PASTORAL −16

 毛足の長い絨毯に、足をもつれさせながら扉を開く。
「大丈夫ですか? ロガ兄。どこか辛い所などがありましたら、仰ってください」
 この場所で(便座前)こうやってクロトハウセ大公と話をしている事自体が辛いんだが……
「大丈夫ですよ」
「女も連れてまいりました、開幕時間に遅れても構わないとのお言葉です」

何の話?

 確かに、宮殿のトイレにはその手の機能もあるんだよな。カウチソファーみたいなのが置かれていて、トイレの両脇には浴室があるし。で? 何故此処で弟大公が女性を勧める? それも『開幕時間に遅れても構わないとのお言葉です』
 クロトハウセ大公が伝言役として遣わされる相手はただ一人、陛下のみ。
「何故私に女性を?」
「ロガ兄が不足なのではないかと、心配なされていらっしゃいました」
 陛下が? だよな。主語は陛下なんだな?
「そんな事はないです。むしろ陛下の方がご満足なされてはおらないかと心配しております。夜伽としては甚だ力量が不足していますよ、私は」
 自分で言っておきながらなんだが、夜伽の力不足ってどんなモンだよ。
 俺の言葉に、クロトハウセ弟大公はにっこりと笑って……比べれば少なくとも兄上よりは笑い顔に見える、比べなければ言わずも……。笑顔が怖いのは正嫡の仕様か?
「でしたらお体になにか? 薬を飲まれますか? 処理の方はラニアミア医師が受け持っているので不備は無い筈ですが。初めての場合は医師の想像もつかない事が起こる場合もあるようですので」
 何のくすり? そして何故それほど詳しいんだ? クロトハウセ大公。
「……い、いや……いいえ、何も」
「私も陛下と同じく男は抱くの専門ですが、それ相応の知識は身につけております。最も私は女性に関しては専門外ですので、陛下とは少々違いますが」
「えっ!」
 クロトハウセ大公はそっち方面だったのか? どうりで二十過ぎても結婚させられていなかったんだな。今回の件は仕方ないけれども。大公が自分の意思で結婚する事は殆どないからな。全て陛下のご一存だからね。
 ……クロトハウセ大公と結婚したリスフォの王女、どうなるんだろ? 全くの他人事ながら(いや、皇籍上は義妹だけどさ……)俺が考えた所で何の解決も見ないだろうが。
「ご存知ありませんでしたか。ロガ兄のお耳を汚して申し訳ありません」
「い、いいえ。その、兄弟の事を知らなかった私も悪かったので、頭を下げるのは辞めていただきたい」


それも便座の前で(心の声)


 なんにせよ、激しい勘違いをなされている兄上陛下と弟大公。他の兄大公と弟大公も勘違いしているのだろうが、訂正する余力もなにもない。
 歌劇を観ながら考えたんだが、俺はよく言えば淡白、悪く言えば枯れてるんだろう。二年間の結婚生活も、三ヶ月間の監禁生活も、特段女が欲しいとは感じなかった。それ以上に男が欲しいとも思わなかった(力説!)
 結婚していた頃は、意地もあったんだろうと思う。そして望めば別の女を幾らでも寄越されたに違いない……それをしなかったのは、やっぱり父帝が好きではなかった所が大きいんだと。
 父帝自体には何の感情もないが、父帝が俺の母親に対した行為は褒められたものではない。俺自体は一度も会わなくてもなんとも思いはしないが、母は……。
 皇后にあてつけで抱いた母に対して、誠実さを求めるのも可笑しい話だし、皇帝の寵に対して意義を申し立てるのも不敬ではある。
 母自体、父帝に対して何の感情も抱いてはいない。陛下の御寵愛は、好き嫌いとは違うものだからな。実際俺だってそう思っているわけだし、これが陛下以外の男だったら死ぬとわかっていても、暴れて自殺してるね。
 そうであっても……兄上が母に同じ事をしても、なんとも思わないとおもう、例えとしてはおかしいが。上手くは言えないが、父帝の存在自体が何の重さも、畏敬もなかった……という事なのだろう。
 結局人として父が好きではなかったから、正反対ではあるが同じような行為はしたくなかったのではないだろうか?
 大体“人として”と家臣の俺に思われる程度の父帝だ、本当に偉大さも威厳もなにも持ち合わせてはいなかった。ご本人もそれに気付いていたのだろうが……息子の、兄上の威厳の0.1%でもあれば良かったに違いない。思いながら俺は二幕終了後、兄上の横顔をそっと見た。


威厳ってか怖いけど……畏怖という言葉がしっくりと来る方だ


 一体何処からこの威厳とか威圧感とか恐怖感とか圧倒感とか強烈な畏怖とか、その、あの……とか
「どうした? ゼルデガラテアよ。其方から余を観るなど初めてだな」
 硬直してました、俺。兄上と目があっちゃった……。
「失礼いたしました」
「何か望みがあるのならば、言ってみよ」
「いいえ! 望みなど。あ、ああの……さ、最後の“雷鳴の窓”が見事だったと。そ、それでついつい、それを兄上……失礼いたしました! それを陛下に言上したく」
 実際見事だったんだ、二幕のメインだろう“雷鳴の窓”のシーン。
「カルミラーゼン。ハンターナの歌から再演させろ」
「御意」

 帝国歌劇団の皆様、申し訳御座いませんでした。部分再演させちゃって……

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