PASTORAL −112

 大公妃エリザベラ=ラベラは現時点で病により臥せっている事となっている。
 弟であるゼンガルセン=ゼガルセアの叙爵式の後に彼女の死は『公式』に発表される。ゼンガルセンの叙爵式である以上、彼女が死んでいるのは誰もがわかっている事だが、誰もそれに関しては触れない。
 彼女が現時点で死亡が確認されると、クロトハウセが叙爵式の警備総責任者を務めることが出来ない為の措置。
 無事に叙爵式を終えた後に、クロトハウセは『病死した妻』の葬儀を執り行い一ヶ月ほど喪に服し、明けると同時に今度は皇帝の挙式の警備総責任者を任じられる事となっていた。
 肌を重ねたことすら最早記憶の片隅に追いやり、何時もの任務に精を出していた。
 警備の最終確認を部下達と詰めながら、式典儀礼に舌打ちをする。
「叙爵式の “皇帝陛下の靴に口付ける” 儀式などなくしてしまいたいものだな」
 叙爵式自体は簡単で、皇帝が新公爵に任ずると書類を自ら読み上げ、その後任じられた公爵が玉座に座る皇帝に近付き、その靴に軽く口付けるという短いものだ。
 絶対恭順の証としての行為だが、その際公爵は帯剣を許可されている。皇帝と公爵の信頼の証だが、危険と隣り合わせ。
「確かに危険ではありますわね」
 ゼンガルセンが皇帝に切りかかるとなれば、彼が率いてきた配下も同時に攻撃に転じる。その際、誰が誰を制圧するかを調整しつつ、ゼンガルセンが皇帝に刃を向ける可能性はどれ程のものか、情報集めにも彼等は奔走していた。
 そんな忙しい最中、
「親王大公殿下」
「何だ、ルビータナ」
「陛下からのお言葉です “我が永遠の友が向かったゆえに、慰めろ” との事です」
 カウタマロリオオレトが此方に向かっていると聞かされ、クロトハウセの表情は曇った。
「…………」
 曇らせてはみたものの、
「勅命ですからねえ」
 皇帝陛下のご命令とあらば、完遂するのがクロトハウセだ。早々に会議の主導権をカッシャーニ大公に渡し、宮殿をうろついている国王を拾いに向かう準備を始める。
「解っている。それにしても何か落ち込むような事でもあったのか」
「エリザベラの処刑では」
「あいつは、殺したそばから忘れていくだろう。今まで処刑した事実すら忘れ去っているような男だぞ」
「私共もそうは思いますが。陛下が仰られた以上は」
「無論慰めてやるが、仕方なくだ! 仕方なく! 陛下からのご命令であるからであって!」
「それでは我々が警護のほうを詰めますので。病み上がりの親王大公殿下はごゆっくりと」
「殿下とお楽しみくださいませ」
「止めんか、気色が悪い」
 全員に会議場から笑顔で追い出されたクロトハウセは、彼が向かっている場所に向けて走り出した。
 クロトハウセが宮殿の内大噴水の前で項垂れて座っている金髪を発見したのは直ぐの事。
「どうした、カウタ」
「ラス! ラス!」
 一人床にへたり込んでいたカウタマロリオオレトは、クロトハウセの声を聞くと弾かれたように立ち上がり、抱きつき必死に言葉を紡いだ。
「御免ね! 御免ね! 妃の事助けてあげられなくて!」
 彼は、クロトハウセと妃は普通の夫婦だと本当に信じていたらしく、泣いている顔を押し付けながら何度も謝罪する。
「……お前、バカなのは知ってたが」
 カウタマロリオオレト以外の誰もクロトハウセと妃の関係が普通であったとは思っていない。
 政略結婚ではなく謀略結婚。
 彼女を最も効果的なタイミングで処刑するために結婚しただけの事。
「妃の事! 殺しちゃったけど嫌いにならないで! ね! 許して! 許して!」
「おい」
「陛下にお願いしたけど駄目で、レッ君にもお願いしたんだけど駄目で、カルミラーゼン大公も……誰もお話聞いてくれなかった! 御免ね! 王なのに何もできなくて」
「落ち着け!」
「やだやだ! ラスに嫌われたらやだ!」
「元々好きじゃ……少し落ち着け、私は病み上がりなんだぞ。病み上がりって解るか?」
「解る。病気が終った後」
「陛下からのご命令だから仕方なく、いいか! 仕方なくお前の相手してやるんだからな! それでお前の言葉だが、嫌いではない。平気だ、妃を処刑したくらいでは嫌いにならない。これで良いか? 納得したか?」
「……ょ……たぁ……」
「何が良かったんだ」
「ラスに嫌われたと思った」
 それだけ言うと抱きついたまま大泣きを始めた彼を、クロトハウセは無理矢理抱きかかえ近くの部屋へと入った。椅子に腰をかけ、抱きついたまま離れない彼を引き離して自分の膝の上に座らせ、
「今日殺した相手の名前、覚えているか」
 頬を両手で押さえ、覗き込むようにして問う。頬に触れている手に彼の手が触れた時、血の匂いが僅かにした。
 クロトハウセが抱いた女の愛液が濃く腐敗したような。確かに彼女の物だと思いつつ、彼が語るのを待つ。泣き過ぎしゃくり上げるようにしか言えないではいたが、
「覚えてる、エリザベラ=ラベラ。ラスのお妃でしょ」
 確かに彼は覚えていた。
 いつもならば、殺した直後の全てを忘れてしまっていたのに。
「何で私の名前はラスで、アイツの名前は……お前……アイリーネゼンって解るか? アイリーネゼン・ファルリッシュ・レマティーエルファ。解るか?」
「私の大事なお妃だよ」
「……ちっ! 覚えているのか」
「どうしたの?」
「なんでもない」
 クロトハウセはその “事実” に面白くなさをはっきりと感じ、椅子に背を預けて天井を見上げた。
 少しして膝に乗せている彼は鎖骨に頭を乗せて、重くなり寝息を立て始める。
「どうせ、起きたら全部忘れてるくせして……泣かなくてもいいだろうが……血の匂いで気分が悪くなったのは初めてだ」
 起きたら香油の入った風呂に入れ、この匂いを全て落としてやろうと考えつつ、クロトハウセは側近に上に掛ける物を持ってくるように指示をだした。
 そして目が覚めるまで、彼を抱きかかえたまま窓の外を眺め続ける。
 耳元近くで聞こえる寝息が何時まで続くか考えているクロトハウセは、早く起きろと思う事だけはなかった。
「あの時私の名を叫んだように聞こえたのだが、幻聴だったのだろうな」

− 起きてよ! ケセリーテファウナーフ!

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