ビルトニアの女
美しき花に毒の棘【3】
「小さい遺跡ですね」
 本を開いたヒルダの第一声。
 その声にマリアが本をのぞき込むと、センド・バシリア共和国とホレイル王国の間にある場度は渓谷付近に、古代遺跡の印があった。
 無造作に、素っ気なく描かれているだけ。
「よくこんな小さな遺跡覚えているな」
 エルストが感嘆の声を上げ、長身を生かしてヒルダとマリアの上からのぞき込む。
 マリアはドロテアやヒルダよりは背が高いが、あくまでも女性の美の範囲内の高身長であって、男性のなかでも高い部類にはいるエルストは比べものにならない。
「そうでもねえよ。実際はその本にも載ってないような遺跡もあるんだぜ。川の中とか沼の底とか、個人宅の裏にある鶏小屋程度のやつとかな。俺は王学府は卒業したから”学者”だが、それらの詳細は覚えきれなかった。だから王学府卒学者の最高位ともいえる”古代遺跡管理学者”の称号は諦めた」
「総数くらいは覚えてるんでしょう? ドロテア」
 ヒルダと一緒に本をのぞき込んでいるマリアが尋ねる。ちなみにヒルダは手に持った本を逆さまにして、方位をあわせたり指を差したりして様々な確認を行っていた。
「ああ、総数程度ならな」
 マリアからみると、ドロテアは無駄なまでに記憶力がいいと感じられた。
 過去に自分が遭遇したことならおぼ覚えている。「何年の何月何日に食べた夕食のメニュー」など、覚える必要のないものまで覚えている。
 そのドロテアですら詳細を覚えることができない遺跡の数に興味を持った。
 聞かれたドロテアは顎に手袋をはめた手をあてて、
「大陸全土と船でのみ通行可能な二王国。海上と上空にあるもの全てを合わせると八十三億八千三百二十二個だ」
 さらりと述べた。
「はちじゅうおく?」
 マリアは我が耳を疑った。
 ”億”なる単位に、指を折り数えはじめた。普通の街に住む娘だったマリアには”億”という単位は馴染みがない。
 馴染みがないだどころか、ドロテアと知り合って初めて知った。普通に生きてゆく分には、全く必要ない単位でもある。
「八十三億八千三百二十二個。その全ての規模から座標軸、遺跡推定年代、確定しているなら確定年代。そして内部構造の全て。そりゃもう、何から何まで事細かく正確に覚えているのが条件だ」
 ”座標軸”などマリアには意味の解らない言葉は多い。
「そんな人いるの?」
 ”億”を数えるために指を折り、小指一本だけが残った状態のマリアは、単位の大きさに驚き、内容にも驚く。
 ドロテアは数と名称だけは確実に覚えており、位置は大雑把に把握しているのみ。さすがに推定年代や内部構造になると覚えきれない。
 それらを覚えきれる人間は少なからず存在する。その一人が”正統な古代遺跡の継承者”ことオーヴァート「卿」
「オーヴァートは全部覚えてる。他のやつは苦労して覚えたが、オーヴァートはなあ。ただ迂闊に尋ねると二週間くらい説明し続けるから、聞くのは後がない時だけにしている」
 両耳に人差し指を差し込む仕草をして、ドロテアは”嫌だ”を隠さずに言う。
「ああ、あの人ならそうでしょうね」
 ドロテアとオーヴァートが怒鳴りあいながら、地図を指さしている姿を学者たちと一緒に遠巻きに見守った記憶がマリアにも、エルストにもある。
 当人同士はいたって普通の話し合いのつもりでいるのだが、周囲にはそうは見えないし聞こえない。
 ”わざわざ”男にしては高めの声を作って話すオーヴァートと、女にしては声が低いドロテアの”学術的見解の相違”を語り合う声の大きいこと。
「あの天才紙一重って人ですね」
 姉に似て声の低い、まさに”説法向き”のヒルダが、顎に人差し指をあてて答える。
 この姉妹、声はどちらかと言うと男性的で、体つきは中性的。
 着衣から胸の膨らみが感じられるのだが、それが存在してなお中性を感じさせる。顔は美しいが、男であっても通用する、やはり体と同じく性別が抜けた雰囲気がある。
 着衣や名前から女だと解るものの、複合的にみると”思春期直前の美少年”の面差しが強い。
 ドロテアに言わせれば ―― 二十六歳にもなって美少年の面差しもなにもあったもんじゃねえだろ! ―― の一言で捨てられてしまうが。
 いまだ美少年の雰囲気をも持ち、それでいて美女と認めさせる雰囲気を持ったドロテアが話を続ける。
「オーヴァート以外で俺が知ってるのは、師匠のアンセロウムくらいだな。あとは、二年もしたら獲れそうなのがいるけどよ」
 ”アンセロウム”という名に、ヒルダが口を挟む。
「アンセロウム老って。老衰で亡くなられたんですか? すごく高齢な方だと聞いていたのですが、死因は不明とか言われたので」
 アンセロウム。グレンガリア王国最後の生き残りであり、彼が死んだことでグレンガリア人は滅亡した。
 故国が滅亡したのち、エド法国に身を置いたアンセロウムだったが、先々代法王が焚書坑儒と学者殺害を命じたため、単身で国外に逃れてからは、大陸を放浪して見聞を深めた。
 その後、才能を見込まれてこれもまた先々代皇帝に娘、すなわちオーヴァートの母親リシアスの教育を任され、そのまま皇統付きの教育係となった。
「百三十だか、百五十際だったか? 死因が不明なのは、老衰じゃなかったし変死だったから伝えようがなかったんだよ。実験失敗して死んだんだ。当人は”我が人生悔いなし!”って叫んでしにやがったが、後始末は大変だったんだぜ」
 ドロテアは”心底嫌だ”と表情を浮かべて手を振り、馬車の中からもう一つの本を取り出す。先頃センド・バシリア共和国で買った隔月号の冊子。
 冊子を開き指でなぞりながら、そう言ったドロテアの脇で、
「ははは……」
 エルストが力無く笑った。
 アンセロウムの実験失敗、その後の後始末にはエルストも借り出された。
 実験とは”物質をすり抜ける”という呪文生成過程で失敗し、壁のあちらこちらにその身をめり込ませて死亡したのだ。
 壁に埋め込まれているのともまた違う、奇妙なはまり方をしている人間を取り出すという作業、エルストとしては二度とやりたくはないと感じた。
 そもそも”瞬間移動”の魔法があるのだ
―― 瞬間移動で全部事足りるような……
 エルストは遺体の破片を回収しながら、そうは思ったが何も言わなかった。満足げな表情で死んでいるアンセロウムに言ったところで無意味だからだ。
「天才って、解らないですね」
 ヒルダの率直な意見は、大多数の一般的な意見といってもいいだろう。
 だたヒルダの実姉も”奇人の天才”の部類に入っているのだが、マリアもエルストも聞かなかったことにして、視線を宙に泳がせた。
「アンセロウムの話はあとまわしにして、今は魔法生成物だ。聞いて確かめたが、魔法生成物が訪れるのは、時間も決まってるようだ。それまでに食事を済ませておこうぜ」
 ドロテアの意見に従い、マリアとヒルダは食事の支度をはじめた。
 当初はシスターが”教会でどうぞ”と誘ったのだが、ドロテアが断った。
「教会の食事は味が薄くて、食った気がしねえから断る」
 そこで共同炊事場を借りて、自分たちで好きな料理を作ることに。
「姉さんは何が食べたいですか? エルスト義理兄さんの希望は?」
 移動中はあまり好みも言えないし、言われても作れないことが多いが、村の炊事場で食糧も融通してもらい、水も汲めば幾らでもあるとなれば、料理好きなヒルダや料理上手なマリアは、かなり手の込んだものを作る。
「俺は香草を大量にかけた、味の濃い焼き魚がいい」
 料理はできるが、結構大雑把なドロテアと、
「俺は薄味の野菜スープがいいな」
 やはりこれまた料理はできるが、大雑把でレパートリーが少ないエルスト。二人それぞれ、の好みをいう。
「解りました」
「じゃあ、待っててね二人とも」
「任せた、マリア、ヒルダ」
 ドロテアは地図に視線を落とし”あるもの”を捜しだした。
「ドロテア。魔法生成物って言っても多種多様だろ? ここに来ているのが、どの程度かは見当ついてるみたいだけど」
 エルストの問いに、視線を上げずに笑う。
「ランクで言えば最低だ。当然術者も低レベルだろうよ。魔力も知識も、そして面もな」
 片手で器用に煙草箱から煙草を取り出し、口にくわえてモーション一つなく火をともす。呪文を唱えず、モーションもなく、自らの視界に入れただけで火をともすのは、火力の大小に関わらず非常に高度な技術だ。
 聖火神の力が宿ったからこそできる業だ。
 もともと魔法技術の鍛錬に向上心のあるドロテアならまだしも、エルストまで使えるようになったのは、神の力とは寛大というべきか偉大というべきか、それとも適当というべきか。
 それはまさに、力を与えた聖火神のみが知る。
「つら? 知り合いなのか?」
 ドロテアが蓋を開いたまま差し出してきた煙草箱に指を伸ばし、エルストは一本摘み上げ加える。
 エルストも自分で火は点せるが、ドロテアが加えている煙草を上向きにした煙草に自分の煙草を近づけて火を付ける。
 少々の沈黙のあと、煙草の煙が濃くなり空へと昇って行く。
「知り合いじゃねえよ。だが想像はできる。ま、面拝めば言いたいことは解るぜ」
 手に持っていた本を閉じ、勢いよく煙草の煙を吸い込む。
 市販の煙草ではなく、ドロテアの手で作りあげた、市井の人が吸うには高価すぎる煙草と名付けられた香。
 薬学者の技術を存分に活用した、王侯貴族も買い求めたがる程の品だ。
「俺は未だかつて、ドロテアが顔良いって言った相手なんて聞いたことないけどな」
 紫煙の香りは冷たさを感じさせるが、舌の上では甘さとそれに付随する独特の苦みを持つ。売ることなどなく、この地上で作るドロテアと、その隣で貰うエルストの二人詩か吸うことのない煙草。
「そうか? マリアのことはいつも美人って言ってたつもりだけどな」
 ドロテアをもってして”絶世の美女”と言わしめるマリア。誰も異論を唱えられない美しい親友の名をあげる。
「マリアは別物だろ」
 互いに鼻で笑い、山に沈むかのように傾きかけた夕日に視線をむける。
「ところでさ、この村で貰える報酬なんて高が知れているけど、いいのか?」
「構いはしねえ。最初からあてにもしてねえしな」
「そうか」
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