PASTORAL −42

 前日私は二度ほど訪問したのだが、結局エバカインと話をする事はできなかった。
 だが、恐らく他の誰かが会話しているであろう。
「さて……」
 大公の正装を身につけて皇后宮へと向かう。
「緊張しますね」
 軍証をつけた正装で現れたクロトハウセが、硬い笑みを浮かべて集合場所へと来た。
「何が緊張だ。メルガセテ級敵戦闘空母艦(全長120,000 km)が十隻現れても笑っている男が緊張などと、不似合いな」
「それとは全く別です。緊張して昨日は寝られませんでした」
「冗談であろう?」
「本当です」
 はしゃぎ過ぎではないか……とも思ったが、もしかしたら、最後までエバカインを訪問して明日皇君宮に住む旨を伝えたのかも知れないな。それにこのクロトハウセだ、徹夜の一つや二つで倒れるような男でもない。
「其処まで心配してもらえて、エバカインも幸せだな」
「私の心配如きで幸せになってくださるのでしたら、何時も心配させていただきます」

 全く、何時もの喧嘩皇子はどうした。エバカインの前だと大人しいのだなクロトハウセ。普段は……まあ、いいか。

 遅れてきたルライデ……額に出来た青痣を大急ぎで隠す為にファンデーションを塗ってきたのだそうだ。デルドライダハネ王女が投げたカフェボールが直撃したそうだ……よく額割れなかったな、あのデルドライダハネ王女の投げた物にぶつかって。
「額が頑丈なのは母上譲りですし」
「そうだな」
 確かに我らが母は額で窓硝子(15mm)を簡単に割る人であったから当然か。
「さて、入宮立会いといくか」

 正配偶者の入宮、要するに事実上の結婚だ。結婚式はなければなくても良いのだが(普通は行われるが)入宮の式は必ず行われる。私がクリミトリアルトと挙式をしていなくとも“結婚”しているというのは、この入宮の式を行ったからだ。
 入宮の式の立会人の色々な規則があるが、その一項目に「現皇帝の弟妹が全員立ち会えば成立」とあるので、我々三人が立ち会うのだ。
「ケスヴァーンターン公爵は、しっかりと読み上げてくださったでしょうか?」
 ルライデは不安顔だ。
「その程度は出来るだろう。二十九にもなった公爵が書類一つ読めんでどうする」
 クロトハウセは苦笑いを浮かべる。
「私も、本来ならば自分で読み上げたかった所だが、立会いの関係上、親戚筋の最高位であるケスヴァーンターン公爵に任せるしかなかった」
 今日を逃がしてしまうと、エバカインを入宮させるのが煩雑になってしまうのだ。基本的にエバカインは、本日中に大公宮に移らなくてはならない。この際、普通の大公としての宮に入ると、三ヶ月は動けない。
 三ヵ月後、大公宮を出宮の式を行い(通常大公が婿・嫁となる際に行われる儀式である)その後別惑星の離宮で三ヶ月過ごしたあとに、入宮の式を行う事……なる流れだ。
 そうなると色々と大変なので、よって即日即決行だ。
「陛下」
「揃ったようだな。余はこれからエバカインを迎に参る。皇君宮で待機しておるようにな」
 サフォント帝が立去った後、皇君宮の寝室を見回す。エバカインは皇帝陛下の私室から此方に来るので、寝室で待機している。
「それにしても飾ったな」
「ロガ兄が気に入ってくださるかが心配で。どの琥珀細工をどう飾ったものか悩みましたよ。自室に戻ってからも“あちらの方が良かったのでは無いか?”と思ってしまって、一人夜中に後宮を駆け回って取り替えておりました」
「戦場の豪胆はどうした」
「そうですよ、クロトハウセ兄上。一万もの艦隊に単騎で切り込んで行かれる兄上が」
「それとこれは全く違う、それは全く怖くは無い。考えても見てくれ、ルライデ。陛下の寝室を飾るようなものだろ? 実質一年間は此処が陛下の寝所であろう? そう思えばもう」
「落ち着いてください、クロトハウセ兄上」
 気持ち解からぬでもないが。
「見事だと思うぞ、エバカインも喜んでくれよう」
「だと宜しいのですが」
 クロトハウセの意外な一面を見たような気がする。
 さて、弟の意外な一面を確認後、陛下に伴われてきたエバカインを前に入宮の式は終了した。別に声をかけるとかではないのだ、立会人の前に陛下と共に正配偶者宮に入った時点で結婚は成立する。ああ、良かった、良かった。
「一年後が楽しみだな、エバカイン」
 後は一年後の三人の妃と共に婚礼の式典を行うのみだ。
 その後、
「あ、あの何故私が皇后宮に住むのでしょうか?」
「カルミラーゼン、お前が説明したのではないのか?」
「いいえ。クロトハウセは?」
「私は何も。ルライデは?」
「いいえ。私は陛下がなされたものとばかり」
「そうか、誰も説明しておらなかったか。それではゼルデガラテアも驚くな」
 そのような会話があったものの、結婚する事は伝わっているのだから問題ではなかろう。あの書状には“皇君”として迎えるなどとは書かないので。
 建前上、陛下が正配偶者と直接会ってから宮を決める……という事になっているので。実際は違うが、表面上ではそのようになっているのだ。儀式だからな、全て。ちなみに口頭で伝えるのは許可されている為、これで正配偶者達は自分がどの位で迎えられるかを知るのだ。
「一年後には三人の妃を迎えるが、それはお前も解かってくれるであろう?」
「勿論でございます」
 正配偶者には相応しい態度……我らが母は此処で烈火のごとく怒ったそうだが……穏やかなエバカインの態度に我等三人は胸を撫で下ろした。怒らないまでも、泣かれたりでもしたらどうしようかと心配していたのでな。
 こうして我々と、陛下は宮を一度後にする。
 その後……ん? 前から走ってくるのは
「カウタマロリオオレト、何を走っておるのだ」
「陛下! 申し訳ございません! えっと! まだ……ゼルデガラテア大公に伝えておりません! 今からでも間に合うでしょうか!」
 震えるカウタの手が持っていたのは、封を解かれていない書状箱。という事は?
「……」
 さすがの陛下も沈黙なさった。
「もしかしなくても、ロガ兄上様……」
 ルライデが一歩後ずさる
「全く理解していなかった……と言う事になるな。驚いた理由が……解かった……それにしても……」
 こっ! この男は二十九歳にもなって、書類一つ指示された刻限に届ける事もできんのか!
「何をしておったのだ、カウタマロリオオレト」
 陛下は立ち直られた、さすがであらせられる。
「ゼルデガラテア大公殿下が目を覚ましたと報告を受けたのですが、二度寝してしまって」


アホだ……こいつ。いや、かなりの言葉遣いで悪いが、ドアホウじゃい! こいつは! アホもアホ! ドアホウじゃぁ! コレと同じ血が流れてると考えるだけで、首括りとうなるわい!!


「カッ!」
「き……きぃぃさぁぁまぁぁぁぁぁ!」
 私が怒鳴ろうとした瞬間、切れた。クロトハウセが切れた、宮殿の喧嘩皇子が本気で切れた。襟首掴んで、持ち上げたる。カウタのつま先が絨毯から離れて
「陛下より栄誉ある大任をいただいておきながら、居眠りだと! 貴様ぁぁぁ、どのツラ下げて此処まできやがったぁぁぁ! テメエのその首ブチ折ってやる、それとも目球抉るかぁぁ! 歯ぁ引き抜くかぁ! 内臓手突っ込んで引きずり出すぞぉ! 腸引き摺りだしてやろか! それとも胃ぃ握りつぶすかぁ? 肝臓引き裂いてやろかぁ? おい! 何とか言いやがれ! おぃぃ! こらぁぁぁぁ!!」
 何か言うのは無理だと思うぞ、クロトハウセ。顔真赤で口から泡を吹いてる……あ、足のパタパタが止んだ……ま、まあカウタが死んでも暫定的に私がケシュマリスタ王になれば良いから構いはせぬが。
「よい、降ろしてやれクロトハウセ」
 カウタが床に捨てられた後、
「哨戒兵、応急処置を施した後医務室へ連れて行け。行くぞ、三大公」
 そう言われてサフォント帝はクロトハウセの腕をつかんで、歩き出した。あのままだと、我らが喧嘩皇子は本当に殺しかねないか。
「お前の怒りは爽快であった、クロトハウセ。余としてもあのまま縊らせてやりたかったが、あの男に余からの結婚の申し込みを届けるよう命じた以上、必ず届けさせねばならぬ。今の所、他に代役もないからな。よって我慢せよ」

少し困った事がおきたが、結婚おめでとうエバカイン! 後は一年後の挙式だけだ! 兄は盛大な式を準備するぞ、楽しみに待っているがいい!

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「ケスヴァーンターン公爵、首尾は?」

 あの時私は忘れていたわけだ
 カウタマロリオオレトがどれ程無能であったかという事を。浮かれてすっかりと忘れていた
 あの男、本気でバカであると言う事を。気合の入ったバカ者である事を。長い付き合いですっかり驚きも摩滅していたが、ありえない事を平気で仕出かす男である事を
確かに
「陛下! 申し訳ございません! えっと! まだ……ゼルデガラテア大公に伝えておりません! 今からでも間に合うでしょうか!」
 この問いに、誰も答えていなかった。礼儀上、我々が口を挟める会話でもないのだが(皇帝陛下とケスヴァーンターン公爵の会話となるのだから)
 絶句していたのだが……おまえ、それで終わったと勘違いするのはどうだ? 最初に教えただろうが! なあカウタ……その書類の中身が「結婚の申し込み」だって事を
 お前はサフォント帝の代理として、エバカインに求婚しに行くんだってことを。どうしたらそれを放置できるんだ?
 お前の神経が太いのは知っているが、太過ぎではないか?
 ……オマケに、書状の内容以前に『何故エバカインを訪問するのか?』という理由自体を忘れてしまったんで、話題にもならず我々以外誰も知らなかったって
 あの時、宮殿にお前しか陛下の代理を務められる者がいなかったのが災いだったのかどうなのか……それと何を言われたのかわからないので、口からでまかせって……

「首尾は万全です! カルミラーゼン大公!」
(何の事なのか、全く理解していない。むしろ初めから何も理解していなかった)

この男がエバカインに「通達」していなかった事を我々が知るのは、約一年後の事だ

First season:第三幕「愛の使者カルミン」終
First season:終了

「ルライデ大公・デルドライダハネ王女特別編−王か王妃か王婿か−」に続く

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