私の名を呼ぶまで【80】

戻る | 進む | 目次

[80]良い言葉,自由民,意志,歌鶫

 ヨアキムはテオドラの説明に賭けて―― 自分が真剣にそして誠実に向かい合えば ―― 妃と再婚することに決めた。

 ノーバランデ城を出て皇都へと戻り、バルトロは大聖堂へ、ヨアキムは妃が滞在している館へと立ち寄る。突然の来訪に皇姉リザは驚いたものの、
「妃を連れて大聖堂へ行く」
 ヨアキムの言葉に”まっていたわ!”とばかりに、支度にとりかかった。着換えさせられた妃と、花嫁介添え人として付きそうために着換えた皇姉リザとシャルロッタ。正装にさせられたカタリナと……もっとも準備に時間がかかったのは、ヨアキム。
 何時の間に用意されていたのだろう? と不審に思いながらも正装し、大聖堂へと向かった。妃は”なにをするのですか?”とヨアキムに尋ねてきたが、本当のことは言えなかった。

 言ったら拒否されることは火を見るよりも明らかなので。

 大聖堂に到着した時、カタリナが、
「お妃さまに何と……」
 再婚に驚き、妃になんと説明すればいいのか? 尋ねてきた。彼女はどちらかというと、妃よりである。
「今日は正式な結婚ではないから、言う必要はない。正式な挙式は後日。それまでの間に私がアンを説得する」
「あー……」
「ラージュ皇族は結婚していなければ公職に就けん。皇太子も然りだ。近いうちに皇太子認定式があるから急いでいるだけだ」
 カタリナは”説得したいのなら、まずはお妃さまのお名前を……”と思ったが、黙っていた。彼女はあくまでも妃よりである。名前を呼べず説得できない方に賭けた。

 残念というべきかどうかは不明だが、後日ヨアキムは国を挙げての結婚式で妃の名を【正しく】呼び結婚に成功する。
 結婚成立後、カタリナがこのときの出来事を説明し、言わなかったことを詫びたが妃は怒りはしなかった。
 カタリナの言葉が本当であることを妃は見抜き、怒りを持つことはなかった。

「さすが皇子。ここぞと言う時には間違わないんですね」
 名前を間違いまくって、胃が痛んでいたカタリナは、呼べるのなら最初から……と思いはしたが、やはり黙っていた。言わない理由は単純だ。ヨアキム自身が間違っていたことに気付き、迷惑をかけたと謝ってきたから言う必要がないのだ。

**********

 ヨアキムの側室は一人を除いて、二通りに分けられた。半数以上の「妃と答えた者たち」は永のお勤めという名の教会監禁。残りの「オルテンシアと答えた者たち」はバルトロへ譲渡し、彼が聖職者になる際に後宮を閉めることで解放される運びとなった。
 使用人も一人を除いては全員が新たなヨアキムと妃の住まいで働くこととなる。
 除かれた一人の側室はレイラ・ルオッカ。除かれた一人の使用人は女医。

 女医は子どもができないのに側室になったレイラが不憫だったと言った。決して身籠もらないのであれば、幸せな夢を見させておいても――
「その女は側室として迎えたのではない。神の道に進みたいが金がないから側室になったのだ。そうだな? ルオッカ」
 レイラの父親をも呼び出し、ヨアキムは話を進める。
「はい。殿下」
 レイラの父親は久しぶりに見る娘の姿に、目を逸らした。身なりは綺麗に整えられているが、目がおかしく父親の姿すら見えておらず、腹が異常に膨らんでいた。
 レイラは【妃に蹴られたが腹の子は無事で、すくすくと成長している】と言い張る。
「お前は娘を助けたいか? ルオッカ」
 ルオッカは”はい”とも”いいえ”とも答えない。どう答えても、自分もレイラも助からないことは分かっていたからだ。
「私の次にラージュ皇帝になるかもしれない子を身籠もっていると言い触らされるのは、国内外で大問題になるのだ。当人だけが幸せな夢を黙って見させてやれるほど、私も国も寛大ではない」
 ヨアキムはレイラの両腕を兵士に掴ませ立たせた。
 クリスチャンを持ち、レイラの鳩尾から少し下のあたりに鋒を当てる。
「ヨアキム皇子!」
 恥骨部分まで切り裂かれた腹からは血が滴る。ヨアキムは失血死しないように、だが内臓が落ちるようにレイラの腹を切り裂いて、
「どこに私の子がいる? 見せてみろ」
 兵士に腕を放すように命じて、床に座り込んだ彼女を見下ろした。
 レイラは自分の溢れ出した臓器を探り、ヨアキムの子を探したものの見つからず。
「……」
「死ぬまでまだしばらく時間がかかる。ルオッカ、そこに毒杯がある。お前に使用するために用意したものだが、娘の苦痛を和らげたいというのならば飲ませてやってもいいぞ。その代わり、お前は死ぬまで相当な苦痛を味わうことになるが」

 ヨアキムはそう言い残し、女医を連れて部屋を出た。女医は必死に言い訳したが、ヨアキムは首を切り落とし、壕にいる犬の餌にしろと命じて去った。

 結局レイラの父親は薬を娘に飲ませることなく、自分だけが楽に死ねる方法をとった――
「その濃度だと、一週間は苦しむことになるよ」
 つもりであったが”当て”が外れた。
 毒杯に使われていたのは、セシルの手足を切り落とす際に用いられた薬。飲むと激痛に襲われる。

―― 毒杯をレイラに飲ませたら、即座にレイラの首を切り落とし、ルオッカの首も切ってやれ。ルオッカが自分で毒杯を仰いだら? 聞かなくてもわかっているだろう

 ベニートはレイラの首を切り落とし棺に収めて、ヨアキムの指示通り、共同墓地に埋葬した。
 ルオッカは死ぬまで放置され苦しみぬいた。彼はヨアキムたちを恨むも、その恨みはラージュ皇国の糧の一部となる。
 彼は死んでからも放置され、白骨化しても放置され ――

「おや、もうなにも残っていませんね。318年間ラージュ皇国を呪い続けるのは無理でしたか。呪い続けられないのならば、最初から呪わない方がいいのに……と言っても無駄ですね」
 薄汚れた白骨の側にしゃがみ込んだ形で現れたテオドラ。
 石造りの回廊を硬い足音が近付いてくる。

「本当に呪解師テオドラが罪人の間にいるのか? クリス」
『本当だよ』

**********

 蝿から蛆に戻された”蛆”がテオドラに空腹を訴える。
「王城で喚いている男を食べたいですって? 駄目ですよ。腹減ったって……じゃあ、食べてもらいましょうか。悪い取引をしていたお金持ちを数名です。待って下さい」
 テオドラは水晶玉を取りだし、両手で持ち見つめる。透明であったその玉に自分がいま居る場所を映し出す。
「これがこの惑星全域です」
 興味深く見ている蛆とクリスチャン。
「それで…………」
 テオドラが目を閉じ何かを唱えると、赤い点が現れる。手足を切られた者を買った者たちを浮かび上がらせたのだ。
 数があまり多くないのは幸いと言うべきか、一人でもいることを怒るべきか?
 手を乗せたままテーブルに水晶玉を置き、
「この赤い点が指し示した人を食べてください。はい、ベニート公子から呪って欲しいと依頼されたので。広範囲ですから、あちらこちらで……そうそう、後ろ暗いことをしていた人たちは恐怖することでしょう。えー数が少ないから館の人たちも全部食べたいのですか? 仕方ありませんねえ。あ、そうそう、この点は避けてください。え? お前が食うのか! ですって。いや食べません食べませんって。この人を惨たらしく殺してから。呪いの始まりってことろですね。この伯爵、異端審問官なんですよ。そう、ローゼンクロイツを神と仰ぐ宗教の……笑わないでくださいよ。さてと……なにをするのかって? 異端審問官が異端を処刑するように殺すだけですよ。じゃあ、この水晶玉を飲み込んでください。場所と人をあなたに教えますから行ってらっしゃい」
 水晶玉を飲み込んでも大きさが一切変わらない蛆を窓から外へと出してやり、テオドラは両手の人差し指と親指を合わせ、その間に向かって呪いをかける。
『どんな感じで死ぬんだい?』
「肛門から口にかけて串刺しだそうです。地面から突然串が現れて突き刺さったらびっくりしますよね」
『だろうな』

 そして伯爵は神の怒りを買い、惨たらしい死を迎える。地中より突然現れた串によりその身を貫かれ。即死することなく、激痛を訴えながら。二週間飲まず食わずで苦痛を訴え ―― その串は突如地中に消える。地面に放置された伯爵は痙攣し、助けを求めるが、誰もが神の怒りを買った伯爵に近付きたがらず。

 死んだ伯爵には蛆が沸くこともなく、鳥が啄むこともなく。だがある日突然地面に飲み込まれて消えた。


戻る | 進む | 目次