PASTORAL −165

 気の利かない息子ことエバカインが帰宅したのは、二人が宮中伯妃の家に滞在して三日目の事。
「ただ今、母さん」
 のんびりとした声で玄関から入ってきた息子を母親は驚きと怪訝を込めた眼差しで見つめる。
「あら、帰ってきたの?」
 一週間後には皇帝との挙式が控えている息子が、家に戻ってくるなど普通は考えられない。
「うん。どうしてもみんなの顔が見たくて、それとちょっと用事があるから特別に帰宅を許可していただいた」
「あんたねえ……はあ。まあ、お許しが出てるなら構いはしないけれど、あんたももう後宮の住人なんだから、こう始終家に帰ってきてたら駄目よ」
「はい」
 だが息子はこの時点でもまだ自分が皇帝と結婚する事を知らなかった。

***************

 サンティリアス達と別れた後、必死に書類を作りあげ機動装甲に飛び乗って “事故んじゃねえぞ!” サベルス男爵の声を背に帝星にひた走った。不眠不休で一週間、最高速度で銀河を最短距離で駆け抜けて帝星に到着する。その後、先ず一日掛けて体調を戻し(機動装甲での長期戦では普通の事)着替えて兄上の皇帝陛下に、ダーク=ダーマを使用させていただいた感謝と、船体を傷つけた事を謝罪し、特赦を出したい旨を伝え許可をもらうと次は書類を提出。
 サフォントが一通り目を通して許可を出し、それを持ってカルミラーゼンのところに向かう指示を出す。
 兄に特赦を出す事を許してくれた事を感謝するエバカインに、
“皇帝の配偶者となるのだから、そのくらいの事はしても構わないというのに。控え目な弟だ”
 相変わらずの弟フィルター全開の兄。
 その兄もさすがに忙しいので再会を楽しむ暇は殆ど無い。エバカインはサフォントの言いつけどおり、カルミラーゼンの元へと向かい許可が出された書類を差し出す。
「直ぐ特赦を出すから、大丈夫だよエバカイン。それにしても、エバカインは本当に優しいな……そうだ! エバカイン」
「な、なんですか……カルミラーゼン、兄上」
「ゼンガルセンから聞いたのだが! 剣を受け取ったか? 赤い剣を。出かける前に渡したと聞いたのだが」
 突然肩を捕まれ、そう言われたエバカインは貰って直ぐ “無くしてはだめだ” とダーク=ダーマの一室においていたことを思い出した。
「……あ、はい! 済みま……」
 そのことをすっかりと忘れてダーク=ダーマに置き去りにしてきた事を思い出し “うわーゼンガルセン王子から頂いた剣、忘れて……だ、大問題?” と混乱している所に、
「くぉぉぉ! あの野郎!!」
 地を這うような叫び声。
「!!」
 あまりのことにエバカインは、飛び上がる程驚いた。
「違う違う、エバカインのことではないよ。驚かせて悪かったね。えーとその剣はちゃんと説明されて受け取ったのかな?」
「いいえ……後で、戻ってきたら説明してくださると……」
「ゼェェンガァァルセェェン! あーすまない済まない。エバカイン、それはねエヴェドリット家名を受け取った証なのだ」
「はい?」
「あのバカ、基、ゼェェンガァァルセェェン! のヤツは、この私の可愛い息子になる筈だったエバカインを騙して、エヴェドリット属に加えたのだよ」
 確りと聞いていたエバカインなのだが「ゼェェンガァァルセェェン!」と「可愛い息子」に注意が向いて、何を言われているのかさっぱりわからない状態。
「えっと……」
「一度加えられてしまうと、これを外すのは至難の業! だが! 私はやる! エバカイン! 嫌であろう? あんな男の配下は嫌であろう? この私が王になったらケシュマリスタを……という事で、お前のお兄ちゃんはお前からエヴェドリットを外すことにする。いいかね?」
「あ、あの、あの……」
 本当は “難しいことは解らないのでお任せします” と言いたいし、これまでは言っていたのだが、ダーク=ダーマでラウデ達を解放したのを機に “解らない” や “知らない” そして “お任せします” を極力言わないようにしようとエバカインは心に決めていた。
「あの、カルミラーゼン兄上……お心はありがたいのですが、その剣は知らなかったとは言え自らの意思で手に取ってしまったもの。この場合、知らなかった私に落ち度があります。私の落ち度から、ケシュマリスタ王になられるカルミラーゼン兄上とエヴェドリット王になられるゼンガルセン王子が争うなど。私などを挟んで争うのは避けたほうが宜しいかと」
 エバカインの言葉に “皇君としての地位の重さを理解して……そこまで成長したか、エバカイン!” 勘違いしたカルミラーゼンと “俺如きでも、喧嘩の種になると厄介だもんね” 皇君であることを知らないエバカイン。
 全く話はかみ合っていないのだが、かみ合ってしまい決着がついてしまった。
「あ、あのカルミラーゼン兄上……お願いがあるのですが」
「何だ、エバカイン?」
「あのですね、少しだけ実家に戻っても宜しいでしょうか? その……」
「うんうん、構わないよ。宮中伯妃に無事を知らせて顔を見せておいで」
 カルミラーゼンはあっさりと許可した。
 不眠不休で帰ってきたエバカインを安らげる場所において、体調を万全にしてやろうという心遣い。滅多に心遣いなどしない人がすると、後で大惨事になるという良い例だ。
 そんなことは知らないエバカインは、その他にも作った書類をカルミラーゼンに渡して許可を貰い、帰宅の途についた。

***************

「お帰り皇子!」
「皇子!」
 遅れて出てきた二人が、エバカインを出迎える!
「サンティリアス! サラサラ! そうそう、報告。ラウデとサイルは直ぐに刑務所から出られるよ。特赦の許可下りたから」
「ありがとう!」
「やったぁ!」
 二人は手を叩いて喜びをあらわにする。
 そこから家に入って、食堂で椅子に座り二人にとある許可証を差し出す。
「それと、はい。これ受け取って」
「なんだこれ?」
「陛下の御式を上空から見る事ができる許可証。折角だから見ていきなよ」
 上空撮影権を手に入れた理由は、
「そりゃありがたいが、肝心の上から見る為の」
「それ、今から買いに行こう!」
 彼等の宇宙船を買う口実。
 サベルス男爵が “買ってやってもいいが、そういった情けは嫌うかもしれないだろ。コレはお前に頼らなきゃどうにも出来なかったが、宇宙船は稼げば買えるわけだから……そうだな、何か違うものとセットで、宇宙船が[おまけ]扱いできるようなことを持ち出して、一緒に買いに行けばいいだろう”
 [おまけではない方]に当たる上空撮影権を手に入れる手配をしたのは、サベルス男爵。
「さすがにそこまでは!」
「あら? じゃあ宇宙船を買える程稼ぐまで、ここにいるの? 私はそれでも良いけれど」
「そ、それは……」
「気にしないで買ってらっしゃい、この金蔓にだけはなりそうな息子と一緒に。一番高いの選んでらっしゃいよ」
 にっこりと笑う宮中伯妃を前に、二人は頷き “時間のない” 皇子と共に宇宙船を買いに向かった。

 エバカインを見送り、全ての囚人を別の刑務所に異動させて、一人惑星に残って仕事をしていたサベルス男爵の所に迎えが訪れたのはその頃。
「お待たせしました」
「いや……あのダーヌクレーシュ男爵閣下?」
 ダーク=ダーマを引き取りに来ただけかと思っていたら、サベルス男爵も是非! と言われ困惑した。サベルス男爵は帰るつもりはまだなく、人気のなくなった刑務所で陛下の御式でも拝見しながらテルロバールノル側と話をつめようと思っていたのだが……
「言いたい事は解るんです。でもね……姉さんが迎えに行け、そして守りきれと」
 断るに断れなさそうな状況に、サベルス男爵の顔が引きつる。
「守りきれって……まさかまた?」
「まあその、陛下のお式の関係であの人達は全員帝星にいますが……でも男爵も皇君の側近としてできるだけ帝星の近くで式を……」
「ちょっと待ってください、ダーヌクレーシュ男爵閣下! 今なんと仰られました?」
「帝星の近く」
「それではなく、皇君の側近? そう言われましたか?」
「ええ……どうしました?」
「いや、聞いていなかったので」
「ああ……それは皇子、いえ皇君が告げるを忘れたのでしょう。色々とお忙しかったようですし」
 なにより天然ですし……ダーヌクレーシュ男爵はその言葉を飲み込んだ。
 男爵同士、後に妻に頭上がらない義理の兄弟として非常に仲良くなる二人のファーストコンタクトは、天然によってより印象深いものとなった。
「そうで、すなあ……あ、此処の警備は?」
「エヴェドリットの部隊を一つ置いていきますので。何か見つけ次第、サベルス男爵に報告するように命じております」
「では共にレオロ侯爵の護送のお供をさせていただきますよ」
 サベルス男爵は書類をまとめて、レオロ侯爵を護送している戦艦に乗り込んだ。

 “あの時聞いた噂は本当だったんだ……アイツの事だ、俺に言うの忘れてたんだろうな……” サベルス男爵は特に深く考えるでもなく、いつもの天然のおっちょこちょいから来る連絡不備だと理解して、帰途についた。

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