PASTORAL −171

 すっかり沈黙してしまったシャタイアスを前に、出された夕食を気まずく食べるザデュイアル。
 料理は美味しいのだが、無言というか気分を害したような父親を前に「おいしい」とも言えないまま、料理だけが減ってゆく。
 立ち上がり、デザートを出してくれたシャタイアスに、
「何か、悪い事聞いた……みたいだな」
 居た堪れなくなりザデュイアルが口を開いた。
「別に……昔、約束しただけだ……それだけだ。ただ、それだけだ」
「悪かったって! っとにイライラする……何も知らないから、何に聞いていいのかさっぱり解らないし……何か聞けば、傷ついたみたいな顔されるし。どーすりゃいんだよ!」
「そんなに気にするな。私は一人だとこんなものだ」
「今は一人じゃないだろが!」
 そう言ってテーブルを叩いた後、出されたデザートを怒ったように口に運ぶ姿を見ながら、シャタイアスは何を言おうか悩み、
「私とお前は他人同士……に近いと思わないか、ザデュイアル」
 思った事を口にした。
 それはザデュイアルも思っていたらしく、
「そうみたいだ」
 同意する。
「他人同士として、互いに何も知らない事を前提に会話をしよう」
「わ、解った」
 デザートを食べ終え、フォークとナイフを皿に置いたザデュイアルに向かってシャタイアスは話し始めた。
「先ず、何を話題にする? こういった場合は共通の知り合いを話題に出……」
 話し始めてすぐに、話題を振るのを失敗したと額に手を置き頭を下げる。シャタイアスとザデュイアルが会話に上らせる事ができる共通の知り合い、それはただ一人。
「あんたと俺の共通の知り合いってレハ公爵くらいしかいねえよ……」

前途多難という言葉がこの場面にもっとも相応しい表現だろう

「じゃあ、まあ、その……ハイジのことから語るか」
 話題を振った以上、シャタイアスは責任を持って語り始めた。
「無理すんなよ!」
 息子に気遣われながら、当たり障りのない話をから始めてゆく。
「お前も知っているかもしれないが、ハイジと私は当時の皇太子殿下、今の陛下が決めてくださった結婚だった」
「知ってる」
「私は当時、一人きりでな……私の母親、要するにお前の祖母は発狂していた」
「知ってる」
「毎日毎日、奇声を上げるだけの母親を見ているのが辛くて、私が殺した」
「え……」
 突然当たり障りのない話から逸脱し始めたシャタイアスだが、あまり逸脱していると思っていないのか、次々とかなり危険なことをしゃべり続ける。
「私は見てのとおり、デバラン侯爵が嫌いなバレハンレザレロストに瓜二つで、宮殿にも居場所が無くてな」
「誰? バレハンレザレロストって……ロヴィニア系なのはわかるけど」
 エバカインよりは王族の名前に詳しいザデュイアルは、登場した名前に反応は出来ても、それが誰なのかまでははっきりと解らない。
「四十二代皇帝の皇后の息子。デバラン侯爵の第一子・ハウゼリリアルトを誘惑した男だ。経緯が経緯だし、デバラン侯爵の権力から名前も存在も闇に葬られたも同然の皇子だ……今は、だが」
 デバラン侯爵亡き後に、その名を皇族の名鑑に戻してやるとサフォントはシャタイアスに告げていた。
 四十二代皇帝の子として、またハウゼリリアルトと同じ場所で同じ時間に死んだ事も記載してやるとも。復権も死亡時刻も死亡した二人には何の関係もないことだが、皇族や皇王族にとってそれはデバランという名の圧力から解き放たれた証となる。
「あ、ああ、あ、うん……そ、それで?」
 デバラン侯爵の名前はザデュイアルも知っていた。
 伯母にあたるロヴィニア王が “早く死ねばいいのに” そう常々口にしている相手として。
 ロヴィニアに対して風当たりの強い侯爵だとは聞いていたが、根底がそんなところにあるなど、ザデュイアルには想像もつかなかった。四十二代皇帝の帝妃と皇后の争いなど、六歳の彼にとってもはや歴史にしてもいいのではないか? と思える程遠い昔に思えた。
 そんな息子の脳内補完など知らない父親は、次々と話を続けてゆく。
 もはや妻であり母親であったハイジから話題は離れているのだが、淡々とそしてザクザクと語ってゆく父親の話に、息子は飲み込まれていった。興味があると言う以前に “これは知っておいたほうがいい話だな” と。そう言った所は貴族の子弟らしい。
「宮殿に居場所がないし、それを常々気にかけていてくださった陛下がリスカートーフォン領に移そうとゼンガルセンに打診してくれていたらしい。そのせいで、ゼンガルセンは八歳で王妃を殺害したそうだ。妾妃の子など立ち入らせないと言うのは普通の事だが、殺して口を封じるとは」
「あぉ? う、うあぁ……で? それで?」
 ゼンガルセン王子らしいな……そう思いつつ、ザデュイアルは頷く。
「私が単身で行っても、あのアウセミアセンが何をしてくるか解らないから、陛下は今皇后と定められたザデフィリア妃の妹・クラサンジェルハイジを私に与えた。故皇后はお優しい方でな、私の初恋の人だった。だからお前の名前をザデュイアルとしたんだが」
「あーやっぱそうなんだ」
「知っていたのか?」
「うん。ロヴィニア王がな “ゾフィアーネがクラサンジェルハイジを貰ったのは、陛下に押し付けられたこともあるが、あれは皇太子妃に興味を持っていたから……期待させたかもしれないな” って」
 シャタイアスが皇太子妃ザデフィリアに淡い感情を抱いていたのは、同年代の者なら大体知っている。
 それは珍しい事ではなく、皇太子妃はサフォントの妻でありながら、他の男性に多大な人気があった。控え目で優しく、それでいて芯は確りしており、優雅な品と上品な容姿の女性。
 彼女に憧れていたのはシャタイアスだけではない。多くの者が彼女に恋心に似たものや、騎士としての崇拝を捧げていた。
「期待はした。が、即座に期待は消えた……っても、ハイジの性格は、あれはあれで良かったんだろう」
 だからその妹となると、若干期待されても仕方ないのだが、クラサンジェルハイジは正反対だった。
 決して男に人気がない訳ではないのだが、姉であった皇太子妃のような淡い感情を抱かれたり、崇拝の対象にされるような女性ではない。
「あの性格で?」
「そうだ。私より前に、アウセミアセンがリザベルタリスカと結婚していただろ」
「ナディレミシア公爵伯母な。うん、それが?」
 “あの人も性格悪かったよな……ロヴィニア王も大概だけどよ。クリミトリアルト叔母だけだなあ、優しいのは” 母方の親族を思い出しながら、うんうんと父親の話を聞く。
「あの人は私がぐちゃぐちゃにして殺した訳だが」
「ぐ……ぐちゃぐちゃ……」
 “そう言えばこの人は戦争狂人バーローズの血が強いんだったな……ぐちゃぐちゃ……ねえ……どんな感じだったんだろ” 淡々と義理姉殺しを語る父を前に、これがエヴェドリットじゃ普通なんだろうな、こうならなきゃならないんだろうな……そんな事を思いながら頷くザデュイアル。
「あの人も性格は良くなかったから、アウセミアセンは辟易していた。それで私がハイジと結婚した事を知り “性格がザデフィリアのようだったら取り替えよう!” と考えていたらしい。それで実際ハイジを見て、リザベルタリスカで我慢した」
「あの、我慢きかなそうな前のエヴェエドリット王太子が……我慢したんだ……」
 ザデュイアルにしてみれば父に殺された伯母 ナディレミシア公爵リザベルタリスカの方が母親よりも性格が悪かったような気がしたのだが、他人から見れば自分の母親の方が性格が悪かったと知らされ、なんともいえない気分になった。
「そうだ。ハイジよりかなら、リザベルタリスカの方が “まだマシ!” そう判断したんだとさ。でもな、結果的にハイジはその性格の悪さから私の妻でいることになり、遂には皇妃にもなった。間違って性格が幾分マシでリザベルタリスカと取り替えられていたら、私に殺されてた訳だからな」
「そうだ……な……何が幸いするかわからないもんだな……」
 その上取り替えられていたら、自分は存在しなかった。もしくは父親がアウセミアセンで殺されていたかもしれない……と思えば、母親の性格の悪さに少しだけながら感謝の気持ちも湧き上がると言うものだ。
「性格の悪さも突き抜けていれば、何かいいことあるらしい。まあ、そんな事は王族限定だろうが」
「はーん……なる程ねえ」
「でも、ハイジはこれから苦労するだろう……お前は知らないだろうが……ロザリウラもかなりの気が強い。ハイジに負けるような性格じゃないぞ、あいつも」
 苦笑と哀れみをあわせた表情を浮かべたシャタイアスに、
「王族、性格悪い女ばっかりじゃないか!」
 それくらいしか言い返す言葉はなかった。
「安心しろ。王族の男もみな性格が悪い。バーランドゼアスだって性格悪いだろ」
「まあな」
 バーランドゼアスとはロヴィニア王の第一子。要するに次のロヴィニア王となる男だが、これがまたアウセミアセンに良く似た子供として有名だった、何の才能もない口だけ男として。彼がアウセミアセンに似ているのを認めないのは母親のロヴィニア王だけで、周囲は “これが時期王になるのか……” とかなり不安を感じていた。
 彼がアウセミアセンと違うのは、下にゼンガルセンのような才能のある弟や妹がいない事だろう。
 すでに皇太子の夫となった第二子は除いても、第三子の王女も第四子の王子も特別才能のある子でもなければ、簒奪を企てるような気概もなさそうな者ばかり。
 それはそれで良いのだろうが “陰謀と策略の王家” と言われるロヴィニアにして、頼りない子達であった。
「苛められたりしなかったか? 私はアウセミアセンにそれはまあ、苛められたな」
「そーなんだ」
 あの性格の悪い無能ならそれもあるだろうなとザデュイアルは、当然のように聞いていたのだが。
「肉体的には私のほうがはるかに上だったから何もなかったし、罪を着せられそうになった時は陛下が間に入ってくださったが……あいつ、羽を私の頭に散らして “羽根の息子! 羽根の息子!” って笑っていた……私はいいが……母も羽根の皇女として生まれてきたかったわけではないだろう……それが、言葉にしてしまえば “傷付けられた” だが、本当はもっと違う……あいつにそうやって言われなければ私は母を殺さなかったような気がする……責任を転嫁しているように聞こえるかもしれないが……今でもそう思うことがある。殺さずに済むなら、殺したくなかったような気がする。実際殺した私が言うのも滑稽だが」
 内容を聞いたとき、何とも気分が落ち込んだ。
 先ほど[ベルカイザンをどうして承認制にしたのか?]と聞いた後の表情に良く似た、曖昧な表情をシャタイアスが浮かべたからだ。
「いいや。あんたみたいに人殺すのに全く罪悪感ない人がそうやって言うんだから、そうなんだろうって……信じる」
 父であるシャタイアスの話を聞くのはいいが、彼にどんな言葉をかければ良いか? 自分はそれを知らない事に気づいたザデュイアルは、
「ありがとう」
 勢い良く自分の事を話し始めた。
 語るのは容易が、聞いているのは難しいなと。
「そうそう、あんたが心配してくれたバーランドゼアスのことだが、俺はあんたと違ってレハ公爵の性格の悪さ受け継いだから、黙ってやられはしない。あいつが親であるロヴィニア王に報告できないような陰湿な方法で仕返ししてた。そしたら近寄んなくなった。……思えば “母子揃って性格が悪い” って陰で言われてたけど……思えば、あのレハ公爵の性格の悪さが勝手に俺の仕返しの怖さを増強したような……確かに、性格悪いのは “たまーに” は役立つな」
「そうか……そうそう、性格のいい王女はいる、デルドライダハネ王女。あの人は子供っぽいが性格は真直ぐで可愛らしい。正直、皇后になると聞いた時、私は嬉しかったがな。やはり陛下の隣に居るのは性格の良い者がいい。ただ性格が良いだけでは務まらないのも事実。その点あのデルドライダハネ王女は真直ぐで、他者に負けない気の強さもあり尚且つ優しい……理想的であった。王として即位しても魅力的ではあるが」
「優しいよな、リュキージュス公爵は……あの皇君も性格良いのかな」
「良い人らしいぞ。陛下は皇太子殿下の人格形成を皇君に任せられるそうだ」
 それは性格の良し悪しではなく、皇帝陛下の超強力弟フィルターの発動による、間違った人格形成プログラムのゴーサイン。
「信頼されてんだな……皇太子殿下も性格良い雰囲気だったけど、皇太子妃ってあんな感じ?」
 その被害を被るのは、後に皇太子の三番目の夫となった[皇婿ザデュイアル]
 後に皇君エバカインの妹、要するにゼンガルセンの娘を妻に迎えたシャタイアス共々、天然なる妻に振り回されながら仕えた親子。
 “まさに器用貧乏親子よ” とサフォント帝は言ったが、この親子を器用貧乏にしたのはサフォント帝その人である。
「違うな。皇太子妃はもっと女性らしかった……まあ、私よりも年上の女性だから当然そう感じるが……どうした?」
「ん……いや……俺、あんたに言うこと何もないな……って思って。割と俺は、苦労しないで育ったんだな……そういやあんた、割と皇太子に会ってんだよね」
「会わせて頂いているが」
 正確には皇太子に会いに行く名目で、サフォントに報告書を届けているのだが、それは息子に言う事はできない。
「どんな方?」
「皇太子殿下のことか?」
「そう」
「おまえ、皇太子殿下に」
「うん。可愛いと思った」
「お前じゃ、良くて愛人だぞ」
「そうだろうけど、可愛かったな……ってさ。良いじゃないか! その、良いだろ!」
「構わんが、女の趣味は似るものなんだな。全く一緒にいなくとも」
「そうかもしんない」


綺麗な方だった

− あっ! あのっ!
− 殿下! 皇太子殿下!
− ……
− 遅いですわ! 殿下
− そうか、またもや待たせたかザデフィリアよ
− 待ってはおりません。約束の時間より遅れたと私は申し上げたのです。シャタイアスと話ができたので、全く退屈ではありませんでした
− シャタイアスよ、妃の話し相手をつとめていてくれたか。帝国騎士に無用な気を使わせたな
− いいえ! そんな事は
− ザデフィリア
− はい
− 遅れて悪かったな
− 殿下のそういうところ、とても尊敬も申し上げておりますわ

陛下と話されている時が、最も綺麗だった。嬉しそうで、嬉しそうで


 明日の準備を整えて、寝るかとなった段でシャタイアスは再び頭を抱えた。
「何でベッドが一個しかないんだよ!」
 自分の住んでいるところには、ベッドが一つしなかった。
 元々、寝に帰るか菓子作るかしかない場所、来客などは宮殿にあるリスカートーフォンの宿舎内で事を済ませていたので、ここはシャタイアスが出て行った当時とそれほど変わらない。
「仕方ないだろうが!」
「普通……なあ、何でだよ」
「私は物心ついてから、此処の床で寝ていた」
「何で?」
「母が夜中に出歩く。それで怪我した事もあるから、気になって此処で寝ていた」
「専用のベッドとか、他人に任せるとかは考えなかったのか?」
「夜は割合大人しくて、普通の人の寝顔と変わらなかったからなあ。お前の言うとおり、専用のベッドに専門の者をつければ良かったのだろうが……他人を寝室に置くのが嫌でな」
「ふ〜ん。じゃあ隣にベッド置かせればよかったんじゃないの?」
「そうかも知れないが……どうでも良かった……くれと言わなければ誰も用意しないからな。その後、私は母を殺して此処から出て行き、戻って来る時も当然一人だ。ハイジは付いて来ないからな。だからベッドはこれ一つだ。お前はそこに寝ろ」
「床に寝るの?」
「まさか。お前は徘徊しないだろうから、見張りはしない。隣の部屋のソファーにでも転がってる。大体私は立ったままでも寝られるから」
「寝る?」
「お前と私が一緒にか?」
「そっちの趣味ないよな」
「無い…………寝るか」

 寝ているときの母は、大人しかった事もあるが……狂気の支配からも逃れていたから、自分が独占していられるような気分だった。

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