PASTORAL −176
 家に戻って直ぐに、ケネスセイラが訪れた。
「エバカイン・クーデルハイネは帝国騎士の才があるので、帝国側が引き取る事となった」
 この男は何を言っているの?
「引き渡してもらいたい」
「……突然……何を……」
 何で、あの子をこの男に渡さなければならないの……よ。
「貴方はわからないだろうが、帝国騎士の才は帝国で管理するものなのだ。個人に帝国騎士を有する権利はない」
「帝国騎士って、何……」
「帝国騎士とは、対異星人戦においての切り札、機動装甲を操縦できる才能を持つ者の事。これは選ばれた者しかもたない能力であり、その希少さからその才がある者は帝国に全て集められる。全ての子が集められている、それが知られていないのは数が絶対的に少ないからだ」

当時の私はそれが何なのか解らなくて、結局言いくるめられてしまった

 ずっと一緒にいようと思った矢先にこんな事に。
「ママーママー」
 前と全く変わらないエバカイン。こんな事になるなら、怪我を治してもらわなければ良かった。嬉しそうに足元を走り回るあの子が可愛くて、だから遠ざけようと思って物を投げつけた。
 突然の私の行動に怯えていたけれども、それでのあの子は私から離れようとしなかった。
 その後『エバカイン・クーデルハイネと別れるのが辛ければ、ホテルにいるといい』そんな連絡が入った。電子チケットも届いたから……私は、連れて行かれるのを見るのが嫌だから……エバカイン残して散らかしたまま、家を後にした。
 もう二度と会えないなんて……そう思いながら。

 ホテルの一室で、早く明日になればいいのにと、ただそれだけを願っていた。
 時間が流れるのが遅くて、苦しくてしかたなかった。
「通話?」
 部屋に備え付けられている通信機の “通話” のランプが光る。何かあったのかしら? もしかしたらエバカインは連れて行かれなくなったの?
 私は大急ぎで通話ボタンを押した。
『話を聞いてください。貴方は騙されています』
 凛とした声が、鼓膜を打つ。
「騙された?」
『帝国騎士は帝国騎士とはされますが、親元から引き離される事はありません。あの男は、貴方の息子を個人的な兵士として使うつもりです』
「帝国騎士って……」
『貴方が先達て連れて行かれたのは帝国騎士統括本部。ケネスセイラは筆頭上級元帥の外に帝国最強騎士でもあり、帝国騎士を統括する立場にあります。ですがそれ以上に後宮の支配者の忠実な駒でもあります。彼は、貴方の息子をデバランという女の駒にするつもりです。その女の駒にされたら最後、貴方の息子はボロボロになるまで使われ、捨てられます』

 何? どういう事?

「だ、誰を信じればいいの……貴方を信じていいの?」
 解らない、解らない。
 何が私の周りで起こっているの?
『信じていただけないのも解ります。……もしも少しでも気になるのでしたら、帝国騎士統括本部へと向かってください』
「私がそこへ行って、何が? 一体何が起こっているのよ!」
『確りしてください! 貴方に酷なことを言っているのは解りますし、全く解らないのも当然でしょう。ですが事は一刻を争います。私は殿下に、皇太子殿下に貴方が家から出たと告げました。それで皇太子殿下が貴方の息子の下へと向かうことになりました。殿下が到着なされましたら安全ですが、殿下が到着する前にケネスセイラの手に貴方の息子が落ちればそれで終わりです。だから貴方が帝国騎士統括本部へと出向き、時間を稼いでください。もしかしたら殺されるかもしれませんが』
「殺される……誰が?」
『貴方がです。ケネスセイラは貴方の息子を駒にするために、貴方を殺害してでも持ち帰ります。あの男の手に息子を渡していいのですか!』
「でも私が殺されたら息子は!」
『殿下が引き取られると決意されています。貴方が戻ってこなければ殿下が引き取られると……お願いです、貴方がこれから向かってあの男を引き止めてください。私も協力します! 貴方が殺されないように!』
「貴方を信じていいの! 信じればいいの? 皇太子殿下を信じろと? 誰を! 誰を信じれば! そうだ! 今から私が家に戻るわ」
『戻っても無駄です。彼等は貴方を殺して息子を持ち帰ります。彼等を押しとどめられるのは殿下だけ、貴方はケネスセイラに会ってください! それが後々重要な事になるのです!』
「……どういう事」
『私が、私を信じてください! 必ずや貴方達親子を救います! 今は名乗る事もできない人間ではありますが、貴族です。自ら言うのも滑稽ですが、名門貴族の当主です。我が爵位において、貴方達親子を必ずや救ってみせます! お願いです! ケネスセイラに唾吐きかけて、止めてください!』
「……帝国騎士統括本部へ行けばいいのね」

 表に出て、急いで車を拾って帝国騎士統括本部へ向かった。別に隠された場所じゃないから、簡単に到着できた。

「……確かにここ……」
 昨日来られた場所。
「何か用か?」
 高圧的な兵士に声を掛けられた。でもここで引き下がったら終わり。
「通しなさい」
「一般人は」
「門兵如きが口を利くな! ケネスセイラに繋ぎなさい! エミリファルネが来たと、早く伝えなさい! 早く!」

 あの通信を信じたのは何故だったのか? それを知るのは十二年も後の事

「何故ここに来た?」
「騙したのですね。帝国騎士として息子を連れてゆくのではなく、デバランの部下とするために誘拐してゆくのだそうで」
 ケネスセイラの顔が歪んだ。
「誰から聞いた」
「貴方には関係ないでしょう。嘘吐きが! 嘘吐きどころが、帝国に仇なす逆賊が! 帝国騎士は対異星人戦の切り札。それを一個人のものにするなど!」
「下級貴族に何がわかる!」
 大声で怒鳴られた。このいつも黙っていた男がこれほどの声を上げるなんて、思ってもみなかった。
 でもね……たぶん、エバカインがこの男に殺される前だったら私は怯んだ。でも、今は怯まない。
「解りませんね。でも、結局貴方の保身なのでしょう。見れば解ります、貴方のその権力におもねるだけの生き方、下らないにも程がある! 嘘を吐き、人を騙し、権力に阿る王族など、宇宙の屑よ、塵よ!」
 殺すのなら、殺しなさいよ。
「言わせておけば!」
 エバカインが傍にいない人生なんて……
「嘘をついたのは貴方。違いまして!」


【閣下! 殿下が! 皇太子殿下が屋敷に!】


 通信機から、困惑した声が聞こえてきた。
「何だと! 本当に皇太子殿下なのか!」
 突然声が揺らめいた。この男は多分、予想外の出来事に柔軟に対応できないのだ。その慌てぶりを見ながら、ホテルに連絡を入れてくれた人が本当のことを言っていたのを感じた。
【間違いありません。皇太子殿下の側近、カシエスタ伯爵が此方に通達してきました。殿下は個人的にこの屋敷を見張られていたそうです……どうしますか?】
 それが本当の事なのかどうなのか? 私には解らないけれども、この男と皇太子殿下は関係ないことだけは解った。
「何だと……で、では、先日我々が……」
【それは知らないと。伯爵がそれはもみ消したが、今日の事は殿下に気づかれてしまって、どうにもできなかったと】
「殿下が……殿下が……早くお帰りになられなければ、明日は結婚儀礼式であらせられるというのに……」
 ケネスセイラは先ほどまでの勢いが嘘のように、弱弱しくなった。
 ママ! ママ! と叫ぶ泣き声が聞こえる度に、私は絶対生きて帰らなきゃと、黒髪の男を軽蔑した目で眺めながら心に決めた。こんな男にしてやられた自分が、愚かで愚かで……

今度から、ママが絶対に守ってあげるから

「閣下!」
「今度は何だ!」
 部屋に転がるように入ってきた兵士……いいえ、将校らしい人が青褪める。
「大公が! ナダ大公殿下が!」
 ナダ大公……ってリーネッシュボウワ皇后の事じゃあ……
「退きなさい! 下郎が!」
 美しい金髪と、こめかみの青筋。怒りに震える肩と、美しい顔。
「ケネスセイラ! 何をしている!」
 硬いヒールの音を響かせて、あの男の傍に近寄ると頬を張った。皇后のはめている指輪で頬が切れたあの男は、ますます混乱の度合いを深めて、震えるような声で尋ねる。
「皇后よ、何故ここに?」
「煩い! 黙れ! お前の言葉など必要ない! 貴様! 貴様! よくもっ!」

【落ち着け、エバカイン。私が付いているからな】

 殿下の声に、皇后の顔が一瞬緩んだ。
「ああ、ご立派な皇太子殿下。そうですわ、そうですとも……貴方がいらっしゃれば、帝国は安泰ですわ」
「皇后、これは……」
「傍によるな! ケネスセイラ! 貴様よくも陛下の御子を叔母君の私兵にしようと! 他の皇王族の子ならいざ知らず! 私の陛下の御子を他の皇王族の私生児と同じに扱うとは!」
 皇后はかぶっていた王冠を髪の毛もろとも引きはがして、それであの男の顔を滅多打ちにする。
「やめっ! 皇后!」
「貴様! 貴様! 陛下の御子を! 陛下の御子を! 貴様!」
 王冠がひしゃげて、あの男の顔は傷だらけ。
 周囲に飛び散る血、そして周りの将校は誰も止めない……これ、私の姿だ……でも同情しない。
「貴方の子ではないでしょう、皇后。陛下があの女に産ませた」
 違う、私の姿だから同情しない。同情などいらない!
「黙れぇぇ! 誰が産もうが陛下の御子は陛下の御子! 私の愛する陛下の御子よ!」
 振り下ろした王冠に、あの男の耳朶が削ぎ落とされた。
 痛そうな顔をして血が溢れ出す耳元を押さえているあの男が憎たらしくて仕方ない。
「何傷ついたような、痛くてしかたなさそうな顔してるのよ! 人の息子の頭かち割ったくせして!」
 落ちているあの男の耳朶を拾って、その顔に投げつけた。
「息子はもっと痛かったのよ! 何よ、耳が削ぎ落とされたくらい!」

【ママ! ママ! ママ!】

 情けない泣きそうな顔をしているあの男を前に、皇后と目が合う。
「どういう事だ? ケネスセイラが陛下の御子に何をした」
「喋るなぁ!」
 悲痛な叫びだったわ。
 でもね、貴方の悲痛なんて私にとって何の意味もないの。
「昨日来て、首の骨を折って頭をかち割りました」
 次の瞬間、皇后の顔がまるで違う人のようになり、周囲の将校が “可哀想に” といった雰囲気で視線をそらした。
 何が可哀想なのよ? 昨日この男に首の骨を折られたエバカインの方が余程可哀想よ。
「ケネスセイラァ!」
 皇后は顔を掴み、
「貴様という男は! 私の陛下の御子に手を上げただと? 貴様! お情けで王婿にしてもらっている分際で!」
 耳に指を突っ込まれて振り回されている姿見ても、何も感じなかった。
「侍女!」
 突如、皇后に声を掛けられた。
 皇后は指輪を外し手袋を脱ぎ、私の頬を殴る。
「こんな所でぼさっとするな! 早く家に戻れ! お前の顔など見たくもない!」
 殴られた頬は、ほとんど痛くなかった。
 私の頬を打つために皇后は指輪を外してくれたのだろうか? でもそれを尋ねることはできない。彼女がそんな言葉に答えてくれる訳がない。

【マァマ……ママァ……】

 泣きつかれた息子の微かな声が愛しくて、こんな男に聞かせたくないと、そこにあった通信機……後で知ったけれど70kg以上もあるものを、抱え上げてあの男の足に投げつける。
「帰らせていただきます」
 男の叫び声なんて聞こえない。
 ただ、皇后の「貴様!」という声と、殴る音だけ。

 皇后に殴られた頬を抑えながら、悲しくなった。あの人は本当にクロトロリアを愛しているのだ。それを知れば知るほど、悲しかった。何故こんなにも愛してるというのに、クロトロリアは……
 息子にだけは、エバカインにだけは教えた「皇后陛下は本当に皇帝陛下のことを愛していたのよ」と……


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