ALMOND GWALIOR −75
 君が近しい人を大切に想っていることは知っている
 だからと言って、君が不幸になるのは間違っている
 君も幸せにならなければならない
 何故って? 君が幸せにならないと、私も幸せになれないからだ

**********

 ザウディンダルはテーブルに並ぶ料理を前に愕然としていた。

『デウデシオン、ザウディンダルも一緒でも良いから余の後について来い』

 皇帝を奴隷娘の所へ連れて行く役割だったザウディンダルは、皇帝とデウデシオンと共に祝いの品に囲まれて、料理の前に座っている。
 皇帝がザウディンダルの頼みを聞き入れ、式典中デウデシオンを遠ざけたのは、四大公爵を使い、デウデシオンに誕生日のプレゼントを用意したかったからだと告げられた。
「感謝している。ザウディンダル」
「そのような事……」
 ”何か欲しいものはないか?” と尋ねる都度 ”お気持ちだけで結構です” と返されていた皇帝は、一度だけでいいからどうしてもデウデシオンを祝いたかったのだと言う。
「驚かせたくてな」
「本当に驚かせていただきました」
 部屋を埋め尽くす 《皇帝の関心を引く為》 の品々。
 皇帝の御前に出る前にザウディンダルが渡したバースデーカードと対照的な、財宝の数々。
 その上皇帝は、花を生ける事の得意な皇婿から習い逸品の花器に、大宮殿にしか存在しない皇帝の花々を惜しげもなく使い、それを自らの贈り物とした。
「ゼボリーロストと共に花を生けてみた。花器ごと受け取ってくれぬか」
 皇帝の父達は 《無害》 に育てたいという親王の希望により、出来るだけ実務的な物から遠ざけられ育てられた。その結果なのかは不明だが彼等は全員、芸術の分野に造詣が深かった。
「皇婿にも合格点を貰い、帝婿と皇君にもそれなりに褒められた。まあ、父達は余のことを褒めてばかりだから、あまりアテにはならんがな」
 それが世辞ではないことは、ザウディンダルにも解る。
 それは 《圧倒的》 だった。平素無害な皇帝、気に入った奴隷娘の危機に牙を剥いた帝王。
 その花たちは、前者が偽りの姿だと全ての物に伝える。
 皇帝の内面は決して脆弱なものではなく、まして無害な物ではない。
「これは……私は芸術に深い造詣を持っている訳では在りませんが、お見事としか……陛下、これはありがたく頂きます。それで、どうですか? 花を持って行っては」
 デウデシオンはその花を前に驚きながら、あることを提案した。
「何処に?」
「ロガへ贈るのですよ。陛下から贈られたら喜ぶでしょうよ」
「そ、そういうものか?」
「一般論としか言えないのですが……ザウディンダル」
「何だよ……はい! 何で御座いましょうか?」
「 “女” は花を貰えば嬉しいと思うか」
「……はい、喜ぶでしょう」
 一連のやり取りに何かを感じた皇帝だが、彼にとって大事な 《ロガ》 という名前を聞き、そわそわし始める。
 なんだろうかと思いながら、ザウディンダルはメインディッシュの肉を細切れにして下げさせていた。
「そうか……では、今日はこれからロガに贈る花を選ぼうか」
「それが宜しいかと。明日出立前にご準備下さい。花器の方は私が用意しておきますので」
「では頼む、デウデシオン」
「私はこれから仕事に戻りますが、本日は祝っていただき誠にありがとう御座いました」
 来年も皇帝が祝うと言ったら、デウデシオンはそちらに足を運ぶのだろう……
「来年もこうやって祝って良いか」
 デウデシオンが思った事を、皇帝は何の気負いもなく口にする。
 あの日ザウディンダルが窓の向こう側から観て泣いた風景によく似ていた。ザウディンダルは最早子供ではないから泣く事は無い。そして皇帝に悪意のない事も知っている。
「祝ってくださるのでしたら……ただ、少しだけ頼みが」
「何だ?」
「来年はこの席に陛下の正妃が居てくだされば、尚嬉しいです」
 デウデシオンに言われた皇帝は、あからさまな空咳をした後に告白をする。
「……頑張る……と申すか、デウデシオン」
「はい」
「余はロガを正妃に迎えたいと思っておるが、まだロガの気持ちを聞いてはおらぬ。それを余自らが告げ、色よい返事を貰えたら……」

 奴隷の正妃

「そこから先はこの帝国宰相にお任せください」
「苦労をかけるな」
 ザウディンダルは席から立ち上がり、デウデシオンの後ろに立った。皇帝の表情は不安に満ちていたが、デウデシオンは落ち着き払っていた。
「何を仰いますか。この帝国宰相、四大公爵を相手にすることに慣れておりますし、勝ち目もあります。ですが陛下が “お好きな相手” を連れて帰ってくる事には何の協力もできません。頑張ってくださいませ」
 ザウディンダルはデウデシオンが奴隷に肩入れしている様な気がした。だが直ぐにそう思った気持ちを振り払う。
 兄であるデウデシオンに異存する事の多い自分の勝手な思い込みだと、少しでも誰かに優しくすると耐えられない自分の身勝手さだと言い聞かせる。
「デウデシオン」
 皇帝は正妃に迎えて良いと言われた事に安堵して、何時も通りの表情と声に戻った。
「はい」
「あのな、ケシュマリスタ王が用意したプレゼントでちょっと余が気に入った物があったので、貰ってよいか?」
「無論……何が気に入られましたか?」
 ”ケシュマリスタ王” と聞いた瞬間、デウデシオンの表情が帝国宰相の物になったが、皇帝は気にせずに欲しい物が入っている箱に近寄る。
 デウデシオンに ”行け” と無言で合図されたザウディンダルはその箱に近寄り、開く。
 中に入っていたのは鬘。
「この鬘」
 皇帝は四大公爵に用意してもらった物を、父達の意見で昨晩検分していた。
 父達はあの四大公爵の事だ、何か含みのある嫌がらせの品を用意しているかもしれないと危惧して。
 その危惧は当たったのだが、皇帝が殊更その品を気に入っていたので、それを除外することは叶わず、ならばと 《帝国宰相に欲しいと告げてください》 そう助言していた。
「ぎょ、御意……」
 その品にデウデシオンは頬を引きつらせたが、皇帝が気に入っているので何も言うことはなかった。
 翌日、皇帝はザウディンダルの操縦する移動艇で奴隷娘の元へと向かった。
 昨日気に入ったと言い、デウデシオンへの贈り物から分けて貰った鬘を被り、生けた花と弁当を持って。

**********

 不機嫌な面してたら兄貴に叱られた。
《陛下が質素な贈り物などしたら、笑いものになってしまう》
 解っちゃあいるが、何となく……
《お前から貰った物と、陛下から頂いた物を並べて評価するほど、私は愚かではない》
 兄貴が絡まなけりゃ、俺だって……冷静だよと言いたかったが言わなかった。
 久しぶりに奴隷の元へとゆける皇帝は、顔と瞳の色を隠すマスク越しでも喜んでいるのが解った。
 兄貴はあの奴隷を正妃にしたいと願っている。
 俺はそれに……協力したい。だから……でも、俺は陛下に意見はできない。
 これで嫌われてしまったら、俺はどうしたらいいんだろうか?
 移動艇を着陸させ、膝をついて頭を下げて陛下を見送らせていただく。
 少し離れた後、護衛として従う。決して奴隷の視界に入らないように。
「ナイトオリバルド様!」
 奴隷の声は驚きに満ちていた。
「おお、ロガ! 久しぶりだな」
 陛下は受け入れてくれた事に安堵しているような声だった。
「今日の鬘は一段と凄いですね」
 駆け寄って来て、崩れた顔ながらも笑顔を向ける奴隷。だがその視線は、あのラティランクレンラセオからの兄貴への贈り物だった鬘に釘付けだ。
「久しぶりに来るので、ロガに気付いて欲しくて、兄の誕生日の贈り物から失敬してきた」
「お兄さん……これ被るんですか?」
 奴隷の怪訝そうな声が。気持ちは解る、解る!
 陛下! 兄貴を変質者にしないでくださ……いや陛下が喜んで被っているから、変質者ではな……うわあああ!
「どうであろうな? だが、これだと目立って良かろう! 久しぶりなのでロガに直ぐに見つけてもらえるようにこれにした。レインボーアフロの鬘」
 凄い自慢げに語ってらっしゃった……

 俺はそこで地面に伏した。あんまりです、陛下。
 そして地面に伏していたせいで出遅れ、陛下が 《焼け》 菓子で大変な事になったけれど……でも俺には耐えられなかった。
 皇帝の父達、誰か止めてくれたら良かったのに。

− 大宮殿・後宮 −

「うーむ、見事なレインボーアフロだ。ザセリアバは陛下にレインボーアフロと教えたが、阻止はしなかったらしいな」
 皇婿が語る。
「陛下が気に入っていたので、帝国宰相に被ってみてくれと言うのではないかと思い阻止しなかったそうだ。まさかご自分で被られるとは思うまい」
 帝婿も語る。
「……」
 一人無言の皇君。
「どうしました? 皇君」
 皇婿に声を掛けられ、彼は口を開いた。
「”レインボーアフロ” というのは我輩の語彙には相応しくないと、先々日から考えていたのだ」
 言葉を操る詩人である皇君には 《レインボーアフロ》 という言葉がどうしても受け入れられなかった。
「何か良い言葉でも思いつきましたか?」
「うむ、歴史から抹消された古代の神話にイーリスという虹の神がいる。それにちなんで 《イーリスの陰毛》 と呼ぶのが最も良いと」
 真顔で語る皇君に、
「詩的な事に全く疎い私が言うのも何ですが、ヴェクターナ大公、詩人名乗るの止めた方がいいですよ」
 帝婿も真顔で言い返した。
 一人無言を貫いた皇婿は、
『イーリスという神は陰毛があるのか……気になるな。どの書物を開けば解るのだろうか? イデスアに聞いてみると解るか?』
 神の陰毛に囚われ、古典に詳しいビーレウストに本気で尋ねようとしていた。

 帝国の偽りの平和……これはこれで、良いのかもしれない。


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