ビルトニアの女
地の果てを望むのは私ではない【3】
「じゃあ、牢に入れられている姉とマリアさんに食事を持っていって下さいよ」

飢えを我慢できるモノなどいない
飢えを我慢して得られるモノなど何もない

 ヒルダは怯む事無くヘレンに向かってそう言いはなつ。
「オマエ自分の立場を分かっているの! 小娘!」
 治癒させようと牢獄から引き出してきたヒルダは、何故か仲間である男が付いて来た事がまずヘレンの機嫌を損ねた。
 連れてきた部下の説明は"アンタら信用出来ないからな。いきなり人の宿屋にノックもせずに上がりこんで私物を取り上げるようなヤツらの元に、女一人連れて行かせるのは嫌だな"と魔法使い(ドロテアの事)が言って、中々手放さない。痛い所を突かれたのと、焦っているせいもあり部下達はヒルダとエルストを連れて来たのだ。
 当然の事だがエルストは手枷をはめられている。何せ『勇者』なので暴れられたら困るという判断で。
 まさかエルストよりドロテアの方が戦い方が上手いなど、彼らは思いもよらなかったのだろう。あの二人は随分と見た目で苦労もするが、得をする時もある。最も差し引きだと苦労のほうが多いのらしい。
 機嫌を損ねながらも、次々と発病してゆく部下の治療をヘレンはヒルダに命じる。自らの部下でも無いのに頭ごなしに命令するのは彼女の悪い所に違いない。
 その命令に対してヒルダは上記のように返したのだ。セイローンと言う男を怯ませたその眼光をヒルダに放つ。ヒルダの背後に立っているエルストの方が驚いているなんてのは内緒だ。
 だがエルストとて恐くは無い、何せ彼の妻は魔王を瞬殺する女である。そしてヒルダはその女の妹。
「頭ごなしに命令して黙って聞くのはアナタの部下だけです。私は神に仕える女です、アナタの威嚇など、ねえさん……じゃなくて神の信仰の前には無意味です。私を殴って物事が進むとでもお思いですか?」
 ヒルダもヘレンの威嚇など全然恐く無い。ドロテアの何か企んでいる顔の方が数段恐い。実行されるともっと怖いが。
 目の前の小娘が自らの威嚇に怯えなく、怒りが身体を支配してヘレンは小刻みに震えた。震えたまま、
「牢獄の女に食事を持っていきなさい!」
 握りこぶしに爪を食い込ませ、自分の意のままにならない小娘に先程以上の"殺意"の籠った眼差しを向ける。
「これでいいのでしょう!」
「ちゃんと食事を届けてから治癒の魔法を唱えさせていただきます。私にとって貴方達は信頼に値しませんから。」
 いけしゃあしゃあと述べる小娘に周りの部下は冷や冷やしながらも、心の中では喝采を送っていた。
 このヘレン、共和国大統領の愛人の一人なのだ。正確には"だった"と言うべきだが。若い頃はそれなりに美しく、彼女自身上昇志向も強かったので大統領の数ある愛人となり、その後大統領からこの位を貰ったのだ。
 今では大統領と同衾する事などありはしないが、それでもかつての愛人であり、その過去をフルに利用して定期的に大統領と直接会う事のできるこの女は部下に取っては恐ろしく仕方ない。ヒステリーが爆発する寸前の女を見下ろしながら、エルストは考えていた。
『大当たりだな、ドロテア。』
 ドロテアが牢獄の中で言った事は、
 ”ここの司令は女だ。それも昔は美人で、今は容色が衰えたババアだな。何故かって? 部下が全員男なのがおかしいんだよ。この国は徴兵制が敷かれているせいもあるのか、女性の軍人も同等にいるはずだが、一人も見なかった。そして警備が男なのが何よりの証拠だ。男だったら誘惑される恐れがあるから本来なら女の方が適任だ。なあ?”
 思い出し笑いを噛み殺しながらエルストは妻の言葉を反芻している。男なら間違い無く誘惑される女である、ドロテアもマリアもヒルダも。欲目だとか贔屓目だとかではなく。
 年嵩な女司令官の存在を言い当てた妻の鋭さに、特に驚きもせず、ドロテアらしいなと思っただけでもあったが。そしてエルストは手枷を外す準備をした。この程度なら盗賊であれば簡単に外すことができる。

**********

 牢獄の中に残っているドロテアとマリア。
 実際、牢獄の中には水瓶しかないのだった。もとより殺すつもりなので食事を与えるつもりなどありもしない。ただおざなりに水だけは置かれていた。
 だが、魔法使いにとってはそれだけで充分な『媒介』となるらしい。ドロテアが呪文を唱え今まで水瓶にヒルダとヘレンのやり取りを映している。
「作戦は成功したみたいね、ドロテア」
 水瓶を覗き込んでマリアは答える。この視線の高さはエルストだろう、エルストの視線を盗み見て、盗み聞いている訳だ。別に、盗んでいる訳ではないが、言葉の性質上。
「だ、な。じゃあ次に行くか。マリア、腕を水瓶の中に浸せ」
「分かったわ」
 ドロテアに言われマリアは何も映さなくなった水瓶に腕を浸す。
 それと同時にドロテアは何かの呪文を唱えはじめる。黙ってマリアは印を結ぶ指を見ていた、魔法をまるっきり使えないマリアにとってはいつも不思議でたまらない。使って見たいような気もするのだが、如何せん才能が無いのと知識が無いので教えてもらっても、まるで使えないマリアであった。
 ちなみにドロテアは才能自体は大した事はなく、知識だけが傑出していると有名であった。そんな事を考えていると腕に何かが絡み付いて、驚いて水瓶の中を覗きこむが、
「?? 何?」
 特に変わったものは見えない。あるのは透明な水のみ。
「よし! 引き上げてみろ」
 ドロテアの声に焦って腕を引き上げるとそこには透明な"水のロープ"が絡み付いている。
「これって……水でしょう?」
 水が水のままロープになるなどマリアには到底理解できないのだが、
「ああ。水の具現だな、ソイツで今からココに来るヤツの首を締めて殺してくれ。まあ、鞭としても使えるからそこら辺はマリアの裁量に任せる」
 透明な水の鞭を興味深々で見つめていたマリアは顔を上げ、
「まあイイケド。で、アナタはこの武器を使わないの?」
 ドロテアは手ぶらである。そして入り口近くの牢獄の壁をコンコンと叩きマリアに向き直る。
「ムリだな。元々この牢獄の中で使える魔法は殆ど無い。今使った魔法の水の具現も、マリアだから握れるようなものだ。……不思議そうな顔してるな……そうだ、人間には四属性があると言うのは知っているか?」
「いいえ、知らない。」
 基本的にはそれ程有名な話ではない。寧ろ知らない方が圧倒的に多い。ドロテアは腕を組んで考え解るように説明する。
「えっとな……四大聖霊魔法があるだろう? あの火・水・風・地の四種類。あれが人間にも僅かながら影響を及ぼしているんだ。人間はその四大元素が主な構成で、その中でも主軸になる元素がある、それは人によって違うんだ。そしてマリアの主軸は水、だからこういった魔力を制限された空間でも水の加護等が受けやすい。因みに俺は風、エルストは火、ヒルダは地だ」
 説明を聞きながらマリアは頷いた。どうりで先程ヒルダにエルストを付けてやった訳だ。
 この中で水の武器を操れるのは自分しかいないからだ。ドロテアは素手で人を殴り倒す事や、足で頭を潰すのにも何の抵抗も無いのだが、マリアとエルストは武器を用いてでなくては人に切りかかれない。普通は武器があっても切りかかれるものではないが。


 エルストは素手でも殺せるのだが、殺したがらないというのが本当の所なのだが、マリアはその事は知らない。


「成る程ね。ところでそれってどうやって判断するの? 難しい事なのかしら?」
「魔法で判断できる。勇者証などの証明証を魔法使いが手をかざして何か唱えると光るだろう。それと同じだ。まあ見た目や出身地でもある程度は判断できる。マリアの様に真っ黒い髪の毛は大体水属性だ」
 そう言われ、マリアは空いている手で濡れた艶のあると言われる髪の毛を掴む。ストレートで鎖骨のあたりまである髪の毛。だがマリアにとっては特にお気に入りでも何でもない、他者は羨むが。
「へえ……じゃあ火は灰色?」
 エルストの髪の毛の色は灰色でくすんでいる。確かにあの色は……、
「燃えカスみたいな色だろう。その通りだ、まあ他にも銀色とか赤銅色とかも入るんだが」
 燃えカス……亭主にそれはないだろうドロテア。
「でも、アナタ達姉妹は同じじゃない? 髪の色。でも違うんでしょう?」
 ドロテアとヒルダは双子といっても通用するほど似ている。受ける雰囲気が違うのは仕方ないとしても、見た目だけならマリアですらはじめて見たとき驚いたものだ。
「ああ、アレは……ヒルダは足がデカイだろう。背はオレより中指一つ分くらい小さいのに靴はオレより中指の半分くらい大きい」
「……足が大きいね。大地に根ざしているって事かしら」
「よく言えばな。それとヒルダには飛行系の呪文が下手だ。そう言うのもある」
「成る程ね。風属性のアナタ、空ビュンビュン飛んでるものね」
「まあな。そう言った細かい所でも見分けられるんだ、……しっ……」
 壁に耳をつけて通路を窺っていたドロテアがマリアを手招きする。どうやら食事を運んできたらしい。
「二人だ。一人は俺が殴る」
「分かった。で、殺して良い訳ね?」
「ああ……この俺を空腹にした事を後悔させてやる」
 そう言ってドロテアは左手を握ったり開いたりしている。ドロテア=ランシェ、かつては闘技場で拳を振るっていた武道家である。
 その卑怯な戦い振りは素晴らしかった。顔を隠していたからマリアくらいしか正体を知らないが。
 そしてマリアもまた闘技場で剣……じゃなくて槍を振るっていた。それなので人に殴りかかるのは大して抵抗がない。
 人を見た目で判断してはいけない、特にドロテアは。


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