PASTORAL −17

 再演終了後、本来ならば正妃となられた筈の方々(理由は今だ知らない)から挨拶された。
 特にカルミラーゼン兄大公の妻となられたヴェッテンスィアーン王女の一言
「私、帝后にならなくて良かったですわ。ゼルデガラテア大公殿下」
 あれは……どういう意味だったんだろう? 全く心当たりが無いが? 大体あのヴェル王女、ヴェル王女ってのはヴェッテンスィアーン王女を省略した呼び方で、喋ってるのを聞かれたら即刻処刑モノだが、心の中だけだったら大丈夫。
 それで、俺あのヴェル王女と面識ないんだが……。それを言えばリスフォ王女もアルヴァ王女も面識はないのだが。
 考えても仕方ないか、全く知らない相手だし、俺から会いに行く気はないから二度と会うことはないだろう。公式の場で挨拶する程度に違いない、それで良し。考えても仕方ない事。
 再演を観た後なので予定より時間が押しているが、後は寝るだけだ。
「休むぞ。来るが良い、ゼルデガラテアよ」
 ベッドで本当に寝るだけなのに、死ぬと解かっている戦場に向かう兵士の気分になるのは何故だろう?
 紅蓮の髪を夜髪筒(寝るときに髪をしまう布)に入れられているから、伽のお相手をする必要はない。しまわれているからあの髪も見えないから……見えなくても怖い。
 白いシルクの優雅なまでにバフバフしているパジャマ、当然ながらシュスター朝家紋が刺繍されている。
 首には兄上の髪には劣るが、逸品に違いないピジョンブラッドをふんだんに使った黄金のチョーカー。似合いすぎというか、なんと言うか。
 兄上に背を向けて寝るように命じられたので、向けたところ羽交い絞めにされた。正確には腕枕をしてくださっているようなのだが、どうやっても羽交い絞めにしか感じられない。どう考えても首がチョーク・スリーパー・ホールド(首で当然、チョーク・スリーパーだからな)当然寝られる訳はないんだ、こんな事されたら。
「寝られぬのか?」
「はい。陛下はお休みくださいませ、明日にひび……」
「子守唄を歌ってやろう」


陛下のご決定には逆らえないのが、銀河帝国です。
三十兆の民の頂点に立たれる兄上のご決断を前に、俺は硬直するのみ。
因みに三十兆の中に奴隷は含まれてませんアシカラズ……だから本当はもっと人口多いんだよ……誰に向かって言ってんだ、俺?


 兄上の子守唄? 何ですかそれは?(子守唄だけどさ)
「そ、そんな。私には勿体無いですから」
「安心せよ。余は歌も得意だ」
 誰も下手だとか、何だとか言うのではなく! ところで“も”ってなんですか? “歌も”って? えーと後は何がお得意なのでいらっしゃいますか……と訊ねる間もなく、
「心して聞くが良い」
 何故子守唄を“心して”聞かねばならぬのでしょう? 陛下!
 確かに心して聞きますよ、陛下の子守唄ですし、その……心しないと心臓止まりそうですから。ですが、その子守唄なんです!
「歌劇オルガミア、最終幕・バティーナの愛によせて」
 選曲が既に子守唄じゃないような気がします! それ貴族の求愛の際に使われる歌ですよ! 俺でも知ってる有名な!
 そのあまりにも情熱的な歌詞ゆえに、この歌で求婚したと書類に記されてしまうと離婚できないくらいの凄い歌じゃないですか!(事実です)
 そっ……そうか!
 た、多分こうやって正妃方に『離婚は決してせぬ』という意思表示をなされる予定だったのですね! た、確かに正妃方でしたら嬉しかったでしょうが、俺の子守唄には不適過ぎです! ご練習なされたのが(兄上が練習なさるのかどうかは知らないが)披露できなくて残念でいらしたのですか? 
 でも、此処で異母弟の子守唄(それも二十二歳、消去されたが既婚歴あり)にするのには! というか止めてぇ!
 兄上の御口から俺に向けての愛の超絶技巧歌詞を拝聴するなど! それにこの歌、名前の部分を変えて歌うから(デフォルト名が無いのが特徴)『レーザンファルティアーヌからエバカインに愛を、この胸の内に広がりし愛は……』とかになっちゃうんですよ! 兄上!

 もっとご自分をお大事にしてください!

 そんな俺の気持ちとは関係なく、兄上は立ち上がり両手を広げて拳をつくり、息を吸い込んで……



済みません、陛下。いや良いのかな……寝ました、気を失いました、俺。子守唄ありがとう御座います。

 なんだっけ? 男の声の最も低いのはバス? バスでいいのか? バスなんだな?! はんっ! 宇宙でバスだと名乗っているヤツなんてテノール程度だ! 兄上のバスを聞くが良い!
 あれぞ銀河のバス!(意味不明) 内臓を直撃して胃液が! 腸液が! 胆汁が! 全ての消化液が逆流するような重低音、そして人一人で歌っているとは思えない怨霊……じゃなくて音量! これが銀河帝国皇帝! 歴代皇帝の中でも群を抜くといわれる名君の実力!
 声はご立派で素敵です。昨日みた帝国歌劇団の歌手よりもずっと上なのですが、何せ声が……怖くて。底冷えするというか、底から沸きあがって来る恐怖心というか、地の底からの死者の呻きが大音量というか……。
「最後まで聞きませんで、申し訳御座いません」
「異なことを申すな。子守唄なのだ、最後まで聞いていたら子守唄にならぬだろう」
 そうなんですがね。上手なのですが、その……歌手には向いていらっしゃらないかと、僭越ながら愚考させていただいてみたり……してみたり。
 兄上が皇帝以外何に向いているか? と問われれば……皇帝以外のご職業は無理ではないかと愚考する所存だったり……。そういう方も珍しいとは思うけどさ。
 食事を終えて6:30に部屋を出る。此処から歩いて鍛錬所まで行くらしい。皇帝陛下の私室を抜けて、玉座の間を通り抜けて近衛兵団訓練所へと向かうようだが……歩いて一時間で到着できる距離ではないので走る。
 一時間走って無事到着するようだ……到着できるのかなあ30km強くらいある筈なんだが……到着するに違いない、到着するのだろう兄上は。
 着衣の総重量(髪含む)は兄上の方が俺よりも遙かに重いんだが、足は兄上の方が速い、やはり化け物と言われてらっしゃるだけのことはある。護衛兵が『ゼーハーゼーハー』喉奥から悲鳴を上げて脱落していく姿は哀れだが。あれ、始末書モノだろうな。
 取り成してやりたい気分で一杯だ……が、今の俺にはその余裕がない。近衛兵団訓練所に到着するまで遅れる事は許されないのは、俺も同じ。
『無事……到、着』
 心の中で息も絶え絶えになりながら、無事到着した自分を褒めていた。最も褒められた立ち姿ではなかったが、壁に腕ついて寄りかかってる。
「ゼルデガラテア」
「はっ! はい! 申し訳ございません!」
「帽子がずれている。しどけないではないか」
「申し訳ございませんでした」

 兄上の感性では、帽子がちょっとずれているだけで“しどけない”ように見えるらしい。心しなけりゃなあ……唯でさえだらしない弟なんだから。

backnovels' indexnext