ビルトニアの女
美しき花に毒の棘【1】
「近くに村があるみてえだな。酒と水を補給するか」
 ドロテアのその一言で、一行は村に立ち寄ることになった。ドロテアは四人の中では、もっとも旅慣れているので意見が尊重される。
 尊重される理由に「恐い」が見え隠れするのは気のせいだ。
 ドロテアとヒルダは幼い頃、旅商人であった両親と共に世界各地を回っていた。
 七歳で神学校に入学したヒルダよりも、十三歳まで旅につぐ旅を続けていたドロテアは、相当の知識と経験がある。

 外部を拒絶する仕切りなどない、開放的な村に辿り着き馬車を止める。
「じゃあ、エルスト義理兄さんと一緒に水汲んで、お酒買ってくるから」
 馬車から水瓶と酒瓶の二種類を持って降りたヒルダは、そう言ってエルストの手を引き村の中心へと歩き出す。
 姉であるドロテアが、その背にかける言葉はただ一つ。
「値切れよ」
「うん!」
 金貸しの娘たりもの、値切りは必須。
 ただヒルダは”値切り”だが、ドロテアはマリアやエルストから見ても”恐喝”に近い。もちろん、近いと思っているだけで口には出さないが。
 ヒルダとエルストを見送った二人は、馬車の脇に立ち、強張った体を伸ばす。
 四頭立ての馬車にえんじ色の幌が掛かった荷台。目立つ幌だが、魔力を帯びていることを考慮すると、多少目立っても我慢できるというもの。
 あまりに目立つえんじ色のため、街中で指さされることもあるが些細なことと諦められる。ついでにえんじ色のマントをまとっているのはエルストだけなので、隣にドロテアがいると全く目立たない。
 ちなみにエルストのマント着用は、強制である。
 馬車の脇で体を軽く動かし終え、することがなくなったドロテアは一人優雅に煙草をくゆらせはじめた。
「ところでさ、ドロテア」
 同じくすることがなくなったマリアが尋ねる。
「なんだ?」
 煙草を人差し指で軽く叩き、灰を落として再びくわえてマリアに向き直る。
「かなり前々から聞きたかったんだけど。ヒルダって学校終わった聖職者だから、位は結構高いはずよね?」
 ヒルダは神学校を卒業した、完全な聖職者である。
 教会には通っても、内部事情など知らないマリアからすると、神学校を成績優秀で卒業した聖職者なら、すぐに教会に派遣されるのではないか? と思っていた。
 ヒルダは神学校内でもトップクラス。
 大陸全土に跨る神学校の学年別で上位五十名以内の位置にいつもいた。上位五十名は、卒業と同時に授けられる聖職者内の地位が、普通卒業生よりも一段高いものを与えられる。
「ヒルダの首からぶら下がってる、帯みたいなのがあるだろ? 青地に金糸で刺繍されたやつ。あれを首からぶら下げて、なおかつケープ状のを着用しているのは司祭補を表している」
 普通の卒業生は侍祭。
 司祭補はその一段上である。
「司祭補って結構偉いでしょ。ちょっとそこら辺、良く解らないんだけど」
 お目にかかることはない、法王や枢機卿。そしていつも接している修道士や修道女、または修練士や修練女などは解るが、このちょっと地位を得たくらいは、一般には本当に馴染みがない。
「まあ偉いは偉いし、結構な地位だが、聖職者も余ってんで、こうやって”どさ周り”してる奴も多い。ヒルダもその一人だ」
 ドロテアに語られると、偉いのか、偉くないのか? 解らなくなる。解り辛くなるのではなく、解らなくなってしまう。
「どさ周りって……」
 ”他に言いようは……”と思ったマリアだが、言い換えることもできなければ、すっかりと姿の見えなくなっているヒルダの後ろ姿を思い出して、

―― 偉いって言われても、信用できないっていうか、何かしらこの気持ち

 ドロテアをまじまじと見つめた。
「まあ、女性の聖職者はあまり高い地位には就かない。とは言っても、エド正教……」
 エド正教はヒルダが属している宗教で、大陸最大の宗教人口を誇る。
 大陸の国々の多くはこのエド正教に属しており、神学生も多い。よって司祭補も多く、姉に”どさ周り”呼ばわりされるわけだ。
「うん、そうだな。エド正教だけだな。イシリア聖教にはいねえが、エド正教は過去二人ほど最高位”法王”の座に就任した女がいる。ギュレネイス神聖教は論外な」
 《世界の認識》において性差別が全くないとは言えない。
 だが職業によっては、差別が全く存在しない物もある。その筆頭が「学者」
 宗教は平等であろうとするが、実行はできていない。
「そう言えば、エルストの出身はギュレネイス皇国よね。あの国を支配しているギュレネイス神聖教って、女性の聖職者は認めていない……のよね?」
 マリアの言う通り、ギュレネイス皇国は大陸で唯一「女性の就学」すら認めていない国で、聖職者への道も閉ざされている。
「ギュレネイス皇国の神聖教な。あれは……詳細聞くか? マリア」
「できれば簡単に聞きたいけれど。難しい?」
「いや。できれば俺も簡単に説明を終えたいからな」
 エルストは国を追い出され、マシューナル王国へと来てドロテアと出会ったのだが、その時初めて、実物の女性学者を見た。
 「驚いた」と正直に口にした表情を、驚かせた形になっているドロテアは今でも覚えている。
 ちなみに大陸で女性の就学を認めていないのはギュレネイス皇国だけで、他国とは貿易や交流があるので、他国では女性でも学べることは誰もが知っている。
 国内での地位が低いことを不満に思うギュレネイス皇国の女性は、国外へと出る傾向が強く、人口比率が「男七:女三」が続き、慢性的に女性が足りない形になっている。
「ギュレネイス皇国とイシリア教国ってのは、元は一つだったんだ。エド法国内部で《エド正教》が分裂して《ブレンネル正統聖教》ってのができあがり、そいつらはエド法国から出て行った。大雑把にいえば約百年前のこと」
「元はエド正教ってことは、神体は”アレクサンドロス=エド”なのよね?」
 マリアは小首を傾げて、尋ねる。
 さらさらと音を立てて流れる黒髪の隙間から、ドロテアは深い森を透かし見た。濡れているかのような黒髪を通して見る森は静謐さすらたたえているかのようである。
 そのマリアの質問は正答である。
 アレクサンドロス=エドは大陸を救った「勇者」であった。その後、国と宗教を作り、死後神格化された。
 彼が神格化されたために、それ以前からの信仰対象であった精霊神などは、宗教によって神格を剥奪された。
 アレクサンドロス=エド本人は精霊神を”とても大事にし、共に戦った”と、伝承では残っており、神格の剥奪は彼の死後、勝手に行われた宗教的な行為。
 もっとも人間が宗教的に精霊神から神格を剥奪しようと、信仰の対象にせずとも、神々は困りはしない。
 以前となんら変わらず、人々の魔法に乗り現れ、そして去ってゆく。人間だけが短い時間で変わっただけのこと。
「そうだぜ。神体は三宗教とも”アレクサンドロス=エド”だけだ。それでエド正教最初の分裂、その切欠は”女の法王”を認めないと騒いだ、枢機卿ブレンネルがもたらしたものだ」
 ―― たったそれだけのことで?
 マリアにしてみれば、そんな理由で宗教を分裂させようとは思わないし、国を二分してしまおうとも考えない。
 だが当事者同士は苛烈に争った。
「その幻の女法王って言われるようになったハーニャ。幻って言われてるんだから、結局法王の座には就けなかったんだが、本人には就く意志はあったらしく、邪魔者を排除しようとした。その手始めが聖騎士団の解体」
「邪魔者排除で、聖騎士団の解体?」
「聖騎士団はブレンネルを支持してたからな。結果、聖騎士団員のほとんどがブレンネルについて、そのまま分離した。もちろん聖騎士以外にも、ブレンネルについた聖職者たちもいる。いるんだが、もともと立場も考え方も違うから、のちにブレンネル正統聖教は聖騎士系統と神父系統が袂を分かつ。その神父系統がギュレネイス神聖教を掲げ、ギュレネイス皇国を作った。聖騎士団と喧嘩別れしたわけだから、あの国には聖騎士団、要するに武力は存在しない」
 ギュレネイス皇国は”固有の武力”を持たないことを、その法典にも明記している。
「ということは、イシリア教国は聖騎士系統。だから、僧服が鎖帷子なのね。それにしても、さぞかし着心地が悪いでしょうね」
 マリアは自分が着用している鎖帷子をつまんだ。
「そういうことだな。その聖騎士系統の奴等は国を出て、新たな土地に国を構えたイシリア教国の誕生だ。現在は弱体化したが、最盛期はエド法国の聖騎士団とも互角に渡り合ってたと聞く。五十年近くも昔の話だけどな」
「エド法国の聖騎士団はどうやって復活したの?」
「それは大急ぎで取り繕った。聖騎士の”ほとんど”はブレンネルに従ったが、残った奴もいた。急いで聖騎士団を復活させる必要があると説いていた枢機卿に従って時を待った。待つってほどでもなかったがね。なにせ敵対国に自分たちが誇ってた武力があるんだ。丸裸になったほうは、大急ぎで服を着る必要がある。ハーニャが幻の法王になった理由は、聖騎士団を復活させる際に、排除しようとした人物が頂点にいると”まずい”と言うことで」
 ハーニャの法王就任は流れたが、分裂した根底は―― 女性法王を認めない ―― それとは相容れないという立場を取った以上、女性の法王にするべきだという意見が通り、ハーニャではない女性法王が立てられた。
「目出度い初女性法王だが、この時男性法王が立っていたら、事態は収束した可能性もあるんだが」
「そのハーニャ枢機卿は?」
「失意に打ちひしがれて、数年後病死……が公式発表だが、どうだか」
 ドロテアは再び煙草を取り出し、指先で火を付けて深く吸い込む。
「イシリア教国の聖騎士は弱くなったけど、エド正教の聖騎士は?」
「大陸最強の座に返り咲いたぜ」
 エド法国の聖騎士団はその後勢力を取り戻し、現在では大陸一と言われる軍隊に成長した。法国の性質から、他国の者を受け入れる素地があるため、他国から騎士の育成を依頼されることも多い。
 もちろん無料ではなく、相当額の金が動く……と言われているが、真偽を確かめた者はいない。
「それじゃあ、イシリアの方は?」
「凋落の一途だ。戒律が厳しすぎて国内から逃げ出すやつが後を絶たないって噂だ」
「イシリアの戒律ってそんなに厳しいの?」
 国教と敵対している異教のことなど、普通に生きていたら知ることはない。
「まず博打は駄目だからカジノはねえな。大陸でカジノがねえのは、あの国だけだ。あとは酒も駄目、煙草も駄目、男の聖職者は女が駄目、女の聖職者は男は駄目……と。逃げ出す奴等の多くは、膠着状態だがいまだ戦争中にギュレネイス皇国に逃げこんでるらしい」
「なんで態々敵対している国に? 隣国だから?」
「隣ならセンド・バシリア共和国もあるんだが、ある責任がな」
「責任?」
 紫煙を吐き出し前髪をかきあげて、ドロテアは空を見上げた。
「ギュレネイス皇国の最高位は司祭。今司祭に就任しているチトー五世は、現センド・バシリア共和国の三男。前に言っただろ? 親の職業にはつけないって。だからチトーは国にいても大統領に慣れない。野心が生半じゃねえチトーは国内で最高位につけないのを良しとせず、国を出て母親の出身国ギュレネイス皇国で聖職者として高みを目指したんだとさ。法力自体は今のエド法王の足元にも遠く及ばないが、政治家としては見事だ。”辣腕”だとか”豪腕”だとか呼ばれている政治家だ。それで責任ってのは、センドバシリアでは徴兵制ってのがあって、誰もが一度は軍属しなけりゃならない。軍隊を持たないと明記しているギュレネイス皇国には、当然存在しない。どうせ逃げるなら、戦争しなくて良い方に逃げるのが人ってもんだ」
 センド・バシリア共和国は元々”国教”はなかったのだが、現大統領の息子が最高位に就いたことにより、大統領は己の権限で共和国の国教をギュレネイス神聖教に定めた。
 貪欲なまでに権力を欲する”この親子”が、この程度で終わるとは考えられず、大事を画策しているのではないかと、専らの評判であった。
「じゃあイシリア教国はギュレネイス神聖教勢力に挟まれているってことになるんだ」
「そうなるな、マリア。残された逃げ道は北部に隣接しているエド法国くらい。そのせいもあって最近エド法国と講和を結んだ」
 北部で隣接しているといっても、その北部は山岳地。
 エド法国に入るためには高山を三つ越えるひつようがある。その上イシリア強国は建国以来”宗教上の理由”により、どの国とも国交を結んでいなかったので、山道は非常に粗末で、旅慣れたものに”道ではない”と言われる始末。
「素直にギュレネイス皇国と仲直りすれば良いのに」
「確かにそうなんだけどな。話は逸れるがイシリア教国がエド法国と講和を結んだのは、チトー五世とセンド・バシリアの脅威に対抗するために、エド法王の威光を使おうという目的もある」
「威光?」
「エド正教は今現在、高位聖職者は性別も年齢も全て隠されている。現エド法王はアレクサンドロス=エドの再来とも讃えられる程の法力の持ち主で、法王名もアレクサンドロス四世。神体の名を授かるためには、国交はなくとも三宗教すべての同意が必要だ。硬いイシリアも文句一つ言えなかった相手だ。ちなみにアレクサンドロス二世と三世は法国が分裂する前に就いた法王だった。分裂後に一人二人”アレクサンドロス”の名を継ごうと、イシリアとギュレネイスに打診したが、両者とも認めなかった。だが四世は認めた。その四世は就任してから二十年ちかくになる」
 ドロテアは指を折りながら数える。
「それと、威光の関係は?」
「威光ってのは目に見えるもんじゃねえ。大陸には目に見えない恐怖もある。魔王だ。”アレクサンドロス四世”認められた背景は魔王だ、魔王に対する”目に見えない恐怖”に怯える人々を救うためにと、二宗教も首を縦にふった。これが威光だ」
「ふーん」
「それで威光からずれるが、何より勇者の建てた国で、もっとも強そうで、実際に大陸一の武力を誇る国だ。誰もが身の安全を求めて逃げ込みたがる。そう、イシリアの民もな。この逃げた自国民を”取り戻す”となると、国交が必要になってくる。国交を結ばなければ”難民”としてエド法国で保護されてしまうが、講和を結べば”国外逃亡者”として取り戻せる」
 国交がなければ亡命者だが、国交があれば堂々と引き渡しを要求できる。というのが大陸の法律として認められている。
「一風かわった取り決めだが、その見返りにエド法国も”イシリア教国内での布教の自由、及びエド正教聖職者の身の安全の確保”を獲得した。悪い話じゃねえ。最近じゃあイシリア教国内にも幾つかエド正教教会が建ったらしい。孤児をを引き取り最低限の生活をさせてやっている教会だが、孤児が増えた現在教会の負担を軽減させるためにも他宗教、会計が違う宗教の教会にも担って貰おうということだ。それ程までに戦争が財政を圧迫しているらしい。人は減る、自らの足で逃げられる程に成長した人間なら、働かせることが可能だ。引き渡された逃亡者の行き先は強制労働所。生活必需品を作らされているらしい。エド正教教会内に保護されているイシリア孤児も似たようなものらしい、自国内でなければ良いってことでな」 
「そういうこと。宗教国家って言っても、結局は……」
「国だからな。後継者争いなんかで、一番血が流れた大地は”聖なる大地”と称しているエド法国の首都なのもまた事実だ」
 燃え尽きた煙草を踏みにじり、ドロテアはもう一本煙草に火を点けた。
「厳しいわね。あら? ヒルダが走ってきたわよ」
 ヒルダの背後には、困ったような顔をして付いて走ってくるエルスト。
「厄介事を持って来たみたいだな」
「勇者っぽくっていいんじゃない?」
 二人は馬車に預けていた体を離し、顔を見合わせた。
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.