ビルトニアの女
美しき花に毒の棘【2】
 似非ではあるが”勇者らしく”村人の困り事を持ち帰ってきたヒルダ。
 これがエルストが持って帰ってきたものなら、今頃は怒鳴り倒されている所だが、ヒルダが回収してきた頼み事なので”一応”事なきを得た。
「人さらい?」
「そうらしい」
 ヒルダの後を付いてきたエルストが言う。
「そんなの役人にでも依頼すりゃあいいだろうが」
「それがな、教会のシスター曰く”魔法生成物”みたいなんで、近場にいる役人じゃあどうにもできないって」
 ”魔法生成物”を捕まえるとなると、最低でもヒルダ程度の”魔法”が使えなくては話にならない。
 そして”魔法生成物”の捕らえるのは、ヒルダのような聖職者ではなく、ドロテアのような学者が主である。
 逃げた”もの”を捕まえる学者の典型とも言えるドロテアは、火を点してすぐの煙草を手の上で焼き払い、
「わかった」
 頷いて二人の後を付いて行くことにした。
 小さな村にいる「魔法を使える人」など、変わり者も魔術師か聖職者くらいのもの。聖職者の場合は、大体教会から派遣された”修道女”もしくは”修道士”。彼ら彼女らは神学校で神学を修めた聖職者ではなく、教会奉仕活動をして育ち、その過程で学んだものだ。
 孤児や生活が苦しくて預けられた者達が就ける唯一の暗い。
 学ばせてもらえることは少なく、最低限の”聖魔法”しか知らない。
 先頭を元気よく走るヒルダの後を、二十五歳を越えた三人がやる気なさそうに走りついてゆく。
「若いっていいわね」
「それを言ったらお終いだ、マリア。なあ、三十越えたエルスト」
「ははは……」
 小さな村の中心にある教会。
 質素すぎる建物が、かろうじて教会だと解るのは、エド正教の聖印がドアに刻まれているからだ。それ以外で教会とは判別できない。
 その質素過ぎる教会の前に、村人たちが既に集まっていた。
 様々な格好をしている村人の中にいる、ひときわ質素な格好をしている初老のシスター。
「お願いします」
 シスターが前に進み出て、ドロテアに頭を深く下げた。
「詳しく聞かせろ」
 自分の母親よりも年上のシスターに対しこの物言いは失礼だが、今更誰が言ったところで治るわけでもなし、シスターも気にはしていない。
「それでは」
 ドロテアは教会前の石段に腰をかけて、水を口に運びながら話を聞くことにした。
 シスターの話は筋道が通っており、非常に解り易い。
 話の内容を知らねば、一見したところ長閑な田舎で、信心深い村人達がシスターの説法を聞いている図にみえるだろう。
 話を聞き終えたドロテアは立ち上がり、シスターに向き直る。
「要約すると、二週間前に一人の村の男が帰ってこなかった」
「あの人……殺されたのよ」
 疲れきった姿の一人の女が、虚ろな目のまま声をあげる。年齢はドロテアより若いかもしれないが、帰ってこない夫の”解らぬ生死”に随分と焦燥し、年齢が解らない程に老け込んでいた。だが、
「うるさい、黙れ。俺の許可なしに喋るな。それで、その後村の娘たちが立て続けに六人行方不明になった。死体も見つかってはいない」
 女の焦燥も虚ろな眼差しも老け込みも、ドロテアにとっては関係ない。話を中断されて苛々するだけである。
 殺されたのか? 殺されていないのか? 殺されていないとしたら、なぜ男は戻ってこないのか? そんなことはどうでも良いのだ。
「あの化け物が!」
 ドロテアが関係しているのは、村人が”化け物”と言った存在。
「黙れって言っただろうが! 意味も解らんのか! それで、村の周囲に魔法生成物が姿を現しはじめたが、特に悪さはしていないみたいだ――と言うんだな?」
 段々と口が悪くなり、怒鳴り声に後退りする者もではじめたが、仕方ないことだろう。
 美しい女の怒号というのは、これほどの田舎では一生かかってもお目にかかれるものではない。
 目にする必要がないものでもあるが。
「悪さはしている! ウチの娘を!」
「黙れ! 人が情報を整理を整理している時に喋るな! 黙れ! 今度俺の許可なく喋った帰るからな!」
 腹の底から低く思い声を響き渡らせる。
 通常の人間はこれで怯むか泣くか腰を抜かす。
「落ち着いて、落ち着いて」
 エルストはドロテアにそっとワインの入ったグラスを差し出す。
 ”それ”を既に準備していたところが、エルストの”叱られ慣れ”の素晴らしさでもある。
 凄まじい剣幕で怒鳴られた、ドロテアより十歳以上年上の男と、その周りにいた者たちが腰をくなしたのは、彼らに意気地が無かったからではない。ただドロテアが恐いだけだ。
 そんな怒号に耐え、傍に立っていた彼女にドロテアは色々と質問をする。
「さてと。シスター、あんたの名前は?」
「シスター・ロナです」
 ドロテアとしてはこのシスター・ロナさえいれば良いのに、人の輪が二重、三重にも広がって、その上要らないところで声を上げて会話を中断してきて、うっとうしくて仕方がなかった。
 数名はドロテアの怒声で腰を抜かして、この場から離れられない者もいるのだが。
「よし、シスター・ロナ。手前の力じゃあ捕まえるのは不可能だったのか?」
 ドロテアが”観た”ところ、シスターは魔力が低いわけではない。
「私は”癒し”は習いましたが、それ以外の物は習わなかったので、捕縛などの術は一切使えません」
 一般的な”シスター”の回答。
「この村で魔法を使えるのは、手前だけか?」
「はい」
「だから、狩猟用の網で捕らえようとしたと?」
「はい」
「網の強度はどの程度だ? 壊された現物があったら、ここに持ってこい」
 シスターは村人に教会から網を持って来るように指示を出し、数名がそれを持って直ぐに戻って来た。
「これです。役場に届け出るのに必要だと思いまして、保管しておりました」
 地面に広げられた、無残に切り裂かれた”網”
 ドロテアは膝を折り、爪らしきもので引き裂かれた場所を指で摘むと同時に、網の強度を指で測った。
 ―― 猪狩り用の網か。普通の人間には無理だな
 人間では破るのは不可能な強度だが、魔法生成物ならば容易く引き裂くことができる。
「村にはこれ以上頑丈な狩猟用の網はないのか?」
「ありません」
 千切れた網を眺めながら、ドロテアは何かが見えてきた。
 そのまま頷いて、質問を続ける。
「ところで、魔法生成物が村に姿を現してから、娘たちは失踪してねえんだな?」
「はい。魔法生成物が村に姿を現してからは、娘たちをできるだけ村の外へは出さないようにしています」
 ここがドロテアと、村人たちの考え方の違いが現れる所だった。
 ドロテアは魔法生成物と村の娘たちの”失踪”を繋げて考えてはいない。最終的には繋がるだろうとは思っているが、村人たちのように「化け物が娘を食べた」などと単純に考えてはいない。
「死体なんかは見つかってないんだな? 体の欠片もないんだな?」
「はい」
「魔法生成物は今でも毎晩、何をするわけでもなく村の傍まで来て、夜明け前に去ってゆくってわけだ」
「はい」
「別に村に押し入って、娘を攫っていこうとはしてねえんだな?」
「はい……」
 ドロテアの問いかけに、シスターも別のことを感じてきた。
「村人に危害を加えたことはないんだな?」
「ありません」
 そこまで聞いたドロテアは頷き、
「よし、じゃあ罠でも張るか! 手前らは教会を開けて待機してろ!」
 ドロテアは上着の端を指で払う。
「見当ついたのか?」
 脇で聞いていても自体が全く見えてこなかったエルストだが、妻が既に粗方のことは理解したらしいことだけは解った。
「魔法生成物自体を見ない限り、はっきりとは解らないが。ヒルダ、馬車ここまで連れて来い。積んでる古代遺跡の本が必要だ」
「はい」
 ヒルダは人垣を縫い、軽やかに抜けて馬車へと走ってゆく。
 その姿を見て、シスターが困惑の表情を浮かべた。
「失礼ですが、この辺りに古代遺跡はないと……」
 だがドロテアの答えは違う。
「俺の記憶じゃあ、この周辺にはある。古代遺跡ってのは、あちらこちらに点在してて、その全てを国が完全に管理している訳じゃねえ。むしろ管理している遺跡のほうが少ない。無害な物や小さなものは、そこら辺に眠ってる」
 ドロテアは腰のポケットから”証”を取り出しシスターへと投げつける。
 咄嗟に受け取ったシスターはその証を観て、ドロテアの顔を凝視した。
「俺はこっちの専門だ」
「あの……古代遺跡から出てきたと?」
 両手で差し出すように証を返してきたシシスターに向かって、冷たく笑う。
「いいや、黙って夜を待てよ」
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