私の名を呼ぶまで【81】

戻る | 進む | 目次

[81]光,祝福された,あなたは美しいが冷淡で,誠実,テオドラ

 室内には「呪いを成就させ」帰ってきた蛆とクリスチャン、そしてテオドラの三つの存在がいた。その一つである蛆は体を捻りながら、
「どうしたんですか? え? 名前が欲しいですって?」
 いつまでもその他の蛆と同じように呼ばれるのは不本意だと、名をテオドラに求めた。
「蛆の王になるんですか? そりゃあ、構いませんが。それで名前ですか。では誰かから拝借するとしますか。私が考えた名前? 私の祖母はノベラですよ。期待する以前に警戒してくださいよ。分かってもらえて嬉しいです。そうですね……ヨアキム……っ! ……顎、痛かったですよ」
 蛆はテオドラの顎を下から全身で殴る。
 椅子から落とされたテオドラは、背もたれを掴みながら立ち上がった。
「王になるといったから、皇帝になる人の名前を拝借しようと。読みかたを少し変えてヨアヒムでどう……っ! ラージュ皇族は駄目? 解りましたよ」
 ”ヨアヒム”と言った時点で、蛆が部屋を縦に横に斜めにと跳躍し、全身でそして無言で断固拒否する。テオドラは少し考えて、響きが良さそうで強かった男の名を上げた。
「じゃあヴォルフラムでどうですか? 名前の由来? 私の祖先の一人ですよ。グリューネヴェラー・ヴォルフラム、太古に存在した国家の王族です。はい? グリューネヴェラーが名前じゃないのかって? 違います。その時代は名が後ろでした」
『グリューネヴェラーはノベラが持つ剣の一つだな』
 クリスチャンと会話することがなかった剣、グリューネヴェラー。
「そうですね。本人は強かったのかって? 強かったらしいですよ。ちなみにグリューネヴェラー・ヴォルフラムはノベラの父です。見た目はノベラと違って美丈夫、顔は美形です。若干どころではなく危険な雰囲気が漂う男でもあります。ヴォルフラムを名乗るのであれば、彼の容姿もプレゼントしますよ。金髪碧眼の長身、長髪です。……いいえ、ヨアキム皇子のような雰囲気ではありません。なんて言いますか、抜け目のない顔。ヨアキム皇子、顔”は”間抜けじゃないって? そういう意味ではなく……まあ、方向性が違う美形ってことです」
『テオドラ、そいつのこと、見たことあるのか?』
「時代的にはまったく接点はありませんが”知っています”」

―― あなたが深遠なる知識を持っているように、私は世界の全てを知っています ――

『なるほど』
 ホムンクルスは生まれながらにあらゆる知識を持っている――人はその知識がどこにあったものなのか? 考えることはなく。ホムンクルス自身、その根源を求めない。
 テオドラは生まれながらに全てを知っている――その全てがどこから得られたものなのか? テオドラ本人だけが知っている。

―― 全てを知っているのがテオドラだけだから、テオドラは全てを知っていなくてはならない ――

「余談ですがノベラは本名をノヴェッラというのです。ですが本人に言わせると”ヴェが付いている名前は、何か格好つけすぎで嫌”だとかで、ノベラと名乗っていま……闇の黒き堕天使とかいうのはいいのかって? 好きにさせてあげるべきでしょう。あの二つ名に比べればノヴェッラなど問題ないに等しいと思いますがね」
 蛆はその後話を聞き、グリューネヴェラー・ヴォルフラムではなく、彼の甥で国王の座についたフェルザー・ジークベルトの名と容姿をもらい、上機嫌で出かけていった。

 テオドラはトウマの本を開き、まだ残っている文章を書き出す作業を開始する。ペンが紙を滑る音をしばし聞いていたクリスチャンは、
『テオドラ』
「なんですか? クリスチャン」
『グリューネヴェラー・ヴォルフラムとは、どういう存在だったんだ?』
 容姿を知りそびれた相手について尋ねた。
「私は彼に会ったこともなければ、誰からも話を聞いたこともありませんが”それでも”知っていることだけでよかったら」
『ああ』
「剣の達人でした。剣一本で世界を滅ぼした人だったそうです、人だけではなく全ての生物を根絶やしにしたそうです。人……と言われていますが、本当にそうであったのかどうか、私にも分かりかねます」
『まさにノベラの父だな』
「そうですね……パルヴィについて聞きたいのですか?」
 グリューネヴェラーという剣はパルヴィというものを探していると、クリスチャンは他の剣たちから聞き、ノベラからもそう言われた。
 だがノベラは探す気などなく、グリューネヴェラーもパルヴィがなんなのか? もう覚えていないのだという。
『知っているか?』
「パルヴィについては死んだことしか知りません。グリューネヴェラー・ヴォルフラムは彼女だけは殺せなかった……いつか会えると信じているそうです」
『グリューネヴェラーだけが?』
「いいえ、彼女も。いつか会えることでしょう。もしかしたら、もう出会っているのかもしれません」
『あのグリューネヴェラーとグリューネヴェラー・ヴォルフラムは同じなのか?』
「違います。一本の剣であるグリューネヴェラーと、かつて魔人であった男グリューネヴェラー・ヴォルフラムは再会します。ここより遠い遠い未来で」
 テオドラは答えだけを述べる。説明はしない。
『その時、私は存在しているか?』
 求めれば説明もしてくれるが、まだ起こってもいない出来事の遠い未来を聞いても物語でしかなく、
「存在していません」
 まして自分がいないのなら尚更のこと。
 ”テオドラは生きているのか?”
『そうか。書き写しの邪魔をして悪かった』
 尋ねようかと思ったが、あまりに愚問だと気づき、問うことはしなかった。

**********

 無言でペンを滑らせ続けているテオドラのところに、ブレンダが食事を届けにやってきた。
「テオドラさん」
「ブレンダさん、お久しぶりですね」
 ブレンダは再婚したことをまだ知らない妃と、エドゥアルドの後宮に移動したリザの婚礼衣装作製に追われ、こんなことをしている暇などないはずなのだが――
「一段落ついたので」
「それは良かったですね」
 自分が未来の皇后になるなど思ってもいない妃と、男なのに男と結婚した男の婚礼衣装作製が一段落ついたのが、いいことなのかどうなのか?
「テオドラさん、あの生地、本当に貰っていいんですか?」
 一段落ついたとはいえ、まだまだしなくてはならないことは山ほどある。
 時間の余裕などはないのだが、ブレンダはテオドラ本人に会って、お礼を言おうと時間を作り、機会を設けてもらったのだ。
「もちろんですとも」
「ありがとうございます」
 テオドラと初めて会った時、ブレンダは着ている服の生地がいままで見たことがないものだったので近付き凝視し、そのまま勢い余って脱がせてしまった。それもヨアキムやベニートの前で。服を脱がせ下着も初めて見る布で――
 二人は焦りに焦って謝罪したが、剥かれたテオドラは気にもせず羞恥などはない。ただ”皇族のみなさんに、つまらないものを見せてしまったなあ”と思う程度。
 ”お気になさらずに”と言った後、袋に手を突っ込み物置代わりにもしている哲学者の石に手を突っ込み、新しい服と、ブレンダにプレゼントするために服に使われている布を取り出した。
 受け取ったブレンダは大喜びし、テオドラが着ていた服ごと持って去っていった。

―― 気にしないでください。よくあることです ――

 あとでクリスチャンに”本当によくあるのか?”と聞かれたテオドラは”今回が初めてです”と答えた。

 ブレンダからのお礼にと渡されたショールを受け取り羽織って、くるりと回る。
 動いた視線が捉えたのは異国人。
「……おや? あの廊下を歩いているのはロブドダンの人ですよね? なにかあったんですか?」
「ロブドダンに戻った”メアリー姫”が居なくなったので、もしかしたらラージュ皇国に来ているのではないかと、人が派遣されたと聞きました」

 ヨアキムはメアリーを殺害した。後宮内での騒ぎを起こしたことが直接の原因である。だが対外的にはメアリーは生きていることになっていた。
 メアリーの代役はクローディア王女。
 故国では死亡したことになっているクローディアをメアリーとして帰国させ、家臣と結婚させたのだ。
 クローディアを帰国させてくれたことに、ロブドダン王は感謝した。ヨアキムとしてはクローディアにしかロブドダン王国を維持する死霊が残っていないので、国を維持させるために返してやった……つもりであったのだが、腹を立てたヨアキムの怒りと呪いをサイアスが受け、そしてテオドラへと流れ着き ―― ロブドダン王国は滅亡へと走り出した。

「そうですか。ブレンダさん、このショール、本当にありがとうございます」

 王女と従姉妹が駆け落ちしたロブドダン王国は、ヨアキムが皇帝に就くと同時にラージュ皇国に併合されることとなった。

**********

 テオドラは「ロブドダン王国でクローディア王女を食って」戻ってきたジークベルトを鞄に押し込み、
『結婚式の時にまた来るのなら、滞在していればいいのに』
 城から出るとクリスチャンに告げた。
「それでもいいのですけれども。折角時間があるので、このジークベルトを”王になれる世界”へと連れていってきます」
 呪いのかけ直しはいつでもできるのだが、リュディガーに挙式を最後まで見させてやろうと、城を後にすることにした。
「挙式中はあなたに会いに来ませんけれども。それではクリスチャン。時期が来たら会いに来ますから」
『待ってる』
「それでは。318年後にあなたと皇帝カイルに会いにきますので。その頃のあなたはカイルにクリスと呼ばれていますよ」

 ヨアキムと皇帝マティアスにだけ挨拶をし、テオドラはラージュ皇国から出て行った。

「ジークベルト。約束通りあなたに世界を一つ差し上げますけれども、誰も存在しないエンブリオンの骸(むくろ)、それとも人々がいるベカリエスの尸(かばね)のどちらがよろしいですか? ……了解しました。え? 自分で他の骸や尸を奪ってもいいかと? もちろん構いませんよ、好きにしてください。それでは、案内しますよ。ジークベルト、あなたの世界へ」

**********

『ところでテオドラ。どうしてヘルミーナ・クニヒティラを生き返らせなかったんだ? 』
「突然どうしました?」
『気になって』
「そうですか。生き返らせようとおもわなかったから、生き返らせなかった。それだけです」
『テオドラらしいな』
「そうですか。それとクリスチャン。私はもちろんヘルミーナ・クニヒティラが死ぬことは知っていました。その私が阻止しなかった時点で察してください。彼女とヨアキム皇子は決して結ばれることのない星の巡り合わせなのですよ。もちろん変えることはできましたけれども」


戻る | 進む | 目次