理念は地に堕ちたも同然で、他者を排除するのに必死になっている傾向が強い。対するギュレネイスが他者を受け入れるのを拒まないので、結果国力に格段の差が出てしまった。
「恐らくは平気でしょう。エド正教の司祭補ともなればイシリアでも高官に属しますし」
 ヒルダ、あれでも高官クラスなのだ。多分、恐らく……
「ま、そうしておこう。あと、詫びにイシリア経典の良い写本を寄越せ」
「畏まりました。彼らが戻ってきたら食事をご一緒したいのですが」
「解った。ところでこの立派な家に図書室はあるか? あったら借りたい」
「ご案内しましょう」
「マリアはどうする?」
「私は家の中を見て回りたいけど」
「ならエドウィンと一緒にな。他のヤツだと何を仕出かすやら」
「全く申し訳御座いません」
「あれ、アンタの親戚でも何でもないな」
 後ろから付いてくるクリシュナをしゃくるように指し示す。生粋のゴールフェン人の一族であるガデイル家や、首都一体では見かけない髪と肌の色。イシリアでも外れから連れてこられたのだろう。
「ええ、丁度六年前最後の大きな戦闘がありました」
「ヘイノア運河戦か」
「そうです。その際にヘイノアの付近の村が全て焼き払われました。クリシュナはその生き残りです」

 嫌な噂のある戦争だ。それは戦争ではなく……虐殺だった……という


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