ALMOND GWALIOR −158
 コットンレースキャップ自体は良かったのだが「被った姿があまりにも恐ろしい。被らなくても恐ろしい」とランクレイマセルシュは多数の部下から泣きつかれ”帝王の意思も尊重しなくてはならないのは解るが、まあ、その頼むわ”と言い、頭髪を元に戻してくれと金を持って依頼してきたので、エーダリロクは仕方なく元に戻すことにした。
 もちろん金は貰って。
 コットンレースキャップ単体は、非常に可愛らしいことは誰も否定しない。
 奥様がどれほどエーダリロクのことを心配して、放蕩馬鹿王子の存在意義最終砦でもある天才的頭脳が入っている(らしい)頭を大事保護してあげようとしていたことは誰もが認めている。
「帝国宰相に謀反の意があります」
 そんな夫を大切にしているメーバリベユ侯爵の元に、
「あってもおかしくはないけどな」
 コットンレースキャップを返却しにきたエーダリロクと、
「それはまあな」
 警備のアシュレートが訪れ、手料理で持てなされながら上記の話題が持ち出された。
 メーバリベユ侯爵がロガの傍を離れていたことでエダ公爵が容易に接触できた。ここに至るまでには数種類の条件が絡む。
 メーバリベユ侯爵に付き添いを依頼したのはシュスターク。
 これはシュスターク本人の意思から出た願いではあるが、シュスタークは基本「自分の意見を自分の決断だけで」言うことはない。
 言動の全てが周囲に多大な影響を及ぼすことを知っている”皇帝”は、必ずと言って良いほど、他者に意見を求める。
 その相手こそが「帝国宰相デウデシオン」
 それらを知っているメーバリベユ侯爵はエダ公爵の接触理由を帝国宰相にあると判断した。本気でデウデシオンがロガとエダ公爵の接触を排除しようとしたなら、それは可能であると。自分ですら出来ることが、帝国宰相にできないはずがないだろうと。
 ラティランクレンラセオの視点でもなく、他の三王の視点でもないメーバリベユ侯爵の視点から「帝国宰相がロガを大宮殿から遠ざけようとしている」理由を探った。
 メーバリベユ侯爵は《エーダリロクの中にザロナティオンの人格がある》ことも《シュスタークの中にラードルストルバイアの人格がある》ことも《ディブレシアが生きている》ことも《カレンティンシスが両性具有である》ことも知らない。
 だがそれらを知らなくとも「帝国宰相に叛意有り」という答えに、簡単に辿り着いた。
 メーバリベユ侯爵は他の人が知らないことを知っている。
 それは《エダ公爵の内心》。
 ”彼女”とメーバリベユ侯爵は、かつて皇帝の正配偶者の座を競った。
 正確には後二名おり、四席ある皇帝の正配偶者の地位に、四王家から一名ずつ選ばれた貴族の娘が送り込まれたのだから「正妃の座」自体は確実だった。それがなくなった経緯は省くが、問題は「称号」にある。
 メーバリベユ侯爵家は名家ではあるが、生来のロヴィニア名家ではなく、ロヴィニアの副王家などとも繋がりはなかった。
 それらが無くとも実力でロヴィニアを代表する正妃候補となった。
 エダ公爵家は公爵家自体が、ケシュマリスタ属の古くからの名家である。いくつかある副王家の中でも特に「ケシュマリスタ副王家」の通り名を持つカロラティアン伯爵家とも婚姻関係がある。
 エダ公爵。彼女が皇帝の正妃候補に選ばれたのは、妥当であった。
 彼女もまた有能で、身体能力も優れており、近衛兵をも務めている。正妃候補に挙がった際に、ケシュマリスタ王国近衛兵を辞し、正妃にならないことが決定した後は、帝国近衛兵となった。
 このどちらを「皇后」にするか? というのが問題になった。
 シュスタークの外戚王は当然メーバリベユ侯爵を皇后にしたい。だが血筋という点では、メーバリベユ侯爵や他の二名よりもエダ公爵が勝っていた。
 貴族である以上、血筋や伝統、家柄や姻族などを除外して決めることはできない。
 どちらかが、エヴェドリットかテルロバールノルに属していれば簡単に決まったのだが、片方大きな力を持つは外戚王が推す貴族、片方は皇室になにかあれば皇位を継げる地位にある王の血を引く貴族。
 外戚権力で皇后に最も近かったメーバリベユ侯爵だが、自らが皇后の座に就こうものなら、エダ公爵が追い落としにくることは肌で感じていた。
 無論メーバリベユ侯爵も黙って追い落とされるつもりはなく、隙をついて失脚させてやろうと考えていた。
 結局どちらも皇帝の正妃の座には就かなかったが、メーバリベユ侯爵とエダ公爵は互いを敵と見た。
 正妃という枠組みではなく、己の生き方そのものが敵となる相手として。
 その生き方「皇帝の正妃になること」を目的としており、それを彼女の口からはっきりと聞いたことがある。
 聞かされた時、メーバリベユ侯爵は驚いたものの、彼女の奥にあるものが”それ”であることを知り、ラティランクレンラセオの野望にも気付いた。
 彼女はラティランクレンラセオが皇帝となろうとしていることを知っているから、愛人になったのだと。
 そしてもう一人、狙っているだろう男に気付いた。
 奥深くにある叛意の燻りを、彼女は感じ取り近付いた。名門公爵家の当主、女性が減った帝国。えり好みできる立場でありながら、結婚せず、権力者の男の間を行き来する。
 皇帝になることが目的なのではない。皇帝の正妃になることが目的。
 皇帝の正妃になることは、最初から目的ではなかったメーバリベユ侯爵には、そこに至る考えは解らないが、目的さえ解れば対処はできる。

 自信があるのではなく、皇帝に仕える道を選んだメーバリベユ侯爵は成さねばならないのだ。

「警備に残るエダ公爵は、帝国宰相の背を押すことでしょう」
「元々ラティランの配下で、それ相応の実力もあるしな。后殿下の警備から外れて帝国宰相の配下にはいってたよな」
 后殿下ロガの艦隊の実務全てを任せられたエーダリロクは、眉間に皺を寄せる。
「配置換えをするわけにもいかぬし、配置換え要望を出したところで、帝国近衛兵の人事権は帝国宰相に優先権があるからして、我等の希望通りにはならないだろうな」
 近衛兵にも属し、訓練なども受け持っているアシュレートだが、配置や昇任などは当然ながら団長タバイの意見が尊重され、タバイはデウデシオンと話し合って決めているので、アシュレートにはどうにもできない。
 《僭主の大宮殿襲撃》に関して、エヴェドリット王国近衛兵の配置に、帝国側は一切口を挟んでこないところも、意見を述べることを難しくしていた。
「未然に防ぐことは不可能だと考えます」
 皇帝と帝国宰相が別の場所に位置する。
 その瞬間から、簒奪は開始される。それを防ぐ手段を講じるには、もう時間がなかった。
「そうだな。エダの実力じゃあ、下手な策は潰されるだろなあ。それと帝国宰相は気付いてるってか、警戒はしてるだろうな。ギリギリまで引っ張って人の仕事増やしやがって」
「なるほど。もっと早くに后殿下にそのように言わせることも出来たのに……か」
「そう考えるほうが妥当だろ。機会は何度もあった。たまたま俺が大怪我しただけで、他の手段も山ほど用意してただろうよ」
「なまじか有能であると、苦労するなエーダリロク。それではどうする?」
「私が相手をします。その補佐をしていただきたく、お二方に打ち明けましたの」
 エーダリロクとアシュレートは頷き、メーバリベユ侯爵に打ち明けられた、大雑把だが”これしかないだろう”という作戦を了承した。

**********


「…………」
 目覚めたデウデシオンだが、思考はまだ微睡の淵にいた。
 徐々に思いだし、デウデシオン本人は《悪夢》と思っていることを振り返り、深い溜息をつく。夜は更け全てが息を潜めたか闇を見つめ、再度溜息をつき起き上がった。
 気怠い体に何一つ疑問を持たずに浴室へと向かい、いつでも湯で満たされている浴槽に体を沈めて目を閉じた。
 デウデシオンの夢のほとんどは、この悪夢。
 記憶を処理してしまえば見ることもなくなるのだが《ディブレシア》の存在を消し去ることは出来なかった。
「忘れてしまったら……」
 自分を作る大部分はディブレシアであって、それを拒否した先にあるものをデウデシオンは明確に描けないので記憶処理ができない。
 絶望の深淵を眺めて、その縁を危うく渡り歩いてきた男に、それ以外の道を思い描き歩けというのは無理。だが記憶を失った先の未来は他人に用意されるものでもない。
 なにかになりたいのであれば、記憶処理も合成も取る道の一つだが、デウデシオンは悪夢と振り返りたくはない過去と共であっても、デウデシオンでいたいのだ。
 己が己に固執する理由の幾つかは理解していた
 異父兄弟たちを繋いでいるのは、ディブレシアの存在。この世には存在しないものとして処分された”彼女”もディブレシアと共に在り、息子を産んだのもディブレシア。
 人生と体と精神の半分以上を支配しているディブレシアから、逃れようものなら自分が消える気がしてならなかった。
 もちろん逃れようとしたことは何度もあった。
 十代後半から二十代前半の頃は、悪夢を現実と取らえて眠った方が疲れるような日が多々あった。
 悪夢のディブレシアの腹が膨らむ様に恐怖を覚え、そのディブレシアの足元にやっと立てるくらいになったバロシアンがいるのを見て、再度膨らんだ腹を見る。
 そのディブレシアは”こう” 言うのだ。

【お前と父母が同じ弟が、この腹の中にいるぞ】
幼いバロシアンの瞳と、ディブレシアの産道から這いだしてくる嬰児。
【ちがう、ちがう! 子供なんていない! 私の……うああああああ!】

 夢であることは解っている。過去を変えることは出来はしない。だから現実を変えようとして、デウデシオンは断種した。現実の自分が子の作れない体質になっているのだからと。
 悪夢と現実の境を付けられるようになった出来事でもあった。
 同時にディブレシアの支配の強さをも実感していた。《死んだ皇帝》に支配されている自分の限界。全てを目の当たりにしながら、それでもデウデシオンはディブレシアの存在を消し去ることはできない。自らが崩壊しかかっていることは感じているが、消えてしまうことのほうが、デウデシオンにとっては恐ろしい。

―― 今更アニアスやアウロハニアのような性格になれぬし、なった自分を見るのも……
 
 口元を緩めてディブレシアの存在にあまり囚われていない弟たちの性格を、自分に当てはめてみる。
「生まれつきの性格もあるだろうから、あのようになるのは無理だろうが」
 体が温まったとは言い難いが湯船からデウデシオンは出て、鏡に顔を写して人差し指と中指で眼球を摘むようにして触れる。
「眼球はある。ディブレシアは死んだ。私はいつも通り夢を見た。彼女が現れなかったから良かったではないか」

**********


 アシュレートとメーバリベユ侯爵と話を終えて、エーダリロクは一人で書類を捲りながら考えていた。
 エダ公爵とロガの接触。その背後にデウデシオン。
「確実に簒奪する気だな」
 デウデシオンもロガ艦隊の補佐にエーダリロクを推した。
 それにより忙しくなり、ザウディンダルを第二補佐にしたということは、ジルオーヌ作戦に支障が出るということにも繋がる。

―― 作戦を成功させるかどうか? の間で迷ってるってことか。失敗させる気はなさそうだが、帝国宰相だけの勝利ってこともあるわけだ。ああ! 作戦立てるのは得意だけど、それが完全に遂行されるかってなると。俺一人で全部出来たら成功させる自信あるんだけどなあ

”エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル すべてを ひとりで おこなえると かんがえるな ひとりで すべてが できると かんがえるな そうだ ひとりで すべてを おこなおうとして しっぱいした わたしが いっているのだ”

「そうだったな。自分一人だけで事態を解決しようとするなって、あんたが良く言ってたな」


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