PASTORAL −175
− 余はエバカインには頭を下げる。それ以外の者には決して頭を下げぬ

 謁見の間の玉座についているサフォントに、宮中伯妃が頭を下げる。
「落ち着かせてくれたようだな、宮中伯妃よ」
「私は何も」
「余は其方の息子を余の物とする。それに異存はないな」
「帝国の民は全て陛下のもの。私如きが意見など」
「そのように言うであろう。だが、それは絶対の自信であろう」
「私如きに自信などございません」
「余とてそれ程愚かではない。其方親子の情愛を越えられるなど思ってはおらぬ。エバカインは其方を捨てる事はない、其方も決して捨てる事はない。そうであろう」
「いいえ、私は捨てておりますよ。陛下の御傍に仕える事となった大公、それよりも以前に大公は第三皇子であって私の子ではありません」
 全ての者を遠ざけた玉座の間で、淡々とし過ぎる会話が続く。
「面を上げよ、宮中伯妃」
 サフォントの声にゆっくりと宮中伯妃が面を上げる。
 彼女の視線の先にあるのは皇帝。皇帝の視線の先にあるのは宮中伯妃。
「何でございましょうか? 陛下」
 サフォントは生まれながらに皇帝であり、皇帝以外の人生を歩む選択肢はなかった。
対する宮中伯妃は、宮中伯妃などにはならず下級貴族として幸せな人生を送るなどの、多数の選択肢があった。むしろ、彼女の思い描く人生には “宮中伯妃” などという選択肢はなかった。
 真直ぐに皇帝という人生を生きる男と、皇帝により人生を歪められた女。そこに共通するものは皇帝であり、それは全く通じる事のない皇帝でもある。
「其方がエバカインを育てた事、感謝しておる。そしてまた、クロトロリアとケネスセイラに暴行された事、後継者として謝罪したいと考える事もある」
「私は陛下に謝罪される謂れはございません。まして、エバカインを……自分の子を育てた事、陛下に感謝される筋合いはありません」
 決して相容れぬ一線。


− 謝罪の言葉はなくとも頭だけでも下げればいいのかも知れぬ

『ムームー、そんな事言わなくていいんだよ。皇帝陛下や皇帝陛下になる人は頭を下げたりしないんだって。代わりに僕がいっぱい下げるから! ね、ムームー。謝らなきゃならない時は僕を呼んでね』

カウタマロリオオレトにクロトロリアの暴行と、ケネスセイラの無視を謝罪さるわけにもいくまい
あれは、言われたとおりに頭を下げて余の代わりに、父であったケネスセイラの代わりに、謝罪するであろう
血が内腿を伝い、そこかしこにクロトロリアの精を浴び、涙を浮かべながら耐えた男

『ムームーぼくのせいで陛下がおこられたのぉ。ぼくがんばったよーいっぱい、いっぱい……いわないってやくそくだってまも、たのに……ぼくがわるいことしたの』

だが、そのような事を抜きにして、王として家臣として扱うべきなのかも知れぬが
恨まれようが、軽蔑されようが、皇帝としての品位を落とそうが決して余は頭を下げぬ
謝罪は宮中伯妃に通じずとも良い
カウタは余が頭を下げない事を望み、そして余はあれに謝罪させる気はない

− 何よりも余は[宮中伯妃に許されるつもりはない]


「安心せよ、余は決して人に頭を下げぬ。故に考えはしても決して謝罪せぬ」
 皇帝は皇帝として君臨する道を選ぶ。
 謝罪すれば楽な事、サフォントも良く知っている。良く知っている以上、皇帝であるサフォントは彼女に謝罪するわけにはいかなかった。
 彼女は既に許している、ならば謝罪して救われるのは誰か? 謝罪する自分自身。
 それは皇帝として許されないこと。カウタマロリオオレトも共に謝罪して許されればそれも良いが、彼に謝罪させるつもりはなかった。何よりも彼女が認めない事をサフォントは良く知っている。
「その堂々とした態度、謝罪なされたも同じです」
 ただその態度、上辺だけの謝罪をしらぬ者の言葉ではないゆえに、感情だけは届く。
 声にも表情にも態度にも表れない “謝罪” それを感じて受け取る事ができた彼女。既に許している彼女には、それを感じ取る事ができた。
「ところで宮中伯妃、リスカートーフォン公爵と結婚するとは本当の事か」
「公爵殿下がそのようにお望みでしたら、私には抵抗する術はございません」
「ケネスセイラに似ておるが、我慢できるか」
「私はその人の事、知りません」
 絶対の無視。
 彼女の根幹。その男の存在を否定することによって、彼女は今ここにいるのだ。
 助けを求めたが助けてもらえなかったのではない。誰もいなかったから仕方なかった。彼女の世界が嘘偽りであってもそれをサフォントには壊す権利はない。
 よって、カウタマロリオオレトに謝罪させるわけにはいかない。
 彼が同一人物に犯され壊れたから謝罪させない事もあるが、何よりも彼は見捨てた男の代わりに謝罪する権利がない。彼の父親はその場にいた事を否定されているのだから。
「宮中伯妃よ、拒否したくば拒否せよ。余が許可を出さねばリスカートーフォン公爵は其方を王妃に迎える事はできぬ」
 宮中伯妃の持つ世界から拒否された[ケネスセイラ]という男、それを蘇らせるかのような容姿を持つ男[ゼンガルセン]
「陛下は既にご存知かもしれませんが、公爵殿下は言われました。“我はサフォントを討つ。お前が妃となっていれば、サフォント側についている皇君の命、助けてやろう” ……一応は言い返しました “あの役に立たない息子は、陛下と共に死ぬくらいしか能がない”。陛下、もしも陛下が公爵殿下に敗北するとしたら、息子は……」
「投降の代表者にさせる、最も相応しかろう。ゼンガルセンがそう言っておるのであらば尚の事」
 それは、皇帝やデバラン侯爵に唯々諾々と従う、己の意思のない男とは正反対の男。
「討たれない、とは言われないのですね」
「絶対に討たれぬ自信はない。この地位、それ程までに安泰ではあらず。あの男、それ程までに無能ではない。この地位、絶対ではあるが絶対ではない」
「残酷な方ですね……それを聞いたら、断りきれません」
「宮中伯妃。あの男が後ろ盾になるというのならば、エバカインは最大の外戚を持つ事となる。そして、余からエバカインを取り返すたった一つの手段だ。ゼンガルセンを焚き付け余の命を狙わせる事も可能。それによってエバカインは其方の手に戻ろうぞ」
「……返しては下さらないのですね」
「無論。エバカインが欲しくば殺せ、其方が自らの手で殺せぬのならば、余を殺そうとしている男の下へ行け」
「私が公爵殿下の結婚を受けるという事は、陛下にそのように取られるということですか」
「そうだ。余の最大の敵の妻となるとはそういう事だ。違うか」
 黒髪の下級貴族であった女は、同色の瞳で真直ぐ皇帝を見据え、己が発する事ができる最大量の声で叫んだ。


「その通りです。レーザンファルティアーヌ・ダトゥリタオン・ナイトセイア!」
「よく言った! アレステレーゼ」


 右に蒼、左に緑の瞳を持つ皇帝は、玉座の間が震えるほどの声で返す。
「心は決まっておりますが、まだ返事は延ばしたいと考えておりますので」
「好きにするが良い」
 宮中伯妃はそう言って、再び面を下げる。
 その場に、駆け込んできた伝令が声を上げた。

「陛下! 大変です! 皇君とリスカートーフォン公爵が! 殴り合いを始めました」

「……っ!」
「落ち着け、宮中伯妃。直ぐに参る。それまで両者の好きにさせておけ」
 サフォントは立ち上がり、ゆっくりと伝令の方へと向かう。
「ですが陛下! 皇君の力ではリスカートーフォン公爵に殺されるのは明らか」
「あの男は殺しはせぬ。余のエバカインに利用価値がある以上、決して殺しはせぬ。それではな、宮中伯妃。安心せよ、決してあの男は殺しはせぬ。其方は帰宅せよ。明日から宮殿に入り、皇君の母として式典に参加せねばならぬのだからな」
 そう言って、サフォントは両者の下へと向かった。
 一人取り残された宮中伯妃の下に、案内をしたカシエスタ伯爵が近寄ってきて、門まで送ると言ってきたがそれを断り一人で門へと向かった。

*************

 もう、助けてって言わない
 だから “助けて”
 あの子が三歳の頃、
「動かないの、髪拭いてるんだから」
「ママ。誰か来たよ」
 誰も来た事がない家に、誰かが来た。
「え?」
「誰か来たよ」
「エバは此処に居なさい」
「僕も行く」
「此処に居なさいったら居なさい! 良いわね」
「んー」
 シャツを着せて、ズボンをはかせ、私は浴室を出て玄関にむかった。
 鍵は掛けていたはずなのに、そこには数人の男がいた。鍵なんかこの人達には無意味なんだと……その中心にいたのは、
「久しぶり、アレステレーゼ」
「ク……クロト……ロ、ロリア……」
 皇帝。
 浴室で待っているあの子の “父親”
 認めたくはないけれど、父親。
「四年近くもやってないと、欲求不満になるだろう。ほら、遠慮するな」
 特に強い男じゃないけれど、私は腕を解けない。
「いや……いやっ!」
「ベッド何処だ?」
 いやだ、いやだ……なんでこの人ここに来て! やめてやめて……でもあの時と同じ。後ろにいる黒髪の男は表情一つ変えない。ほかの人たちも……
「やだっ! やだぁ! 離して! 離してぇ! 誰か、助けて!」
 でも叫ばずにはいられなかったのよ。


「ママをいじめるな!」


 戸が開く音、そしてクロトロリアにぶつかって、よろめいたクロトロリアは私から手を離す。
 あの子にそんな力があるなんて知らなかった。ちょっと力の強い子だな……とは思ってたけれど。
「陛下!」
 黒髪の男が動く。あの子の頭を掴んで、床に投げつけた。
 いやな音が……した。
「エバカイン……エバカイン?」
 首が “変な方向” に折れてるって初めて知った。
 頭がぱっくりと割れて、何かがのぞいてる……あれ、何? 頭の中身? ……嘘、でしょ?
 ヒクヒクと痙攣してるエバカインの名前を私が呼んだって無意味
 どうしよう……
「殺したのか? ケネスセイラ」
「はい」
 ……病院! 一番いい病院に連れて行けば治してもらえるかも! 一番いい病院は! そこに行って治療を受けさせる為には!

 銀河帝国皇帝 クロトロリア

「私と陛下の子を殺すなんてひどい」
「アレステレーゼ?」
「陛下! 陛下が悪いのですよ。あの子に、あの子は父親に会うのを楽しみにしていたのに」
 自分が、こんなにも嘘をつけるなんて初めて知った。
「そ、そうなのか? でも飛び掛ってきたぞ」
 流れるように言葉が紡げる。嘘を嘘で塗り固められる。
「私、陛下があの子の父親だとは教えてませんもの。教えていいって許可をくださらなければ! 今日もらえると思ったのに! ああ! 初めて父親に会ったのに! 殺されてしまうなんて! 陛下! お願い助けて! 陛下と私の子を助けて! そして親子だと教えてあげて! 陛下が悪いんです! 私だって、陛下が御出でになるなら綺麗に身支度整えていたのに……だから拒否したんです。確りと用意をして綺麗な姿でお会いしたかったのに!」
 良くこんなに言葉が出てくるわ。
 笑いたい、笑いたい。こんなにも嘘をつくのが上手だなんて、自分に驚くわ。
 早く助けてよ、助けてよ! どうでもいいから、助けてよ。
「解った解った。泣くな、アレステレーゼ。おい、ケネスセイラ、息子を生き返らせろ」
 貴方なんか大嫌い、死んでしまえばいいんだわ筆頭上級元帥ケネスセイラ!
「御意」
「嬉しい! 陛下!」
 早く助けろって言ってるのよ! この馬鹿皇帝! 助けてよ[私のエバカイン]を早く助けてよ!
「そうか、嬉しかったのか。リーネッシュボウワの産んだ皇子達は、こんな事ないから驚いた」
 移動中、震える私の肩に身内のように、恋人のように手を回して抱きしめていたクロトロリア。この男にこんな事をされるのは嫌だけれど、我慢できる。
 我慢しなくちゃ! ではなくて、我慢できる。
 見たこともない施設に連れて行かれて、体にチューブをたくさん付けられて筒みたいなのに入れられた。
「直ぐに治ります」
「良かった……」
「治るまで時間かかるよな。後は任せたぞ、ケネスセイラ」
「はい」

 私はクロトロリアに手を引かれ、そして寝た。

 体の上にある男の肌と息を遠くに聞きながら、もう一人この人の子が出来てしまうかもしれないんだ……そんな事を考えながら。自分のつま先だけが妙に冷たかったのを覚えている。

− ママをいじめるな!

 それだけで、十分。
 この男の舌も肌も体液も、貴方が助かるなら意味がある。
「良かったか、アレステレーゼ」
「ええ、陛下。とても嬉しかったです」


 エバカインが私を助けようとしてくれたことが


 さあ、傷が治ったら帰りましょう
 ママと一緒に帰って、一緒にお風呂に入って、一緒に寝ましょう。ずっと、ずっと一緒にいましょうね、エバカイン

「ケネスセイラ閣下」
「どうした?」
「この私生児、帝国騎士の能力を有しています」
「……解った。それについては、陛下に申し上げるな」
「はい」

「……ロガ皇后に良く似た少年よ……その才能を恨むのだな」


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