ALMOND GWALIOR −159
 エーダリロクから仕事を渡されたザウディンダルは”きょろきょろ”周囲を見ながら、

「し、仕事があるから、一人にしてくれる? くれない?」

 タバイにそう告げた。
 非常に困惑した言い方に、喋ってはならないと言われたのだろと理解し「無理しない程度にな」と声を掛け、それ以上は尋ねなかった。
 タバイの耳に入っていないところから、正式ではない、または秘密裏に行われる、もしくはその両方であろうと考えて。必要であれば後でエーダリロクから連絡が来るだろうとも思いながら。

―― それにしても、セゼナード公爵殿下が……たしかに兄の攻撃をかわしていたが……あれは余裕があったということか

 夜も更けたころ、
「ザウディンダルの様子をみてくる」
「わかりました。ごゆっくりどうぞ。私は先に休んでおりますので」
「ああ」
 タバイはミスカネイアに告げ、ザウディンダルの様子を窺いに向かった。
 扉をノックしようかと思ったのだが、室内にザウディンダル以外の気配を感じて手を止めて、廊下の灯りを消してから扉を開く。
 まっ暗な部屋、ザウディンダルはベッドで眠っていた。その傍に立っているデ=ディキウレが、タバイに会釈をし、タバイは頷く。
 この忍び込むのが得意な弟の気配を感じ取ることが出来る兄弟は、それほどいない。その数少ない一人がタバイだった。
 廊下に出て来るようにタバイが手招きをする。デ=ディキウレはザウディンダルのシーツをかけ直してから、足音を消して部屋を出た。
 廊下を挟んだ反対側の部屋へと入り、二人は向かい会って座った。
「机に向かって居眠りをしていたので、ベッドに運んでおきました。着替えはさせてません」
「いや着替えさせてくれた方が」
「着替えさせたら、長兄閣下に八つ裂きにされるでしょう」
「そんなことはないだろう」
 言いながら―― 膣座薬で大暴れした ―― デウデシオンのことを思いだし、いつも以上に語尾が弱々しくなった
「ではタバイ兄。ミスカネイア義理姉様がお仕事でお疲れになって居眠りしている際には、私が着替えさせてもよろしいので?」
「断る」
「私だって、私の妃の着替えをタバイ兄にされたら嫌ですよ。言いたいことはわかります。私の妃や義理姉とは違い、ザウディンダルは弟だからだと。ですが、弟ではありますが弟ではありません」
「まあ」
「ほら、ふかふかだって」
 キャッセルとよく似た顔のデ=ディキウレが笑顔で”ふかふか”
「その話はしないでくれ」
 自分がキャッセルを連れ出した後の出来事を聞き、退出したことを後悔していたタバイは、これ以上は思い出させないでくれと、無意識のうちに胃に手を当てて頭を軽く振る。
「まあ、ふかふかはさておき、キャッセル兄ですが神経を麻痺させる薬を大量に製造させて本部から持ち出しました」
「……誰に渡した」
「皇君殿下に」
「あの人も……」
「薬の使用方法は”皇王族に使うから内緒に”とのことです」
「キャッセル一人で作ったのか? 誰に作らせたのか?」
「サーパーラントが。正式な職員ではないので、行動記録は残りませんからね。僭主をおびき出すために、そのような扱いにしている訳ですが。もちろん皇君殿下はご存じでしょうから、そのように指示を出したかもしれませんね」
「……」
「皇君殿下を見張りますか?」
「いいや。なによりも、そんな余裕はないだろう、デ=ディキウレ」
「はい。正直見張れって言われたら、どうしようかと思いました」
 暗闇に”良い笑顔”を浮かべる弟に、
「お前な……」
 溜息混じりに、どうしたものか? と言った感情を込めて力無く言い返す。
「でもまあ、頑張れるので言いました。ほら、后殿下が陛下とご一緒することになったので、后殿下の警備から私外れたでしょう。その分、余裕はありますから。探るくらいのことなら可能です」
「要らん。皇君殿下はお前の弱点を知っているのだ。下手に探りにいって、危険な目に遭ったらどうする」
「いや、そこまで心配していただかなくとも。多少のことなら、大丈夫ですよ」
 デウデシオンにとって弟たちがいつまでも弟であるのと同じで、タバイにとっても弟たちは、いつまでも弟という存在。
「万全の体制を整え、作戦を遂行しろ」
「そうですか…………」
「どうした? デ=ディキウレ」
「【ジルオーヌ作戦】なのですが、長兄閣下は成功を望んでいない気がするのですよ。綿密に計画を立てれば立てる程、あの人は作戦の裏側を捜しているような気がするのです。そしてより一層、綿密な作戦が立てられる。正直、ここまで綿密な作戦を立てる必要はありません。ですがあの人は気付く、作戦の穴に。ある程度ならば解ります、ですが気付きすぎです。なぜそこまで気付くのか?」
「それ以上は言うな」
 デウデシオンに叛意があることは、誰もが感じている。
 叛意にも様々有り、かつての簒奪者一人、有名なリスカートーフォンのクレスケンのように、情熱を持って正面から、死も恐れをなすかのような勢いで簒奪に向かっているわけでもなく、然りとて、思いつきのような感情で、行き当たりで簒奪を企てて即座に潰された者とも違う。自ら入った檻の中で柵越しに玉座を憎みながらも欲する。その向ける眼差しは、両目ではなく片目で睨んでいる。そのようにタバイは感じ、話したことはないがデ=ディキウレも同じように感じていた。
 デウデシオンは両目で玉座を直視できない。
 かつてディブレシアの暴虐で目が抜け落ちたせいではない。
 帝国宰相としていつも玉座の隣に立っているので正面から見ることもない。その姿勢のままで玉座をいつも見続けている。
 長き間、皇帝の権力代行者という立場にいた男だが、権力そのものと向かいあったことはない。
 一言で表すのならば皇帝と正面から向かいあおうとしない。
「解りました。それでは、私は長兄閣下にご報告に上がろうかと」
 だが、ただ正面から向かいあうだけで解決するか? 解決するとしたら、なにが必要か? 答えは”ザウディンダル”なのだと解っていても、ならばどうしたらいいのか? と言われれば、結局”どうすること”もできない。
「急ぐ報告か?」
「いいえ。ロヴィニア王の脱税に関する報告ですから、急ぎはしません」
「少し、一緒に茶でも飲みながら話をしないか?」
「喜んで、タバイ兄」

 タバイは己が随分と権力を手に入れたと感じると同時に、この権力が最後の一つに届かないことに限界をも見ていた。
 最後の一つとは、タバイのただ一人の兄であるデウデシオンの幸せ。

**********


 地下迷宮を自宅とハイネルズは言い切る。
 だがその自宅に戻ることは滅多にない。両親に呼ばれない限り地下迷宮ではなく、本来の自宅である邸に弟たちと住んで……もいない。
 ほとんどタウトライバの邸に厄介になっている状態で、偶に両親のどちらかから呼び出されて自宅へと向かう。
 宮はあまり使用されていないが、キャッセルの宮とは違い、ハイネルズがそれなりに管理し、
「新作ザイオンレヴィモデルゥ! そして同人誌ぃ!」
 倉庫にしたりと、活用していた。
 そんなハイネルズに、久しぶりに母親から地下迷宮に来るよう命じられた。
 暗号文を解読し、母親がいるポイントへと向かう。迷路は粗方頭に入り、トラップを悪戯に発動させて回避を楽しみながら、
「母上。参りました」
 目的地へと到着した。
 親子や家族の一般的な定義から大きく外れている母と息子だが、当人たちは気にしてはいなかった。
「ハイネルズ=ハイヴィアズ」
「はい?」
 その定義から外れた親子は、彼らの親子関係では当然のことを語り、そして命じた。

―― 奴隷の居住区画衛星に向かい、敵を討て

「謹んでお受けいたします」
 大まかな説明だけを聞かされたハイネルズは頷いた。
 エルティルザやバルミンセルフィドとハイネルズが違うところはただ一つ。前者の二人は「人は年を取って死ぬ」という形で初めての死を知ったが、ハイネルズは「人は人に殺されて死ぬ」という形の死を先に知った。
 もちろん教えたのは、ハイネルズの母親。
 かつて”冷酷無比”と称賛されて育てられた母であり公爵妃は、
「……」
 目の前にいる息子を見て、その過去を遠くよりも遠く、むしろ自分の過去とは思えない、他人のことのように思いだしていた。
「いかがなさいました? 母上」
「いや」
「そんな思わせぶりな眼差しで見つめられたら、身もだえしますぅ! 正直に言ってくれないとグレますぅ! 盗んだ戦艦で暴走しますぅ!」
 冷酷無比と言われた彼女は、自らが受けた教育をそのまま息子には施しはしなかったが”この性質”は絶対に夫であるデ=ディキウレから受け継いでいると。それだけは譲れなかった。
「また例の類に属する本を読んでいたのか?」
「なぜばれたのですか! 母上、私の背後からのぞいてましたね!?」
「のぞいてはいないが。のぞいたとしていても、背後を取られたのだとしたら、取られたお前が悪い。ハイネルズ」
「そうなんですけれどもねーでもねー」
 頬を冗談で膨らませて見つめてくる顔は、凶悪な顔つきだと彼女は思う。息子であろうとも、凶悪な顔つきであると彼女は思う。だがその顔が、息子だと思えば愛おしくなる。
「死ぬなよ、ハイネルズ」
 アシュ=アリラシュの顔つきに対して、そう思う日が来るとは、彼女自身驚きであった。彼女が称賛された冷酷無比以上であった伝説の男と同じ顔を見て、心が柔らかにそして裂かれる程に優しくなる。
「はい? 私の耳と頭に異常はないので、母上の異常であることは間違いなさそうですね。母上、大丈夫ですか? お疲れではありませんか? それとも偽物ですか?」
「お前らしいというか。”私”も自分がこんなことを考えるようになるとは思っていなかった」
「似合いませんね」
「お前は母親を敬うという気持ちはないのか」
「敬っているので、この意見ですよ。お顔に似合いませんよ。”私”もね」
「そう言われるとな。ともかく死ぬなよ。お前はエルティルザのような帝国騎士としての能力もなければ、バルミンセルフィドのような半異形ともいえる超回復能力も持っていない。お前が持っているのは、愚かで曖昧な力と人を殺す時に躊躇わない思考だけ。自らの弱さを自覚して任務を遂行せよ。いいな、ハイネルズ」
「はい。それでまあ、私に死ぬなよと言った以上、私が死んだら泣きますか? 母上」
「ああ。人目も憚らずに、この顔で大泣きするだろうよ。似合わんなと思うが、泣く」
 間髪入れずに返ってきた答えに、息子はかなり驚いた。
「そうですか。どうせ泣かれるなら、母上ではなくて可愛い彼女に泣いて欲しいので、今回は頑張って生き延びますーああ、でも何かこれって、死亡フラグっぽくてやだなあ☆」
「可愛い彼女とやらを、早く見せて欲しいものだな」
「この顔、もてないんですよね」
「同じ顔のイデスアの王子は女性に人気あるだろう」
「やっぱり、リスカートーフォンの王子でこの顔は許容されるみたいですが、それ以外はねえ」
「その言い訳いつまで通用するかな? ハイネルズ」
「うっ……」
「それではな。次に会う時は、作戦が終了しているだろう」
 下がれ、と目配せされてハイネルズは出口に向かう扉に手をかけた。迷宮から大宮殿に戻るためには、入り口ではなく出口に向かわなくてはならない。
 出口は出口、入り口は入り口としてしか機能しないことになっている。
「はい。それではご武運を」
「ああ」

 息子の背と髪の流れ具合と、迷宮の闇に彼女は目を閉じて、
「絶対に死ぬなよ、ハイネルズ」
 自分の言葉に頷いた。息子が死んでいないことを確認するためには、自分も生きて帰ってくる必要がある。

**********


「よっし! 出口、出口」
 地下迷宮の出口は、壁に設置されていることがおおい。
 大宮殿の壁は異常なほど厚みがあるので出入り口を作りやすい。壁ならば何処でも良いといと言う訳でもない。
 廊下などに面した壁では、召使いなどに見られてしまう可能性が高いので、出口も入り口も、基本的には王族の私室になっている。
 私室でも特にプライベート、召使いを傍におかない、一人だけになる部屋。
 それらに使用される部屋は、大体が通路に通じているのだ。ハイネルズが使用した出口も、やはりそれに該当し、私室の主とハイネルズは目が遭った。
「……」
「……」
 床に舞い散る楽譜。赤が多い服とはあまり馴染まない中性的で、自称ではなく過去の皇帝のお陰で知的に見える顔立ちのアシュレート。彼の私室に出てしまった。
「待て! ハイネルズ!」
 ハイネルズが地下迷宮に詳しいことは知っているので、部屋に無断で”現れた”ことに関してはアシュレートはなにも言わない。
 あるのは”軍人になれ!”とうことだけ。
「きゃああ! 自宅の玄関前で張っていらっしゃるとは! 卑怯なりぃ!」
「ここは、我等の居住区画だ!」
「ぎゃああ! 助けてぇ! ジュシス公爵殿下に食べられるぅ!」
「あまりそう言っていると、本当にシベルハムに投げつけるぞ」
「やめてー。私はあの人のピンポイントじゃないですか! この若く瑞々しい体! そして性別男性。この長い足、美しい腕! 肌理細やかで、顔も整っている知的な美少年!」

 この辺りが、アシュレートが「こいつは近衛兵にむいている」と感じるところだった

「(アシュ=アリラシュ顔が……美少年……)…………」
「なんですか! その沈黙ぅ!」

 初代王で美少年と言われるのはただ一人。アシュ=アリラシュ・エヴェドリットではなくゼオン・ロヴィニアである。


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